28話 『夜の荷船』
俺は頷き、時計を鞄にしまって倉庫の中を見渡した。
木箱、樽、布で覆われた荷。壁際に積まれたものもあれば、通路を塞ぐように置かれたものもある。雑然としているようで、奥と手前で荷の性質が分かれていた。手前側は比較的小ぶりで、布の掛け方も丁寧だ。奥へ行くほど箱が大きく、積み方も荒い。
「この倉庫にある荷物には、置いていくわけにはいかないものも含まれているな?」
マルコの目が、わずかに鋭くなった。
「……よく分かってるじゃねぇか」
ヴァレリス商会は、けして清廉潔白な商会というわけではない。かつてはバスティアの町一番だった大商会だ。やり手の商会であればあるほど、表の帳簿には載せられない荷を抱えている。当然、ヴァレリスもその例に漏れない。
マルコは壁際の木箱の一つに手を置いた。
「ここにあるのは、大半が表に出せない荷だ。カーライルの連中ならまだマシだが、役人にでも見つかれば、商会の再建どころじゃなくなる。証拠を握られて、終わりだ」
「具体的には」
「税を通していない香辛料。許可が要る武器。出所を説明できない宝飾品と銀器。魔法触媒に、魔法道具の部品。それから――」
マルコは奥の、他と離して置かれた小さな木箱に目を向けた。
「魔物由来の素材がいくつか。扱いを誤ると危ないってんで、ギルドに申請と納税が必要になる。薬材や毒物もある。火薬の類もな」
「偽名義の荷札は」
「ある。通行用の控えも。それと、小口だが現金も少し残っている」
マルコの声は淡々としていた。非合法な積み荷の中身を、一つずつ棚卸しするような手際だった。どの箱に何が入っているか、どれが危険で、どれが外に出せるか。この男の頭の中には、全て入っている。
これがヴァレリスの番犬だ。表だけではない。裏の物流も、この男が管理していた。
「足がつく積み荷は全て持ち出す。その上に、表に出しても説明がつく荷を被せてくれ」
「偽装するのか?」
「そうだ。荷を見られた時、競り前の品を別の倉へ移しているように見えればいい。高級酒、香辛料、香油、布。そのあたりを表に出す」
「移動手段はどうする、陸路か?」
「いや、せっかく目の前に川が流れているんだ。水路を使う」
マルコは腕を組んだまま、しばらく倉庫の中を見渡していた。
それから、口の端だけで笑った。
「商売の話になると、途端にまともに聞こえるな、あんた」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「別に褒めちゃいねぇよ」
短く吐き捨てたが、もう動き始めていた。
マルコが動くと、倉庫の空気が変わった。
声を張るわけではない。ただ、荒くれたちの方へ顔を向け、短く指を鳴らした。
「起きろ。荷を動かす」
壁際や木箱の上で体を休めていた男たちが、鈍い動きで身を起こす。
「ガロ。奥の重いのから出すぞ。酒樽と武器箱が先だ」
「あいよ」
ガロが肩を鳴らし、奥へ向かう。荒くれの一人がそれに続いた。
「お前たちは手前の小箱を裏口へ運べ。落とすなよ、触媒が入ってる」
残りの荒くれが動く。命令に迷いがなく、誰に何を任せるかが最初から決まっている。マルコは荷の中身だけではなく、誰がどれを運べるかまで頭に入れているらしい。
俺はその手際を眺めながら、リディアの方を見た。
リディアは木箱の陰から立ち上がっていた。足元がわずかに揺れたが、すぐに背筋を伸ばした。それから、隣で怯えている若い女たちの方を向いた。
「大丈夫。動けるわね?」
声は細かったが、問いかけの形をしていた。命じるのではなく、確かめている。
女たちが顔を上げる。頷く者、まだ怯えたまま動けない者、リディアの顔を見てようやく息を吐く者。反応はまちまちだったが、リディアは一人ずつ目を合わせ、手を差し伸べた。
「軽いものだけでいいから、持てるものを持って。ね?」
布の包みや小さな袋を、一つずつ女たちの手に渡していく。
マルコがそれを横目で見ていた。何も言わない。だが、目の奥にわずかな光が差したのを、俺は見逃さなかった。
荷が動き始める。重い木箱をガロと荒くれが担ぎ、小箱を別の男が抱え、布の包みを女たちが胸に抱える。裏口の前に、少しずつ荷が積み上がっていった。
