24話 『共犯者の約束』
地下へ戻ると、ミランダが堪えきれないように笑い出した。
「あはは、もう、最高。あの坊や、あんたのこと本気で王族か何かだと思い込んでたわよ」
「声が大きい」
「だって、あの顔。目をキラキラさせちゃって、まるで御伽噺の王子様に会った村娘みたいだったわ」
ミランダは長椅子に腰を下ろし、なおも肩を揺らしている。俺は向かいに座り、外套の留め具を外した。
「嘘は何も言っていない。ただ察してくれと言っただけだ」
「へぇ、そうですか。それは失礼しました、ご主人様」
「やめろ」
「ふふ。それにしても、芸術にも知識があるとはねぇ。楽器まで弾き出すし。あんた、本当にどっかの王族だったりする?」
答えはもちろん否だ。
歌劇に関する知識も、パイプオルガンを弾けたことにもちゃんと理由がある。
芸術や音楽、食事と行った文化活動がゲームだった頃の仕様、“ちゃぶ台返し”に抵触しないことは過去の周回の中で散々検証した。現実世界で人気だったPOPミュージックを流行らせても、食事文化を発信し続けても、魔王軍が動き出すことはなかった。だが当然、そうした新しい文化は人々の関心を惹きつけることができる。
つまり、文化とはこの世界を攻略する上で、十分武器たりえるということだ。
ある時は王侯貴族に混じって社交をこなすため、またある時は意中の相手に好かれるため、と研究と訓練を重ねた結果は今も俺の中に息づいている。
まぁ、今回の歌劇や選曲には若干の趣味が反映されてはいるのだが……。
「するわけないだろ。この話はここまでだ」
ミランダは「つまんないの」と唇を尖らせたが、それ以上は追わなかった。
「ここを本格的に拠点化する。忙しくなるぞ」
「ま、出入りが楽になるのはありがたいわ。これでもう地下はわたしたちのものですもんね」
「ああ、そうだ」
「じゃあ早速だけど、この部屋は今日からわたしの部屋ね。あんたは他を使って」
見れば、ミランダの買い物の中身がすでに部屋の半分を占領していた。小瓶の並び、擂鉢と乳棒、替えの衣類、調香の道具。昼間の荷物が、いつの間にかすっかり広げられている。
「……まぁ、そうだな。これだけ荷物を広げられると、反対もできん。俺は奥の部屋を使わせてもらおう」
「家具も揃えなくっちゃ。で、あの口ぶりだと、まだまだお金はあるんでしょ?」
「ふざけるな。拠点化の費用を考えれば手持ちはほぼ空だ。断っておくが、お前の私物にこれ以上は金貨一枚だって出す気はないからな」
「あら、うちの王様は随分ケチで貧乏なのねぇ」
「言ってろ」
軽口を返しながらも、頭の中では別のことを考えていた。資金の補充は、いずれ必要になる。だが、それより先にやるべきことがある。
「……そんなことより、これからのことだ」
声の調子を落とした。
ミランダの目が、わずかに細くなる。空気が変わったのを、すぐに察したらしい。
「そうね、どうするの」
ミランダは長椅子の背に体を預け、腕を組んだ。軽口の気配はもう消えている。
「……お前ならどうする。どうしたい」
「あら、わたしが決めていいの?」
「俺たちは共犯者だ。意見は聞くし、約束は守る。お前の目的を手伝うという約束はな」
ミランダの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。だがすぐに、いつもの薄い笑みに戻る。
「ふぅん、そう。わたしなら、そうね……」
指先で顎に触れ、少しだけ考える素振りを見せた。
「あのカーライルって商会、だいぶ怪しかったのよねぇ。ちょっと調べてみて、黒なら周りの貴族ごと潰しちゃおうかしら」
軽い言い方だった。だが、中身はまったく軽くない。調べて、黒なら、周りごと潰す。ミランダにとってはそれが自然な選択肢なのだ。
「なるほど、お前らしい安直で物騒な意見だ。却下する」
ミランダの目が据わった。
