37話 『投書』
翌朝。
俺は作戦室の机に向かって、朝から手を動かしていた。
書いては封じ、宛名を伏せて脇へ寄せる。筆の止まった一枚は握り潰し、足元の籠へ落とす。机の上には、封蝋を落とした書状と、書き損じて破った紙とが、半々に散らかっていた。
窓のない部屋に、朝の区切りはない。それでも、地上が起き出す前に済ませておきたい用が、いくつかあった。
最後の一枚に封蝋を垂らしたところで、扉が開いた。
マルコだ。
入ってくるなり、机の上の紙の山へ目を落とし、それから俺を見る。
「大将」
低く、抑えた声だった。
「昨日はその、随分急いでいたみたいだったが……もう、いいのか?」
問い詰める調子ではない。確かめに来た、という顔だ。
「ああ。用件は済んだ」
俺は書類から顔を上げ、マルコを見る。
「気を遣わせたようだな」
「ああ、いや。そいつは別にかまわねぇんだが……」
マルコの目が、机の端へ流れた。
そこには、昨日持ち帰った包みの残りが置いてある。中身はすでに空だったが、外包みだけはまだ処分していなかった。
絡んだ蔓と硬貨を模した商会印。
カーライル商会のものだ。
「それじゃ、昨日はやっぱり」
俺は短く頷いた。
「ああ、カーライル本店まで足を運んでいた」
マルコの眉が動いた。本店、と低く繰り返す。
「大将が、直接か」
驚き、というより、咎める手前の声だった。
「危ない橋だ」
そこまで言って、また飲み込む。続く言葉は――なぜ一人で、とか、知らせてくれれば、とか――口の中で止めたらしい。俺を主と決めた、その分の遠慮だろう。
俺は、それには直接答えなかった。
「一度は見ておく必要があった。得たものも、こちらの想定より大きい」
「……そうかい。まぁ、大将の判断なら間違いはないんだろうが」
言いながらも、マルコの顔は納得から遠かった。
「あんま心臓に良くねぇぜ」
俺は、少しだけ口の端を上げた。
「この程度で驚いているようでは、先が思いやられるな」
「そうは言ってもなぁ、大将。普通敵の本拠地に一人で乗り込むなんてぇのを、この程度とは呼ばねぇんだよ」
マルコはそこで、何かを思い出したように目を細めた。
「……つっても大将は、出会った時から歩くびっくり箱みてぇなお人だったか」
「褒め言葉として受け取っておく」
「別に褒めてねぇ」
即座に返してから、マルコは天井の方を見た。
「いつかは、慣れる日が来るのかねぇ」
「来るといいな」
「他人事みてぇに言うんじゃねぇよ、まったく」
頭を掻きながら息を吐くマルコに、俺は机の上の封書を一つ脇へ寄せて声をかけた。
「ちょうどいい。情報整理も兼ねて、一度、必要な人員に話を共有しておきたい」
マルコが半歩、机に寄った。
「今からか」
「ああ。後回しにすると、動き出す前に認識がずれる恐れがある」
「わかった、誰を呼んでくりゃぁいい」
「リディア。それと、居るならオーウェンも」
そこで少し考え、続ける。
「荒事の話にもなるかもしれん。ミランダとガロにも声をかけてくれ」
「荒事ね」
マルコは短く鼻を鳴らした。
「カーライルの話で、荒事まで出てくるってわけか」
「報告だけなら、そんな話にはならないさ。荒事の件は、その先だ」
マルコの顔から、残っていた軽さが消えた。
「分かった。すぐに集める」
「ああ、頼む」
マルコは扉へ向かいかけ、ふと足を止めた。
「大将」
「何だ」
「お嬢に聞かせていい話なんだな」
「聞かせるべき話だ」
マルコは俺を見た。
庇う側の迷いが、ほんの少しだけそこに残っていた。
「……そうか」
短く返し、今度こそ扉を開ける。
「呼んでくる」
マルコが出ていくと、作戦室には紙とインクの匂いだけが残った。
ほどなくして、人が集まり始める。
最初に来たのはオーウェンだ。仕事の手を止めて呼ばれてきたらしく、上着の前を直しながら入ってくる。机の散らかりへ目をやり、それから俺に小さく頭を下げた。
「お呼びと伺いました」
「ああ。掛けてくれ」
続いて、リディアがマルコに伴われて入ってきた。
移送と整理の疲れは、まだ顔のどこかに残っている。それでも、扉をくぐる足取りに、ためらいはなかった。呼ばれた理由を、すでに半分は察しているのかもしれない。
机に着く前に、リディアの足が一度だけ止まった。視線の先は、机端の包み。蔓と硬貨の商会印だ。カーライルの名を、彼女は口にしなかった。ただ一度、小さく息を整えて、椅子に腰を下ろす。
