第16話「安い道には理由がある」
地図には、2本の道があった。
一方は、関所を通る。
もう一方は、通行料がかからない。
俺が後者へ指を置くと、ガルドが先に言った。
「その道を選ぶ前に、帰ってきた奴の話を聞こう」
まだ、決めてはいない。
そう答えたくなったが、指はもう安い方へ置いていた。
俺は手を引き、机の横へ下ろした。
「何が分かれば、選べますか」
「道の幅。崩れた場所。荷車が通れるか。魔獣の出る所。それから、歩いて何日かかるか」
聞くことが、値段よりずっと多かった。
地図の線の長さだけで考えれば、無料の道は少し短い。宿場の人も、昔はよく使ったと言った。
昔、という部分を、俺は小さく聞いていた。
関所前の宿場には、道の案内をする人がいた。
俺たちは5人で話を聞いた。今日は、帳面へ代金を書くだけでは済まない。
案内人は無料の道を見て、首を振る。
「雨のあとです。荷車には向きません。歩く人でも、一部は崖へ寄って通ることになります」
「近いのは、確かですか」
「地図では。避ける場所が増えるので、実際には遅くなるかもしれません」
地図には、雨のあとで崩れた場所まで描かれていなかった。
王都で天幕を広げた雨の日を思い出した。あの雨は、この辺りにも降ったのだろうか。地図の線は、崩れた道の上をそのまま通っていた。
正規の道にも、費用はかかる。
5人の通行と、組合の車の手続。現地での道案内。峠を越えるための予備食。
まとめて、3500ルーン。
金だけを見れば、短い線が魅力的に見える。
ガルドが無料の道の横へ、別の小さな線を引いた。
「こっちへ落ちた荷を拾うなら、縄がいる。薬の箱が割れれば、薬が要る。戻れば、宿がもう一晩だ」
「払わなくていい通行料の代わりに、起こるかもしれない支出がある」
「金で済めばな」
短い付け足しだった。
俺は、次の計算をやめた。
怪我の費用を見積もれば道を選べる、という話ではない。
その怪我を避けるための情報が、足りないのだ。
リシアは、荷車の出発予定を見た。
「正規の道なら、輸送車と同じ行程ね。私たちだけ森へ入ったら、薬が必要な時に箱を開けられない」
「手元へ多く戻せば、歩く荷が増えますね」
「ええ。石も。軽い人だけ先に行けば解決、とはならないわ」
魔法で崖を渡れるか、と俺は聞きかけてやめた。
誰かにできるかもしれないという期待だけで、計画を作ってはならない。できる人に、条件を聞く方が先だ。
「魔法で通れる場所でも、安全とは限りませんか」
「通れる場所はある。でも、5人と荷物を運んで、その先で戦う余力まで残るかは別。見ていない崖を、今から通れるとは言えない」
リシアの答えは明確だった。
俺は、未確認の部分へ線を引いた。
不明なことをゼロ円へ置き換えれば、どんな危険な道も安く見える。
イグナスが、案内人へ尋ねた。
「最近、そちらへ入った人はいるか」
案内人は宿場の入口へ目を向けた。
「荷を運ぶ人が二人。戻る予定を過ぎています。元から遅れやすい道ですが、組合が捜索の準備をしています」
空気が変わった。
イグナスはすぐに、人数と最後に見られた場所を確認した。
俺は帳面を開いたまま、次の質問を待つ。
行く道の相談が、戻っていない人の話になった。
「正規の道から、そこへ入れる分岐はあるか」
「あります。関所を越えた先から入る方が、近いです。街道まで戻す荷車も、用意しやすい」
ガルドが地図を見る。
無料の道へ最初から全員で入るのでなく、安全な街道で荷車を進め、捜索できる場所から人が入る。
同じ目的でも、方法は変えられる。
「まず、正規の道を通ろう。捜索の担当者に、向こうで会えるよう連絡してくれ」
イグナスの判断に、俺は頷いた。
「費用3500は、通行と案内、予備食で記録します。捜索のために別の費用が出る場合は、その時に確認します」
今日の代金に、まだしていない救助の費用を混ぜない。
