第二十一話 幼いアルベルトの木箱
私は古い部屋の中で、棚の上に置かれた小さな木箱を見つめていた。
「これが……公爵様も知らない物?」
『そうよ』
公爵家の壺が小声で答える。
『でも、まだ触らないで』
「え?」
『中身を確認してからよ』
「……はい」
私は木箱をそっと持ち上げた。
意外にも軽い。
表面には、古い傷がいくつもある。
そして蓋には――小さな花の模様。
「白い花……」
昼間、公爵様が話してくれた。
母君が好きだったという白い花。
その瞬間だった。
カチャッ。
「え?」
木箱が勝手に開いた。
『……!』
壺まで黙り込む。
中に入っていたのは、古びた布。
小さな銀のスプーン。
そして――一枚の紙。
「何だろう……」
紙を取り出そうとした、その時。
「ミヤ?」
「ひゃっ!」
後ろから声がした。
振り返ると、公爵様が立っていた。
「こんなところで何をしている?」
「あ、あの……これは!」
私は木箱を見せた。
公爵様の顔から、すっと表情が消えた。
「……それを、どこで?」
「この部屋の棚に」
公爵様が木箱へ近づく。
そして、震える指で花の模様に触れた。
「知らない」
「え?」
「こんな箱は……見たことがない」
公爵様はしばらく木箱を見つめた。
「ただ……」
「ただ?」
「この花の模様を見ると、なぜか懐かしい気がする」
私は木箱を見る。
もしかすると――。
「触れてみますか?」
「いや」
公爵様は首を振った。
「君が触れた方がいい」
「私が?」
「ああ」
公爵様は少し迷ってから言った。
「もし私の失われた記憶に関係しているなら、確かめたい」
私は頷いた。
「分かりました」
木箱に手を置く。
その瞬間――
――ドクン。
「……!」
視界が真っ白になった。
小さな男の子が庭を走っている。
「待って、母上!」
幼いアルベルトだった。
その後ろには、一人の女性。
「アルベルト、走りすぎですよ」
「だって!」
男の子は笑っている。
女性の手には、白い花。
「母上、この花は何?」
「白い花ですよ」
「名前は?」
「……」
女性が微笑む。
「大きくなったら教えてあげます」
「今教えて!」
「秘密です」
「ずるい!」
楽しそうな笑い声。
私は思わず微笑んだ。
けれど――
突然、景色が変わった。
夜。
幼いアルベルトが木箱を抱えている。
「母上?」
女性が真剣な顔でしゃがみ込む。
「アルベルト」
「はい」
「この箱は大切にして」
「何が入ってるの?」
「あなたが大きくなったら分かります」
「今じゃ駄目?」
「今はまだ……」
女性は男の子の頭を撫でる。
「忘れないで」
「何を?」
「あなたのお父様が、あなたを守ろうとしていることを」
「……?」
そこで映像が途切れた。
「待って!」
私は叫んだ。
しかし、次の瞬間――
別の映像が現れた。
幼いアルベルトが一人で泣いている。
「母上……」
誰もいない部屋。
机の上に、白い花が一輪。
そして、誰かの声。
『アルベルト様には、母君のことを詳しくお話ししてはいけません』
「……?」
私は耳を澄ます。
『あの方は……』
そこで映像が乱れた。
黒い影が現れる。
そして――
木箱が誰かに隠される。
「誰!?」
顔は見えない。
でも、その人物の手には――
公爵家の紋章が刻まれた指輪。
「……!」
映像が消えた。
「ミヤ!」
公爵様の声が聞こえた。
私は目を開けた。
「……公爵様」
「大丈夫か?」
「はい」
私は木箱を見つめる。
「見えました」
「何が?」
「幼い公爵様と、お母様の記憶です」
公爵様が息を呑む。
「母の……?」
「はい」
私は見たことを話した。
公爵様は黙って聞いている。
そして最後に、
「母は……私に何かを隠していたのか」
そう呟いた。
「たぶん」
「なぜ?」
「それはまだ分かりません」
私は首を振る。
「でも、一つだけ確かなことがあります」
「何だ?」
「お母様は、公爵様を守ろうとしていた」
公爵様の目が揺れた。
しばらく沈黙したあと――
「……そうか」
小さな声だった。
その時。
『ミヤ!』
壺が突然叫んだ。
「どうしたの?」
『木箱の底を見て!』
「底?」
私は木箱を裏返した。
すると、底板の隙間に小さな紙が挟まっている。
取り出して広げる。
そこには一行だけ。
『五百年前の双子の秘密を知る者は、現在の公爵家にも存在する』
「……!」
公爵様の顔が険しくなる。
「現在の公爵家に……?」
私はゆっくり周囲を見渡した。
この屋敷には、長年仕えている使用人がたくさんいる。
その中に――
五百年前の秘密を知る者の子孫がいるのかもしれない。
だが、紙の裏にはもう一つ、小さな文字があった。
『白い花を探せ』
「白い花……」
公爵様が呟く。
その瞬間、廊下から声がした。
「公爵様、ミヤ様!」
使用人が駆け込んでくる。
「庭で妙なものが見つかりました!」
「何?」
「白い花が一輪だけ――」
使用人は息を切らしながら言った。
「季節外れなのに、突然咲いています!」
私は公爵様を見る。
そして木箱を見る。
『……行きましょう』
壺が静かに言った。
『次の記憶が、庭にあるわ』