頃合いを見て、数人で裏口から埠頭の様子を確認に出る。
倉庫の裏手から、埠頭まではほとんど距離がない。同じ倉庫街の中を、壁伝いに抜けるだけだ。
潮の匂いが濃くなる。水音が近い。
裏埠頭は、表の荷揚げ場とは違う。桟橋も灯りも最低限で、係留されている船も雑多だった。大きめの荷船、小型の平底船、古い艀、川筋を行き来する細長い川船。いずれも昼間の荷役を終えて、暗がりに繋がれたままになっている。
ガロが抱えた荷を下ろしながら、桟橋の先を見た。
「でかいのがあるな。あれを奪うか」
大きめの荷船を顎で示している。確かに人と荷を一度に載せるなら、あの大きさが妥当に見える。
「いや、駄目だ。あれは使えない」
「あ? なんでだよ。人も荷も多いんだぞ」
「目立つ上に、深く沈みすぎる。国外逃亡であれば、あれでも良かったんだがな。これから向かう場所には、到底不向きだ」
それだけ言って、俺は桟橋の端を歩いた。
係留された船を一つずつ見る。喫水、船底の深さ、色合い、幅から推測される積載量。
全てを加味し、二隻を選んだ。
どちらも櫂で漕ぐタイプの小型荷船だった。浅く、低く、暗がりに紛れやすい。一隻では全員と荷を載せきれないが、二隻なら足りるはずだ。
「この二隻を使う」
ガロが首を傾げた。
「こんな小せぇので大丈夫かよ」
「問題ない。何よりその小ささが、今は重要なのだ」
ガロは納得していない顔だったが、マルコがすでに船の係留綱に手をかけていた。それを見て、黙って荷を運び始める。
マルコは船の底板を踏み、揺れを確かめた。それから、俺の方を見た。
「細い水路に入るつもりだな」
問いではなかった。確認だった。
「そうだ」
「なら、この選び方で合ってる」
短く言って、後ろの船へ向かった。
「乗り分けだが」
言って、俺は桟橋の上で二隻の船を示した。
「先頭の船にはオーウェン、漕ぎ手にはガロと顔の割れていない者を一人つける。こちらが表の船だ。見張り番に見られても問題ない者だけを揃える」
オーウェンが小さく頷いた。船頭役が自分だと、もう分かっている。
「後ろの船には、マルコ、リディア嬢、女たちを乗せる。荷も大半はこちらに積め。漕ぎ手には、そうだな……」
荒くれの中から、体格のいい男を二人を選んで視線で示した。
「お前たちだ。櫂は使えるな」
男たちは短く頷いた。
マルコが口を開く。
「顔が割れている連中は全部後ろか」
「そうだ。お前の顔は、この町で見つかれば一番まずい。リディア嬢も同じだ。女たちも、今の姿で人目に触れれば騒ぎになりかねん」
「で、あんたはどっちに乗る」
「先頭だ」
マルコの目がわずかに動いた。
「大丈夫なのか」
「道を知る私だけは、前に乗る必要がある。この仮面で見張りの前に立つわけにはいかないからな。上手く隠れるさ」
マルコは一拍だけ黙り、それから顎を引いた。
「わかった。後ろは任せろ」
それだけだった。
先を見る者と、後ろを守る者。言葉にはしなかったが、役割は自然に分かれた。
「荷物を積み込むぞ」
マルコが後ろの船へ向かいながら、荒くれたちに声を飛ばした。
「隠す荷を先に底へ入れろ。武器箱と触媒は船底に近い方だ。その上に酒樽と香辛料を被せる。一番上に布と香油。誰かに覗かれても、商会の荷移しにしか見えないようにしろ」
荒くれたちが荷を抱えて動き始める。ガロが酒樽を肩に担ぎ、舷を跨いだ。
先頭の船にも、偽装用の荷を幾つか載せる。オーウェンが手際よく布の包みを並べた。
「お嬢」
マルコが低く声をかけた。
「後ろの船に乗ってください。荷布の下に入ります。窮屈ですが、我慢してください」
リディアは一つ頷いた。
「分かったわ」
声は静かだった。不安がないわけではないだろう。だが、ここにいる方が危険だということは、誰よりもこの女が分かっている。
リディアは若い女たちの手を取り、一人ずつ後ろの船へ導いた。荷布の下に身を寄せ合い、声を殺して座る。その上から、マルコが油布を被せた。
俺は先頭の船に乗り込み、荷の隙間に腰を下ろした。酒樽と香辛料の箱の間に、魔法の鞄を置く。