「……あんたもしかして、わたしに喧嘩売ってる? 買うわよ? いまここで」
「お、落ち着け。説明はする。いいか?」
ミランダは腕を組んだまま、顎だけでこちらを促した。許可というより、猶予を与えている顔だった。
「調べるまでもなく、カーライル商会はお前の基準でいう黒だ。腐敗した権力者側の勢力で間違いない」
ミランダの眉が、わずかに動いた。
「……ふぅん。やっぱり、わたしのことも調べてあるのね」
「……多少な」
それ以上は言わない。ミランダも、そこを追わなかった。ただ、こちらを見る目の奥に、値踏みの色が少しだけ濃くなった。
「話を続けるぞ。この町が痩せてきているのは、お前も歩いて感じたはずだ。その原因の大半は奴らの搾取にあるんだろう。だが、それでもあの商会がいまこの町の物流を支えているのも事実だ。急に消えれば、いよいよ荷が止まり、町が干上がることになる」
「ふぅん、それで?」
こともなげだった。町が干上がる、と言われて眉一つ動かさない。やはり、放っておけば全部燃やしかねない女だ。
「それでは俺の目的が達成できん。言っただろう、俺の敵はお前のものより多く、強大だと」
ミランダの唇が、薄く引き結ばれた。
「じゃあどうするのよ。まさか見過ごせって言う気?」
「いいや、お前との約束もある。奴らにはきっちり報いを与えて消えてもらうさ」
そこで一拍、間を置いた。
「だが、それは今すぐにという話ではない。まずは町の血流を止めないためにも、奴らが消えた時、その穴を埋める受け皿がいる」
「まどろっこしいのね。そんなの壊してから考えればいいのに」
「まぁそう言うな。やるだけの価値はある。お前も無関係な一般市民まで苦しめたいわけじゃないだろう」
「それはまぁ……そうだけど」
ミランダの声が、ほんの少しだけ小さくなった。完全には否定しない。だが、そこに引っかかりがあることは、声の質でわかった。
この女は、ただの快楽殺人者じゃない。腐敗を憎んでいる。憎み方が苛烈すぎるだけで、無差別に壊したいわけではない。
「それに、対策もせず穴を開けても、すぐに塞がれるだけだ」
ミランダが、わずかに目を細めた。
「カーライルの裏にいる連中にな。お前が本当に会いたいのは、そいつらなんじゃないのか」
沈黙が落ちた。
ミランダの表情から、軽口の気配が完全に消えていた。紫紺の瞳が、じっとこちらを射抜いている。
「……あんた、本当にどこまで知ってるのよ」
「違ったか?」
ミランダは答えなかった。答えない、ということが答えだった。
俺はそれ以上踏み込まなかった。今ここで、ミランダの復讐の全貌を暴く必要はない。向いている方向が同じであることさえ確認できれば、それでいい。
「まずは拠点を固める。組織を作り、情報を集める。その過程で、お前の復讐相手も探し出して狩る。順番はそうなる」
「……ずいぶん気の長い話ね」
「急いで雑にやるなら、それはただの破壊者だ。だが、お前が心の底で望んでいるのは、そんなものじゃないはずだろう」
ミランダの目が、一瞬だけ鋭くなった。
「……随分わかったような口をきくのね」
「だが、違わない。そうだろう?」
ミランダは少しだけ黙った。それから、ふっと息を吐いた。
「いいわ。そこまで考えてるんなら、作戦は全部あんたに任せる」
あっさりとした声だった。だが、次の言葉に力が戻る。
「でも、ちゃんと用意しなさいよ。その時が来たら、わたし専用のとびっきり派手な舞台を」
「ああ、任せておけ」
俺は口元だけで笑った。
「きっと満足いくシナリオを、用意してみせよう」
ミランダは少しだけ目を見開いて、それから喉の奥で笑った。
「ふぅん。期待してるわよ、相棒さん」
遠くで水路の水音がしている。地下の空気は変わらず冷たく、静かだった。
だが、さっきまでとは何かが違う。向かう先が同じだとわかった二人の間には、軽口の下に、確かな合意がひとつ増えていた。
