13話 『大監獄』
騎士に前後を固められた荷台は、道の継ぎ目を拾うたびに鈍く跳ねた。
粗い板張りの床に腰を打ちつけるたび、縄で後ろ手に縛られた腕が引かれる。血と汗と泥の臭いが、幌の下で淀んでいた。向かいでは捕らえられた野盗の一人が歯を食いしばり、横では別の男が途切れ途切れに悪態を吐いている。
夜明けはとうに過ぎていた。だが朝の冷えはまだ荷台の隙間から入り込み、濡れた衣服の内側をじわじわと冷やしていた。
幌の外では、絶えず蹄の音が続いている。
街道を東へ進むその揺れに、捕らえられた野盗たちとまとめて積まれたまま、俺もまた身を任せていた。
「……ちきしょう」
誰かが、腫れた唇の隙間から呻くように吐き捨てる。
「最悪だ……俺たち、こんなとこで終わりかよ……」
別の男が縄に縛られたまま身を捩り、幌の裂け目へ顔を向けた。そのまま喉を詰まらせたように、息を呑む。
「見えてきやがった……」
虚勢ではなかった。怯えが、声の底に張りついている。
荷台の空気がわずかにざわつく。罵声とも泣き言ともつかない囁きが、狭い幌の下に湿ったように広がった。
そのざわめきを、外から飛んだ怒声が断ち切る。
「黙れ!」
甲冑越しの鋭い一喝だった。
「口を開くな。次に騒げば、猿轡だけでは済まさん」
蹄の音が近づき、すぐ脇で止まる。見張りの騎士が、馬を寄せたのだろう。荷台の中はたちまち静まり返り、野盗たちは揃って口を噤んだ。残ったのは、押し殺した呼吸の音だけだった。
俺は膝を立てたまま、わずかに顎を上げる。
幌布の裂け目から、朝の光が細く差し込んでいた。揺れる視界の向こうで、街道はゆるやかな上りへ変わっている。森の気配は薄れ、代わりに石と人の匂いが風に混じり始めていた。
やがて、遠い空の下に灰色の線が現れる。
最初は地平に引かれた影に見えたそれは、馬車が進むごとに輪郭を増していった。横へ長く、鈍く、途切れずに続く石の壁。ところどころに塔が立ち、朝の光を受けてもなお重く沈んだ色を保っている。
城塞都市バスティア。
ジルヴァン王国第二の都市。西方を支える交易の要。そして、かつて王都であった街だ。
その壁は、ただ高いだけではない。長い年月に削られ、継ぎ足され、修繕され、それでもなお立ち続けてきた石の厚みがあった。新しい砦のような整った威容ではなく、使われ続けてきた都市だけが持つ重さだ。
石の色は均一ではない。古い層のくすんだ灰に、後から継がれたやや白い石が混じる。角の擦れた見張り塔の根元には補強の痕が走り、そのさらに上には、後年に増されたらしい胸壁が鈍い線を描いていた。
まだ距離はある。それでも、壁の高さだけははっきりと分かる。人を拒むためというより、都市そのものを外と切り分けるための高さだった。
荷台のどこかで、誰かが唾を呑み込む。
馬車は止まらない。
城壁は少しずつ大きくなり、塔の形が明瞭になり、門へ続く街道の人馬の列まで見え始める。荷馬車、騎兵、徒歩の旅人、検分を待つ商人たち。西の貿易を束ねる都市の息遣いが、遠目にも分かった。
そのすべてを包むように、バスティアの壁が聳え立つ。
古く、巨大で、そして重い。
――予定とは少し違うが、結果的にはこれが最速、か。
自分の足で潜り込むより、捕らえられて運ばれる方が早い。荷台の揺れに身体を預けたまま、俺は幌の裂け目の向こうを見据えた。
目的地は、最初からここだった。
城塞都市バスティア。
その中でも、俺が行きたかった場所は最初から一つ。
大監獄だ。
城門を抜けた後も、騎士たちは足を緩めなかった。俺たちを積んだ荷台は市街の賑わいをかすめるだけで、そのまま奥へ、さらに閉ざされた方へ向かっていく。
やがて荷台が大きく揺れ、止まった。
幌が乱暴に捲られ、朝の光が一気に差し込む。見上げた先には、さらに高い石壁があった。城壁の内側に、もう一枚。監獄の壁だ。
