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第34話 消えない記憶――兄さんを、もう一度



 ――静寂。

 王城を覆っていた黒い影が消え、五百年もの間眠っていた「記憶の大災厄」は、ついに終わった。

 誰もが、長い戦いが終わったと思っていた。

 私もそう思っていた。

「……終わったんですよね」

 私は周囲を見渡す。

 床に散らばっていた食器たちも、少しずつ元の場所へ戻っている。

『終わったわ……』

 王城の壺が、疲れたように呟いた。

『長かった……本当に長かったわ』

 公爵家の壺も続く。

『五百年よ』

「五百年……」

 私は改めて、その年月の長さを思う。

 でも――。

 その時だった。

「……っ」

 背後から、苦しそうな声が聞こえた。

「アルト!?」

 振り返る。

 アルトが胸を押さえ、その場に膝をついていた。

「大丈夫!?」

 私は駆け寄る。

 公爵様もすぐにアルトの肩を支えた。

「兄さん!」

「大丈夫……」

 アルトは笑おうとする。

 けれど――。

 その身体が、少しずつ透け始めていた。

「……え?」

 私は言葉を失った。

 指先が薄くなっている。

 腕も。

 肩も。

 まるで身体そのものが光になって消えていくようだった。

「アルト……?」

 公爵様の顔から血の気が引く。

「どういうことだ!」

 アルトは自分の手を見つめた。

「……やっぱり、こうなるんだ」

「何が?」

 アルトは少し寂しそうに笑った。

「僕は、本当の意味では――」

 一度、息を吸う。

「この時代の人間じゃないんだ」

「……?」

 公爵様が固まる。

「どういう意味だ」

「五百年前から続いていた記憶の封印」

 アルトは自分の透けた手を見つめる。

「それを維持するために、僕の存在そのものが記憶の中に保存されていたんだ」

「……そんな」

 私の胸が締めつけられる。

「じゃあ……今までのアルトさんは?」

「五百年前の記憶と――」

 アルトは公爵様を見る。

「現在の血筋が重なって、一時的に僕という存在が形になっていただけなんだ」

「だから……」

 私は呟く。

「大災厄が終わったから……」

「そう」

 アルトが頷く。

「僕がここにいる理由も、なくなった」

「嫌だ」

 公爵様が即座に答えた。

「え……?」

 アルトが驚く。

 公爵様は、アルトの腕を強く掴んだ。

「嫌だ」

 もう一度。

 今度ははっきりと言った。

「兄さんを、また失うつもりはない」

「アルベルト……」

「幼い頃、私は兄さんのことを忘れた」

 公爵様の声が震える。

「母上が私を守るために封印したことも分かっている」

「……」

「だが、それでも――」

 公爵様はアルトの腕を離さない。

「今度は絶対に忘れない」

 アルトの瞳が揺れた。

「アルベルト……」

「兄さんが五百年前の記憶だろうと、現代に生きる人間だろうと関係ない」

 公爵様は真っ直ぐ兄を見る。

「私にとって、兄さんは兄さんだ」

 アルトの頬を、一筋の涙が流れた。

「……そう言ってくれると思ってた」

ミヤが思い出したこと

「待って!」

 私は突然叫んだ。

 頭の中に、日本での記憶が蘇った。

 幼い頃。

 古い神社。

 祖父母から聞いた話。

 そして――。

 古い物を大切にしていた人たちの言葉。

 物に宿った記憶は、消えるんじゃない。

 私はアルトを見る。

 身体はどんどん透けている。

 でも――。

 私は気づいた。

「……記憶が残っているなら」

 私はアルトの手を握る。

「だったら、アルトさんも消えません」

「ミヤ……?」

「私が覚えています」

 アルトが目を見開く。

「私だけじゃない」

 公爵様を見る。

「公爵様も覚えています」

「……ああ」

「王子様も」

「もちろんだ」

「王女様も」

「当然ですわ!」

 王女が胸を張る。

「そして――」

 私は周囲を見る。

『私たちも覚えているわ!』

 壺たちが一斉に叫んだ。

『アルト様のこと、忘れない!』

『絶対に!』

 フォークも。

 スプーンも。

 皿も。

 花瓶も。

 王城中の物たちが声を上げる。

『消えないで!』

『私たちは覚えてる!』

 アルトの身体が光り始めた。

「これは……」

 眩しい光がアルトを包み込む。

 透けていた身体が、少しずつ元に戻っていく。

 指。

 腕。

 肩。

 そして――。

 完全に、実体を取り戻した。

 ドンッ!

 アルトがその場に尻もちをつく。

「痛っ!」

「……」

「……」

 全員が沈黙する。

 アルトが床を見つめる。

「……痛い」

 公爵様が目を見開く。

「兄さん?」

 アルトは顔を上げる。

「うん」

 そして――。

 嬉しそうに笑った。

「今度こそ、本当に君の兄として生きてみようかな」

 公爵様は何も言わなかった。

 ただ――。

 アルトを強く抱きしめた。

「……おかえり」

 アルトの目から、また涙がこぼれる。

「ただいま」

 私はその光景を見ながら、胸がいっぱいになった。

 五百年前。

 失われた兄弟の時間。

 それが今、ようやく繋がったのだ。

そして、空気を読まない王女

「……感動的ですわ」

 王女が涙を拭う。

「本当に素敵ですわ……」

「王女様も泣いてるんですね」

「ええ」

 王女は頷く。

 そして――。

「ところで」

 嫌な予感がした。

「ドーナツは?」

「……」

 全員が王女を見る。

「この感動的な場面でそれ!?」

「だって……」

 王女が小さく呟く。

「感動したら、お腹が空きましたの」

 アルトが吹き出す。

「ははは!」

 公爵様まで笑う。

 私も笑ってしまった。

 五百年続いた悲しい物語。

 失われた記憶。

 消えかけた兄。

 それらを乗り越えた先に――。

 こんなくだらなくて、温かい笑い声がある。

 私は思った。

 これもきっと――。

忘れたくない記憶になる。

 けれど。

 私はまだ知らなかった。

 この後、公爵様が私に伝えようとしていることを。

 そして――。

 私自身が最後に選ばなければならない未来を。

 公爵様が私を見る。

「ミヤ」

「はい?」

「少し、二人で話したい」

「……?」

 公爵様の顔が、ほんの少し赤い。

 アルトがニヤリと笑う。

「アルベルト」

「何だ」

「頑張れよ」

「兄さんは黙っていてくれ!」

 王女が目を輝かせる。

「まあ!」

「王女様まで!」

 私は顔を真っ赤にしながら、公爵様について歩き出した。

 ――そして物語は、最後の一歩へ。

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