第89話:広がる噂
街道を進む商隊。
幌馬車がゆっくりと列を作り、砂埃を上げながら北へ向かっていた。
昼休憩。
荷を下ろし、焚き火の準備をしている商人たちの間で、いつものように情報交換が始まる。
「で、南の方はどうだった?」
干し肉をかじりながら、年配の商人が尋ねた。
若い商人が肩をすくめる。
「不作ですよ」
「農業結界が弱ってるとかで」
「王都の方でも問題になってるらしい」
別の商人が眉をひそめる。
「最近、どこもかしこも不調だな」
「魔法設備も壊れてるって聞いたぞ」
「王国大丈夫なのか?」
そんな話題の中で、一人の行商人がふと口を開いた。
「……でもな」
全員の視線が向く。
「妙な話を聞いた」
「妙な話?」
男は少し声を落とした。
「辺境の村なんだが」
「水を浄化する魔法具があるらしい」
沈黙。
そして次の瞬間。
「は?」
誰かが素っ頓狂な声を出した。
「水浄化の魔法具?」
「そんな高級品が辺境にあるわけないだろ」
「王都でも貴族しか持ってないぞ」
行商人は首を振る。
「いや、それがな」
「大量にあるらしい」
「……は?」
さらに空気が止まる。
「大量?」
「村にいくつも?」
男は頷いた。
「しかも作ったのは村の住人らしい」
「名前は……」
記憶を探るように目を細める。
「レオン」
その名前に、何人かが反応した。
「レオン?」
「聞いたことあるな……」
「王都の技術者じゃなかったか?」
だが別の商人が首を振る。
「いや違うだろ」
「そんな奴が辺境にいるわけない」
行商人は続ける。
「それだけじゃない」
「農具も改良されてるらしい」
「水路も整備されてる」
「魔法具も普通に使ってる」
沈黙。
焚き火の火が小さく爆ぜた。
誰かがぽつりと言う。
「……それ、村か?」
別の男が苦笑する。
「いや」
「研究都市じゃないのか」
周囲から小さな笑いが起きる。
だが行商人は真顔だった。
「俺も最初は嘘だと思った」
「でも実際に見た奴がいる」
「水は本当にきれいだったって」
「川の水をそのまま飲めるらしい」
今度は誰も笑わなかった。
商人たちは計算する生き物だ。
技術は利益になる。
もしそれが本当なら――
価値は計り知れない。
年配の商人が腕を組む。
「……そのレオンってのは」
「どんな奴なんだ」
行商人は肩をすくめた。
「知らん」
「ただの村人らしい」
「普通に飯食って、普通に仕事してるって」
別の商人が呟く。
「普通じゃないだろそれ」
小さな沈黙。
やがて一人が言った。
「……会ってみたいな」
「俺もだ」
「技術者なら商売になる」
「いや、それ以上かもしれん」
商人たちの目が少しだけ鋭くなる。
情報は金になる。
技術は国を変える。
そして。
辺境には――
まだ誰も知らない可能性が眠っている。
年配の商人が焚き火に薪をくべた。
「名前は覚えた」
火が揺れる。
「レオン、か」
その名前が。
静かに、商人たちの間に広がっていった。




