↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェイタル・フェイト:フィクサー 〜名前を呼ばれただけで詰む無理ゲー世界で、最弱ステの俺は破滅の筋書きを覆す〜  作者: 霞見


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/46

37話 『投書』

 翌朝。


 俺は作戦室の机に向かって、朝から手を動かしていた。


 書いては封じ、宛名を伏せて脇へ寄せる。筆の止まった一枚は握り潰し、足元の籠《かご》へ落とす。机の上には、封蝋《ふうろう》を落とした書状と、書き損じて破った紙とが、半々に散らかっていた。


 窓のない部屋に、朝の区切りはない。それでも、地上が起き出す前に済ませておきたい用が、いくつかあった。


 最後の一枚に封蝋を垂らしたところで、扉が開いた。


 マルコだ。


 入ってくるなり、机の上の紙の山へ目を落とし、それから俺を見る。


「大将」


 低く、抑えた声だった。


「昨日はその、随分急いでいたみたいだったが……もう、いいのか?」


 問い詰める調子ではない。確かめに来た、という顔だ。


「ああ。用件は済んだ」


 俺は書類から顔を上げ、マルコを見る。


「気を遣わせたようだな」


「ああ、いや。そいつは別にかまわねぇんだが……」


 マルコの目が、机の端へ流れた。


 そこには、昨日持ち帰った包みの残りが置いてある。中身はすでに空だったが、外包みだけはまだ処分していなかった。


 絡んだ蔓《つる》と硬貨を模した商会印《しょうかいいん》。


 カーライル商会のものだ。


「それじゃ、昨日はやっぱり」


 俺は短く頷いた。


「ああ、カーライル本店まで足を運んでいた」


 マルコの眉が動いた。本店、と低く繰り返す。


「大将が、直接か」


 驚き、というより、咎める手前の声だった。


「危ない橋だ」


 そこまで言って、また飲み込む。続く言葉は――なぜ一人で、とか、知らせてくれれば、とか――口の中で止めたらしい。俺を主と決めた、その分の遠慮だろう。


 俺は、それには直接答えなかった。


「一度は見ておく必要があった。得たものも、こちらの想定より大きい」


「……そうかい。まぁ、大将の判断なら間違いはないんだろうが」


 言いながらも、マルコの顔は納得から遠かった。


「あんま心臓に良くねぇぜ」


 俺は、少しだけ口の端を上げた。


「この程度で驚いているようでは、先が思いやられるな」


「そうは言ってもなぁ、大将。普通敵の本拠地に一人で乗り込むなんてぇのを、この程度とは呼ばねぇんだよ」


 マルコはそこで、何かを思い出したように目を細めた。


「……つっても大将は、出会った時から歩くびっくり箱みてぇなお人だったか」


「褒め言葉として受け取っておく」


「別に褒めてねぇ」


 即座に返してから、マルコは天井の方を見た。


「いつかは、慣れる日が来るのかねぇ」


「来るといいな」


「他人事みてぇに言うんじゃねぇよ、まったく」


 頭を掻きながら息を吐くマルコに、俺は机の上の封書を一つ脇へ寄せて声をかけた。


「ちょうどいい。情報整理も兼ねて、一度、必要な人員に話を共有しておきたい」


 マルコが半歩、机に寄った。


「今からか」


「ああ。後回しにすると、動き出す前に認識がずれる恐れがある」


「わかった、誰を呼んでくりゃぁいい」


「リディア。それと、居るならオーウェンも」


 そこで少し考え、続ける。


「荒事の話にもなるかもしれん。ミランダとガロにも声をかけてくれ」


「荒事ね」


 マルコは短く鼻を鳴らした。


「カーライルの話で、荒事まで出てくるってわけか」