「では、最初の一手といこうか」
「今すぐ動くの?」
「ああ、そうだ。組織を作るには、何を差し置いても人が要る。貸したものを、取り立てにいくぞ」
ミランダの目が、わずかに光った。監獄の夜を思い出したのだろう。
「そういうことね」
「ついてこい」
俺は立ち上がり、長外套に手を伸ばした。
◇ ◇ ◇
夜の商業地区は、昼とは別の顔をしていた。
店はほとんど閉まっている。通りを照らすのは、まばらに灯された街灯と、角の酒場から漏れる薄い光だけだ。昼間は荷車と人で埋まっていた道も、今は衛兵の巡回と、足早に帰る人間がちらほら見えるだけだった。
俺はフードを深く被り、ミランダと並んで通りを歩いた。仮面はまだつけていない。今はただの、目立たない二人組でいい。
角を二つ曲がると、通りの空気がさらに沈んだ。
店の並びが変わっていく。かつては賑わっていたのだろう広い間口の建物が並んでいるが、どれも灯りが弱い。看板が傾いている店、板で塞がれた窓、錆びた金具。商業地区の端で、静かに痩せていく一角だった。
その奥に、一際大きな建物があった。
ヴァレリス商会本店。
間口は広く、構えには往時の格が残っている。だが、正面の看板はくすみ、壁面の紋章も色褪せていた。窓には灯りが一つ二つ。営業の体裁だけが辛うじて残っている、という印象だった。
ただし、完全な廃墟ではない。裏手の方に人の気配がわずかに残っている。夜にもまだ出入りがある。
俺は足を止め、ミランダに目を向けた。
「正面の監視を見てくれ」
ミランダは立ち止まらなかった。歩きながら、自然に視線を流す。通りの端から本店の正面を一度だけ眺め、そのまま俺の隣に戻った。
「三つ。通りの向かいに二人。角のところにもう一人。私兵ね、衛兵じゃないわ」
「わかった」
裏へ回る。ミランダは何も聞かず、ただついてきた。
路地を一本入り、建物の裏手に出る。荷捌き口が見えた。木の扉は閉まっているが、錠は古い。外から見れば閉鎖中に見えるが、蝶番の周りに新しい擦り跡がある。最近も使われている証拠だ。
俺は扉の隙間に指をかけ、軽く押した。軋みながら、開く。
中は暗かった。埃の匂いと、古い木材の匂いが混じっている。足元には荷の残骸がいくつか転がっていたが、通路そのものは塞がっていない。
迷わず奥へ進む。階段を見つけ、二階へ上がった。
旧帳場は、商会の裏方が帳簿を広げていた部屋だろう。机が二つ、棚がいくつか。壁際には書類の束が積まれ、その隣に写し絵が何枚か立てかけられていた。
俺はここで足を止めた。
「ここで待つ」
「待つ、って。誰を?」
「もうすぐ上がってくる」
ミランダは片眉を上げたが、それ以上は聞かなかった。
俺は長外套の内側から仮面を取り出し、顔に当てた。留め具を締める。フードを被り直す。
ここからは、アッシュではない。黒仮面だ。
ミランダは壁際に寄り、腕を組んで待った。暗がりに溶け込むのが上手い女だ。気配を消すことに関しては、俺より余程慣れている。
しばらくして、階下で物音がした。
足音。一人分。重くはないが、慎重に歩いている。階段の軋みが近づいてくる。
旧帳場の入口に、人影が現れた。
若い男だった。くたびれた上着に、使い込んだ革帯。目の下に隈があり、顔色も良くない。だが、その足取りには投げやりな気配がなかった。疲れてはいるが、まだ折れていない人間の歩き方だった。
男は帳場に入り、机の上に紙束を置こうとして、動きを止めた。
暗がりの中に、仮面の男が立っている。それに気づいたのだ。
男の顔が強張った。口が開きかけた瞬間、背後からミランダが回り込み、唇の前に指を一本立てた。
声は出なかった。だが、男の目は大きく見開かれたまま、仮面の俺とミランダの間を忙しなく行き来している。
俺は静かに口を開いた。
「ごきげんよう。ヴァレリス商会番頭、オーウェン・ラング」
男の目が、大きく見開かれた。




