第65話:外部の噂
最初に噂を持ち込んだのは、
行商人だった。
痩せた馬。
古い荷車。
道に迷った末に、
たまたま立ち寄っただけの男。
「……なあ」
水を飲み干してから、
遠慮がちに聞いてきた。
「ここ、
何の村だ?」
エルナは少し考えて、
答える。
「名前は、
まだありません」
行商人は、
目を瞬かせた。
「村に名前がない、
ってのは……」
「困りますか?」
「いや、
困りはしないが……
珍しいな」
それだけ言って、
荷を下ろす。
値段交渉は、
驚くほど淡々と終わった。
誰も威張らない。
誰も無理を言わない。
行商人は、
帰り際に呟いた。
「……変な村だな」
それが、
最初の噂だった。
次に来たのは、
二人組の旅人。
片方は剣士、
片方は魔術師。
どちらも、
少し疲れた顔をしている。
「宿は?」
「ありません」
「じゃあ、
野宿か」
「空き家はあります」
それだけで、
話は終わった。
料金も、
決めていない。
翌朝。
二人は、
まだいた。
焚き火のそばで、
村人と一緒に
パンを食べている。
「……なあ」
剣士の方が、
レオンに聞く。
「ここ、
誰が仕切ってる?」
「誰も」
「……は?」
「できる人が、
やってるだけ」
二人は顔を見合わせ、
小さく笑った。
「噂になるな、
ここ」
そして、
去っていった。
数日後。
川向こうの集落から、
人が来た。
理由は単純。
「……居心地が、
いいって聞いた」
それだけ。
危険はないのか。
仕事はあるのか。
守ってもらえるのか。
そういう質問は、
されなかった。
答えも、
用意していない。
セラが、
ぽつりと言う。
「外じゃ、
なんて噂になってる?」
「二つあるな」
エルナが答える。
「一つは、
“変な村”」
「もう一つは?」
「……
“居心地がいいらしい”」
レオンは、
少しだけ考える。
(どっちも、
否定しない)
実際、
変だ。
規則がない。
上下もない。
褒められることも、
叱られることもない。
だが――
居心地は、
確かにいい。
誰も、
役割を演じなくていい。
誰も、
期待に応えなくていい。
ただ、
生きていればいい。
噂は、
少しずつ広がる。
尾ひれも付く。
「働かなくてもいいらしい」
「魔物が近づかないらしい」
「王に逆らってるらしい」
どれも、
半分は嘘で、
半分は勘違いだ。
レオンは、
それを正す気はなかった。
(来る人だけ来ればいい)
説明もしない。
勧誘もしない。
居心地がいいかどうかは、
来た者が決める。
噂は、
風みたいなものだ。
止められない。
操れない。
ただ、
通り過ぎる。
その中で、
残る人がいれば、
それでいい。
今日も、
村は静かだ。
だが、
外の世界では――
少しずつ、
名前のない村の話が、
囁かれ始めていた。