「仮面の旦那。そんなところで本当に大丈夫なんですか?」
「私の心配は不要だ。そんなことより、お前は自分の役割に集中しろ」
オーウェンは何か言いたそうだったが、飲み込んだ。
ガロが櫂を手に取り、船縁に座った。
「出していいのか」
「ああ。静かに漕げ。あまり波を立てるなよ」
「フン、注文の多い男だ」
低く文句を言いながら、ガロが櫂を水に入れた。
船が、ゆっくりと岸を離れた。
水の上は、思ったより静かだった。
櫂が水を割る音だけが、低く繰り返される。裏埠頭の灯りが遠ざかり、倉庫街の輪郭が闇に沈んでいく。
水面の匂いが鼻を突く。潮気と泥と、古い木の匂い。船底が揺れるたび、荷と一緒に体が小さく傾ぐ。
しばらく漕いだところで、空気が変わった。
灯りの気配が近づいてくる。水面に光が落ちている。
表埠頭だ。
裏埠頭から市中水路の方面へ入るには、表埠頭の脇を抜ける必要がある。そして町へと続く川の出入口には、必ず見張りの番が立つことになっていた。
俺は鞄の留め具に手をかけた。
蓋を開け、体を沈める。肩から先が鞄の中へ滑り込み、頭が荷の高さより下へ落ちる。外から見れば、酒樽と香辛料の箱の間に、使い込まれた革の旅鞄が一つ転がっているだけだ。
「止まれ」
声が飛んだ。
岸の方から、低い声だった。怒鳴りではない。夜番の日常の声だ。
「こんな時刻に荷船か。どこの所属だ」
ガロの櫂が止まる。船が惰性で滑り、ゆっくりと速度を落とした。
オーウェンが立ち上がる気配がした。船が小さく揺れる。
「お疲れ様です。ヴァレリス商会のオーウェンと申します」
声は落ち着いていた。少なくとも、表面上は。
「ヴァレリス? ……ああ、あの」
夜番の声に、少しだけ色がついた。同情か、蔑みか、その間のどこか。この町でヴァレリスの名を出せば、大抵はそういう反応が返る。
「こんな時間にどうした」
「明日の競りに出す品を、別の倉に移しておきたくて。目をつけられると面倒なものですから、夜のうちに済ませようかと」
「目をつけられる、ね」
夜番の声に、含みがあった。カーライル商会のことだろう。ヴァレリスの残党が何かを動かそうとすれば、すぐにカーライルの耳に入る。それを避けるために夜中に荷を移す。筋は通っている。
「荷は何だ」
「酒と香辛料、それから布が少し。競りの下見で出す分です」
「一応決まりだ。見せてもらうぞ」
夜番が船の方へ歩み寄る足音がした。灯りが近づく。
鞄の隙間から、光がちらついた。荷の上を舐めるように灯りが動いている。
高級布の包み。香油の小瓶。酒樽の蓋。香辛料の箱。その間に、年代物の革鞄が一つ。
商人の荷に紛れた、古い旅鞄。それ以上のものには見えない。
灯りが船の輪郭をなぞって、帰っていく。
だが、点検はこれで終わりではなかった。
「……後ろの船もか」
夜番の声が、後方へ向いた。
――まずいな。
後ろにはマルコとリディアがいる。荷布を剥がされれば、言い逃れはできない。もし後ろの荷を改めるようなら、この夜番には消えてもらうしかなくなる。
こんな事態も想定して、ガロは前の船に配置してある。俺も鞄から出れば、マルコと共に挟み撃ちにできる。最悪、カーライルの息がかかった見張りであっても、二方向から仕掛ければ声を上げる前に仕留めきれるはずだ。
鞄の中で、右手が短剣の柄を握りこんだ。
鞄の開口部に空いた手をかける。飛び出す覚悟を決めかけた、その瞬間――。
「夜分にご苦労さまです」
オーウェンの声が、夜番の動きを遮った。
「ほんの気持ちですが。いつもお世話になっておりますので」
銅貨が手から手へ渡る音がする。
心づけだ。昔からこの埠頭で荷を動かしてきた商会なら、当然のように出てくる作法だった。マルコの下で叩き込まれた、商人の所作がそのまま出ている。
夜番は黙って受け取ったらしい。
少しの間があった。
「……最近じゃ、こういうのも減ったな」
ぽつりと、夜番がこぼした。
声の力が抜けていた。独り言に近い。だがその一言に、いくつかのことが滲んでいた。かつてはヴァレリスの荷船がこの埠頭を頻繁に行き来していたこと。その度に、こうした心づけが交わされていたこと。そして今は、それが途絶えて久しいことも。
