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フェイタル・フェイト:フィクサー 〜名前を呼ばれただけで詰む無理ゲー世界で、最弱ステの俺は破滅の筋書きを覆す〜  作者: 霞見


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16話 『脱獄開始』

 ◇ ◇ ◇

 マルコ視点

 ◇ ◇ ◇


 ひとまず手首を軽く回す。指を握り、開く。足首を返し、腰をひねる。痺れはない。筋も死んでいない。長く閉じ込められてはいたが、いざという時に身体が裏切るほど鈍っちゃいなかった。


 そこでようやく、マルコは黒仮面へ視線を向けた。


「で、これからどうする?」


 問いは短い。


 黒仮面もまた、無駄なく答えた。


「まずは武器だ」


 そう言うと、長外套(なががいとう)の前がわずかに開いた。


 外から見れば、仮面と長外套の人物にしか見えない。だがその内側には、擦れた革の肩掛け鞄が収まっていた。


 手が外套の内へ潜る。


 留め具に触れたかと思った次の瞬間、その手の中には一本の剣があった。


 見慣れた長さ。重さ。刃の癖。粗悪品じゃない。看守から剥いだにしては出来が良すぎる。


 マルコの目が細まる。


「……そりゃまた、とんでもない代物を隠してやがるな」


 差し出された剣を受け取りながら、視線は自然と外套の内側へ落ちた。


 古びた旅鞄にしか見えない。だが、いま目の前でやったことは、見かけだけで値踏みしていい代物じゃなかった。


「そいつがありゃ、潰れた商会だって一息で立て直せるぜ」


「貸さんぞ」


 間髪入れない返答だった。


 マルコは鼻で笑う。


「だろうよ」


 剣を軽く振る。重心は悪くない。手首に残る感触だけで、この黒仮面がただの山師ではなく、きちんと準備を整えてここへ来たのだと分かった。


 黒仮面はもう先へ向き直っている。


 マルコが入れられていた房は、監獄の中でも最奥に位置していた。だが、その扉を出れば終わりというわけじゃない。すぐ手前には、同じような鉄扉が並んでいる。最奥の一房だけを切り離した袋小路ではなく、他に混ぜておけない囚人を奥から順に押し込めておくための列が、そのまま手前へ続いているのだ。


