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フェイタル・フェイト:フィクサー 〜名前を呼ばれただけで詰む無理ゲー世界で、最弱ステの俺は破滅の筋書きを覆す〜  作者: 霞見


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36話 『本当の敵』

 秘密の通路に入ると、地上の音は石の向こうへ沈んだ。


 俺は足を止め、外套の内側から黒仮面を取り出した。顔に当て、留め具を確かめる。


 それだけで、カーライル商会を訪れた若い男は消えた。


 仮面の男として、王立アウレリア歌劇場の地下へ戻る。


 作戦室の近くでは、マルコが荷札の束を検(あらた)めていた。こちらに気づき、手だけを止める。


「戻ったか、大将」


「ああ」


 鞄から包みを出し、テーブルの端に置いた。


「土産だ。清め石と苔蝋(こけろう)、専用の硝子(ガラス)灯具も入っている。必要な場所に回してやってくれ」


 マルコが包みへ手を伸ばし――その手が、途中で止まった。


 封に捺(お)された印。絡んだ蔓と、硬貨。カーライルの店のものだ。


「……大将。これ、カーライルの……」


 言葉が途切れる。包みから俺へ、視線が上がった。


「少し考える材料ができた。急ぎでなければ、後にしてくれ」


「あ、ああ。そりゃ、かまわねぇが……」


 マルコは何か恐ろしいものでも見るように、こちらを凝視していた。


「すまんな」


 俺は気にせず、言葉だけ残して自室へ戻った。


 扉を閉めて鍵をかける。仮面を外し、机に置く。


 椅子を引いて腰を下ろし、一度だけ大きく息を吐いた。

 さて。


 買ってきた残りを、鞄から取り出して机の脇へ置く。練習水晶。鋳鉄(ちゅうてつ)の錘(おもり)。握り棒。


 店員は、これら鍛錬用具を「お子様用」と呼んだ。間違ってはいない。補正値は全項目E、魔法適性はゼロ。鍛えるより前に、力の扱い方から覚え直す段階だ。子供の隣に並んで、同じところから始めるしかない。


 だが、それは後でいい。今そこに割く時間はない。


 俺は紙を一枚引き寄せ、ペンを取った。頭の中だけで回すには、絡みすぎている。


 まず、固まった結論から書く。


 王印状は、まだ無事だ。


 カーライル本人から得た反応が、それを裏付けした。あの男はヴァレリスを恐れていた。


 敵こそが、その存在を一番強く意識している。


 この意味が指し示す答えは、こうだ。


 奴は王印状の現状――つまり、在処(ありか)に心当たりがある。だが、それは奴の手の届かないところにある。カーライル本人が持っているのであれば、迷わず焼き払うはず。


 問題は、その先だ。


 どこにあるのか。誰が握っているのか。カーライルの背に、誰が立っているのか。


 そこは、まだ見えない。そして――ゲームの知識をもってしても、埋まらなかった。


 紙の上に、短く見出しを置く。


 ――バスティア商会抗争。


 『FATAL FATE』にある、この都市のイベントのひとつだ。大枠は覚えている。


 古い商会が落ち、新興がのし上がる。河岸(かし)、倉庫、商流、貴族との癒着が絡む。ヴァレリスを立て直す鍵は、王印状。調べを進めれば、やがてカーライルの背後で糸を引く貴族に行き着く。そいつをどう始末するかで、町の商流の向きが決まる。


 そこまでは、いい。型として知っている。


 問題は、このイベントに固定の答えがないことだ。


 周回する度に、複数の候補の中から犯人が入れ替わる。皆それぞれ動機が異なり、それでいてしっかり犯行は成立する。


 そして、介入時期が遅れたり、期限を過ぎるとカーライルが王印状を手に入れ、このイベント自体が発生しなくなる。今回に限って言えば、奴の反応からこの線は消えたわけだが……。