「報告だけなら、そんな話にはならないさ。荒事の件は、その先だ」


 マルコの顔から、残っていた軽さが消えた。


「分かった。すぐに集める」


「ああ、頼む」


 マルコは扉へ向かいかけ、ふと足を止めた。


「大将」


「何だ」


「お嬢に聞かせていい話なんだな」


「聞かせるべき話だ」


 マルコは俺を見た。


 庇う側の迷いが、ほんの少しだけそこに残っていた。


「……そうか」


 短く返し、今度こそ扉を開ける。


「呼んでくる」


 マルコが出ていくと、作戦室には紙とインクの匂いだけが残った。


 ほどなくして、人が集まり始める。


 最初に来たのはオーウェンだ。仕事の手を止めて呼ばれてきたらしく、上着の前を直しながら入ってくる。机の散らかりへ目をやり、それから俺に小さく頭を下げた。


「お呼びと伺いました」


「ああ。掛けてくれ」


 続いて、リディアがマルコに伴われて入ってきた。


 移送と整理の疲れは、まだ顔のどこかに残っている。それでも、扉をくぐる足取りに、ためらいはなかった。呼ばれた理由を、すでに半分は察しているのかもしれない。


 机に着く前に、リディアの足が一度だけ止まった。視線の先は、机端の包み。蔓と硬貨の商会印だ。カーライルの名を、彼女は口にしなかった。ただ一度、小さく息を整えて、椅子に腰を下ろす。


 マルコは、いつものように部屋の隅へ下がった。


 次に入ってきたのはガロだった。


 太い肩を戸口に引っかけそうになりながら、不機嫌でもなく入ってくると、にやりとした。


「荒事って聞いたぜ、旦那。で、どこに殴り込む」


「落ち着け。話が先だ」


 俺は短く返した。


 ガロは「なんでぇ、つまんねぇの」とぼやいて、壁に背を預けた。


 最後に、ミランダが現れた。


 誰より遅れて、誰より涼しい顔で。扉を抜けるなり、部屋をひと撫でするように見渡す。誰が来て、誰が来ていないか。机に、何が伏せてあるか。軽く触れて、確かめている。


「あら。もしかして、わたし待ち?」


 壁際の椅子を引き寄せ、さも当然のように腰を下ろす。


 そのまま、猫のように大きく伸びをした後、俺を見た。


「とりあえず、退屈な朝ってわけじゃないのはいいことね。さ、始めましょ?」


 相変わらず、場の温度を勝手に変える女だ。


 俺は小さく息を吐き、机の上の紙を片側へ寄せた。


「……では、始めよう」


 ミランダが口元だけで笑う。


 それを横目に、俺は机の端に置いていた包みを全員に見える位置へ動かした。


「集まってもらったのは、他でもない」


 包みに残った商会印を、指先で示す。


「昨日、私はカーライル商会の本店へ入った。客という、もっとも疑われにくい仮面を被ってな」


 最初に反応したのは、オーウェンだった。


「カーライル本店へ、直接……?」


「ああ」


 ガロが壁際で口笛を鳴らす。その音が消えるのを待って、俺は続けた。


「劇場の改修にかこつけて、見積もりを取らせた。狙いはエドワルド・カーライル本人と面会し、向こうの出方を探ること。──結果、妙な条件が付いてきた」


 全員の目が、こちらへ集まる。


「王立アウレリア歌劇場の改修に、ヴァレリスの名を関わらせなければ――二割、安く引き受ける、と」


 オーウェンの喉が、小さく鳴った。


「二割……こちらの値も、条件も、聞かずにですか?」


「ああ。何ひとつ、問われなかった」


 オーウェンの顔から、血の気が引いていく。


「そ、そんなの、馬鹿げてる!」


 声が、ひび割れた。


「値引きというのは、競って、削り合って、はじめて出るものです。向こうがいくらで請けるか、こちらがどこまで出せるか――そのやり取りの果てに、ようやく一割、二割と動くんです。それを、初手から二割だなんて!」