 相変わらず静かだった。


 見回りの足音は遠い。鍵束の鳴る音も聞こえない。雑居房(ざっきょぼう)の騒がしさからは遠く、通路は細い。石壁が冷えを抱え込み、空気まで重く淀んでいる。


 誰かが寝返りを打つ音がした。鎖がわずかに擦れる。さらに手前の房からは、低い咳払いも聞こえる。


 人はいる。


 だが、どの気配も押し殺されていた。騒げば看守が来る。喚けば痛い目を見る。そういう場所で長く飼われた音だった。


 黒仮面は何も説明しない。


 どこから来たのか。どうやってここまで入ったのか。なぜ今なのか。


 聞けば何かは返すのかもしれない。だが、こちらへ都合よく事情を明かす相手とも思えなかった。実際、その歩き方には迷いがない。通るべき道を最初から知っている足取りだ。


 石床を踏む靴音だけが、低く返る。


 その音に反応したのか、左手の房から低い声が飛んだ。


「……誰だ?」


 続いて、別の房でも身じろぎの気配が走る。


「看守か?」

「いや、違う」

「何だ、その面……」


 さらに手前、通路を見通せる位置の房から、くぐもった声が上がった。


「……おい。そっちにいるの、マルコじゃねぇのか」


 一拍遅れて、別の房からも声が飛ぶ。


「は? マルコ?」

「何で外にいやがる」

「どうなってやがる、おい!」


 ざわつきが広がる。


 だが黒仮面は、急かしもせず、黙らせもせず、通路の半ばで足を止めた。


 左右の房から視線が集まる位置だった。


 そこで、低い声が落ちる。


「脱獄する。ついてくる気のある者は出してやろう。ただし、勝手な真似はするな。私の指示に従える者だけだ」


 ざわつきが、一度止まった。


 言葉の意味が分からなかったわけじゃない。ただ、あまりにも真っ直ぐに言い切られたせいで、全員が一瞬だけ反応を忘れたようだった。


 先に我に返ったのは、右手奥の房の男だった。


「……は?」


 乾いた声が漏れる。


「脱獄……だと?」


「ふざけてんのか?」

「看守の真似事か何かか?」

「いや、マルコが外にいるぞ……」


 半信半疑の声が重なる。


 怒鳴る者もいれば、逆に声を潜める者もいた。どちらにせよ、全員の視線が黒仮面へ集まっている。その中心にいる当人だけが妙に静かだった。


 マルコは横目でその姿を見る。


 騒ぎに呑まれていない。押し切ろうと力んでもいない。ただ最初の一声で、場の主導権だけを先に奪っていた。


 上手い。


 気に食わないが、そう思わざるを得なかった。


 黒仮面はそれ以上、同じ説明を繰り返さない。


 そのまま最初の房の前へ歩いた。


 格子の向こうにいたのは、痩せた男だった。頬はこけ、囚人服も薄汚れている。だが、目の光は死んでいない。外から覗き込む黒仮面を、睨み返すだけの気概は残っていた。


 黒仮面はほんの一瞬だけ男を見た。


 それだけで鍵束から一本を選ぶ。


 迷いのない手つきだった。


 鍵が差し込まれ、硬い音が鳴る。錠前の噛み合う感触に続いて、扉が低く開いた。


 房の男が目を見開く。


「……本当に開けやがった」


 黒仮面はもう次の房へ向かっていた。


 開いたばかりの扉の前に立ち尽くした男が、数拍遅れて外へ出る。その顔にはまだ戸惑いが残っていたが、目の奥にはさっきまでなかった熱が差していた。


 通路の空気が変わる。


 疑いが消えたわけじゃない。だが、こいつは口先だけじゃない――その一点だけは、今ので全員に伝わった。


 黒仮面は次の房の前で足を止める。


 今度は、中にいる囚人へ一瞥をくれただけで通り過ぎた。


「お、おい!」


 格子の向こうの男が身を乗り出す。


「待てよ! 俺は!?」


 返事はない。


 黒仮面はもう次の扉へ視線を移していた。そこでもまた一瞬だけ中を見て、今度は鍵を選ぶ。開ける。通り過ぎる。開ける。


 その繰り返しに、理屈は見えない。


 だが、躊躇だけはなかった。


 その手際を見ながら、マルコは小さく息を吐く。


 なるほど、そういうやり方か。


 片っ端から解き放つ気はないらしい。最初から、使う駒だけを拾い上げるつもりで来ている。


 だったら――と、マルコは視線を巡らせた。


 この列なら、まだ混ぜてもいい顔が何人かいる。逆に、出した瞬間に場を濁すだけの奴もいる。


 黒仮面が次に通り過ぎようとした房を見て、マルコは口を開いた。


「待ってくれ」


 黒仮面の足が止まる。


 振り返りはしない。ただ、次の鍵を選びかけていた手だけがわずかに止まった。


 マルコは、その房の格子の向こうを顎で示した。


「そいつは出していい」


 中にいたのは、肩幅の広い男だった。鼻筋を潰し、右の頬に古い裂傷痕が走っている。柄は悪い。実際、短気でもある。だが、目つきの荒さの割に、筋の通らない裏切りはしない男だった。