安い道を選ばなかったことと、誰かを助けに行くことも、同じ理由ではない。
俺は支払を済ませ、残高を32970へ直した。
正規の道を行く準備ができた。
関所では、役人が通行札と隊の委任状を確認した。
イグナスの顔を知っている人もいたが、札を省略しなかった。俺はそれを面倒だとは思わなかった。
顔を知らない担当者へ代わっても、同じ物を見て通せる。
組合の車の番号も、昨日の控えと合わせる。
通行済みの印が入った。
外へ出ると、道は緩く上り始めた。
崖の側には、木の柵があった。一部は新しい木へ取り替えてある。
俺は案内人へ、その木を指した。
「通行料は、こういうところにも使われるんですか」
「一部は。道と橋の維持、関所の警戒に充てられます。どれだけ使うかは、こちらの帳面で管理しています」
俺の仕事が、道の向こうにもあった。
通るための金を払って終わるのではなく、誰かが受け取り、木を買い、修理する人へ渡す。
俺が知らない人の仕事が、足の下で続いている。
ただし、金を払えば絶対に安全とも言えない。
曲がり角の先で、案内人が足を止めた。
昨日の雨で、小さな石が道へ落ちていた。
イグナスが荷車を止め、ガルドと石を脇へ寄せる。リシアは崖の上を見る。エレナは御者へ、馬を落ち着かせる場所を示した。
俺は御者へ、まだ進まないよう伝えた。
「ここも、直す人が来るんですか」
作業が済んでから聞くと、案内人が頷く。
「大きな崩れなら、通行を止めます。今日の分は知らせておきます。全部の石が落ちる前から分かれば、苦労しないんですが」
俺は笑いかけ、すぐに崖を見直した。
情報がある道でも、判断する人が必要だ。
支払ったから責任がすべて相手へ移る、と考えるのも違う。
休憩の時、イグナスは捜索の合流予定を全員に話した。
明日の朝、街道側の分岐で担当者と会う。確認できた状況によって、4人が森へ入る。俺は荷車側の連絡と受入れを手伝う予定。
まだ行方不明者の状態は分からない。
誰も無事に見つかると言い切らなかった。
エレナは、救護に必要な薬を手元の袋へ移した。
「この分は、隊の通常の治療用とは別に、使った記録を残します」
「お願いします。俺は運べる車を確認します」
リシアが地図へ、合流場所の印をつけた。
ガルドは、縄の傷みを点検する。
必要な準備は、助けに行くと決めたあとも続く。
捜索用の連絡をする前に、俺は組合の御者へ到着予定を確かめた。
今夜の休憩と食事は、定期輸送の同行契約に含まれている。だが、明日、予定外に長く停車すれば追加の扱いになる。今のうちに、どこまで待てるか聞いておく必要があった。
「午前の間なら、もともとの余裕があります。昼を越える場合は、別の車で残る人を決めましょう」
御者の答えを、イグナスへ伝えた。
救助に行く4人が、荷車を気にして急ぎすぎないよう、連絡する期限も決める。戻らない場合に、俺が勝手に森へ入らず、御者を通じて組合の捜索窓口へ知らせることになった。
「助ける人を、増やさないでほしい」
イグナスの言葉に、俺は頷く。
「待つ側の手順も、守ります」
勇者は合図を一つ決め、俺に繰り返させた。字へ書くより先に、声で覚える。
俺も、どの紙に費用を残すかだけでなく、どこで誰を待つかを明確にした。分岐の名前を聞き直し、地図へ印をつける。安い道へ指を置いた時には、そこまで考えていなかった。
俺は、最初に指を置いた無料の道を見た。
何も書かれていない細い線だった。
値段だけの欄を作っていたら、そちらへ丸をつけただろう。
通れるか。物が届くか。戻れるか。
3つを足すと、安い道を選ぶための相談は、ずっと長くなる。
俺は今、その長さを無駄だと思わなかった。
「ナオト、明日の朝は早いぞ。紙は、そこまでだ」
ガルドに呼ばれ、俺は帳面を閉じた。
遠くに、森の黒い輪郭が見える。
節約した金では買えない、まだ戻らない二人が、その向こうにいた。