マルコは、いつものように部屋の隅へ下がった。
次に入ってきたのはガロだった。
太い肩を戸口に引っかけそうになりながら、不機嫌でもなく入ってくると、にやりとした。
「荒事って聞いたぜ、旦那。で、どこに殴り込む」
「落ち着け。話が先だ」
俺は短く返した。
ガロは「なんでぇ、つまんねぇの」とぼやいて、壁に背を預けた。
最後に、ミランダが現れた。
誰より遅れて、誰より涼しい顔で。扉を抜けるなり、部屋をひと撫でするように見渡す。誰が来て、誰が来ていないか。机に、何が伏せてあるか。軽く触れて、確かめている。
「あら。もしかして、わたし待ち?」
壁際の椅子を引き寄せ、さも当然のように腰を下ろす。
そのまま、猫のように大きく伸びをした後、俺を見た。
「とりあえず、退屈な朝ってわけじゃないのはいいことね。さ、始めましょ?」
相変わらず、場の温度を勝手に変える女だ。
俺は小さく息を吐き、机の上の紙を片側へ寄せた。
「……では、始めよう」
ミランダが口元だけで笑う。
それを横目に、俺は机の端に置いていた包みを全員に見える位置へ動かした。
「集まってもらったのは、他でもない」
包みに残った商会印を、指先で示す。
「昨日、私はカーライル商会の本店へ入った。客という、もっとも疑われにくい仮面を被ってな」
最初に反応したのは、オーウェンだった。
「カーライル本店へ、直接……?」
「ああ」
ガロが壁際で口笛を鳴らす。その音が消えるのを待って、俺は続けた。
「劇場の改修にかこつけて、見積もりを取らせた。狙いはエドワルド・カーライル本人と面会し、向こうの出方を探ること。──結果、妙な条件が付いてきた」
全員の目が、こちらへ集まる。
「王立アウレリア歌劇場の改修に、ヴァレリスの名を関わらせなければ――二割、安く引き受ける、と」
オーウェンの喉が、小さく鳴った。
「二割……こちらの値も、条件も、聞かずにですか?」
「ああ。何ひとつ、問われなかった」
オーウェンの顔から、血の気が引いていく。
「そ、そんなの、馬鹿げてる!」
声が、ひび割れた。
「値引きというのは、競って、削り合って、はじめて出るものです。向こうがいくらで請けるか、こちらがどこまで出せるか――そのやり取りの果てに、ようやく一割、二割と動くんです。それを、初手から二割だなんて!」
机の上で組んだ指に、力がこもる。
「これは……競争じゃない。商売ですら、ありません」
顔を上げた。その目に、商人としての敗北が滲んでいた。
「競り合いなら、どれだけ苦しくても勝ち筋はあります。でも、向こうは最初から赤字を呑む気でいる――ただヴァレリスの名を、殺すためだけに」
マルコが、奥歯を強く噛んだ。
「上等じゃねぇか」
声が、沈む。
「会長を殺して、お嬢を牢に放り込んで、商会を食い荒らして。その上、名前まで消そうってか」
「マルコ」
リディアが、小さく呼んだ。
止めるための声ではない。その怒りが自分のために燃えていることを、受け止めた声だった。
だが、その声が届いてなお、マルコの目の奥に宿った熱は引かなかった。
「大将。殴り込みってのは、いつ行くんだ」
低い声だった。
オーウェンが息を詰める。
ガロだけが、壁際でわずかに口の端を上げた。
「落ち着け、マルコ。カーライルは確かに敵ではある。だが、主犯ではない」
「……主犯じゃねぇ?」
「エドワルド・カーライルが全てを握っているなら、王印状はとっくに焼かれている。なのに、その名が戻ることを恐れていた。──お前なら、この意味がわかるはずだ」
リディアの肩が、ひとつ揺れた。
「では、王印状は……まだ?」
「そうだ。奴は王印状の存在を確信している。でなければ、この取引は提示できない」
部屋に、重い沈黙が落ちる。
希望と呼ぶには危うい。それでも、消えてはいない。今のヴァレリスには、その一点が大きい。
「ただし、時間はあまりないぞ」
俺は続けた。
「王印状が戻っても意味がないほどカーライルが太れば、それでもヴァレリスは死ぬ。名だけ残っても、商流が戻らなければ、商会ではない」
リディアが、唇を結び直した。痛い言葉だったはずだ。だが、目は逸らさなかった。
「……はい」
短い。だが、弱くはない返事だった。
ミランダが頬杖をつく。