 机の上で組んだ指に、力がこもる。


「これは……競争じゃない。商売ですら、ありません」


 顔を上げた。その目に、商人としての敗北が滲んでいた。


「競り合いなら、どれだけ苦しくても勝ち筋はあります。でも、向こうは最初から赤字を呑む気でいる――ただヴァレリスの名を、殺すためだけに」


 マルコが、奥歯を強く噛んだ。


「上等じゃねぇか」


 声が、沈む。


「会長を殺して、お嬢を牢に放り込んで、商会を食い荒らして。その上、名前まで消そうってか」


「マルコ」


 リディアが、小さく呼んだ。


 止めるための声ではない。その怒りが自分のために燃えていることを、受け止めた声だった。


 だが、その声が届いてなお、マルコの目の奥に宿った熱は引かなかった。


「大将。殴り込みってのは、いつ行くんだ」


 低い声だった。


 オーウェンが息を詰める。


 ガロだけが、壁際でわずかに口の端を上げた。


「落ち着け、マルコ。カーライルは確かに敵ではある。だが、主犯ではない」


「……主犯じゃねぇ?」


「エドワルド・カーライルが全てを握っているなら、王印状《おういんじょう》はとっくに焼かれている。なのに、その名が戻ることを恐れていた。──お前なら、この意味がわかるはずだ」


 リディアの肩が、ひとつ揺れた。


「では、王印状は……まだ?」


「そうだ。奴は王印状の存在を確信している。でなければ、この取引は提示できない」


 部屋に、重い沈黙が落ちる。


 希望と呼ぶには危うい。それでも、消えてはいない。今のヴァレリスには、その一点が大きい。


「ただし、時間はあまりないぞ」


 俺は続けた。


「王印状が戻っても意味がないほどカーライルが太れば、それでもヴァレリスは死ぬ。名だけ残っても、商流《しょうりゅう》が戻らなければ、商会ではない」


 リディアが、唇を結び直した。痛い言葉だったはずだ。だが、目は逸らさなかった。


「……はい」


 短い。だが、弱くはない返事だった。


 ミランダが頬杖をつく。


「つまり、カーライルの後ろに、誰かいるわけね」


「ああ。恐らく、お前好みのヤツがな」


 ミランダの唇が、ゆっくりと弧を描いた。笑っている。


 だが、目は笑っていなかった。


「あら。そんなふうに言われたら、期待しちゃうじゃない」


「こんな場面で喜ぶな」


「喜んでなんかいないわ」


 ミランダは、机の上の包みを眺める。


「ただ、そういう連中って壊した時に、いい音がするの。それが、楽しみなだけ」


 物騒な発言をするミランダを尻目に、俺は包みを手元へ戻した。


「カーライルは敵だ。だが、本当に討つべき相手は、別に居る」


 俺は、その「別の誰か」の輪郭を、机の上に並べていく。


「カーライルの首に縄をかけ、思いどおりに動かせる者だ。マルコやリディアを牢に繋いだまま、誰にも咎められない。ヴァレリスの屋敷にも、内情にも手が届く。それでいて、どの記録にも、名が残らない」