縄を打たれた野盗たちが順に引きずり下ろされる。足をもつらせた男が一人、荷台の縁に膝をぶつけて呻いた。すぐに背を蹴られ、罵声ごと地面へ転がる。
「立て!」
「歩け!」
俺も肩を掴まれ、荷台の外へ引きずり出された。石畳に降りた途端、足裏へ冷えが返ってくる。高い壁。狭い空。鉄格子。見張り櫓。閉ざされた門。人を閉じ込めるための場所の圧が、立っているだけで伝わった。
中庭には、すでに看守が待っていた。
槍を持つ者。鍵束を提げた者。記録板を抱えた者。疲れた顔のまま、連れてこられた野盗たちの数を目で数え、傷の具合を見て、縄の結び目を確かめている。
本格的な尋問という空気ではない。
まずは数を受け取る。危険物が残っていないかを見る。生きているか、歩けるか、どこへ押し込むかを決める。
その程度の、粗い仕分けだ。
「頭はどいつだ」
記録板を持った男が、騎士の一人へ顔を向けた。
「隻眼のハーコンは戦闘中に制圧済みだ。生死確認はそっちでやれ。こいつらは現場に残っていた残党だ」
騎士は事務的に言い捨てる。
「数は見ての通りだ。武器は回収済み。怪しい荷もない」
記録係らしい男が頷き、羽根ペンを走らせた。横で看守が野盗たちを列に並ばせる。呻く者、悪態を吐く者、青い顔で黙り込む者。誰も彼も、もう気勢はない。
その流れに、俺も混ざりかけたところで――
「待て」
別の声が入った。
さっきまで騎士の横で引き継ぎを聞いていた看守が、俺の方へ顎を向ける。
「そいつは別だ」
野盗たちの列が一瞬だけざわめいた。
「は? 何でだよ」
「おい、そいつも一緒にいたぞ」
「知らねぇ顔だって言っただろ……」
囁きはすぐに槍の石突きで黙らされた。
俺は目を伏せたまま、何も言わない。
騎士の側が先に説明した。
「街道で接触した男だ。本人は商人を名乗っているが、野盗側では情報を持っていた形跡がある。立場が曖昧だ。保護対象の可能性もあるが、現場では野盗と同じ位置にいた」
記録係の男が眉をひそめる。
「……それで?」
「こっちでも判断がつかん。そちらで話を聞け」
記録係は露骨に嫌そうな顔をした。数だけ受け取って雑居へ押し込む方が、よほど楽だったのだろう。
「面倒なものを寄越すな……」
それでも視線を俺へ寄越す。
「名前は」
俺は答えない。
「出身は」
黙ったまま、顔も上げない。
「……おい」
横の看守が肩を小突いた。
「聞いているのか」
それでも、ここではまだ口を開かない。
野盗たちがいる。騎士もいる。今この場でどの札を切っても、誰かに余計な形で聞かれるだけだ。
沈黙を続ける俺に、看守が舌打ちする。
「反抗する気か」
「いや」
そこで初めて、短く返した。
顔は上げない。声も抑える。
「話す場所を変えたい」
記録係が眉を動かした。
「何だと?」
「ここで喋る話じゃない」
横の看守が鼻で笑う。
「囚人風情が、選べる立場かよ」
その通りだ。
その通りだからこそ、言い方を間違えるわけにはいかない。
強がる必要はない。脅すのも早い。
ただ、末端の手に余る気配だけを残す。
「俺は情報屋だ」
そこでようやく、顔を上げた。
記録係と看守の視線が揃って止まる。
「騎士に売った話もある。まだ売っていない話もある。ここで話してもかまわないが、困るのはそっちだぞ」
言って、そこで切る。
全部は出さない。向こうに考えさせる余白を与える。
記録係の顔から、面倒くささとは別の色が少しだけ浮いた。胡散臭い。だが、聞き流していいとも言い切れない――そんな顔だ。
「……何の話だ」
俺は答えない。
代わりに、周囲を一度だけ見た。
野盗たち。騎士。看守。中庭。石壁。人の耳。
それだけで十分伝わる。
記録係が、ようやく小さく舌打ちした。
「連れていけ。別室だ」
そのまま野盗たちの列から引き剥がされ、俺は中庭の端にある石造りの小部屋へ向けて歩かされた。
