第12話「出発前の追加予算」
追加予算を申請する朝、俺は財布を持たなかった。
帳面は持つ。行程表も持つ。財布は、部屋の鍵のかかる箱に入れた。
金が欲しいから来た人ではなく、何に金が必要かを説明する人として、座りたかったのだ。
今思えば、少し格好をつけていた。
「交付金を受け取る袋は、お持ちですか」
審査が終わる前に、ゼフィナが尋ねた。
俺は、鞄の中を見た。
紙。紙。防水袋。予備の紙。
現金用の袋がない。
隣のイグナスが、空の革袋を取り出した。
「これで、よければ」
「ありがとうございます。受け取る準備も、必要でしたね」
俺は、申請する仕事と受領する仕事を、頭の中でつないだ。
今日は、途中で格好をつけない方がよさそうだった。
初回報告の審査は、先に結果が出ていた。
支出と返還の記録が確認され、未精算だった31600も、証明済みとなった。公費の用途として認められる。
活動の交付を保留する理由は、なくなった。
財布が増える審査ではない。
それでも、俺たちが旅を続けるための足場になった。
「ここまでの報告は、受理します」
ゼフィナが、受理の印を押す。
俺は差し戻された時の1枚目を思い出した。目的が広すぎると、何をしたのかが見えなくなる。
今日出す計画では、先へ行く理由を一つずつ示した。
王都から麦橋町。峠を越え、水車町を経由し、白石砦へ。
砦の補給と防衛を助け、その先の魔王軍の動きを調べる。そこまでで、予定は18日前後。道の状態で変わる分も含めた。
当初の120000は、前の街道迎撃と装備、王都の準備で大部分を使っている。
残った現金10370で、次の活動を最後まで支えるには足りない。
「追加申請は、60000ルーンです」
俺が言うと、ゼフィナは行程の欄を見た。
驚いた顔も、金が多すぎると決めた顔もない。
根拠を探す顔だった。
「討伐そのものではなく、砦までの活動費ですか」
「はい。その先は、現地で敵の状況を確認してから、改めて見積もる必要があります。今は分からない距離を、分かったことにはしていません」
「では、この60000を交付すれば、魔王討伐の全費用を承認したということにはなりませんね」
「なりません」
俺は明確に答えた。
魔王を倒すための隊なのに、倒すまでの全額が分からない。その不安を隠して、安い見積だけ見せるのは簡単だった。
あとで足りなくなる方が、よほど高くつく。
次に、帰路を聞かれた。
計画には、砦から戻る場合の費用と、先へ進む場合の再申請を分けてある。帰りの備えを最初から消してはいない。
薬の数を聞かれると、リシアが使用条件の表を出した。
「通常の移動で使う分と、迎撃用の備えを分けています。戦闘用の高級薬は、野営の疲れを取るためには使いません」
「数は、何を根拠にしていますか」
「前回の迎撃記録と、街道の情報です。敵の数が変われば必要量も変わるので、現地で記録を更新します」
リシアは、俺の隣で説明した。
彼女の仕事を、俺がすべて代弁する必要はなかった。
エレナは救護の負担先を示す。
神殿の無料枠は照会中。討伐隊の薬と現金を、無制限にそこへ振り分ける申請ではない。それでも、目の前の人の救助を止める約束もしない。
臨時の救護は、その事実と必要性を記録し、負担先を相談する。
ガルドは装備と輸送の項目を説明した。
「鎧は、必要な傷んだ場所を直しています。軽くするために防ぐ厚みを減らすつもりはない。ただ、運べる道では自分で着て歩く」
「その分、移動日数は伸びますか」
「1日で歩く距離を決めています。走り続ける日程では、ないはずだ」
最後は俺の行程表へ、視線が戻った。
俺は、休養日の欄を指す。
イグナスがそこへ手を添えた。
「移動を急ぐ時も、全員が次の日に動けるようにする。俺が判断する。ただし、行程が変われば、費用も相談する」
勇者の声は、短くても通った。
権威で押したのではない。自分が何を判断し、どこから相談するのかを、言葉で示していた。
ゼフィナは、俺たちの説明を1枚へまとめた。
追加60000。砦までの活動に使用。