 黒仮面の低い声が返る。


「根拠は」


「口は悪いが、背中から刺す手合いじゃない。戦いになりゃ、前を張れる」


 格子の向こうの男が、そこでようやく声を上げた。


「おい、マルコ。勝手に品定めしてんじゃ――」


「黙ってろ、ガロ」


 短く切って捨てる。


「出してもらいてぇなら、今は吠えるな」


 男――ガロは舌打ちしたが、それ以上は言わなかった。


 黒仮面が一拍だけ黙る。


「暴れたら」


「俺が止める」


 間髪入れずに言う。


「止まらなきゃ、俺が斬る。これでいいだろ」


 黒仮面はそれ以上問わなかった。


 鍵束から一本を抜き、錠へ差し込む。硬い音がして、扉が開いた。


 ガロが一歩、外へ出る。


 獣みたいな眼で黒仮面を見たあと、マルコへ視線を移した。


「……借りにしとくぜ」


「高くつくぞ」


 吐き捨てるように返すと、ガロは初めて口の端を歪めた。


そこから先は早かった。


 黒仮面が見て、通り過ぎようとする房へ、マルコが短く口を挟む。


「そっちは駄目だ。口が軽い。前に二人、看守へ売った」


 黒仮面は足を止めず、ただ一言だけ返した。


「見たのか」


「見た」


 それで終わりだった。


 次に、向かいの房へ視線が流れる。中にいた痩せた男は、さっきから格子の陰でじっと様子を窺っていた。喚きもせず、目だけが忙しなく動いている。


 マルコはそちらを顎で示す。


「向かいは出していい。足が速い。伝令に使える」


 黒仮面の手が、鍵束の上でわずかに止まる。


「逃げるぞ」


「追い詰められたらな。だが、走らせるなら役に立つ」


 短いやり取りのあと、向かいの錠が開いた。


 さらにもう一つ先の房では、大柄な男が格子を掴んでいた。顔つきだけなら威勢はいい。だが、マルコはそいつが揉め事になるたび、最後には人の後ろへ引くのを知っている。


「あれはやめとけ」


 黒仮面がそちらへ視線だけ向ける。


「なぜだ」


「威勢だけだ。刃物を見たら味方の後ろへ隠れる」


 黒仮面は何も言わず、その房を通り過ぎた。


 開く扉が少しずつ増える。


 逆に、格子へ縋る声を上げても、そのまま通り過ぎられる房もある。


「おい! 待てって言ってんだろ!」

「俺も出せ! 使える!」

「ふざけんな、何であいつだけ――」


 喚く声が重なる。


 だが、黒仮面は足を止めない。マルコも振り向かなかった。


 一度でもその選別が始まってしまえば、あとは早い。泣き言を言うから出す、喚いたから考え直す、そんな流れにはならないと、囚人たちの側もすぐに理解したらしい。


 だからこそ、開いた扉から出てきた連中の空気も変わっていく。


 助けられた、ではない。


 選ばれた。


 その意識が、戸惑いの下にじわりと熱を作っていた。


 マルコはざっと顔ぶれを数える。


 今の時点で、使えるのは六人。


 自分を入れて七。ここからさらに増やすにしても、まずは足場としては悪くない。



 黒仮面が立ち止まった。


 長外套の内へ、また手が入る。


 囚人たちの視線が一斉に集まった。


 先ほど剣を出した鞄から、今度は別の武器が次々と引き抜かれる。


 短剣。棍棒。片手剣。さらに、金属の芯を仕込んだ短杖。


 ガロが思わず低く唸った。


「……おいおい。まだ出てきやがるのか」


 黒仮面は答えない。


 まず、ガロへ重めの棍棒を放る。


 無造作に投げられたそれを、ガロは反射で受け取った。手の中で重さを確かめ、目の色が変わる。


 ガロは一瞬だけ言葉を失い、それから鼻を鳴らした。


「……分かってんじゃねぇか」


 次に、痩せた若い男へ片手剣が投げ渡される。そいつは長剣を振るう腕より、懐へ潜って手早く刺す方が向いている。受け取った本人が、無意識に重心を確かめるように刃を返した。


 さらに、痩せた中年の男へは片手剣ではなく、短めの刃物が渡る。


 男は不服そうに眉を寄せかけたが、すぐに何かを飲み込んだように黙った。図星だったのだろう。


 そして、列の後ろにいた一人へ、黒仮面は迷いなく短杖を差し出した。


「使え」


 受け取った男が、はっきり動きを止める。


 痩せぎすの、冴えない男だった。髪は伸び放題で、囚人服も他と変わらない。だが、杖を握った瞬間だけ、指の収まり方が違った。


「……なんで、これを俺に寄越す」


 低い声だった。


 問いというより、確かめる響きだった。


 黒仮面は短く返す。


「必要だろう、お前には」


 それだけだった。


 だが、杖を受け取った男の目が細まる。


 自分が術師だと、名乗ってもいない。ここでそう扱われる筋合いもない。にもかかわらず、黒仮面は迷いなく杖を渡した。


 それだけで十分すぎた。


 囚人たちの間を走るざわめきの質が、また一段変わる。


 こいつは何を知っている。


 そんな気配だった。


 マルコもまた、内心で舌を巻く。


 どこまで調べた。いつ見た。あるいは、最初からこの監獄の中身を頭に入れていたのか。


 どちらにせよ、薄気味の悪い手際だった。


「お前は」


 黒仮面が、最後に一人の男へ短剣を渡す。


 四十前後だろう。腕は細く、肩も落ちている。見るからに荒事向きではない。帳場上がりか、あるいは政治絡みで放り込まれた口か。


「守るためだけに使え。前へ出るな」


 男は一瞬だけ反論しかけるような顔をしたが、すぐに口をつぐんだ。自分が前へ出る側の人間ではないことくらい、とうに分かっているのだろう。


 武器が渡りきる。


 ほんの数人。だが、素手で震えていたさっきまでとは、空気が違う。


 ガロが棍棒を肩へ担ぐ。短剣を受け取った若い男は、刃を逆手へ収める位置を確かめている。杖を持った術師は、まだ黒仮面から目を離さない。


 そこでようやく、黒仮面が全員を見渡した。


 低い声が通路に落ちる。


「これから雑居房を通り、入口広間へ向かう。鍵は私が開けるから、お前たちは看守の相手をしろ。最終目標は、正門の制圧だ」


 誰も軽口を返さなかった。


 返せなかった、が近いかもしれない。


 その時だった。


 手前の通路から、金属の触れ合う音が小さく響いた。


 続いて、足音。


 一つではない。二つ、三つ。巡回にしては少し急いでいる。


 誰かが気づいたのだろう。


 ざわつきの余韻が、とうとう届いたらしい。


 ガロが棍棒を握り直す。


「来やがったか」


 杖を受け取った術師が、息を浅く吸う。片手剣持ちの若い男は、音もなく壁際へ身を寄せた。


 マルコは剣の柄を握る。


 長く離れていた感触のはずなのに、不思議なくらい手に馴染んだ。


 黒仮面だけは、少しも慌てない。


 通路の先へ視線を向けたまま、ただ一言だけ告げた。


「始めるぞ」



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