第20話 村との別れ
引っ越しの日は、思ったよりも早くやってきた。
家の中には荷物が積み上げられている。
家具の大半は置いていくことになった。
運ぶ手間もあるし、町の家には最初からいくつか備え付けの家具もあるらしい。
持っていくのは衣類や生活用品、それに貴重品くらいだ。
俺は部屋の中を見回した。
十年間暮らした家。
前世の記憶が戻る前から住んでいた場所だ。
特別豪華な家ではない。
むしろ村の農家らしい質素な家だ。
けれど、それでも思い出はたくさんあった。
初めて【NISSIN】を発動した日。
家族四人で一個のカップヌードルを分け合った日。
アリアが「もっと食べたい」と騒いだ日。
全部、この家だった。
「寂しい?」
いつの間にか母が隣に立っていた。
「少しだけ」
正直に答える。
母は優しく笑った。
「それなら良かったわ」
「良かった?」
「全然寂しくないって言われたら、お母さんが少し寂しいもの」
その言葉に思わず笑ってしまった。
◇◇◇
朝食を終えると、最後の挨拶回りが始まった。
最初に向かったのは村長の家だった。
父が畑のことや家のことを相談していた相手でもある。
「いよいよ出発か」
村長はそう言って頷いた。
「お世話になりました」
父が頭を下げる。
俺も続いた。
村長は少しだけ目を細めた。
「正直なところな」
「はい」
「最初にカップヌードルを見たときは、ここまでになるとは思わなかった」
それは俺も同じだった。
まさか商会設立の話になるとは想像もしていない。
「町へ行っても頑張れ」
「はい」
「たまには顔を出せよ」
「もちろんです」
村長は満足そうに笑った。
◇◇◇
次に向かったのはダンの所だった。
行商人のダン。
カップヌードルを最初に遠くへ運んでくれた人物だ。
「本当に町へ行くんだな」
「うん」
「まあ、そうなるとは思ってた」
ダンは苦笑した。
「ここまで売れるようになったら、村だけじゃ無理だろ」
その通りだった。
「今までありがとう」
「礼を言うのはこっちだ」
ダンは肩をすくめる。
「おかげで俺もかなり稼がせてもらった」
それは事実だろう。
カップヌードルはダンにとっても大きな商売になっていた。
「これで終わりじゃないだろ?」
「もちろん」
俺は頷く。
「町へ行っても取引は続けたい」
「だったら問題ない」
ダンは笑った。
「今度は町まで商品を取りに行くことになるな」
◇◇◇
最後に向かったのは、最初にカップヌードルを置いてくれた商会だった。
店主は俺たちを見ると、すぐに事情を察したらしい。
「今日か」
「はい」
「そうか」
店主は少しだけ寂しそうに笑った。
「ここまで大きくなるとはな」
「店主さんのおかげです」
それは本心だった。
あのとき、この店が取り扱ってくれなければ今はない。
「違うな」
店主は首を振る。
「商品が良かったんだ」
俺は苦笑する。
「でも最初に売ってくれたのは店主さんです」
「まあ、それくらいは認めてやる」
そう言って笑った。
そして少し真面目な顔になる。
「町へ行っても頑張れ」
「はい」
「だが、うちとの取引は続けろよ」
「もちろんです」
それを聞いて店主は満足そうに頷いた。
◇◇◇
家へ戻ると、荷車の準備は終わっていた。
父が荷綱を確認している。
母は最後の戸締まりをしていた。
アリアだけは朝からずっと落ち着きがない。
「まだ?」
「まだだ」
「まだ?」
「まだ」
「まだー?」
「落ち着け」
父が苦笑する。
完全に遠足気分だった。
◇◇◇
そして。
ついに出発の時間がやってくる。
家の前に立ち、俺は振り返った。
小さな家。
畑。
見慣れた景色。
毎日見ていたはずなのに、今日は少し違って見える。
ここで暮らした十年間は決して短くない。
楽しいこともあった。
苦しいこともあった。
そして【NISSIN】と出会った。
全ての始まりがここだった。
「行くぞ」
父が声を掛ける。
「うん」
俺は最後にもう一度だけ景色を見た。
そして前を向く。
◇◇◇
荷車がゆっくりと動き出した。
村の道を進む。
見知った家々の前を通る。
村人たちが手を振ってくれていた。
「頑張れよー!」
「町へ行っても元気でな!」
「また来いよ!」
次々と声が飛ぶ。
俺も手を振り返した。
アリアは両手で全力で振っている。
少し危ない。
◇◇◇
やがて村の入口が見えてきた。
ここを越えれば、もう町へ向かう道だ。
俺は振り返る。
村が見える。
小さな村だ。
町に比べれば何もない。
けれど俺にとっては故郷だった。
「さようなら」
小さく呟く。
別に二度と会えないわけではない。
また来るだろう。
取引だって続く。
それでも、一つの区切りなのは間違いなかった。
前を見る。
その先には町がある。
新しい家。
新しい生活。
そして商会設立。
やることは山ほどあった。
不安がないわけではない。
だが、それ以上に楽しみだった。
百三十個を超えたカップヌードル。
増え続ける【NISSIN】。
広がり続ける販路。
もう立ち止まる理由はない。
荷車は町へ向かって進み続ける。
俺もまた、新しい未来へ向かって歩き始めていた。




