第九話 公爵様の秘密を知る前に
騒動から翌朝。
私は朝から落ち着かなかった。
「……物の記憶まで見えるなんて」
自分の手を眺める。
昨日までは、物たちのおしゃべりが聞こえるだけだった。
それが突然――
触れた物に残された過去まで見えるようになった。
『ミヤ、今日も絶好調ね!』
食器棚から皿が声をかけてくる。
「お願いだから、もう少し静かにして……」
『無理よ』
『昨日からみんなミヤに話しかけたくて仕方ないんだ』
スプーンまで飛び跳ねる。
『聞いてくれ! 俺は昨日、厨房でとんでもないものを見た!』
「何?」
『料理長が夜食を隠れて食べてた!』
「それは……言わなくていい秘密だね」
私はため息をついた。
すると――
『ミヤ』
今度は廊下の壁時計が低い声で話しかけてきた。
『公爵様が来るぞ』
「え?」
カツ、カツ、カツ。
遠くから足音が聞こえる。
公爵アルベルト様だった。
「ミヤ」
「はい!」
「少し話がある」
「……はい」
公爵様は真剣な顔をしている。
昨日のブローチのことだ。
きっと秘密を知られたくないのだろう。
ところが。
『ミヤ』
公爵様の胸元のブローチが小声で言った。
『あの人、昨日からずっと悩んでいるのよ』
「何を?」
『あなたのこと』
「え?」
私は思わず公爵様を見る。
「どうした?」
「い、いえ!」
『ミヤに能力を使わせていいのか、ずっと考えているの』
ブローチは続けた。
『あの人は、自分の秘密より、あなたが危険に巻き込まれることを心配してる』
「…………」
胸が少しだけ熱くなった。
「公爵様」
「何だ?」
「昨日のこと……」
公爵様が身構える。
「ブローチが――」
『待って!』
ブローチが叫んだ。
『それはまだ秘密!』
「……」
「…………」
私は口を閉じた。
公爵様は怪訝そうに私を見る。
「何か言いかけなかったか?」
「何でもありません」
そのときだった。
「――ミヤ!」
王子が廊下の向こうから走ってきた。
「王子様!?」
「昨日の能力について、もっと調べたい」
「ええっ?」
「王城には五百年以上前の品物がたくさんある。君なら、それらに残った記憶を読み取れるかもしれない」
『それは面白そうね!』
遠くの壺まで反応する。
「でも……」
私が公爵様を見る。
公爵様は少し考えたあと、静かに言った。
「私も同行する」
「公爵も?」
「ミヤを一人で王城へ行かせるわけにはいかない」
王子がニヤリと笑う。
「相変わらず過保護だな」
「必要な警戒だ」
「そういうことにしておこう」
「……王子」
二人の間に、妙な火花が散る。
私は慌てて二人の間に入った。
「喧嘩しないでください!」
すると――
『あらあら』
五百年前の壺が嬉しそうに笑った。
『これは恋の三角形ね』
「違います!」
思わず叫ぶ。
しかし、その瞬間。
私の手が、公爵様の古い手袋に触れた。
――ドクン。
「……!」
頭の中に映像が流れ込んだ。
幼い公爵。
誰かと一緒に笑っている。
そして――
赤い花。
泣いている少年。
誰かの声。
『アルベルト……あなたは、誰も信じなくていい』
「……っ!」
私は手袋から手を離した。
公爵様が驚く。
「ミヤ?」
「……公爵様」
「どうした?」
「今、少しだけ……過去が見えました」
公爵様の顔から、笑みが消える。
「何を見た?」
私は答えようとして――やめた。
これは、公爵様自身が話したくなるまで聞いてはいけない。
「……まだ、秘密です」
公爵様が目を見開いた。
やがて、ほんの少しだけ笑う。
「そうか」
その声は、昨日までより柔らかかった。
そして私は知らなかった。
今見えた幼い公爵の記憶こそが――
公爵様が誰も信じなくなった理由と、現在も続く毒殺未遂の事件をつなぐ、最大の手がかりになることを。
その頃。
王城の地下深く。
誰も触れていない古い扉が――
カチリ。
五百年ぶりに、ひとりでに開いた。




