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第2話 毎日一個のカップヌードル

 翌朝、目を覚ました俺が最初に考えたことは、昨日の出来事が夢ではなかったかということだった。

 布団から身を起こし、ぼんやりとした頭を振りながら周囲を見回す。見慣れた自分の部屋、使い古された木製の机、壁際に置かれた小さな棚、窓から差し込んでくる朝の光。どこを見ても昨日までと何も変わらない、ごく普通の朝の風景だった。

 だからこそ、余計に不安になった。

 昨日は教会で十歳になった子供たちが一斉にスキルを鑑定され、俺のところに現れたのは【NISSIN】という、この世界の誰も知らない謎のスキルだった。

 そして家に帰って試してみた結果、机の上に現れたのは、前世の日本で何度も見たことのあるカップヌードル。

 しかも、ちゃんと食べられた。

 お湯を注いで三分待てば麺が食べられ、乾燥した具まで入っていて、味も間違いなく俺の知っているカップヌードルだった。

 父さんも母さんも妹も美味しいと言っていたし、最後には容器まで跡形もなく消えてしまった。

 あまりにも現実離れした出来事だったため、目が覚めた今になってみると、全部夢だったのではないかと思えてくる。


「……確認するか」


 俺はベッドから降りると、昨日と同じように【NISSIN】へ意識を向けた。

 すると、頭の中に昨日と同じ感覚が浮かび上がる。

 名前。

 生成できる商品。

 そして、本日の生成可能回数。


『生成可能商品:カップヌードル』


『本日の生成可能回数:1/1』


「……本当にあるんだな」


 思わず声が漏れた。

 夢ではなかった。

 昨日の出来事も、あのカップヌードルも、全部現実だった。

 そして、昨日一個を生成したはずなのに、今日はまた一個生成できるようになっている。

 俺は少しだけ安心すると同時に、頭の中でいくつかの仮説を立て始めた。

 一日に一個。

 使った分は翌日になると回復する。

 そう考えるのが一番自然だ。

 なら、実際に試してみればいい。

 俺は机の前まで移動し、周囲を見回した。

 昨日と同じように何もない机の上へ手を伸ばす。


「……出てこい」


 特に決まった言葉が必要なのかどうかも分からないが、昨日と同じように【NISSIN】へ意識を向ける。

 すると、何もなかった机の上に、ぽん、と音がしたような気がするほど自然に、一つの容器が現れた。

 白地に赤い文字。

 見慣れたロゴ。

 そして中央には、前世の日本で嫌というほど見た商品名が書かれている。

 カップヌードル。


「……やっぱり出る」


 俺はそれを手に取った。

 重さも昨日と変わらない。

 蓋を押さえるための小さな部分まで見覚えがある。

 ここまで来ると、感動よりも妙な安心感のほうが強かった。

 前世ではコンビニやスーパーへ行けば普通に並んでいた商品なのに、今の俺にとっては、これが一つの奇跡だ。

 そして、奇跡なら奇跡らしく、もう少しくらい派手なものが出てきてもいいのではないかとも思う。

 剣とか。

 魔法の道具とか。

 莫大な金貨とか。

 そういう異世界転生らしいものを期待していたわけではないが、よりによってカップヌードルというのが何とも言えない。


「……いや、食べ物なのはありがたいけどな」


 俺は小さく笑った。

 昨日の時点では一個しかないことに不満を感じたが、考えてみれば食料を何もないところから生み出せるというだけで、とんでもない能力だ。

 この世界では食べ物は勝手に湧いてくるものではない。

 畑を耕して、種を蒔いて、水をやって、収穫して、加工して、ようやく食卓に並ぶ。

 肉だって家畜を育てたり、狩りをしたりする必要がある。

 それを俺のスキルは、一瞬で済ませてしまう。

 問題は、一個しか出せないことだけだ。


「……とりあえず、朝飯にするか」


 俺はカップヌードルを持って部屋を出た。


◇◇◇


「またそれ?」


 食卓にカップヌードルを置いた瞬間、妹が目を輝かせた。

 昨日のことがよほど印象に残っているらしい。

 母さんも興味深そうにそれを眺め、父さんは腕を組みながら首を傾げている。


「今日も出せたのか?」


「うん。一個だけだけど」


「昨日使ったのに?」


「朝になったらまた使えるようになってた」


 俺がそう答えると、父さんはしばらく考え込んだ。


「つまり、毎日一個ずつ出せるってことか」


「今のところはそうみたい」