 俺は、イベントの型を知っている。事件のあらましも知っている。王印状が鍵になることも知っている。


 だが、今回の犯人までは知らない。


 知識は、道を照らすだけ。答えそのものを手渡してくれるわけではない。


 『FATAL FATE』のイベントは、多くがそうしたデザインだった。


 型はあっても、その道中には多くのランダム要素が内包されていた。


 誰が黒幕になるのか。どの書類がどこへ流れるのか。どの時点で介入すれば、誰が動くのか。そういう部分は、周回や開始条件、プレイヤーの立場によって揺れる。


 だからこそ、面白かった。


 同じ町。同じ事件。同じ名前の連中。


 それでいて、毎回同じ手順で幕が下りるとは限らない。


 前の周回で決め手になった証拠が、次の周回ではとっくに灰になっていたことがある。味方に引き込めるはずだった男が、こちらが動く前に河へ浮いていたこともある。黒幕だと睨(にら)んでいた貴族が、蓋(ふた)を開ければただの使い走りで、本当の糸はもっと奥で引かれていた、ということも。


 何度も、足をすくわれた。知っているつもりで踏み込んで、知らない地面を踏み抜いた。


 俺は、バスティア商会抗争というイベントを知っている。


 だが、今回のバスティア商会抗争を、知っているわけじゃない。


 なら、やることはひとつだ。今、手の中にある道を、片端から洗い直す。


 紙の端に、三つだけ見出しを並べた。


 王道。


 カーライル。


 闇。


 ゲーム時代なら、まず考えるのは王道ルートだった。


 オーウェンと接触し、ヴァレリスの残存勢力を拾う。騎士団や商業ギルドの信用を得る。カーライル商会の帳簿、倉庫、河岸の荷動き、取引先への圧力を調べる。


 商会間の抗争として始まった事件を、公的な不正追及へ変えていく道だ。


 最も筋が通っている。


 証拠を集め、証人を押さえ、カーライルの背後にいる腐敗貴族へ辿り着く。最後は騎士団と共に、表の秩序で決着をつける。


 正攻法から都市の闇に切り込む、綺麗な解法だ。


 次に、カーライルルート。


 商人として、貴族として、あるいは金を唸らせる資産家として、正面からエドワルド・カーライルに近づく。懐へ入り、信用を勝ち取り、内側から事情を覗く。


 あの男が一人で伸し上がったわけでないなら、必ずどこかに首輪がある。金か、弱みか、契約か、頭を押さえる後ろ盾か。その鎖の端を握っている相手を見つけ出し、引きずり下ろす。あるいは、それを材料に、カーライル本人と取引する。


 潰すのではなく、飼い慣らす道だ。町の血の巡りを握る相手を、そっくりそのまま逆向きに回せれば、一から築くより、よほど早い。敵を斬り捨てるより、敵の荷車と帳簿を奪ったほうが利口な場面は、いくらでもある。


 そして、闇ルート。


 暗殺者、盗賊、裏に通じた仲介人。そういう手合いを、金で動かす。


 怪しい貴族を片端から潰す。帳簿を盗む。王印状を奪い取る。カーライルの息のかかった人間を締め上げ、吐かせ、必要なら二度と口を開けないようにする。


 乱暴だが、自由度だけならいちばん高い。無理ゲーと罵られた『FATAL FATE』が、それでも遊ばれ続けた理由のひとつが、この身も蓋もなさだ。証拠が足りないなら盗めばいい。相手が口を割らないなら、割るしかない状況を作ればいい。表から入れない扉は、裏から抉(こ)じ開ければいい。


 どの道も、ゲームでなら使えた。


 条件さえ満たせば、好きに選べた。


 だが。


 ペン先が、紙の上で止まる。


 今の俺には、そのどれも、使えない。


 王道の文字を、ペン先で軽く叩く。


 まっとうな道だ。


 だが、まっとうな道ほど、まっとうな身分を必要とする。


 騎士団と組むにも、商業ギルドに足場を作るにも、まずこの世界に「俺」という人間を、正式に登録しなければならない。戸籍を作り、身分を取り、ギルドに名を連ねる。そのどれもが、魔道具での身元確認を通る。


 隠すべき名が、記録に刻まれる。


 名前。


 そう、名前だ。


 監視者(ウォッチャー)。奴の目がどこまで届くのか、これは予測の域を出ない。参照しているものが、魔法によって世界に刻まれた個人の記録――戸籍なのか。あるいは、人の記憶を覗き見ているのか。それは定かではない。