「行っていい。気をつけろよ」
足音が離れた。灯りが遠ざかる。
俺は短剣から、指を離した。
船がまた動き出す。ガロが櫂を入れ、水が静かに割れる。
夜番の灯りが十分に遠ざかったのを確かめてから、俺は鞄の開口部に手をかけた。
体を引き上げる。肩が鞄の口を抜け、夜気が首筋に触れた。荷の隙間に腰を据え直し、鞄を外套の内側にかけ直す。留め具を締め、襟を整える。
「もう出てきていいぞ」
声を落として後ろへ投げた。
後ろの船で、油布がもぞりと動いた。マルコが先に顔を出し、周囲を見回してから布を持ち上げる。リディアと女たちが、ゆっくりと身を起こした。長く息を殺していたのだろう。小さく咳き込む音が、水の上をかすかに滑った。
オーウェンが振り返り、荷の隙間に座り直した俺を見て、目を丸くした。
「仮面の旦那、そんな隙間でよく見つかりませんでしたね。灯りが入った時はどうなるかと……」
「言っただろう、心配は不要だと。荷物に紛れるのは慣れている」
「そんなのに慣れることって、あるんですね……」
「そんなことより、だ。さっきは助かった。よくやったな、オーウェン」
オーウェンが面食らった顔をした。
後ろの船から、マルコの声が飛んだ。
「オーウェン」
「は、はい」
「あの心づけ、よく出した。いい判断だ」
オーウェンの肩が、わずかに揺れた。こんなに褒められると思っていなかったのだろう。
「いえ……あれは、その。正直、足が震えてまして。たまたま懐に銅貨が残っていたから、咄嗟に――」
「たまたまだろうが咄嗟だろうが、夜番の前に立って、声を作って、心づけを出したのはお前だ」
マルコの声が、一段低くなった。
「商人ならあのくらい、自分の手柄として胸を張れ。いちいちおどおどすんじゃねぇ」
オーウェンは口を開きかけ、閉じた。それから、小さく頷いた。
「……はい」
「まったく。旦那が来るまでの間、あの店を一人で守ってたのは誰だ。少しは自分の成長も理解しろ」
返事はなかった。だが、オーウェンの背中が少しだけ伸びたのは、暗がりの中でも分かった。
俺は正面へ目を戻した。
船は南埠頭を離れ、町中へ戻る方向に川筋を遡っていく。夜番から見れば、ヴァレリスの荷船が町中側へ戻っただけだ。その先でどこへ逸れたかまでは追えない。
「ガロ、次の分かれ道を右だ」
「あいよ」
櫂が水を噛み、船首がゆるく右へ振れた。表通りの灯りが遠ざかる。
「そのもう一つ先を、左に入れ」
水音が変わった。川幅が狭まり、石壁が両側から迫ってくる。街灯の光はもう届かない。
「まっすぐだ。壁に当てるなよ」
「分かってるよ、うるせぇな」
ガロが低く文句を言いながら、櫂の角度を細かく調整している。壁を擦りそうになるたび、小さく舌打ちした。
古い導水路に入る。
水路は狭く、暗い。
船底が浅い水を擦る音が、石壁に跳ね返って二重に響く。天井が低い。頭上の石組みに手を伸ばせば届きそうだった。
ガロが低く唸った。
「こりゃ……でかい船じゃ、入れもしなかったな」
「…………」
俺は答えなかった。答える必要もなかった。
後ろの船でも、同じことに気づいているはずだ。小型の平底船だからこそ通れる水深と幅。大きな荷船では、最初の分かれ道で座礁していた。
ミランダの仕事は、もう終わっている頃だろう。あの女の手際なら、とうにベルメイン邸を抜けて拠点に戻っているはずだ。北の騒ぎの残響が町の耳目を引きつけている間に、こちらも人目のない導水路へ入れた。悪くない。全て想定通りだ。
「次を左だ。天井が下がる。頭を低くしろ」
ガロが櫂の角度を変え、船首が左へ滑る。全員が身を屈めた。
壁の石組みが古くなり、苔が厚く張りついている。潮気が消え、代わりに湿った石と古い木の匂いが濃くなる。使われなくなって久しい水路の匂いだった。
やがて、前方の闇の奥に、かすかな空間の広がりが見えた。
水音の反響が変わる。壁が遠のき、天井が高くなっていく。
古い石の岸辺が、闇の中にうっすらと浮かんだ。低い搬入口。水面に近い舟寄せ。使われなくなった搬入路の名残。拠点の船着き場だ。
「着いた。そこで止めろ」