 指を一本ずつ折るように、続ける。


「カーライルが肥えれば肥えるほど、得をする。あるいは、町の荷の流れそのものを、動かせる。──ただの商人ではない。それだけの力を持った、相当な誰かだ」


 一拍置いて、


「心当たりは?」


 俺は三人を見た。


「ヴァレリスと縁のあった頃、その周りにいた者たちだ。私より、お前たちの方がよほど顔を知っている」


 最初に口を開いたのは、マルコだった。


「……貴族筋《きぞくすじ》、だろうな」


 低く唸る。


「全盛期のヴァレリスは、城の連中とも深く繋がってた。屋敷に出入りしてた貴族なんざ、両手じゃ足りねぇ。だが、誰がってなると――」


 言葉が、途中で止まった。一人に絞れる確信のない顔だ。殴り込む先が欲しい男の、それでも嘘はつけないという顔だった。


「……いや。名を挙げるにゃ、まだ早ぇ」


 オーウェンが、それを継ぐ。


「帳簿の上でも、何人かは浮かびます。ヴァレリスと太い取引のあった家、便宜を図ってもらっていた家……ですが、どれも“あり得る”止まりで。証になるものは、何も」


 リディアは、しばらく黙っていた。


 幼い頃の記憶を、一枚ずつ手繰っているのかもしれない。父の客間に通された顔。宴席で笑っていた声。


「……何人かは、覚えています」


 ぽつりと言う。


「ヴァイス様は、いつも怖い顔で、治安のお話ばかりなさっていました。ロートナー様は、お優しいようでいて……人を値踏みするような目を、なさる方で」


 そこで、声が、少し和らいだ。


「カレル様は……お優しい方でした。父とも仲が良くて。わたしにも、いつも穏やかに話しかけてくださっていました」


 俺は、挙がった名のどれも、否定も肯定もしなかった。


「今はそれでいい。危険が迫っていると知られれば、相手は今度こそ王印状ごと証拠を消し去る。故に、憶測で動くわけにはいかない」


 俺は続けた。


「私が共有したかったのは、名前ではなく犯人像だ。カーライルの裏に潜む、巨悪。その形を理解しておけ。そうすれば、相手の尻尾が覗いた時、見落とさずに済むだろう」


 誰も、すぐには言葉を返さなかった。


 それぞれが、その「輪郭」を、胸の中で確かめている。そんな間だった。


「私からの情報共有は、ひとまず以上だ」


 言って、俺は机の上の紙へ視線を落とした。


「次に、これからの動きだが――」


「少し待ってくれ、大将」


 マルコが、そこで口を挟んだ。


 声は荒くない。


 だが、先ほどまでとは別の重さがあった。


「共有ってことなら、こっちからも一つ、話しておきたいことがある」


「何だ」


「地下に入れてる人足《にんそく》の一人が、表で妙な話を仕入れてきた」


 改修には、二通りの手が入っている。地上の表口は、ヴァレリスの名で集めた、ごく当たり前の作業員。だが地下の拠点には、マルコが昔の伝手から選り抜いた、素性の固い者しか入れていない。表を歩けないマルコにとって、外の風を運んでくるのは、その連中だ。


「賭場《とば》が一つ、叩かれたらしい。騎士団が踏み込んで、何人か引っ張られた。……その中に、脱獄囚が混じってたとよ」


 部屋の空気が、また別の質で固くなった。


 ガロが、壁から背を起こす。


「脱獄囚、ねぇ」


 面白がる色は、もうない。ここにいる荒くれの大半が、同じ大脱獄を生き延びた連中だ。他人事じゃない。


「この話、地下の連中の耳には、もう入ってる」


 マルコが続ける。


「落ち着かねぇ顔をしてる奴が、何人もいた。……大将。ここは、本当に大丈夫なんだろうな」


 守る者の声だった。背負った連中が、ここでなら息をつけると信じている。その信を裏切らせたくない――そういう問いだ。


 俺は、即座に答えた。


「安心しろ。ここは賭場とは違う。出入りも、繋ぎも、外からは辿れないようにしてある。叩かれた賭場とここを結ぶ線は、どこにもない。そして、万が一の場合、隠し通路もある」


 マルコの肩から、強張りが少し落ちた。


「……そうか。なら、いい」


「それより、一つ確かめたい」


 俺は、声の調子を変えた。


「叩かれたのは、その賭場だけか。同じ頃に、どこか別の場所が踏み込まれた――そういう話は、なかったか」


 マルコが、怪訝そうに眉を寄せる。


「……いや。あいつが聞いてきた限りじゃ、賭場が一つ。それきりだ」


 ガロも、首を振った。


「俺の耳にも、他は入ってねぇ」


 オーウェンも、心当たりのない顔で、首を横に振る。


「……そうか」


 俺は、しばらく黙っていた。


 それから、机に伏せていた書状の一枚を取り上げ――無造作に、二つに破った。


 紙の裂ける音が、部屋に、やけに大きく響いた。


 ミランダの視線が、その手元を捉える。


「ねぇ。さっきから気になってたのだけど」


 机の上の、封書の山を指で示す。


「その手紙の束は、何なの?」


「投書だ」


 俺は、破った紙片を、足元の籠へ落とした。


「ここ数日、何通も書いては、町のあちこちへ投げ込んでいた。衛兵の詰所《つめしょ》、騎士団の窓口、城の守備隊――宛先は、その都度、変えてある」


 オーウェンが、眉を寄せた。


「投書……ですか? いったい何を、書かれて……?」


「内容か? 有体に言えば、密告だ。あそこで賭場が開かれている。あの蔵《くら》で盗品が捌かれている。あの店の裏で、薬が売られている――そういう後ろ暗い在処《ありか》を、一通につき一つずつな」