「つまり、カーライルの後ろに、誰かいるわけね」
「ああ。恐らく、お前好みのヤツがな」
ミランダの唇が、ゆっくりと弧を描いた。笑っている。
だが、目は笑っていなかった。
「あら。そんなふうに言われたら、期待しちゃうじゃない」
「こんな場面で喜ぶな」
「喜んでなんかいないわ」
ミランダは、机の上の包みを眺める。
「ただ、そういう連中って壊した時に、いい音がするの。それが、楽しみなだけ」
物騒な発言をするミランダを尻目に、俺は包みを手元へ戻した。
「カーライルは敵だ。だが、本当に討つべき相手は、別に居る」
俺は、その「別の誰か」の輪郭を、机の上に並べていく。
「カーライルの首に縄をかけ、思いどおりに動かせる者だ。マルコやリディアを牢に繋いだまま、誰にも咎められない。ヴァレリスの屋敷にも、内情にも手が届く。それでいて、どの記録にも、名が残らない」
指を一本ずつ折るように、続ける。
「カーライルが肥えれば肥えるほど、得をする。あるいは、町の荷の流れそのものを、動かせる。──ただの商人ではない。それだけの力を持った、相当な誰かだ」
一拍置いて、
「心当たりは?」
俺は三人を見た。
「ヴァレリスと縁のあった頃、その周りにいた者たちだ。私より、お前たちの方がよほど顔を知っている」
最初に口を開いたのは、マルコだった。
「……貴族筋、だろうな」
低く唸る。
「全盛期のヴァレリスは、城の連中とも深く繋がってた。屋敷に出入りしてた貴族なんざ、両手じゃ足りねぇ。だが、誰がってなると――」
言葉が、途中で止まった。一人に絞れる確信のない顔だ。殴り込む先が欲しい男の、それでも嘘はつけないという顔だった。
「……いや。名を挙げるにゃ、まだ早ぇ」
オーウェンが、それを継ぐ。
「帳簿の上でも、何人かは浮かびます。ヴァレリスと太い取引のあった家、便宜を図ってもらっていた家……ですが、どれも“あり得る”止まりで。証になるものは、何も」
リディアは、しばらく黙っていた。
幼い頃の記憶を、一枚ずつ手繰っているのかもしれない。父の客間に通された顔。宴席で笑っていた声。
「……何人かは、覚えています」
ぽつりと言う。
「ヴァイス様は、いつも怖い顔で、治安のお話ばかりなさっていました。ロートナー様は、お優しいようでいて……人を値踏みするような目を、なさる方で」
そこで、声が、少し和らいだ。
「カレル様は……お優しい方でした。父とも仲が良くて。わたしにも、いつも穏やかに話しかけてくださっていました」
俺は、挙がった名のどれも、否定も肯定もしなかった。
「今はそれでいい。危険が迫っていると知られれば、相手は今度こそ王印状ごと証拠を消し去る。故に、憶測で動くわけにはいかない」
俺は続けた。
「私が共有したかったのは、名前ではなく犯人像だ。カーライルの裏に潜む、巨悪。その形を理解しておけ。そうすれば、相手の尻尾が覗いた時、見落とさずに済むだろう」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
それぞれが、その「輪郭」を、胸の中で確かめている。そんな間だった。
「私からの情報共有は、ひとまず以上だ」
言って、俺は机の上の紙へ視線を落とした。
「次に、これからの動きだが――」
「少し待ってくれ、大将」
マルコが、そこで口を挟んだ。
声は荒くない。
だが、先ほどまでとは別の重さがあった。
「共有ってことなら、こっちからも一つ、話しておきたいことがある」
「何だ」
「地下に入れてる人足の一人が、表で妙な話を仕入れてきた」
改修には、二通りの手が入っている。地上の表口は、ヴァレリスの名で集めた、ごく当たり前の作業員。だが地下の拠点には、マルコが昔の伝手から選り抜いた、素性の固い者しか入れていない。表を歩けないマルコにとって、外の風を運んでくるのは、その連中だ。
「賭場が一つ、叩かれたらしい。騎士団が踏み込んで、何人か引っ張られた。……その中に、脱獄囚が混じってたとよ」
部屋の空気が、また別の質で固くなった。
ガロが、壁から背を起こす。
「脱獄囚、ねぇ」
面白がる色は、もうない。ここにいる荒くれの大半が、同じ大脱獄を生き延びた連中だ。他人事じゃない。
「この話、地下の連中の耳には、もう入ってる」
マルコが続ける。
