第58話:風呂回
夕方。
川辺に、
湯気が立ち上っていた。
石を組んだ簡易の浴槽。
下で焚いた火が、
水をゆっくり温めている。
村にできた、
唯一の風呂だ。
「……本当に入るの?」
エルナが、
半信半疑で覗き込む。
「火傷しない?」
「確認した」
レオンは、
指先で湯を弾いた。
「問題ない」
セラが、
腕を組む。
「順番は?」
「来た順」
それだけ。
札も、
管理もない。
ただ、
並ぶ。
最初は、
元兵士の男。
次に、
流民の家族。
子どもたちは、
湯気を見て騒いでいる。
待ち時間。
誰も、
文句を言わない。
焚き火の前で、
ぼんやり座る。
それだけで、
時間は過ぎていく。
エルナは、
少し戸惑いながら言った。
「……貴族の屋敷より、
遅いわね」
「そうだな」
レオンは、
否定もしない。
「でも、
嫌じゃない」
エルナは、
自分でも驚いた。
待たされるのに、
不快じゃない。
誰かに割り込まれない。
急かされない。
ただ、
順番が来るのを待つ。
それだけ。
ようやく、
エルナの番。
湯に浸かった瞬間、
小さく息が漏れる。
「……はぁ」
肩の力が、
抜けていく。
(お風呂って……
こんなに、
静かなものだったかしら)
王都の風呂は、
効率と贅沢の塊だった。
ここは違う。
不格好で、
狭くて、
時間がかかる。
だが――
急かすものが何もない。
順番を終えた人たちは、
焚き火のそばで体を拭き、
他愛もない話をする。
リィナは、
湯から上がって、
ぽつりと呟いた。
「……あったかいです」
「そうだな」
レオンは、
それだけ答える。
最後は、
レオン自身。
湯に浸かり、
目を閉じる。
湯の音。
火の音。
遠くの話し声。
体が温まり、
思考が緩む。
(……贅沢だな)
金でも、
設備でもない。
時間を奪われないこと。
それが、
一番の贅沢だった。
夜。
湯気は消え、
空には星。
誰かが言う。
「また、明日も入れる?」
「水があればな」
期待も、
約束も、
重くない。
風呂は、
特別な施設じゃない。
この村にとって、
ただの――
小さな幸せの一つだった。




