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フェイタル・フェイト:フィクサー 〜名前を呼ばれただけで詰む無理ゲー世界で、最弱ステの俺は破滅の筋書きを覆す〜  作者: 霞見


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32話 『バスティアの騎士 前編』

  ◇ ◇ ◇

  セリア視点

  ◇ ◇ ◇


 夜明け前の冷えが、石畳に薄く張りついていた。


 河岸(かし)と下町の境目。古い石造りの建物が一つ、まだ眠る町の中で、その一画だけが起きている。


 囲んでいるのは、バスティア騎士団の一隊だ。


 正面の出入口に槍を構えた一列。裏手の路地に二人。建物の角に、もう二人。物音を立てず、灯りも伏せ、ただ静かに環(わ)を狭めている。


 セリアは、少し離れた角に馬を寄せたまま、その建物を見上げていた。


 二階建て。窓は板で塞がれ、隙間から薄い灯りが漏れている。普通の宿でも、普通の商家でもない。表に看板はなく、それでいて、夜のうちにいくつも人が出入りした気配だけが残っている。


(脱獄囚が出入りしている、か)


 報告は、それだけだった。


 大監獄が破られた事件から、もう何日も経つ。逃げた囚人の多くはとうに町を出たか、あるいは町の腹の中に呑まれて消えた。その一部が、この建物に出入りしている――そう聞いて、騎士団は動いた。


 脱獄囚がいるなら、その奥に、噂の首謀者――仮面の男へ繋がる糸口があるかもしれない。


 誰もが、口には出さずにそれを期待していた。


 セリアもまた、否定はしなかった。


「副団長」


 馬を寄せてきたのは、現場を仕切る隊長格の騎士だった。


「配置は終わりました。いつでも」


「踏み込む手順は、あなたに任せます」


 セリアは短く返した。


「私は、穴が開いた所を見ます。逃がさないことだけ、考えてください」


「は」


 騎士が下がる。


 セリアは手綱(たづな)を部下に預け、馬を降りた。鎧の重みが、石畳に伝わる。


 腰の剣に、軽く触れる。細身(ほそみ)の片手半剣。普段は片手で握り、空いた手で風を聞く。両手で握るのは、退かないと決めた時だけだ。


 風が、わずかに動いた。


(……煙の匂い。それと、油)


 石造りの町では、風は森ほどには応えてくれない。それでも、流れと匂いと気配を拾う程度なら、まだ手を貸してくれる。


 建物の奥で、何かが動いた。


 逃げる準備だ。


「行きます」


 セリアは、低く告げた。


「合図を」


 隊長格が手を上げ、振り下ろす。


「突入!」


 正面の扉が、槍の石突(いしづ)きで叩き破られた。


 中は、思っていたよりも広かった。


 一階は、酒と汗と煙草の匂いが染(し)みついた大部屋だった。粗末な卓がいくつも並び、その上に賽子(さいころ)と札(ふだ)、銅貨の山が散らばっている。壁際には酒樽(さかだる)。奥には、帳場(ちょうば)らしき仕切り。


(賭場(とば)……)


 踏み込んだ騎士たちの前で、卓を囲んでいた男たちが一斉に跳ね上がった。


「衛兵だ!」

「違う、騎士団だ!」

「逃げろ!」


 怒号と悲鳴が重なる。卓がひっくり返り、銅貨が床へ散らばった。男たちが奥へ、裏へ、二階へと殺到する。


 その中に、明らかに身なりの違う者が混じっていた。


 頬のこけた男。腕に消えかけた焼き印のある男。逃げ慣れ、追われ慣れた動き。


(脱獄囚……本当にいた)


「囲め! 出口を塞げ!」


 隊長格の声が飛ぶ。騎士たちが盾を立て、逃げ道を狭めていく。


 奥で、火が爆(は)ぜた。


 誰かが油壺(あぶらつぼ)を割り、火種を投げたのだ。


「火だ!」

「女を出せ! 盾にしろ!」


 混乱が、一気に形を変えた。


 逃げ場を失った男たちが、なりふり構わなくなる。火を広げて煙幕にしようとする者。帳場の女中へ手を伸ばす者。奥の壁の一画を押し開け、その裏に口を開けた隠し戸へ駆け込もうとする者。


