第19話「値段を聞く前に」
ガルドの盾には、昨日の俺がいた。
正確には、俺を引き上げた時についた傷があった。
盾の縁が、1か所だけ凹んでいる。俺はそこへ指を伸ばし、触れる前に手を止めた。
「直すなら、いくらですか」
職人は、俺の顔ではなく盾を見た。
「値段より先に、どこが傷んでいるかを見る」
その返事を聞いて、隣のガルドが静かに頷いた。
昨日、俺が断った鎖を1200で買った。今日はその反省を忘れず、必要な整備なら高くても通そうと思っていた。
その考え自体は、悪くない。
ただ、何が必要かを聞く前に、払う覚悟だけ決めていた。
橋の補修が済んだのは、朝だった。
俺たちは荷車と一緒に渡り、峠の先の小さな工房へ入った。
ハルゼが渡してくれた紹介状を見せると、職人は鎧の記録と、前回直した場所を確かめた。
ここで働く人は、ガルドの鎧を初めて見る。
どこを替え、どこを残したかが紙にある。職人はその記録と、今の傷を照らし合わせた。
「留め具は新しい。この傷は、そのあとだね」
職人が、盾の凹んだ部分を示す。
ガルドは昨日の使い方を説明した。
俺を引き上げる時に、岩へ当てて身体を支えた。敵の刃でついた傷ではない。
肩の帯にも、引く方向の違う力がかかった。
職人は、その説明を聞いてから、鎧の肩を外した。
「ここは、縫い直した方がいい。金属はそのままで使える。盾の縁も、戻せる」
「全部替えなくて、大丈夫ですか」
俺は尋ねた。
昨日までの俺なら、替えずに済むと喜んだかもしれない。今日の俺は、残した部分があとで壊れるのを恐れている。
値段を見る向きが、反対になっただけだった。
「大丈夫と言うために、点検している。傷んでいない部分まで替えると、今度は馴染むまで調整がいるよ」
職人は肩板を台へ置いた。
左右の曲がり方を比べ、内張りを押す。新しい物を買えば自動で安全になるわけではない。
身体へ合うこと。動く場所が動くこと。守る場所がずれないこと。
確認する条件が、金属の新品かどうかより多かった。
「俺の責任で、傷んだので」
言いかけると、ガルドが手を上げた。
「誰の責任かと、どこを直すかは、別にしよう。お前が全部替えたいと言っても、俺が動きにくくなるなら困る」
「はい」
「昨日の報告は、もう書いた。今日は物を見よう。そう約束しただろ」
俺は頷いた。
謝罪の続きを、装備の見積へ持ち込んでいた。
高い支出を通せば、反省を示せる。その誘惑は、安い支出を選べば責任を果たしたと思う癖と、少し似ている。
職人は、必要な作業を4つに分けた。
盾の縁の補修。肩帯の縫い直し。岩へ擦れた補助帯の交換。縄と荷運び具の点検。
材料、作業、調整を合わせて5000ルーン。
その中に、剣と薬の費用はない。
昨日の鎖も、すでに払っているので含めない。
俺は内訳を読み、ガルドに使用上の理由を聞いた。
盾の縁を放置すると、腕を引く時に帯へ負担が出る。肩帯は、鎧の重さを正しい位置へ置くため。補助帯は昨日、俺の体重を受け、擦れた部分が残った。
縄は、切れたから捨てるのではない。岩で擦れた区間を外し、使える長さを測り直す。
「5000で、お願いします」
俺が言うと、職人はガルドを見る。
使う人の確認も、待っていた。
「頼む。調整の時は、俺が着る」
ガルドの返事で、作業が始まった。
現金残高は31170から、26170になる。
数字だけ見ると、大きく減った。
俺は、減った数字を何度も眺める代わりに、必要な作業の欄を確かめた。
待つ間、ガルドは俺へ道具の点検を教えた。
鎧を外しているので、肩の動きがよく見える。
彼は縄の1か所を俺へ渡し、反対側を持った。
「まず、目で見る。次に、手で触る。中が固くなってる所は、曲げてみる」
「見た目が、ほつれていなくてもですか」
「そうだ。濡れたあと乾いて、内側が傷むこともある。俺も全部を一瞬で分かるわけじゃない。だから、使う前に見る」
俺は縄を曲げた。
他の部分より動きにくい所がある。昨日の岩へ当たった場所だった。
切れていないから使える、では足りない。
同じ縄の中でも、状態が違う。
「切って短くすると、今度は届かない場所が増えますね」
「だから、長さを測る。物の名前だけ残しても、前と同じ使い方はできん」
俺は帳面へ、縄の使用可能長さの欄を足した。
品目、数量、残数。そこへ状態が加わる。
いつまで使えるかを、俺だけで決めない。分かる人と点検した日を残す。