「落ち着かねぇ顔をしてる奴が、何人もいた。……大将。ここは、本当に大丈夫なんだろうな」
守る者の声だった。背負った連中が、ここでなら息をつけると信じている。その信を裏切らせたくない――そういう問いだ。
俺は、即座に答えた。
「安心しろ。ここは賭場とは違う。出入りも、繋ぎも、外からは辿れないようにしてある。叩かれた賭場とここを結ぶ線は、どこにもない。そして、万が一の場合、隠し通路もある」
マルコの肩から、強張りが少し落ちた。
「……そうか。なら、いい」
「それより、一つ確かめたい」
俺は、声の調子を変えた。
「叩かれたのは、その賭場だけか。同じ頃に、どこか別の場所が踏み込まれた――そういう話は、なかったか」
マルコが、怪訝そうに眉を寄せる。
「……いや。あいつが聞いてきた限りじゃ、賭場が一つ。それきりだ」
ガロも、首を振った。
「俺の耳にも、他は入ってねぇ」
オーウェンも、心当たりのない顔で、首を横に振る。
「……そうか」
俺は、しばらく黙っていた。
それから、机に伏せていた書状の一枚を取り上げ――無造作に、二つに破った。
紙の裂ける音が、部屋に、やけに大きく響いた。
ミランダの視線が、その手元を捉える。
「ねぇ。さっきから気になってたのだけど」
机の上の、封書の山を指で示す。
「その手紙の束は、何なの?」
「投書だ」
俺は、破った紙片を、足元の籠へ落とした。
「ここ数日、何通も書いては、町のあちこちへ投げ込んでいた。衛兵の詰所、騎士団の窓口、城の守備隊――宛先は、その都度、変えてある」
オーウェンが、眉を寄せた。
「投書……ですか? いったい何を、書かれて……?」
「内容か? 有体に言えば、密告だ。あそこで賭場が開かれている。あの蔵で盗品が捌かれている。あの店の裏で、薬が売られている――そういう後ろ暗い在処を、一通につき一つずつな」
部屋が、しん、と静まる。誰の視線も、封書の山の高さを測り直していた。
最初にその意味へ辿り着いたのは、マルコだった。
「……待ってくれ。じゃあ、あの賭場は」
「ああ。私が投げた一通が、騎士団を動かしたようだな」
マルコが、言葉を失う。
地下を騒がせた、あの摘発。脱獄囚が引かれ、荒くれたちが顔を曇らせた一件。その引き金を引いたのが、目の前の男だった――そう呑み込むのに、しばらくかかったらしい。
「……あんた、なんてことを」
呆れと、薄い寒気とが、声に混じっていた。
「身内が震え上がってる火種を、自分で撒いてたってのか」
「火の粉は、ここには届かない。そう測った上でだ」
「測った、ね……」
マルコは額に手を当てた。だが、それ以上は責めなかった。
「で、結果は?」
ミランダが、面白がるように先を促す。
「潰れた場所は、賭場――つまり、動いたのは騎士団だけだ」
俺は答えた。
「蔵も、薬も、在処まで書いて渡してやったのに、誰も手をつけない。握り潰したか、最初から読んでもいないか――どちらにせよ、同じことだ」
俺は、封書の山を、籠の方へ押しやった。残りも、もう投げる先がない。
「この町の正規兵は、ほとんどがもう誰かの懐の中にある。民が声を上げても、届く先が腐っていれば声は消える。動いたのは、騎士団のみ。──表の制度が、どこまで当てにできるのか。それを確かめたかった」
オーウェンが、低く唸った。
「……投書ごとに、反応の出方を見る。どこが生きていて、どこが死んでいるか、それで炙り出していたんですね」
苦い顔のまま、しかし、どこか得心している。
「帳簿と、同じです。どの取引先が嘘をつき、どこが約束を守るか。金の流れを追えば、相手の正体が見えてくる」
リディアは、何か言いかけて、口をつぐんだ。
騎士団が動いたことに、ほんの一瞬、安堵が過ぎったのかもしれない。法は、まだ完全には死んでいない、と。だが、その法を動かしたのが、正義ではなく、目の前の男の計算だった――そのことに、彼女はただ、目を伏せた。
ガロが、鼻の頭に皺を寄せる。
「……陰気なやり口だな。正面から殴る方が、よっぽど気が楽だぜ」
「情報は、多いに越したことはない。楽な方法で勝てるなら、とうにそうしている」
俺は短く返し、顔を上げた。
「表が腐っているのなら、表を当てにはできない。──さっき、言いかけたな。これからの動きの話だ」
リディアが、居住まいを正した。
