↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェイタル・フェイト:フィクサー 〜名前を呼ばれただけで詰む無理ゲー世界で、最弱ステの俺は破滅の筋書きを覆す〜  作者: 霞見


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/46

13話 『大監獄』

 騎士に前後を固められた荷台は、道の継ぎ目を拾うたびに鈍く跳ねた。


 粗い板張りの床に腰を打ちつけるたび、縄で後ろ手に縛られた腕が引かれる。血と汗と泥の臭いが、幌(ほろ)の下で淀(よど)んでいた。向かいでは捕らえられた野盗の一人が歯を食いしばり、横では別の男が途切れ途切れに悪態を吐いている。


 夜明けはとうに過ぎていた。だが朝の冷えはまだ荷台の隙間から入り込み、濡れた衣服の内側をじわじわと冷やしていた。


 幌の外では、絶えず蹄(ひづめ)の音が続いている。


 街道を東へ進むその揺れに、捕らえられた野盗たちとまとめて積まれたまま、俺もまた身を任せていた。


「……ちきしょう」


 誰かが、腫(は)れた唇の隙間から呻(うめ)くように吐き捨てる。


「最悪だ……俺たち、こんなとこで終わりかよ……」


 別の男が縄に縛られたまま身を捩り、幌の裂け目へ顔を向けた。そのまま喉(のど)を詰まらせたように、息を呑む。


「見えてきやがった……」


 虚勢ではなかった。怯えが、声の底に張りついている。


 荷台の空気がわずかにざわつく。罵声とも泣き言ともつかない囁きが、狭い幌の下に湿ったように広がった。


 そのざわめきを、外から飛んだ怒声が断ち切る。


「黙れ!」


 甲冑(かっちゅう)越しの鋭い一喝(いっかつ)だった。


「口を開くな。次に騒げば、猿轡(さるぐつわ)だけでは済まさん」


 蹄の音が近づき、すぐ脇で止まる。見張りの騎士が、馬を寄せたのだろう。荷台の中はたちまち静まり返り、野盗たちは揃って口を噤(つぐ)んだ。残ったのは、押し殺した呼吸の音だけだった。


 俺は膝を立てたまま、わずかに顎(あご)を上げる。


 幌布の裂け目から、朝の光が細く差し込んでいた。揺れる視界の向こうで、街道はゆるやかな上りへ変わっている。森の気配は薄れ、代わりに石と人の匂いが風に混じり始めていた。


 やがて、遠い空の下に灰色の線が現れる。


 最初は地平に引かれた影に見えたそれは、馬車が進むごとに輪郭(りんかく)を増していった。横へ長く、鈍く、途切れずに続く石の壁。ところどころに塔が立ち、朝の光を受けてもなお重く沈んだ色を保っている。


 城塞都市(じょうさいとし)バスティア。


 ジルヴァン王国第二の都市。西方を支える交易の要。そして、かつて王都であった街だ。


 その壁は、ただ高いだけではない。長い年月に削られ、継ぎ足され、修繕(しゅうぜん)され、それでもなお立ち続けてきた石の厚みがあった。新しい砦のような整った威容(いよう)ではなく、使われ続けてきた都市だけが持つ重さだ。


 石の色は均一ではない。古い層のくすんだ灰に、後から継がれたやや白い石が混じる。角の擦れた見張り塔の根元には補強の痕が走り、そのさらに上には、後年に増されたらしい胸壁(きょうへき)が鈍い線を描いていた。


 まだ距離はある。それでも、壁の高さだけははっきりと分かる。人を拒むためというより、都市そのものを外と切り分けるための高さだった。


 荷台のどこかで、誰かが唾(つば)を呑み込む。


 馬車は止まらない。


 城壁は少しずつ大きくなり、塔の形が明瞭になり、門へ続く街道の人馬の列まで見え始める。荷馬車、騎兵、徒歩の旅人、検分を待つ商人たち。西の貿易を束ねる都市の息遣いが、遠目にも分かった。