それなら、次に相談する時も、同じ物を想像できる。
次は、俺の靴だった。
ガルドは底を見る前に、俺へ歩かせた。3歩進み、戻るだけ。
「昨日より、右へ重さを逃がしてるな」
「膝が少し、痛いので」
「道具の問題と、身体の問題を分ける。靴を替えれば、膝も治るわけじゃない」
俺はまた、先に買う物を考えるところだった。
エレナが朝、腫れの具合を見てくれた。歩けるが無理はしない。すでに必要な判断をもらっている。
それを新しい靴の値段で上書きする必要はない。
靴底そのものは、今日は替えない。
濡れた内側を乾かし、紐の位置を整える。
手入れと交換も、違う仕事だった。
リシアとエレナが工房へ来たのは、昼過ぎだった。
薬の保管場所を確かめ、午後の移動を少し短くする相談を済ませたという。
イグナスは橋の通行と、輸送車の出発時刻を確認している。
俺たちがここで学んでいる間にも、別の準備が進んでいた。
「財布は、どう?」
リシアに尋ねられ、俺は残高を見せた。
26170。
彼女は、先に内訳へ目を向けた。
「必要な補修ね。薬の補充は、次の町で確認する予定だから、今ここで全部買う必要はないわ」
「ありがとうございます。俺も、全部最高級へ替えようとは、もう言いません」
「もう言いません、の前に、言おうとしたの?」
俺は頷いた。
リシアは呆れるより、少し考えた。
「怖くなると、余裕を多く持ちたくなるのは分かる。でも、持ちすぎた重さで動けなくなることもある。残す余力の形を決めた方がいい」
金、物、時間、身体。
余裕は、そのどれか一つを増やせば十分というものではない。
俺が紙へまとめようとすると、エレナが膝を見る。
「今の余裕は、座る時間にも使ってください」
俺は素直に、台の横の椅子へ座った。
工房の椅子には、鎧を脱いでからという札はなかった。ガルドは最初から、鎧を着ていなかった。
同じ失敗を、ずっと繰り返してはいない。
俺も、次へ直せるところはあると思えた。
補修が終わると、ガルドが鎧を着た。
肩帯を締め、腕を上げ、下ろす。膝を曲げる。盾を持って、一歩前へ出る。
職人はその動きで、帯の位置を1か所変えた。
新品の材料を使って終わりではなく、使う人の動作へ合わせるところまでが作業だった。
俺は、その最後を見てから、完了の欄を確認した。
「昨日より、盾を上げる時に引っかからん。これでいい」
ガルドが言った。
職人は頷き、補修箇所へ印をつける。
俺は支払済みの紙と、完了の記録を一緒に綴じた。
払った日と、仕事が終わった時。両方を残す。
工房を出る前に、俺は職人へ尋ねた。
「次に点検が必要になる目安を、書いてもらえますか」
「強く受けた時、雨に長く当たった時。それと、普通でも数日ごとに、帯と留め具は見てください。日数だけで安全を保証する物ではありません」
俺は目安を控えた。
必ず何日に壊れる、と分かる方が計画は楽だろう。だが、そんな数字を誰も持っていない。
分からないことを消すために、勝手な期限を作らない。
状態を確かめる時間を、行程へ入れる。
夕方、移動を再開した。
俺の歩幅に合わせ、隊は少しゆっくり進む。荷車は安全な広場で待ち、次の合流場所まで急がない契約へ変更を確認した。今日の範囲内なので、追加の支払はない。
イグナスが、俺の横を歩いた。
「昨日のことは、今夜の報告で改めて送ろう。遅れも、装備の補修も隠さない」
「はい。俺の判断も、書きます」
「皆の判断もだ。俺たちは、同じ道を歩いてる」
俺は頷いた。
自分の失敗を引き受けることと、ほかの人の判断まで消すことは違う。
謝るための報告ではなく、次に進むための報告にする。
新しくなった肩帯を、ガルドが触った。
その手が、盾の傷へ移る。
全部の傷が消えたわけではない。直す必要のない、小さな跡は残っている。
俺を助けた跡も、そこにあった。
見ている俺に気づくと、彼は盾を少し下げた。
「次は、こいつの後ろへ入る練習もするか」
「お願いします。値段を聞く前に、使い方を覚えたいです」
「いい返事だ。だが、使い方を知っていても、値段は聞けよ。払う人が困る」
俺は、思わず笑った。
5000ルーンの欄の横に、留め具の開け方を描き足した。ガルドが覗き込み、教わった向きと逆になっている矢印を指した。
「そこからじゃ外れん。帰ってから困るぞ」
笑ったまま、俺は描き直した。