 母さんがカップヌードルを見ながら言う。


「それなら、昨日のうちに食べてしまっても問題なかったのね」


「そうなるね」


 昨日は「一個しかない」ということにばかり気を取られていたが、毎日一個出せるのであれば話は少し変わってくる。

 もちろん一個では家族四人の腹を満たすには少なすぎる。

 それでも、毎日一つの食べ物が何もないところから現れるというのは、それだけで十分に異常なことだった。


「じゃあ、今日も食べようよ!」


 妹が待ちきれないという顔で言う。


「朝から?」


「だって昨日おいしかったもん」


 母さんが笑い、父さんも苦笑する。


「まあ、せっかくだ。昨日と同じように分けるか」


「うん」


 俺は頷いた。

 そして昨日と同じように水を用意する。

 水魔法を使えば、水を汲みに行く必要もない。

 俺が手をかざすと、空気中に小さな水の塊が生まれ、用意していた鍋の中へ落ちていく。


「おお」


 父さんが感心したように頷く。


「相変わらず見事だな」


「毎日練習してるからね」


「十歳でこれだけ使えれば十分だと思うがな」


 父さんの言葉に、俺は曖昧に笑った。

 俺が魔法の練習を始めたのは、もっと幼い頃だ。

 もちろん、前世の記憶を持っていることを家族には話していない。

 ただ、魔法がある世界に生まれたのだから使えるようになりたいと思った。

 幸い、この世界の魔法は努力で鍛えることができる。

 火を出して、水を出して、風を起こして、土を動かす。

 最初は本当に小さなものだったが、毎日少しずつ練習しているうちに、今ではこうして水を用意し、火を使って沸かすくらいなら苦労しなくなっていた。


「本当に便利ね」


 母さんが呟く。


「これなら火を起こす手間もいらないし」


「魔法の練習にもなるからね」


「それにしても、お前のスキルと魔法は妙に相性がいいな」


 父さんがそう言った。

 俺も同じことを考えていた。

 カップヌードルはお湯さえあれば食べられる。

 そして俺には水魔法と火魔法がある。

 もし俺が魔法を使えなかったら、昨日のカップヌードルはここまで簡単には食べられなかっただろう。

 そう考えると、偶然にしては出来すぎている気がする。

 もちろん、そんなことを考えても答えは出ない。

 だから今は、使えるものを使えばいい。

 沸騰したお湯をカップへ注ぐ。

 昨日と同じように蓋を閉じ、三分待つ。

 やがて、昨日と同じ香りが家の中に広がった。


「やっぱりいい匂い」


 妹が嬉しそうに顔を近づける。


「三分だよ」


「まだ?」


「まだ」


「もういい?」


「まだ」


「もういいでしょ!」


「三分経ってから」


 昨日と同じやり取りを繰り返しながら、俺は少しだけ笑った。

 昨日まで、この世界でカップヌードルを食べる日が来るなんて考えたこともなかった。

 そもそも、前世の記憶を持ったまま異世界に生まれ変わった時点で、普通とはかけ離れた人生になるだろうとは思っていた。

 けれど、こうして家族と一緒に食卓を囲んでいると、不思議なくらい普通だった。


「いただきます」


 四人で手を合わせる。

 もちろん、この世界に日本と同じ意味の「いただきます」があるわけではない。

 だから最初に言い出したのは俺だった。

 妹が真似をして、母さんも真似をして、最後に父さんまで苦笑しながら口にするようになった。

 昨日と同じように一つのカップヌードルを四人で分ける。

 昨日よりも慣れた手つきで取り分けながら、俺は思った。

 美味い。

 やっぱり美味い。

 そして同時に、少しだけ物足りない。


「……もうちょっと食べたい」


 妹が空になった皿を見つめて呟いた。


「俺もだな」


 父さんも言う。


「一個じゃ四人分には少ないわね」


 母さんまで苦笑する。

 俺も同感だった。

 昨日は珍しさと驚きで気にならなかったが、今日は純粋に量が足りない。

 しかし、だからといってどうしようもない。

 俺が出せるのは一日一個。

 それ以上は出てこない。

 試しにもう一度【NISSIN】へ意識を向けてみた。


『生成可能商品:カップヌードル』


『本日の生成可能回数:0/1』


「やっぱり無理か」


 表示は変わらない。

 俺は小さく息を吐いた。

 もし一日に十個、二十個と出せるのなら、話は大きく変わる。

 家族に食べさせるだけではなく、村の人に売ることだって考えられる。

 保存ができて、持ち運びもできて、お湯を注ぐだけで食べられる。