 そのすべてを包むように、バスティアの壁が聳(そび)え立つ。


 古く、巨大で、そして重い。


 ――予定とは少し違うが、結果的にはこれが最速、か。


 自分の足で潜り込むより、捕らえられて運ばれる方が早い。荷台の揺れに身体を預けたまま、俺は幌の裂け目の向こうを見据えた。


 目的地は、最初からここだった。


 城塞都市バスティア。


 その中でも、俺が行きたかった場所は最初から一つ。


 大監獄(だいかんごく)だ。


 城門を抜けた後も、騎士たちは足を緩めなかった。俺たちを積んだ荷台は市街の賑わいをかすめるだけで、そのまま奥へ、さらに閉ざされた方へ向かっていく。


 やがて荷台が大きく揺れ、止まった。


 幌が乱暴に捲(まく)られ、朝の光が一気に差し込む。見上げた先には、さらに高い石壁があった。城壁の内側に、もう一枚。監獄の壁だ。


 縄を打たれた野盗たちが順に引きずり下ろされる。足をもつらせた男が一人、荷台の縁に膝をぶつけて呻いた。すぐに背を蹴られ、罵声ごと地面へ転がる。


「立て!」

「歩け!」


 俺も肩を掴まれ、荷台の外へ引きずり出された。石畳に降りた途端、足裏へ冷えが返ってくる。高い壁。狭い空。鉄格子(てつごうし)。見張り櫓(やぐら)。閉ざされた門。人を閉じ込めるための場所の圧が、立っているだけで伝わった。


