第51話:エルナの困惑
翌朝。
エルナは、少し早めに目を覚ました。
……正確には、
誰にも起こされなかったから、自然に目が覚めただけだ。
(……あれ?)
王都でも、地方でも。
“領主の娘”として生きてきた彼女の朝は、常に決まっていた。
侍女が来る。
予定を告げられる。
判断を求められる。
だが――
ここでは、何もない。
静かすぎるほどの朝だった。
外に出ると、
すでにレオンは畑にいた。
無言で土を整え、
淡々と作業している。
セラは少し離れた場所で、
剣の手入れをしている。
リィナは、焚き火の前で、
鍋を見つめていた。
誰も、
エルナを見ていない。
(……命令待ち、じゃない?)
エルナは、軽く咳払いをした。
「おはよう。
今日は――」
言いかけて、止まる。
“今日は何をさせるか”
“今日は何を決めるか”
そう続けるつもりだった言葉が、
喉につかえた。
レオンは顔を上げる。
「おはよう」
それだけ言って、
また畑に戻る。
セラも、短く会釈するだけ。
リィナは、少し遅れて、
「……おはよう、ございます」
と、小さく言った。
それで終わり。
エルナは、立ち尽くす。
(……え?
私、何か言うべき?
いや、言わなくていいの?)
村――
正確には、村未満の集落は、
確かに“回っている”。
誰かが指示を出している様子はない。
なのに、
・畑は耕され
・火は絶えず
・危険な場所は避けられ
・無理はしない
秩序が、
命令なしで成立している。
エルナは、耐えきれずにレオンに声をかけた。
「……あなたが、まとめ役なの?」
レオンは、少し考えてから答える。
「違うと思う」
「じゃあ、誰が?」
「誰でもない」
エルナは、眉をひそめる。
「それで、どうして――」
「やる必要があることを、
やれる人がやってるだけだ」
あまりにも、当然のような言い方。
エルナは、戸惑う。
(そんなことで……?)
セラが、横から口を挟んだ。
「命令されない方が、楽だぞ」
「……それは、分かるけど」
エルナは、言葉を選ぶ。
「普通は、
誰かが責任を負うでしょう?」
レオンは、土をならしながら言った。
「失敗したら、
その人が責任を取るだけだ」
「全体の責任は?」
「今のところ、
全体で何かをする必要がない」
エルナは、言葉を失った。
(……統治じゃない。
管理でもない)
これは――
生活だ。
昼。
簡素な食事が並ぶ。
エルナは、反射的に言いそうになる。
「配膳は――」
だが、
誰も動かない。
リィナは、
自分の分をよそい、
静かに座った。
セラも同じ。
レオンは、最後に座る。
……エルナも、
自分で皿を取るしかなかった。
(命令しないと、回らないと思ってた)
だが、
命令しないからこそ、
誰も不満を持っていない。
食事中、会話は少ない。
沈黙がある。
だが、
居心地は悪くない。
エルナは、ふと気づく。
(……私、
ここで“役割”を求められてない)
領主の娘としても。
統治者としても。
ただ、
一人の人間として、
そこにいるだけ。
食後。
エルナは、ぽつりと呟いた。
「……困ったわ」
レオンが、ちらりと見る。
「何が?」
「命令されない場所に、
慣れてないの」
レオンは、少しだけ笑った。
「そのうち慣れる」
「慣れなかったら?」
「それでも、問題ない」
エルナは、空を見上げた。
役割を失って、
投げ出された辺境。
なのに――
ここには、
誰にも使われない自由があった。
エルナは、
生まれて初めて、
「何もしなくていい自分」
に、困惑していた。