出発時に30000。残り30000は、砦救援の実績と物資使用の報告を確認して交付。
目的外の使用には別の承認が必要。
不足の見込みが出た時点で、連絡すること。
「分割ですか」
俺は思わず尋ねた。
60000が今日、全部届く計算はしていなかったはずなのに、受領の方法を確定させていなかった。
また、一つ足りない。
「長期活動のため、後半は進捗を確認します。砦へ公用の受領窓口を設ける予定です。伝令には、天候で遅れる時間を見てください」
「30000ずつで、最初の活動を組み直します」
「帰路の備えを、後半の交付が来る前提で全額消費しないことです」
俺は条件を読み返した。
見込む金と、今持つ金を混ぜない。最初の30000が来ても、残り30000は財布に入っていない。
分割の条件を、皆にも確認してもらう。
リシアが薬の補充日へ印をつけ、ガルドが輸送の予定を見直した。エレナは神殿へ知らせる日を選ぶ。
今日決まった条件で、今日のうちに手順を変えられる。
「この条件で、承認をお願いします」
イグナスが署名した。
欄は、十分に広かった。
俺も、計画を確認した担当者として署名する。
前の世界では、人が書いた申請を確かめる側にいることが多かった。今は、自分の計画が誰かの判断を受け、旅を動かす。
ペンを置く時、少し緊張していた手がほどけた。
交付の窓口では、30000ルーンを受け取った。
金貨30枚。
袋へ入ると、重さはあるが、思ったほど嵩張らない。だからといって、気軽に持ってよい金ではない。
イグナスと二人で枚数を確認した。
受領額30000。今日の現金は、40370になる。
部屋の箱に残した分と合わせて、改めて数える必要がある。
「これで、行けるな」
イグナスが、袋を俺へ渡した。
「はい。全部の問題が終わったわけではありませんが、出発できます」
「全部終わるまで待っていたら、北の砦が困る。分かっていることから、やろう」
その判断には、俺も賛成だった。
不確かなことを隠さず、準備できるところを揃えて動く。帳面を閉じるために冒険を待たせるのではなく、冒険が続くように帳面を使う。
帰り道に、公用の旅具を購入した。
地図の更新紙、通行に使う札、予備の包帯、連絡用の封筒。1000ルーン。
残高39370。
食材や剣をもう一度買ったことにはしない。すでにある物を確認して、不足だけ揃える。
買物を終えると、ガルドが荷物を持った。
「ナオト、その袋は自分で持つか?」
「現金の袋ですか。はい。ただ、重くなったら相談します」
「先に言ってくれ。落としてからでは、拾う仕事が増える」
俺は紐の結び方を確認した。
イグナスに教わった通り、動いてもほどけない形。防水袋とは違う閉め方だ。
守る物に合わせて、使う手順も変わる。
部屋へ戻り、5人で現金を数えた。
壁の紙に、39370と書く。
その下へ、後半交付30000、条件付き未受領、と小さく添える。財布の残高には足さない。
出発の荷物を並べ、食料と薬、装備と紙を点検した。
イグナスが、出発の確認書を俺へ渡す。
「ここにも、署名を頼む」
「隊長の署名だけではないんですか」
「物資と金を確認した人も、書いてくれ。俺だけで確かめたことには、しない」
俺は、自分の名前を書いた。
佐倉直人。
異世界に来た最初の日には、どこへ書けばいいかも分からなかった名前だ。
今は、5人で出発する紙へ入った。
扉を閉める前、エレナが部屋を振り返った。
ガルドは鎧を着てから、椅子を壁へ寄せた。リシアは薬の箱の封を確かめ、イグナスは紙箱を俺の鞄へ渡す。
雨の日に直した天幕は、乾いていた。
最初の日に薄かった財布は、少し重い。
もっとも、剣を振る力は増えていない。
「ナオト、足を交差させるなよ」
「歩く時から、練習ですか」
「歩く時だから、練習できる」
勇者が、先に廊下へ出た。
俺はその後ろへ続く。
世界を救うための最初の仕事は、数字を確かめることだった。
次は、その数字が減る理由を、自分の足で見にいく。
帳面を入れた袋の口を、最後に一度だけ確認した。
閉まっていた。
それで、出発した。