 中庭には、すでに看守が待っていた。


 槍を持つ者。鍵束を提げた者。記録板を抱えた者。疲れた顔のまま、連れてこられた野盗たちの数を目で数え、傷の具合を見て、縄の結び目を確かめている。


 本格的な尋問という空気ではない。


 まずは数を受け取る。危険物が残っていないかを見る。生きているか、歩けるか、どこへ押し込むかを決める。


 その程度の、粗い仕分けだ。


「頭はどいつだ」


 記録板を持った男が、騎士の一人へ顔を向けた。


「隻眼のハーコンは戦闘中に制圧済みだ。生死確認はそっちでやれ。こいつらは現場に残っていた残党だ」


 騎士は事務的に言い捨てる。


「数は見ての通りだ。武器は回収済み。怪しい荷もない」


 記録係らしい男が頷き、羽根ペンを走らせた。横で看守が野盗たちを列に並ばせる。呻く者、悪態を吐く者、青い顔で黙り込む者。誰も彼も、もう気勢はない。


 その流れに、俺も混ざりかけたところで――


「待て」


 別の声が入った。


 さっきまで騎士の横で引き継ぎを聞いていた看守が、俺の方へ顎を向ける。


「そいつは別だ」


 野盗たちの列が一瞬だけざわめいた。


「は? 何でだよ」

「おい、そいつも一緒にいたぞ」

「知らねぇ顔だって言っただろ……」


 囁きはすぐに槍の石突きで黙らされた。


 俺は目を伏せたまま、何も言わない。


 騎士の側が先に説明した。


「街道で接触した男だ。本人は商人を名乗っているが、野盗側では情報を持っていた形跡がある。立場が曖昧だ。保護対象の可能性もあるが、現場では野盗と同じ位置にいた」


 記録係の男が眉をひそめる。


「……それで?」


「こっちでも判断がつかん。そちらで話を聞け」


 記録係は露骨に嫌そうな顔をした。数だけ受け取って雑居へ押し込む方が、よほど楽だったのだろう。


「面倒なものを寄越すな……」


 それでも視線を俺へ寄越す。


「名前は」


 俺は答えない。


「出身は」


 黙ったまま、顔も上げない。


「……おい」


 横の看守が肩を小突いた。


「聞いているのか」


 それでも、ここではまだ口を開かない。


 野盗たちがいる。騎士もいる。今この場でどの札を切っても、誰かに余計な形で聞かれるだけだ。


 沈黙を続ける俺に、看守が舌打ちする。


「反抗する気か」


「いや」


 そこで初めて、短く返した。


 顔は上げない。声も抑える。


「話す場所を変えたい」


 記録係が眉を動かした。


「何だと?」


「ここで喋る話じゃない」


 横の看守が鼻で笑う。


「囚人風情が、選べる立場かよ」


 その通りだ。


 その通りだからこそ、言い方を間違えるわけにはいかない。


 強がる必要はない。脅すのも早い。


 ただ、末端の手に余る気配だけを残す。


「俺は情報屋だ」


 そこでようやく、顔を上げた。


 記録係と看守の視線が揃って止まる。


「騎士に売った話もある。まだ売っていない話もある。ここで話してもかまわないが、困るのはそっちだぞ」


 言って、そこで切る。


 全部は出さない。向こうに考えさせる余白を与える。


 記録係の顔から、面倒くささとは別の色が少しだけ浮いた。胡散臭い。だが、聞き流していいとも言い切れない――そんな顔だ。


「……何の話だ」


 俺は答えない。


 代わりに、周囲を一度だけ見た。


 野盗たち。騎士。看守。中庭。石壁。人の耳。


 それだけで十分伝わる。


 記録係が、ようやく小さく舌打ちした。


「連れていけ。別室だ」


 そのまま野盗たちの列から引き剥がされ、俺は中庭の端にある石造りの小部屋へ向けて歩かされた。


 通された部屋は、取調室と呼ぶには粗末だった。


 石壁。小机。椅子が二つ。記録板とインク壺。窓は高い位置に小さく一つ、そこにも鉄格子が嵌(は)まっている。


 看守に椅子へ座らされ、縄を解かれないまま机の向こうへ向けられる。正面には、さっきの記録係が座った。


 インク壺の縁で、ペン先を軽く払う。


「もう一度聞くぞ、自称情報屋。名前と、出身は?」


 俺はそこで、ようやく口の端をわずかに動かした。


 ここからだ。


「答えてもいいが、その前に所長を出せ」


 記録係の眉が寄る。


「……何だと?」


「この話はお前の手に余る」


 横の看守が鼻で笑った。


「ふざけるな。立場が見えてねぇのか」


 記録係も、露骨に不機嫌そうな顔をした。


「答える気がないなら、それでいい」


 一拍置いて、記録係は肩を竦めた。


「騎士連中には話を聞けと言われたがな、正直そんなもん俺らにはどうだっていいんだ。面倒は省いて、野盗扱いで雑居に放り込んでやる」


 そこで初めて、俺は二人を見た。


「やってみろ」


 看守の顔つきが変わる。


「あ?」


「俺を雑居房に入れるなら、全て話すぞ」


 俺は部屋の外を一度だけ見た。


「囚人にも、看守にも聞こえるようにな」


 記録係の目が細くなった。


「……何をだ」


「そっちが困る話だ。……そうだな、例えば」


 俺は続ける。


「北塔五番房の件がいいか」


 羽根ペンの先が止まる。


 記録係の視線が、わずかに揺れた。


 横の看守が口を開きかける。だが声にならない。


 俺は追い打ちをかけない。相手が反応するのを待つ。


「……誰に聞いた」


「さぁて。教えてやっても良いが、所長を呼ぶのが先だ」


 記録係の頬がぴくりと引きつった。


 なら、もう一枚だ。


「足りないなら、改ざん帳簿(ちょうぼ)の話でもいい」


 今度こそ、部屋の空気が止まった。


 看守が俺を睨みつける。


「てめぇ……」


「大声を出すな」


 俺は淡々と言った。


「聞かれたくない話なら、まだまだできるぞ。どうする、続けるか?」


 記録係が、そこで初めて椅子の背へ深くもたれた。羽根ペンを置き、机の上で指を組む。露骨に嫌そうな顔だった。


「……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか」


「わかっているさ」


 記録係はすぐには口を開かなかった。


 俺を見たまま、ほんの短く目を伏せる。机の上の記録板、扉の向こう、脇に立つ看守。秤にかけるような間だった。


 やがて、小さく息を吐く。


「……面倒な真似を」


 それから看守へ顔を向けた。


「こいつは雑居へ戻すな」


 看守が眉をひそめる。


「では、どうします」


「例の隔離房(かくりぼう)だ」


 記録係は吐き捨てるように言った。


「所長へ回す。俺が後で報告する」


 横の看守が、露骨に嫌そうな顔をした。


「……また厄介なのを拾いましたね」


「拾ったんじゃない。押しつけられたんだ」


 記録係は羽根ペンを置き、手を振る。


「先に入れておけ。鍵は後で持っていく」


 それで決まった。


 看守が俺の腕を掴み、椅子から引き起こす。


「歩け」


 俺は抵抗しない。


 部屋を出て、薄暗い廊下を奥へ進む。人の声はすぐに遠ざかり、代わりに靴音と鍵束の触れ合う音だけが石壁の間を低く響いた。


 やがて看守が立ち止まる。


 廊下の突き当たり。ほかの房から少しだけ離されるようにして、重い鉄扉が一つだけ据えられていた。覗き窓は小さく、下には横長の差し口がある。近くに別の房はない。


「最初からそう言えよ。面倒事なら面倒事ですってよぉ」


 ぼやきながら錠を回し、扉を開ける。


 中は狭い石室だった。


 寝台代わりの板。壁際の水差し。高い位置に細い採光窓。薄暗い。だが、一番先に目についたのは、壁に取り付けられた燭台受(しょくだいう)けだった。古い。ほかの房よりも、造りが一段古い。