 四方で、同時に。


 騎士たちの列が、わずかに乱れた。火に怯む者、人質に踏み込めない者。


 その、ほんの一拍の隙間を――


 セリアは、もう読んでいた。


(火は、囮(おとり))


 燃え上がる炎ではなく、その奥だ。煙に紛れ、裏壁の隠し戸へ滑り込もうとする、三つの背中。逃がす本命は、そちら。


 戸の隙間から、外の冷えた空気が流れ込んでくる。あの先は、裏の路地か、地下の水路か。どちらにせよ、抜けられれば、二度と尻尾は掴めない。


「下がって」


 セリアは、炎へ踏み込もうとした騎士の肩を、軽く引いた。


「あれは私が受けます」


 言うなり、床を蹴る。


 細身の剣を片手に提げ、煙の中へ滑り込む。風が道を教えてくれた。煙の薄い筋、足音の重なり、きしむ床板の位置。視界が利かずとも、流れは読める。


 三人が戸に取りつくより、わずかに早く――セリアは、その前へ回り込んだ。


 隠し戸を背にして、三人と向き合う。


 ここを抜かれなければ、誰も逃がさない。


 先頭の男が、止まれなかった。煙の中から現れた影に気づくのが遅れ、勢いのまま肩から突っ込んでくる。


 セリアは半歩、横へ流れた。


 男の体が、空を掴んで前へ泳ぐ。泳いだ首の付け根へ、剣の柄頭(つかがしら)を軽く打ち下ろす。糸の切れたように、男が床へ崩れた。


 二人目が、短剣を抜いた。


 今度は、こちらを見ている。低く構え、じり、と間合いを詰めてくる。


 風が、その刃の初動を先に伝えた。


 突き。


 セリアは剣を両手で握り、刃の腹で短剣を受け、横へ撫でるように逸らす。受けた流れのまま踏み込み、相手の手首を返して短剣を落とさせた。膝の裏へ足を掛け、体勢を崩して床へ縫い止める。


「っ、放せ……!」


 三人目――腕に、消えかけた焼き印。脱獄囚だ。


 仲間が二人とも崩れたのを見て、男の顔に、追い詰められた獣の色が差した。


 退路は、セリアの背後の戸だけ。


 男は、迷わなかった。彼女ごと戸へ叩きつける気で、頭から突進してくる。


 セリアは、剣を両手で握り直し、腰を落とした。


「そこまでです」


 声は、静かだった。


「殺しはしません。――あなたには、聞きたいことがありますから」


 男は、止まらない。


 ぶつかる、その寸前。


 セリアは半身を開き、突進の勢いを受け流した。伸びきった足を、すくい上げるように払う。


 支えを失った体が、勢いそのまま床へ叩きつけられた。


 息を詰まらせた男へ、すぐに騎士たちが折り重なった。


 火が、消し止められていく。騎士たちが水と布で叩き、煙が薄れていく。


 逃げ場を失った男たちが、一人、また一人と床に伏せられ、縄を打たれていった。


 セリアは剣を片手に戻し、ゆっくりと息を吐いた。


(……終わり、ですね)


 明るくなった大部屋を見渡して、ようやく、この建物が何だったのかがはっきりした。


 賭場。だが、それだけではない。


 帳場の奥からは、借金帳(しゃっきんちょう)が何冊も出てきた。人足の名簿。質草(しちぐさ)らしき盗品の山。偽の宿帳(やどちょう)。二階には、窓を塞いだ小部屋がいくつも並び、最近まで人が寝起きしていた痕跡があった。


