↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/35

第七話 花瓶からのお願い

ドーナツ騒ぎから数日。

 私はいつものように廊下を歩いていた。

「今日も忙しいなぁ……」

『ミヤ』

 ふと、背後から小さな声が聞こえた。

「……え?」

 振り返る。

 そこにいたのは、窓辺に置かれた一つの花瓶だった。

 白い陶器に、青い花の模様。

 いつもなら明るく話しかけてくる食器たちとは違い、その花瓶はどこか寂しそうだった。

『ミヤ……お願いがあるの』

「どうしたの?」

『私を……庭に連れていってほしい』

「庭?」

『ええ』

 花瓶は少し黙った。

『私はずっと、ここに置かれているでしょう?』

「……うん」

『誰かが摘んできた花を、ただ入れてもらうだけ』

 その声が、少し震えていた。

『一度でいいの』

「……」

『自分で、花を選んでみたいの』

 胸がきゅっとなった。

「でも、花瓶が一人で庭に行くのは無理だよね」

『だから、あなたにお願いしているの』

 私は花瓶を見つめた。

『わがままだって分かってるわ』

「わがままじゃないよ」

『本当に?』

「うん」

 私はそっと花瓶を抱えた。

「行こう」

『……!』

 花瓶が嬉しそうに震えた。

『ありがとう、ミヤ』

 私は人目を避けながら、花瓶を庭へ運んだ。

 庭に出ると、春の風が頬を撫でた。

『わあ……』

 花瓶の声が、今まで聞いたことがないほど明るくなる。

『こんなにたくさん……』

 色とりどりの花。

 赤。

 黄色。

 白。

 紫。

 花瓶はしばらく黙っていた。

「どれがいい?」

『……選んでもいいの?』

「もちろん」

『私が……?』

「うん」

 花瓶は庭いっぱいの花を眺めた。

『あの白い花……』

「これ?」

『ううん。もう少し向こう』

 私は花壇の奥へ進む。

『あの小さな青い花』

「これ?」

『そう……』

 私はその花を数本、丁寧に摘んだ。

 花瓶に入れる。

『……きれい』

「うん。似合ってる」

『ありがとう』

 しばらくして、花瓶が小さな声で言った。

『私ね……』

「うん?」

『ずっと、誰かに選ばれるのを待っていたの』

「……」

『綺麗な花を入れてもらえるのは嬉しかった』

『でも一度くらい、自分で選んでみたかった』

 私は花瓶を抱きしめるように両手で支えた。

「……ごめんね」

『どうしてミヤが謝るの?』

「もっと早く連れてきてあげればよかった」

『違うわ』

 花瓶は優しく笑った。

『今日、連れてきてくれたでしょう?』

「うん」

『それだけで十分よ』

 花瓶の声が少し震えた。

『ありがとう、ミヤ』

 私は目元をこすった。

「……泣かないでよ」

『泣いてなんか……』

「泣いてるじゃん」

『これは花瓶の水よ!』

「そんなわけないでしょ」

 思わず二人で笑った。

 その時だった。

「――ミヤ?」

「え?」

 振り返る。

 庭の入口に、公爵アルベルト様が立っていた。

「そこで何をしている?」

「……花瓶と散歩を」

「花瓶と?」

「はい」

 公爵様はしばらく私と花瓶を見つめた。

 そして、ほんの少しだけ口元を緩める。

「……そうか」

 花瓶が小声で言った。

『あの人、優しい顔をするのね』

「え?」

『ミヤのことを見る目が、少し違うわ』

「ちょっと、何を言ってるの!」

 私は慌てて花瓶を抱え直した。

 公爵様が怪訝そうに首を傾げる。

「どうした?」

「な、何でもありません!」

『ふふふ』

 花瓶は嬉しそうに笑った。

『今日は最高の日ね』

 庭を渡る風に、青い花が揺れる。

 私は花瓶を抱えながら、思った。

 物にも心がある。

 そして――

 その心を知ることができるのなら。

 私は、できるだけたくさんの物たちの願いを叶えてあげたい。

 たとえ、それが小さな「お願い」だったとしても。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。