 看守が俺の背を押す。


「入れ」


 俺は一歩、二歩と中へ進んだ。


 背後で鉄扉が閉まる。重い音が石壁に鈍く響き、続けて鍵が回った。


 どれほど経ったかは分からない。


 高い採光窓から差していた白い光はとうに痩せ、石室の輪郭は薄闇に沈みかけていた。外から届く音も少ない。ときおり遠くで鉄格子の鳴る気配がするだけだ。


 その静けさを、靴音が破った。


 見回りの足音とは違う。二人、三人と連れ立って歩く音。その中心に、一人だけ歩幅の違う者がいる。急がず、だが迷いもなくこちらへ向かってくる足音だ。


 それに混じって、かすかに香油の匂いがした。


 この場所には似合わない、甘ったるい匂いだった。


 来たか。


 俺は顔を上げない。


 扉の前で足音が止まり、低い声で鍵を求める気配がする。別の看守が慌てて鍵束を差し出した。金属が触れ合い、錠が回る。


 重い鉄扉が、外側へゆっくりと開いた。


 差し込んできた灯りの向こうで、まず見えたのは磨かれた靴だった。無駄に上等な革。監獄の石床を歩くためのものではなく、人に見せるための靴だ。


 その上から、ねっとりした声が降ってくる。


「……なるほど。これが、厄介な情報屋か」


 俺はそこで、ようやく顔を上げた。


 灯りを背にした男は、監獄の湿気に似つかわしくない艶のある上衣をまとっていた。指には細工の細かい指輪。甘ったるい香油の匂いもそうだ。囚人を見に来たというより、自分の立場を見せに来た顔だった。


「いい加減、これを外してくれ」


 俺は後ろ手をわずかに持ち上げる。


「どうせ、この中じゃ逃げられん。話はそれからだ」


 脇に控えていた看守が顔をしかめたが、所長は片手で制した。


「構わん。解け」


 縄が外れる。痺れた手首に血が戻り、遅れて熱が走った。俺は指を二、三度だけ開き、痛みを確かめる。


 所長はその様子を見て、口元だけで笑った。


「さて。何だ。ワシを呼びつけるほどの話とは」


「単刀直入に言う」


 俺は手首をさすりながら言った。


「俺をここから出せ」


 看守が鼻で笑う。


「寝言は寝て言え」


 だが所長は、嘲る前に俺の次の言葉を待った。


「取引だ」


 俺は所長を見る。


「俺は、あんたが困ることを知っている。北塔五番房。改ざん帳簿。そこまで言えば十分だろう」


 所長の笑みが、そこで初めて薄くなった。


 怒鳴らない。否定もしない。そこはさすがだった。


「……それで?」


「俺を出せ。そうすれば、これ以上厄介ごとが増えることも、外へ漏れることもない」


「逆だな」


 所長はゆっくり言った。


「お前を出せば、増えるし、漏れる」


 俺は黙って続きを待つ。


「お前は、自分が取引の札を握っているつもりらしいが」


 所長は一歩だけ近づいた。


「ワシから見れば、お前は“知りすぎた”」


 看守が横で薄く笑う。俺は視線を外さない。


「今ここで消すか?」


「いや」


 所長はあっさり首を振った。


「その必要もない。お前は正式な囚人ですらない。野盗どもと一緒に捕まった、身元不明の不審者だ。処分はいくらでも利く」


 その口ぶりで分かった。


 こいつは最初から、俺を生かして帰す気などない。


「明日の朝」


 所長はわざとゆっくり言った。


「野盗たちと一緒に処刑だ」


「……ずいぶん急だな」


「無駄に長引かせんのは、ワシの慈悲だと思え」


 所長は踵を返した。


 扉の外へ出る直前、わずかに振り返る。


「朝まで大人しくしていろ。逃げ場など、どこにもない」


 鉄扉が閉まる。


 重い音が石壁に鈍く響き、続けて鍵が回った。


 足音が遠ざかっていく。


 俺はしばらく、その音を黙って聞いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。