 逃亡者を、金で囲っていた部屋だ。


「副団長」


 縄を打たれた男たちの中から、一人を引きずってきた騎士が言った。


「こいつが、ここの主のようです。“銅喰(どうく)い”のロドム・ガイス」


 小柄な男だった。


 痩せて、背が低く、目だけがやけに大きい。下町で、銅貨まで喰らう小鬼(ゴブリン)のようだと囁(ささや)かれる、地回りの顔役。捕らえられてなお、その目は損得を勘定(かんじょう)するように、せわしなく動いていた。


「旦那方、何かの間違いでさ。あっしは、ただ宿を貸してるだけの、しがない店主でして……」


「賭場と、盗品と、脱獄囚を囲っていた宿屋の、ですか?」


 セリアが静かに返すと、ロドムの口が止まった。


 摘発は、明確な戦果だった。


 脱獄以来、後手に回り続けていた騎士団にとって、久しぶりに胸を張れる成果だ。賭場を潰し、盗品を押さえ、逃亡者を囲っていた巣を一つ、確かに叩いた。


 縄を打たれた者は、十数人に及んだ。そのうち何人かは、腕に焼き印を持つ脱獄囚。ロドム本人も、もう言い逃れはできない。


 部下たちの顔に、ようやく安堵の色が差している。


 だが――


「副団長」


 二階を検(あらた)めていた騎士が、降りてきた。


「脱獄に繋がるものは、何も出ませんでした」


 声に、隠しきれない落胆があった。


「仮面も、それらしい連絡の跡も、首謀者へ繋がる書付(かきつけ)も、何も。ロドムも、仮面の男のことは知らないと言っています」


「……そうですか」


 別の騎士が、肩をすくめた。


「副団長。失礼を承知で申し上げますが――黒仮面の話、逃げた連中の作り話なんじゃないですか。捕まりたくない一心で、誰か凄い男に手引きされた、と」


 筋の通った見方だった。


 犯罪者が、自分の不始末を誰かのせいにしたがるのは、よくあることだ。怪人の影に隠れたがるのも。


 セリアは、否定しなかった。


「かもしれません」


 ただ、頷きもしなかった。


(……でも)


 あの大脱獄は、一人の囚人の思いつきで起こせる規模ではなかった。鍵が開き、武器が配られ、出口が用意されていた。誰かが、筋書(すじがき)を描いていた。


 それを、ただの作り話だと切り捨てるには――まだ、早い。


 セリアは、その思いを胸の奥に置いたまま、表には出さなかった。


 押収した品を検める間も、その引っかかりは消えなかった。


 セリアは、積み上げられた借金帳の一冊を手に取った。


 几帳面(きちょうめん)とは言えない、汚い字だ。誰にいくら貸し、いくら取り立てたか。下町の地回りらしい、小銭の羅列(られつ)が延々と続いている。


 だが、めくるうちに、手が止まった。


 金の流れが、合わない。


 ロドムが貸した金、賭場で巻き上げた金。それだけでは、この巣は回らない。脱獄囚を何人も囲い、人足口を押さえ、逃亡の手配まで整えるには、元手がまるで足りない。


 どこからか、まとまった金が入っていた。


 そして、それを記したはずの頁が――破(やぶ)り取られていた。


 帳簿の綴(と)じ目に、千切(ちぎ)れた紙の端だけが残っている。誰から、いくら入ったのか。その相手を書いたはずの一枚だけが、乱暴に毟(むし)り取られていた。


(……自分で破ったのね)


 捕まる前か、捕まる間際か。ロドムか、その手の者が、これだけは見られてはまずいと、慌てて引き千切ったのだろう。


 下町の小悪党らしい、雑な隠し方だった。


 だが、雑だからこそ、はっきりと分かることがある。


(ロドムは、しょせん下町の地回り。それなのに、脱獄直後の厳戒の中で、これだけのことをやってのけた)


 下だけで、完結する話ではない。


 誰かが、上にいる。


 金を流し、目を逸らし、あるいはこの巣を都合よく使っていた、誰かが。


 その名が今、破り取られた一枚と共に、消えている。


 セリアは、千切れた紙の端を、しばらく見つめた。


(誰)