「カーライルは、いま町の商いを一手に集めつつある。人も物も、あの商会を通らなければ動かない。──だが、何もかもを一つの商会が呑み込めば、そこから必ず、こぼれ落ちるものが出る」
オーウェンが小さく顎を引く。帳簿を預かる人間には、もう続きが見えているのだろう。
「表の流れから弾かれた荷物。帳簿に載せれば足のつく品。仕事をなくした運び屋、人足、故買屋――行き場を失った荷物と人は、必ずどこかへ流れ着く。光の当たらない、町の裏側へとな」
そこで一度切り、リディアとオーウェンへ目を移す。
「そして、こちらにも事情がある。ヴァレリスを表へ戻すなら、表の帳簿は、清いままでなければならない。一点の汚れもなくな。──だが、清い帳簿には、決して載せられないものがある。武器、毒、足のつく金。シンジケートが動けば、必ず生まれる類のものだ」
俺は、机の上に指を二本、並べて置いた。
「清い表と、汚れた裏。これを同じ帳簿で混ぜれば、両方が死ぬ。だから、裏には裏の、捌け口がいる」
裏側の一本を、軽く叩く。
「その捌け口になり得る場所を、一度、この目で見ておきたい」
マルコの顔が、目に見えて曇った。
「大将。……あんたが言ってんのは、あそこのことだろう」
確かめるというより、できれば違っていてほしい、という響きだった。
「ちょいと覗いて帰れるような、生易しい場所じゃねぇ」
ただの危険以上の重さが、その声にはあった。あの場所を、知識ではなく足で知っている者の声だ。だが、マルコはそれ以上、語らなかった。
壁際のガロも、いつのまにか軽口を引っ込め、渋い顔をしていた。
「軽く覗ける場所でないことは、承知の上だ」
俺は、マルコへ答えた。
「だからこそ、連れて行く顔ぶれは絞る。マルコとガロ、お前たちには来てもらう」
俺は、残る顔ぶれへ目をやった。
「リディアとオーウェンは、残ってくれ。ヴァレリスの名を、あの場所と結びつけるわけにはいかない。顔を見られれば、それだけで清いはずの表まで疑われる」
残るは、一人。
俺は、椅子に腰掛けたまま気だるげにこちらを眺めていた女へ、向き直った。
「最近よく出歩いているようだが、目当てのものは見つかったか?」
ミランダが、片眉を上げた。
この女が探しているものに、俺は心当たりがあった。
ミランダ・ノクターナの武器は、短剣だけではない。二種類の香こそが、本命だ。
淡い緑の小瓶――夜香。迷いの森に自生する夜香花を原料にした、甘い香りの麻痺毒。肌に触れ、吸い込み、あるいは狭い場所に残れば、相手の反応を鈍らせる。ミランダが時折まとわせる甘い香りの正体でもある。
そして、赤い粒の残る小瓶――爆燐香。
素材になる火燐粉は、表の店に並ぶような品ではない。油膜に包まれている間は安定しているが、空中に散って膜が剥がれれば、数秒で光を増し、小さな爆発を連ねる。暗がりで距離を潰すミランダにとっては、目眩ましにも、牽制にも、必殺の武器にもなる。
リーメスで捕えられた時、ミランダの武器は全て失われている。
より正確に言えば、倒れたこいつから俺が抜き取り、衛兵に渡した。
あの時点では、仲間に引き入れるつもりなどなかった。今となっては、少しばかり痛い誤算だ。
夜香の類なら、まだ表でも手に入る。香草、香水、調香道具。その延長でどうにかなる。ミランダの部屋に並んだ道具を見れば、自作したのであろうことも察しはつく。
だが、爆燐香は別だ。
火燐粉を扱うには、仕入れも保管も危険が伴う。まともな商店が棚に置くはずもない。
ならば、日の当たらない場所に期待するしかない。
「良ければ、一緒に――買い物と洒落こもうじゃないか」
ミランダが、ふ、と笑った。
「あら。あんたが、デートのお誘い?」
「物騒な場所だ。デートには、向かないだろうな」
俺は、軽く首を振った。
「だからこそ――お前が必要だ」
ミランダの目の奥が、ほんの少しだけ、底光りした。
「いいわ。付き合ってあげる。当然代金は、あんた持ちってことでいいのよね?」
「…………それは、値段とモノ次第。とだけ答えておこう」
これで、四人。
カーライル本店で見た、表の歪み。投書が炙り出した、制度の穴。賭場の摘発が映した、裏の蠢き。その三つが指し示す先は、一つだ。
俺は、卓を見回し、行き先を口にした。
「――次に向かう場所は、この町の裏側。闇市だ」