 だがどちらにせよ、俺が表の秩序に名前を預けられない存在であることに、変わりはない。


 だから――王道は、入り口の前で閉じている。


 王道の見出しに、線を引いた。


 次は、カーライル。


 懐へ入るには、入るだけの格がいる。一目置かれる商人。釣り合う貴族。あるいは、卓に積んだ金そのものが信用になる資産家。


 俺には、そのどれもない。表で動かせる金もなければ、背後で構えてくれる後ろ盾もない。エドワルド・カーライルという男の信を、一から積み上げていくだけの時間もない。


 何より――近づけば、必ず問われる。


 お前は誰だ、と。


 その一言に、俺は答えられない。


 ここでも、詰みだ。


 カーライルの見出しにも、線を引く。


 残るは、闇。


 いっそ、いちばん俺向きの道に見える。手順も正義も飛び越えて、欲しいものだけを掠め取る。表から入れないなら裏から。証拠がないなら盗む。


 だが、それも絵に描いた餅だ。


 その手を打つには、まず手札がいる。動かせる戦力。撒(ま)ける金。裏の世界で「あいつの依頼なら受ける」と言わせるだけの、積み上げた信用。暗殺者にも、盗賊にも、今の俺は仕事ひとつ振れない。怪しい貴族を片端から潰して回れるほどの牙も、まだ持っていない。


 ミランダという切り札は、確かにある。だが、あいつがそんな便利に使われてくれる女じゃないことは、過去の周回で戦い続けた俺が一番よく知っている。


 どこに地雷があるかもわからない。どこまでこちらを信じてくれるかも予測できない。


 それに俺は、あの女に……――いや、この話は、今は止(よ)そう。


 何より、これがいちばん厄介だ。


 闇の手は、強く握るほど肝心のものを壊す。


 追い詰められた相手が、最後にすることは決まっている。証拠の、抹消だ。


 王印状は、奪還すべき鍵であって、燃やされていい的じゃない。


 脅して、締めて、追い込んだ末に、あれを灰にされたら。


 その瞬間、俺の勝ち筋も一緒に燃え落ちる。


 闇の見出しにも、線を引いた。


 三本の道に、三本の線。


 紙の上には、潰した選択肢だけが、きれいに並んでいた。


 三本とも、塞がっている。


 もっとも、手が塞がっていること自体は、珍しくもない。周回のたびに、俺は何かしら足りないまま、この手の局面へ放り込まれてきた。それでも、どうにかしてきた。


 なら、今回いちばん重く伸し掛かっているものは、なんだ。


 ペンを置き、視線を壁へ向ける。


 内側の壁に留めた暦表。そこに記した、二か月ばかり先の一点に、目が吸い寄せられる。


 あれが、答えだ。


 敵はカーライルでも、その背後の貴族でもない。あんな連中は、道に転がった石だ。蹴り出すか、避けて通るか、それだけの障害でしかない。


 俺の本当の敵は、いつだって同じ。


 ――時間だ。


 俺が手を入れなければ、このジルヴァン王国は一年を待たず、地図上から消滅する。


 これはどんな生まれを選び、どんな生き方をしようが変わらない。


 ゲーム『FATAL FATE』の仕様で、最初に課される試練と言ってもいいだろう。


 盤上から一つの勢力が失われるということ。それはそのまま世界の終わりを意味する。


 消えた土地で、本来なら起こるはずだった出来事が、まとめて流れる。その出来事が拾わせてくれたはずの切り札も、一緒に消える。その札があって初めて越えられた先の局面が、もう越えられない。失ったものを基点に、別の何かが失われ続けていく。


