第20話「治療を待たせない帳面」
患者の列に、俺の机を置かない。
そう決めたのは、水車町の救護所へ着いて、入口で二人が待たされているのを見た時だった。
怪我の理由を、支出の理由へ変える順番にはしない。
「隊の方ですか。それとも、町の方ですか」
受付にいた人が、ガルドの鎧を見て尋ねた。
エレナは、後ろに立つ二人へ目を向ける。一人は腕に布を巻き、もう一人は子どもを抱いていた。
「先に、そちらの状態を見てください。私たちは、薬の補充と引継ぎに来ました」
俺の膝には布が巻かれている。
昨日、腫れが増えていないことを確認してもらった。今すぐ処置が必要な傷ではない。
鎧や公用の札がある人を、必ず先へ通す決まりでもないらしい。
受付は二人を中へ案内し、俺たちは横の椅子へ座った。
水車町には、小さな神殿と救護所があった。
水の音が窓の外で続いている。川沿いの仕事で手足を傷める人が多く、街道から運ばれる患者も来るという。
王都から出した照会は、ここへ先に届いていた。
エレナが神殿の印の入った紙を見せると、記録係がそれを机へ置いた。
「無料の救護枠については、確認が来ています。こちらで、今使える薬の数をまとめました」
数は、無限ではなかった。
包帯は残っている。消毒薬は少ない。特定の薬は、次の定期便まで待つ。
待つという字が、棚の空いている場所とつながっている。
エレナは残数を見て、担当者へ尋ねた。
「急ぐ方が来た時は、どこへ連絡していますか」
「町の医療担当と、隣の救護所です。ただ、隣まで運ぶにも人が要ります」
俺は、その話を帳面へ写しかけて止めた。
まず、ここで何が必要か聞く。
隊の費用と、市民救護の負担先を分けるのは、そのあとだった。
リシアは薬の棚を見て、隊の補充品を担当者と相談した。
魔力回復薬は神殿の薬とは別に、町の薬店から買う。止血や回復の薬は、取り寄せ先が同じ物もあるが、無料枠を隊が先に使い切るわけにはいかない。
俺は購入の一覧を分けた。
討伐隊用の薬と、今日の宿泊。合わせて2300ルーン。
市民の治療費を、この数字へ混ぜない。
昨日の残高26170から引いて、23870。
隊は、その額で今夜休める。
救護所の薬の不足は、それとは別に残っていた。
入口から、呼ぶ声がした。
水車で使う木材を運ぶ人が、一人、担がれてきた。手に出血がある。
受付が立ち上がり、治療室の人を呼ぶ。
エレナは椅子から立っていた。
「私も、入ってよいですか」
担当の人が彼女の印を見て、頷いた。
隊の神官だから勝手に部屋を使うのではなく、そこで診る人と役割を合わせる。
彼女は患者の手を見て、すぐに水と布を頼んだ。
俺は水桶を運んだ。
入口を塞ぐ荷物を、ガルドが脇へ移す。イグナスは運んできた人から、倒れた場所と、ほかに怪我人がいないか聞いた。
リシアは濡れた床へ人が入らないよう、椅子の位置を変える。
受付の質問を、俺が代わりに決める必要はない。
けれど、受付が動ける場所を空けることはできた。
水桶を渡してから、俺は机へ戻った。
治療費を先に確定するつもりはなかった。必要な薬を何本使うか、まだ分からない。
隊の物を使う場合は、あとで使用した種類と数を確認してもらう。
支払の相談が済むまで処置を待つ仕組みにはしない。
同時に、使った事実を全部なかったことにも、しない。
俺は手元に、短い控えを作った。時刻、使用者、使用した物、確認者。
患者の詳しい事情は、救護所の記録に残す。
薬の受渡しだけ、俺が確認できる形にする。
治療室から、エレナの声が聞こえた。
ゆっくり指を動かして、痛む場所を教えてください。
俺は字を書く手を止める。
その声に、費用を認めてくださいという響きはなかった。
誰かを助ける仕事が、今そこで進んでいる。
俺が残す記録は、その仕事を後でも説明できるようにするための物だった。
受付の人が戻り、俺の控えを見た。
「これで、支払を待ってもらうんですか」
「いいえ。今、患者さんに何か書いてもらう必要はありません。薬を渡した側と、使った側で、あとから確認します」
「それなら、ここで書類を作る人がいなくても、治療できますね」
「はい。ただ、使った数は分かるようにしたいです。次に補充する人が、困るので」
受付の人は、棚に残った薬を見た。
補充が遅れると、その人が毎日、待つ人へ説明することになる。