 部屋が、しん、と静まる。誰の視線も、封書の山の高さを測り直していた。


 最初にその意味へ辿り着いたのは、マルコだった。


「……待ってくれ。じゃあ、あの賭場は」


「ああ。私が投げた一通が、騎士団を動かしたようだな」


 マルコが、言葉を失う。


 地下を騒がせた、あの摘発。脱獄囚が引かれ、荒くれたちが顔を曇らせた一件。その引き金を引いたのが、目の前の男だった――そう呑み込むのに、しばらくかかったらしい。


「……あんた、なんてことを」


 呆れと、薄い寒気とが、声に混じっていた。


「身内が震え上がってる火種を、自分で撒いてたってのか」


「火の粉は、ここには届かない。そう測った上でだ」


「測った、ね……」


 マルコは額に手を当てた。だが、それ以上は責めなかった。


「で、結果は?」


 ミランダが、面白がるように先を促す。


「潰れた場所は、賭場――つまり、動いたのは騎士団だけだ」


 俺は答えた。


「蔵も、薬も、在処まで書いて渡してやったのに、誰も手をつけない。握り潰したか、最初から読んでもいないか――どちらにせよ、同じことだ」


 俺は、封書の山を、籠の方へ押しやった。残りも、もう投げる先がない。


「この町の正規兵は、ほとんどがもう誰かの懐の中にある。民が声を上げても、届く先が腐っていれば声は消える。動いたのは、騎士団のみ。──表の制度が、どこまで当てにできるのか。それを確かめたかった」


 オーウェンが、低く唸った。


「……投書ごとに、反応の出方を見る。どこが生きていて、どこが死んでいるか、それで炙り出していたんですね」


 苦い顔のまま、しかし、どこか得心している。


「帳簿と、同じです。どの取引先が嘘をつき、どこが約束を守るか。金の流れを追えば、相手の正体が見えてくる」


 リディアは、何か言いかけて、口をつぐんだ。


 騎士団が動いたことに、ほんの一瞬、安堵が過ぎったのかもしれない。法は、まだ完全には死んでいない、と。だが、その法を動かしたのが、正義ではなく、目の前の男の計算だった――そのことに、彼女はただ、目を伏せた。


 ガロが、鼻の頭に皺を寄せる。


「……陰気なやり口だな。正面から殴る方が、よっぽど気が楽だぜ」


「情報は、多いに越したことはない。楽な方法で勝てるなら、とうにそうしている」


 俺は短く返し、顔を上げた。


「表が腐っているのなら、表を当てにはできない。──さっき、言いかけたな。これからの動きの話だ」


 リディアが、居住まいを正した。


「カーライルは、いま町の商いを一手に集めつつある。人も物も、あの商会を通らなければ動かない。──だが、何もかもを一つの商会が呑み込めば、そこから必ず、こぼれ落ちるものが出る」


 オーウェンが小さく顎を引く。帳簿を預かる人間には、もう続きが見えているのだろう。


「表の流れから弾かれた荷物。帳簿に載せれば足のつく品。仕事をなくした運び屋、人足、故買屋《こばいや》――行き場を失った荷物と人は、必ずどこかへ流れ着く。光の当たらない、町の裏側へとな」


 そこで一度切り、リディアとオーウェンへ目を移す。


「そして、こちらにも事情がある。ヴァレリスを表へ戻すなら、表の帳簿は、清いままでなければならない。一点の汚れもなくな。──だが、清い帳簿には、決して載せられないものがある。武器、毒、足のつく金。シンジケートが動けば、必ず生まれる類のものだ」