 答えは、出ない。


 ただ、影だけが、確かにそこにあった。


  ◇ ◇ ◇


 報告のため、セリアはバスティア城へ馬を向けた。


 町は、まだ眠そうだった。


 いや――眠っているのではない。疲れているのだ。


 通りを歩く人は、声を潜めている。商店の戸は半分しか開かず、開いていても、客はまばらだった。代わりに、衛兵の数だけが増えている。角という角に、槍を持った影が立っていた。


 もっとも、とセリアは馬上で思う。


 町が疲れているというなら、誰より疲れ切っているのは、騎士団であり――自分自身だろう。


 この数日、あまりにも多くのことが、起こりすぎた。


 馬の揺れに身を任せながら、セリアはその数日を、半ば無意識になぞっていた。


 始まりはそう、リーメスの教会だ。


 司祭が襲われたという急報を受け、隊を編成してバスティアを発った。だが、街道で行き違った護送隊からの報せが、それを覆(くつがえ)した。監督司祭は、護衛の騎士もろとも、一人残らず殺されていた。下手人は捕らえ、すでに監獄へ送ったという。


 急ぐ理由は、消えた。それでも、現地の確認は要る。隊を進めるうち、今度は野盗に攫(さら)われたという旅商人が、命からがら転がり込んできた。その話から、かねて手を焼いていた「西道の狼」の根城(ねじろ)が割れた。急遽(きゅうきょ)討伐に踏み切り――これは、討てた。数少ない、はっきりとした勝利と言える。


 捕えた野盗を大監獄へ送り届け、ようやく一息つけると思った。


 その夜だった。


 大監獄が、破られた。


 真夜中に叩き起こされ、雪崩(なだ)れ出る脱獄囚と斬(き)り結んだ。それも、一夜では終わらない。散り散りに町へ溶けた囚人を追って、それから幾日も、町中を走り回り続けている。


 脱獄から数日後の夜には、貴族街でも事件が起こった。ベルメイン男爵邸――監獄所長の邸宅が、何者かに襲撃されたのだ。


 襲撃で屋敷は焼け落ち、中にいた弟のセドリック・ベルメイン卿は亡くなったという。


 しかもその下手人が、とうに死んだはずのヴァレリス商会の令嬢、リディア・ヴァレリスの亡霊だった――そんな目撃証言まで飛び出す始末だった。


 そこから騎士団は、脱獄囚と襲撃犯。二つの獲物を追うこととなる。


(脱獄囚なら追える。けれど、亡霊まで捕らえろと言われても……)


 それは騎士団ではなく、教会や冒険者の領分なのではないか、と素朴な疑問が頭を過(よぎ)る。


 そして方々(ほうぼう)を駆け回り、今朝ようやく、賊どもの巣と目された下町の賭場を、この手で叩いた。


 多すぎる。


 一つ一つは、ばらばらの出来事に見える。教会、街道、監獄、貴族の死、賭場。繋がりのない災いが、たまたま重なっただけ――そう思おうとすれば、思えなくもない。


 だが、町は確かに、軋(きし)んでいた。


 その軋む町を馬上から見渡しながら、セリアはふと、一つの違和感に目を留めた。


 ある通りだけ、活気があった。


 荷車が列をなして出入りし、人足が忙しなく走り、樽や木箱が次々と運び込まれていく。町全体が息を潜めている中で、そこだけが、別の季節のように景気づいていた。


 カーライル商会(しょうかい)。


 近頃、急に太り始めた商会の名だ。


 セリアは、その荷車の列を、しばらく目で追った。


(……何も、おかしくはない。荷を運ぶのは、商人の仕事です)


 断定できることは、何もない。


 ただ、町が痩せていくほどに肥えていく一軒があるという、その絵面(えづら)だけが、なぜか目に残った。


 セリアは、視線を前へ戻した。


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