第87話:王の不安
王城、執務室。
分厚い石壁に囲まれた静かな部屋。
夜の帳が降り、窓の外には王都の灯りが小さく揺れていた。
机の上には、報告書が積まれている。
王はその一つを手に取った。
「……農業結界の不調」
ページをめくる。
「魔法設備の故障」
さらに別の書類。
「物流遅延……盗賊被害増加」
王はゆっくりと息を吐いた。
どれも小さな問題。
だが――
数が多すぎた。
昔なら。
こうした報告は、王の机まで上がってこなかった。
現場で処理されていた。
自然に。
静かに。
「……」
王は椅子に深く座る。
ふと、記憶がよぎる。
会議室の端。
いつも静かに立っていた青年。
必要な時だけ口を開く。
そして問題を一つ、また一つと片付けていく。
誰も気に留めなかった。
それが当たり前だったからだ。
王は小さく呟く。
「……レオン」
その名を口にした瞬間。
扉が開いた。
王子が入ってくる。
「父上」
王は顔を上げた。
「会議の報告は聞いている」
王子は頷く。
「些細な問題です」
迷いのない声だった。
王は報告書を机に置く。
「些細……か」
王子は当然のように言う。
「はい」
「王国は強大です」
「多少の不具合で揺らぐほど脆くありません」
王は黙って王子を見る。
その視線には、わずかな迷いがあった。
「……だが」
王はゆっくり言う。
「レオンがいなくなってから、問題が増えている」
王子の表情がわずかに固まる。
「偶然でしょう」
「本当にそうか?」
王子の声が強くなる。
「そうです」
王は机の書類を指で叩いた。
「研究院も、農地も、物流も」
「すべて同時に崩れるものか?」
王子は即答した。
「崩れてなどいません」
「大袈裟です」
王はしばらく沈黙する。
そして。
ぽつりと呟いた。
「……レオンは」
王子の眉が動く。
「本当に不要だったのか?」
空気が凍った。
王子は一歩前に出る。
「父上」
声は低く、はっきりしていた。
「彼は犯罪者です」
王は何も言わない。
王子は続ける。
「王国の機密を盗み」
「禁術に手を出し」
「処罰された」
「それが事実です」
王は静かに言う。
「……証拠は?」
王子は一瞬黙る。
だがすぐに言い返す。
「調査報告があります」
「そして本人も否定しなかった」
王は目を閉じる。
確かにそうだ。
あの日。
レオンは何も弁明しなかった。
ただ静かに頭を下げていた。
まるで――
最初から諦めていたかのように。
王子は言った。
「彼は不要です」
「王国は、あの程度の人材がいなくても回ります」
王の視線が揺れる。
その言葉は。
どこか。
自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
王子はさらに言う。
「むしろ良かった」
「危険な人物が排除されたのですから」
静寂。
王はゆっくり窓の外を見る。
王都の灯り。
その光は――
どこか弱く見えた。
王は何も言わなかった。
だが胸の奥に。
小さな疑問が残る。
本当に。
本当にあの男は――
不要だったのか。