 俺は、机の上に指を二本、並べて置いた。


「清い表と、汚れた裏。これを同じ帳簿で混ぜれば、両方が死ぬ。だから、裏には裏の、捌け口(はけぐち)がいる」


 裏側の一本を、軽く叩く。


「その捌け口になり得る場所を、一度、この目で見ておきたい」


 マルコの顔が、目に見えて曇った。


「大将。……あんたが言ってんのは、あそこのことだろう」


 確かめるというより、できれば違っていてほしい、という響きだった。


「ちょいと覗いて帰れるような、生易しい場所じゃねぇ」


 ただの危険以上の重さが、その声にはあった。あの場所を、知識ではなく足で知っている者の声だ。だが、マルコはそれ以上、語らなかった。


 壁際のガロも、いつのまにか軽口を引っ込め、渋い顔をしていた。


「軽く覗ける場所でないことは、承知の上だ」


 俺は、マルコへ答えた。


「だからこそ、連れて行く顔ぶれは絞る。マルコとガロ、お前たちには来てもらう」


 俺は、残る顔ぶれへ目をやった。


「リディアとオーウェンは、残ってくれ。ヴァレリスの名を、あの場所と結びつけるわけにはいかない。顔を見られれば、それだけで清いはずの表まで疑われる」


 残るは、一人。


 俺は、椅子に腰掛けたまま気だるげにこちらを眺めていた女へ、向き直った。


「最近よく出歩いているようだが、目当てのものは見つかったか?」


 ミランダが、片眉を上げた。


 この女が探しているものに、俺は心当たりがあった。


 ミランダ・ノクターナの武器は、短剣だけではない。二種類の香こそが、本命だ。


 淡い緑の小瓶――夜香《やこう》。迷いの森に自生する夜香花《やこうか》を原料にした、甘い香りの麻痺毒。肌に触れ、吸い込み、あるいは狭い場所に残れば、相手の反応を鈍らせる。ミランダが時折まとわせる甘い香りの正体でもある。


 そして、赤い粒の残る小瓶――爆燐香《ばくりんこう》。


 素材になる火燐粉《かりんぷん》は、表の店に並ぶような品ではない。油膜に包まれている間は安定しているが、空中に散って膜が剥がれれば、数秒で光を増し、小さな爆発を連ねる。暗がりで距離を潰すミランダにとっては、目眩《めくら》ましにも、牽制《けんせい》にも、必殺の武器にもなる。


 リーメスで捕えられた時、ミランダの武器は全て失われている。


 より正確に言えば、倒れたこいつから俺が抜き取り、衛兵に渡した。


 あの時点では、仲間に引き入れるつもりなどなかった。今となっては、少しばかり痛い誤算だ。


 夜香の類なら、まだ表でも手に入る。香草、香水、調香道具。その延長でどうにかなる。ミランダの部屋に並んだ道具を見れば、自作したのであろうことも察しはつく。


 だが、爆燐香は別だ。


 火燐粉を扱うには、仕入れも保管も危険が伴う。まともな商店が棚に置くはずもない。


 ならば、日の当たらない場所に期待するしかない。


「良ければ、一緒に――買い物と洒落こもうじゃないか」


 ミランダが、ふ、と笑った。


「あら。あんたが、デートのお誘い?」


「物騒な場所だ。デートには、向かないだろうな」


 俺は、軽く首を振った。


「だからこそ――お前が必要だ」


 ミランダの目の奥が、ほんの少しだけ、底光りした。


「いいわ。付き合ってあげる。当然代金は、あんた持ちってことでいいのよね?」


「…………それは、値段とモノ次第。とだけ答えておこう」


 これで、四人。


 カーライル本店で見た、表の歪み。投書が炙り出した、制度の穴。賭場の摘発が映した、裏の蠢《うごめ》き。その三つが指し示す先は、一つだ。


 俺は、卓を見回し、行き先を口にした。


「――次に向かう場所は、この町の裏側。闇市《やみいち》だ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。