帳簿があるせいで治療が遅くなるのも困るが、帳簿がないせいで次の薬が来ないのも困る。
役目を狭めれば、同じ場所へ無理に並べなくて済む。
俺は費用の机を、患者の通り道から離した。
少し経って、エレナが出てきた。
傷は深かったが、動かせる状態に戻せたという。今後の確認は救護所の担当へ引き継ぐ。
隊の止血用の薬を、1本使っていた。
俺は数量と品目を確かめ、彼女に記録を見てもらった。
今日、新しくその1本の代金を患者から受け取らない。
すでに買ってある薬の使用だから、今日の現金からも二重に引かない。
ただ、隊の残数は1本減る。
補充の一覧へ反映する必要がある。
「支出は、増えますか」
エレナが尋ねた。
俺は、今日払った2300と、減った薬の記録を並べた。
「今の現金は、その1本を使っても変わりません。薬を買い足す時に費用が出ます。負担先は、神殿へ相談します」
「その相談をして、認められなかったら?」
彼女は、俺の返事を待った。
ここで必ず認められると言ってしまえば、楽だった。
事前の確認が済んでいない分を、勝手に神殿の支出へすることもできない。
「使った理由と、緊急だったことをそのまま伝えます。認められたことにはしません。ただ、その結果で、今の処置を間違いだったことにはしません」
エレナは、しばらく紙を見た。
次に、治療室へ目を向ける。
「私も、次の薬をなくさない方法を考えたいです。一度だけ助けて、次は何もなくなるのは嫌なので」
「それを、計画にしましょう。無料枠と、緊急時の隊の使用をどう扱うか、次の照会で具体的に聞きます」
彼女は頷いた。
善意を減らす相談ではなく、善意を支える人と物が続く形を探す。
最初に王都の神殿で話したことが、今日は1本の薬として具体的になっていた。
夕方までに、記録係と連絡の方法を決めた。
使用品目と数量。確認した人。補充の予定。こちらから送る時は、公用伝令の出発日に合わせる。
患者の記録を丸ごと移す必要はない。負担を相談するために必要な部分を、担当同士で確認する。
返答は数日かかる。
その間は、承認済みの負担として財布へ足さない。
俺は未確定の欄へ、照会中、と書いた。
そこまで終わると、イグナスが俺を呼んだ。
「今度は、ナオトの膝だ。今日は、見てもらう約束だったろ」
「腫れは、増えていないと思います」
「思うなら、確かめよう。皆にそう言ってるじゃないか」
俺は反論できず、治療室の椅子へ座った。
エレナが布を外し、先日の傷と比べる。腫れは減っている。だが、無理に曲げると痛みがある。
明日は短い移動にし、その後で休む日を入れる方がいいと判断された。
これは、俺だけを甘やかす話ではない。
隊が砦へ着いた時、会計担当も仕事ができる状態を保つためだ。
分かっていても、俺は自分の休む欄を小さくしがちだった。
「行程へ、ちゃんと書きます」
俺の返事に、エレナは満足そうに頷いた。
「薬の使用欄より先に、休む時間も書いてください」
リシアが横から、ペンを渡す。
「それなら、私の杖の点検も入れて。先日、荷を固定した時、留め具へ負担がかかったの」
「俺の盾も、雨のあとの確認だな」
ガルドが続けた。
イグナスは伝令の準備と、砦までの連絡を同じ日に置く。
休む日を作っても、その日に全員の仕事を詰め込めば、休みではなくなる。
俺はまず、何もしない時間の方を残した。
点検と連絡は短く分け、食事の相談も、急がない時間へ置く。
宿へ移る前、朝から待っていた人が治療室を出てきた。
腕の布は巻き直され、隣の人が荷物を持っている。子どもを抱いた人も、受付へ礼を言っていた。
俺の机を入口へ置かなくてよかったと思う。
金額を聞く仕事が、あの人たちの前へ先に立つ必要はなかった。
ただ、奥の棚へ次の薬が来るように、俺の紙も働ける。
その2つを、同じ列に並べなくていい。
宿の食堂で、ガルドが俺の帳面を見た。
「今日は、数字が増えたな」
「残高ではなく、確認する欄が増えました」
「欄が増えるのも、使う人が困らなければいい。俺には、次に何を見ればいいかだけ、教えてくれ」
俺は、明日の点検の欄を見せた。
ガルドは頷き、帳面を押し戻す。
夕食が来た。
治療も、記録も、移動も、今日はそこで区切る。
エレナは温かい椀を、両手で受け取った。
王都で見た時より、食べ始めるまでの時間が短かった。
俺は帳面を袋へ入れ、彼女と同じように自分の椀を持った。