 そうして積み重なった喪失が、シナリオトリガーという世界の仕様をもってプレイヤーを断罪していくのだ。


 俺が幾度となく見送ってきた結末は、いつも、その最初の一枚が倒れたところから始まった。


 だから、間に合わせなければならない。


 この国が削られる、その前に。最初の一枚が倒れる、その前に。舞台を支える側の手を、この町に用意しておかなければならない。


 崩れ始めてからでは、何をしても遅い。崩れる前に、立っていられる形をつくる。


 そのために残された猶予が――あの、二か月先の日付だ。


 なら、どうする。


 手の中の三本は、もう確かめた。王道も、カーライルも、闇も――今の俺には、どれも通れない。塞がれた道を、無理にこじ開ける時間もない。


 だったら、答えはひとつしかない。


 誰かが敷いた道から選ぶのを、やめる。道のほうを、自分で引く。


 どの地図にも載っていない、俺だけの四本目を。


 もっとも、俺が引こうとしているそれは、足で歩く類の道じゃない。俺の代わりに表を歩き、荷を運び、人を繋ぎ、情報を拾い、金を流す――道そのものが、ひとりでに動く仕組み。


 つまるところ、組織だ。


 紙に、新しい項目を書き足した。


 シンジケート。


 まだ、名前だけだ。


 材料なら、揃いつつある。地下に構えた拠点と、そこから人目につかず荷を通せる導線。消えきらずに残った、ヴァレリスの伝手。荒事に慣れた、マルコたちの腕。表向きの顔役を張れる、ユリアン。闇を嗅(か)ぎ回り、必要とあらば牙も剥(む)く、ミランダ。


 だが、これらはまだ、卓に並べただけの手札にすぎない。手札は、束ねて初めて、ひとつの手になる。


 誰が見張り、誰が運び、誰が握り、誰が黙らせるのか。命令が末端まで通り、金が滞りなく回り、荷がさばけ、情報が戻ってくる――その流れのすべてが噛み合ったとき、この寄せ集めは、ばらばらの個人ではなくなる。


 町の裏側を、音もなく踏み歩く、ひとつの大きな影。

 その影の中枢に座り、指先のひと動きで全身を操るのが――俺だ。


 その影を、ただ在るだけでなく、こちらの意のままに動ける形にするまでに許された猶予が――二か月。


 いや。本音を言えば、もっと短い。二か月後に、ようやく形になりました、では遅すぎる。二か月後には、もう、手足として走っていなければならない。


 だとすれば、最初に決めておくべきことは、ひとつ。


 この限られた時間で、何から手をつけるか――だ。


 最初の一手は、もう決まっている。


 情報だ。


 王印状が、今どこにあるのか。カーライルの首輪が、どこへ繋がっているのか。ヴァレリスを表へ戻すために、誰を残し、誰を動かし、誰の口を塞ぐのか。

 それを知らないうちは、手を伸ばしたところで、空を掴むだけだ。


 紙の上に、最後の見出しを書き足す。


 ――目と耳。


 町のどこで、誰が、何を運んでいるのか。誰がカーライルの名に頭を垂れ、誰がその名を聞いて顔を曇らせるのか。どの倉庫に荷が積まれ、どの帳簿から名前が消え、どの酒場で、語られかけた噂がふいに途切れるのか。


 表の通りを歩く目。裏の水路に潜(ひそ)む耳。金の匂いを嗅(か)ぎ分ける鼻。脅しと沈黙の境目を踏み外さない、指先。

 それを、一本ずつ、この町に張り巡らせていく。


 あの影は、まだ歩けない。

 だが、目を開けることなら、できる。

 歩き出すより前に、まず、見えるようにする。それが、最初だ。


 ペンを置いた。

 机の脇に積んだままの、練習水晶と錘が、視界の端に入る。子供が、力の扱い方を覚えるための、いちばん易しい道具。

 世界を動かす仕掛けを組もうという男が、自分の体ひとつ、まともに動かせない。


 皮肉な話だが、これもまた現実だ。


 目を背けても、時間は待ってくれない。なら、俺自身もまた、進み続ける他ない。


 紙のいちばん上に、今日からやることを、短く書く。


 情報の網を広げ、餌を撒(ま)く。

 地下に必要な流れを通す。

 そして、俺の体を、ほんの少しでも、使える形にしておく。


 最後に、欄の隅へ目を落とす。

 二か月、という文字が、紙の上で冷たく沈んでいた。


 俺はその横に、もう一語だけ書き足した。


 ――間に合わせる。


 願望なんかじゃない。これは、決定事項だ。


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