 そんな食べ物は、この世界には存在しない。

 でも今の俺には一個しかない。

 一個しかないものを売ってしまえば、家族で食べる分がなくなる。

 それなら、今は売ることを考える必要はないだろう。


「まあ、毎日出るなら、そのうち何とかなるか」


 俺はそう言った。


「そのうちって?」


 妹が首を傾げる。


「もっと出せるようになるかもしれないってこと」


「増えるの?」


「分からないけど」


 俺は正直に答えた。


「このスキルがどんなものなのか、まだ何も分かってないからね」


 実際、その通りだった。

 昨日の教会では【NISSIN】という名前しか分からなかった。

 何をすれば成長するのか。

 どうすれば商品が増えるのか。

 そもそも、なぜ俺にこんなスキルが与えられたのか。

 何一つ分からない。

 分からないなら、試していくしかない。


◇◇◇


 それから数日、俺は毎朝【NISSIN】を確認するようになった。

 結果は毎回同じだった。


『生成可能商品:カップヌードル』


『本日の生成可能回数:1/1』


 そして一個生成する。

 家族で食べる。

 翌朝になる。

 また一個生成する。

 最初のうちは、それだけのことだった。

 俺は朝起きるとカップヌードルを出し、それを家族と分けて食べる。

 その後は魔法の練習をする。

 水を出す。

 火を出す。

 風を起こす。

 土を動かす。

 少しずつ魔力を使う量を増やし、少しずつ扱える量を増やしていく。

 前世では、仕事から帰ってきて飯を食べて寝るだけの生活だった。

 今は毎日やることがある。

 魔法の練習もそうだし、【NISSIN】について考えることもそうだ。

 そして何より、毎朝カップヌードルが出てくる。

 最初は特別な出来事だったものが、数日も経つと少しずつ日常へ変わっていった。


「今日も出たよ」


「ありがとう」


「今日は私が作る!」


 妹が鍋を持とうとして、母さんに止められる。


「あなたはまだ熱いものを持っちゃ駄目」


「もう七歳なのに」


「七歳でも火傷するときはするの」


 そんな会話を聞きながら、俺は笑った。

 昨日まで存在しなかった食べ物が、いつの間にか家族の食卓に並ぶようになっている。

 それだけでも、俺にとっては十分に不思議なことだった。

 ただ、一つだけ気になることもあった。

 【NISSIN】は、一度も変化しない。

 毎日使っている。

 毎日生成している。

 生成したものは、毎日ちゃんと食べている。

 それなのに表示はずっと同じだ。

『生成可能商品:カップヌードル』


『本日の生成可能回数:0/1』


 俺は何度も確認した。

 数字が増えないか。

 商品名が変わらないか。

 新しい何かが追加されないか。

 しかし、何も起こらない。


「まあ、そんな簡単に変わるわけないか」


 そう思っていた。

 スキルというものがどういう仕組みなのか、俺には分からない。

 教会で聞いた話では、スキルは生まれつき持っているものだが、成長するものもあるらしい。

 【剣術】なら訓練によって技術が身につき、【農耕】なら経験を積むことで農作業が上達する。

 ならば【NISSIN】も、何かを続けていれば変化する可能性はある。

 そう考えるのが自然だ。

 だから俺は、毎日使うことにした。

 何か特別なことをするわけではない。

 ただ一個を生成して、家族で食べる。

 それだけだ。

 それでも、いつか何かが変わるかもしれない。

 そんな期待を少しだけ抱きながら、俺は毎朝カップヌードルを生成した。

 そして、一週間ほど経ったある日の朝。


「今日も一個……」


 いつものように【NISSIN】を確認し、俺は表示を眺めていた。

 昨日と同じ。

 今日も一個。


『生成可能商品:カップヌードル』


『本日の生成可能回数:1/1』


 俺はいつものようにカップヌードルを生成した。

 何もない机の上に、見慣れた白い容器が現れる。

 それを手に取り、俺は食卓へ向かった。

 毎日一個。

 たった一個のカップヌードルを生み出し、それを家族と食べるだけだったこの生活が、少しずつ何かを変えていた。

 そして、その変化が積み重なった先で、俺の【NISSIN】というスキルが、一個という制限を越えることになるとは。

 もちろん、そのときの俺には知る由もなかった。


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