第33話 ミヤの正体――八百万の神に愛された少女
王城を覆っていた黒い影が、ゆっくりと私へ近づいてくる。
『鍵を……』
『記憶を……』
無数の声が重なっていた。
私は耳を澄ます。
すると、その中に――
今まで聞いたことのない声が混ざっていた。
『ミヤ……』
「誰?」
『思い出して』
「何を?」
『あなたが、日本で何者だったのかを』
その瞬間。
頭の中に、日本の風景が一気に広がった。
神社。
森。
川。
古い石。
風に揺れる木々。
そして、たくさんの物たち。
私は息を呑んだ。
「……私、知ってる」
公爵様が心配そうに近づく。
「ミヤ?」
「日本にいた頃から……」
私は胸に手を当てる。
「物の声が聞こえていた」
でも、日本では誰にも言えなかった。
変に思われると思っていたから。
古い食器。
大切に使われていた家具。
庭の木。
道端の小さな石。
みんな、それぞれに記憶を持っていた。
そして私は――
その声を聞くたびに、なぜか懐かしい気持ちになっていた。
「私……普通の人間じゃなかったの?」
黒衣の男が静かに答える。
「違う」
男は私を見る。
「君は日本で、人々が昔から『八百万の神』と呼んできたもの――」
男は言葉を選ぶように続けた。
「あらゆるものに宿る命や心を感じ取る力を持っていたんだ」
「……八百万の神」
王子が呟く。
王女は目を丸くする。
「つまり……ミヤは神様ですの?」
「正確には、そう単純な話ではありません」
黒衣の男が答える。
「ミヤ自身が無数の神々の一人という意味ではない」
私は黙って聞いている。
「日本という世界で、物や自然に宿るものを大切にする考え方――その力と、この異世界の『物の記憶』が奇妙なほど似ていた」
アルトが続ける。
「だから五百年前の人々は、君を『鍵』として選んだ」
「私が……?」
「うん」
アルトが頷く。
「物の声を聞き、記憶を受け止め、そして――」
アルトが周囲を見渡す。
「物たちと心を通わせられる人」
その瞬間。
王城中の食器が一斉に震えた。
『ミヤ!』
『私たちはずっと待っていた!』
『やっと会えた!』
皿が宙に浮く。
フォークがくるくる回る。
花瓶が涙を流す。
そして、五百年前から存在する二つの壺が並んだ。
『私たちが君を待っていたのは――』
『君が物の声を聞くからだけじゃない』
二つの壺が声を揃える。
『物と人をつなぐ存在だからよ』
日本の記憶
私は目を閉じる。
すると、日本での記憶が次々と蘇った。
小さい頃。
古い食器に話しかけていたこと。
誰にも気づかれないように、壊れた花瓶を大切にしていたこと。
捨てられそうになった古い物を見ると、なぜか悲しくなったこと。
そして――
異世界へ来る直前。
あの大きな壺にぶつかった瞬間。
壺が私に言っていた。
『やっと見つけた』
「……そうだった」
私は目を開く。
「壺は、私を知っていたんだ」
公爵家の壺が嬉しそうに震える。
『そうよ!』
「じゃあ、私がここへ来たのは……」
『偶然ではないわ』
王城の壺が答える。
『けれど、誰かに無理やり連れてこられたわけでもない』
「え?」
『あなた自身の心が、この世界の声に応えたのよ』
私は驚いた。
転生しただけだと思っていた。
事故のようなものだと思っていた。
でも違った。
日本で物たちの声を感じていた私だからこそ――
この世界の物たちの声を聞くことができた。
ミヤが選ぶ
黒い影が再び動く。
『ならば……』
影が私へ手を伸ばす。
『すべての記憶を受け止めろ』
無数の記憶が私の中へ流れ込もうとする。
「無理……!」
頭が痛くなる。
公爵様が私の肩を支えた。
「ミヤ!」
「公爵様……」
「もう十分だ!」
「でも……」
私は震える。
「私にしかできないなら……」
公爵様が首を横に振る。
「一人で背負う必要はない」
「え?」
「君は物の声を聞ける」
公爵様は私の手を握る。
「ならば、私たちの声も聞いてくれ」
王子が笑う。
「僕もいる」
王女が手を挙げる。
「私もいますわ!」
アルトも頷く。
「僕も一緒に受け止める」
そして――
『私たちもいるわ!』
壺たちが叫んだ。
『皿も!』
『フォークも!』
『ナイフも!』
『もちろんスプーンも!』
私は思わず笑った。
「……こんなに大勢いたんだ」
私は両手を広げる。
「だったら、一人で全部受け止める必要なんてない!」
光が広がる。
黒い影が揺れる。
そして、私は叫んだ。
「人間の記憶も!」
「物の記憶も!」
「楽しかったことも、悲しかったことも!」
「全部、消さなくていい!」
光が王城を包み込む。
『記憶は――』
黒い影が小さくなる。
『誰かと生きた証……』
最後に影が消えた。
静寂が訪れる。
私はその場に座り込んだ。
「終わった……?」
公爵様が手を差し出す。
「たぶんな」
私はその手を取って立ち上がる。
すると、王城の壺がぽつりと言った。
『でもミヤ』
「はい?」
『まだ一つだけ、決めていないことがあるでしょう?』
「……」
私は黙る。
日本。
そして、この世界。
どちらにも大切な記憶がある。
どちらにも、私が大切に思うものがある。
公爵様が私を見る。
「帰る方法も、残る方法も探そう」
「公爵様……」
「決めるのは君だ」
私は胸に手を当てた。
その時――
王女のお腹が、
ぐぅぅぅぅ……。
「…………」
全員が王女を見る。
「……何ですの?」
「王女様」
「はい?」
「世界を救った直後にお腹が鳴る人、初めて見ました」
「仕方ありませんわ!」
王女は堂々と胸を張った。
「ミヤ!」
「はい?」
「最終決戦の後には――」
王女が満面の笑みを浮かべる。
「ドーナツですわ!!」
「まだ言ってる!」
公爵様が笑う。
王子も笑う。
アルトも笑う。
私も――笑った。
でも。
私はまだ知らなかった。
公爵様が私に言おうとしている言葉を。
そして――
日本へ帰る道が本当に開いたとき。
私はどちらを選ぶのか。
その答えは――