ガロの手が止まる。船は惰性で滑り、舟寄せの石に静かに寄った。
船が石の岸辺に触れ、低い音を立てた。
後ろの船も、続いて滑り込んでくる。舟寄せの石に舷が当たり、水面が小さく波立った。
俺は船から降り、石の岸に足をつけた。冷たい。湿った石の感触が、靴底を通して伝わってくる。頭上は高い。さっきまでの水路とは違う、広い空間の気配があった。
「荷を下ろせ。船を係留する」
短く指示を出した。
ガロが船から身を起こし、周囲を見回した。暗がりの中で目を凝らしている。
「……ここは、なんだ?」
マルコが後ろの船から石の岸に降り立った。足元を確かめ、壁に手を触れ、天井を見上げた。
それから、奥に目を止めた。
緩い傾斜路が続いている。幅は広い。そして、石壁の向こうから微かに届く、古い建物特有の乾いた空気。
マルコの目が、わずかに見開かれた。
「まさか……ここは」
「話は中でしよう」
俺は傾斜路の方へ足を向けた。
リディアが船から降りるのを、マルコが手を貸して支えた。女たちも一人ずつ、おぼつかない足取りで石の岸に降り立つ。ガロが荷を担ぎ上げ、荒くれたちが続く。オーウェンは船の係留を確かめてから、最後に岸へ上がった。
「こっちだ。ついてこい」
先に立って短い傾斜路を上がり、通路に出た。
見慣れた場所だ。左右に旧い控室が並ぶ区画。俺にとっては勝手知ったるアジトだが、後ろからついてくる連中の足音が、一斉に鈍った。
ガロが酒樽を担いだまま、通路を見回している。
オーウェンは半開きの控室の中を覗き込み、息を呑んだ。
「これ……貴賓室じゃないですか? こんな場所が、町の中に」
マルコは黙って歩いていた。だが、その目は壁の装飾の痕跡を拾い、扉の金具を見て、天井の造りを確かめている。
やがて、足を止めた。
「……旧都歌劇場か」
低い声だった。確信と、驚きが半分ずつ混じっている。
「よく分かったな、その通りだ」
「この金具の意匠は旧王都時代のものだ。商会にいた頃、古い物件に何度か出入りしたことがある」
さすがはヴァレリスの番犬だ。
ガロがマルコの方を振り返った。
「歌劇場? あの、町の真ん中にあるでかくて古い、あれか?」
マルコは答えず、俺の方を見ている。この場所をどう手に入れ、いつから押さえていたのか。聞きたいことは山ほどあるだろう。だが、今はまだ聞かなかった。
リディアは黙って周囲を見回していた。怯えてはいない。ただ、自分たちが連れてこられた場所の意味を、静かに量っている目だった。
その時、奥から声がした。
「遅かったわね」
全員の足が止まった。
視線が一斉に、通路の奥へ向く。
少し先の控室の扉が開いていた。その扉口に、女が一人、壁に肩を預けて腕を組んでいる。
ミランダだった。
リディアの服はもう脱いでいる。いつもの格好に戻り、灯りを背にしてこちらを見ていた。顔に汗の一つも浮いていない。まるで最初からそこにいたかのような涼しい目だった。
マルコの目が見開かれた。
「……あんた」
声が低く、硬い。北塔の記憶が蘇っているのだろう。あの夜、俺はこの女を助けない選択を下した。それをマルコもリディアも見ていた。
「あの時の……」
リディアの声が、かすかに震えた。驚きと、安堵が入り混じっている。
「無事、だったのですね」
「ええ、おかげさまで。色々あったけど、ちゃんと生きてるわよ」
ミランダは軽く肩をすくめた。それから、マルコの方を見た。
「そんな怖い顔しないでよ、番犬さん。今はあんたたちと同じ側にいるわ」
マルコの視線が、ミランダから俺へ動いた。あの時切り捨てた女を、いつの間に仲間に引き入れたのか。その問いが、目に浮かんでいた。
「事情は追って話す」
短く返した。
俺は通路の中央へ歩いた。全員の視線が集まる位置で、足を止める。
「荷を下ろせ。ここが、今夜から我々の拠点だ」
振り返る。マルコとリディア、ガロ、荒くれたち、女たち、オーウェン。一人ずつ、仮面の奥から目を通した。
「逃げるために来たのではない。ここから、全てを作り直す!」
誰も、すぐには答えなかった。
通路の奥、ミランダの背後から漏れる油灯の灯りだけが、地下の暗がりをかすかに照らしていた。