通された部屋は、取調室と呼ぶには粗末だった。
石壁。小机。椅子が二つ。記録板とインク壺。窓は高い位置に小さく一つ、そこにも鉄格子が嵌まっている。
看守に椅子へ座らされ、縄を解かれないまま机の向こうへ向けられる。正面には、さっきの記録係が座った。
インク壺の縁で、ペン先を軽く払う。
「もう一度聞くぞ、自称情報屋。名前と、出身は?」
俺はそこで、ようやく口の端をわずかに動かした。
ここからだ。
「答えてもいいが、その前に所長を出せ」
記録係の眉が寄る。
「……何だと?」
「この話はお前の手に余る」
横の看守が鼻で笑った。
「ふざけるな。立場が見えてねぇのか」
記録係も、露骨に不機嫌そうな顔をした。
「答える気がないなら、それでいい」
一拍置いて、記録係は肩を竦めた。
「騎士連中には話を聞けと言われたがな、正直そんなもん俺らにはどうだっていいんだ。面倒は省いて、野盗扱いで雑居に放り込んでやる」
そこで初めて、俺は二人を見た。
「やってみろ」
看守の顔つきが変わる。
「あ?」
「俺を雑居房に入れるなら、全て話すぞ」
俺は部屋の外を一度だけ見た。
「囚人にも、看守にも聞こえるようにな」
記録係の目が細くなった。
「……何をだ」
「そっちが困る話だ。……そうだな、例えば」
俺は続ける。
「北塔五番房の件がいいか」
羽根ペンの先が止まる。
記録係の視線が、わずかに揺れた。
横の看守が口を開きかける。だが声にならない。
俺は追い打ちをかけない。相手が反応するのを待つ。
「……誰に聞いた」
「さぁて。教えてやっても良いが、所長を呼ぶのが先だ」
記録係の頬がぴくりと引きつった。
なら、もう一枚だ。
「足りないなら、改ざん帳簿の話でもいい」
今度こそ、部屋の空気が止まった。
看守が俺を睨みつける。
「てめぇ……」
「大声を出すな」
俺は淡々と言った。
「聞かれたくない話なら、まだまだできるぞ。どうする、続けるか?」
記録係が、そこで初めて椅子の背へ深くもたれた。羽根ペンを置き、机の上で指を組む。露骨に嫌そうな顔だった。
「……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか」
「わかっているさ」
記録係はすぐには口を開かなかった。
俺を見たまま、ほんの短く目を伏せる。机の上の記録板、扉の向こう、脇に立つ看守。秤にかけるような間だった。
やがて、小さく息を吐く。
「……面倒な真似を」
それから看守へ顔を向けた。
「こいつは雑居へ戻すな」
看守が眉をひそめる。
「では、どうします」
「例の隔離房だ」
記録係は吐き捨てるように言った。
「所長へ回す。俺が後で報告する」
横の看守が、露骨に嫌そうな顔をした。
「……また厄介なのを拾いましたね」
「拾ったんじゃない。押しつけられたんだ」
記録係は羽根ペンを置き、手を振る。
「先に入れておけ。鍵は後で持っていく」
それで決まった。
看守が俺の腕を掴み、椅子から引き起こす。
「歩け」
俺は抵抗しない。
部屋を出て、薄暗い廊下を奥へ進む。人の声はすぐに遠ざかり、代わりに靴音と鍵束の触れ合う音だけが石壁の間を低く響いた。
やがて看守が立ち止まる。
廊下の突き当たり。ほかの房から少しだけ離されるようにして、重い鉄扉が一つだけ据えられていた。覗き窓は小さく、下には横長の差し口がある。近くに別の房はない。
「最初からそう言えよ。面倒事なら面倒事ですってよぉ」
ぼやきながら錠を回し、扉を開ける。
中は狭い石室だった。
寝台代わりの板。壁際の水差し。高い位置に細い採光窓。薄暗い。だが、一番先に目についたのは、壁に取り付けられた燭台受けだった。古い。ほかの房よりも、造りが一段古い。
看守が俺の背を押す。
「入れ」
俺は一歩、二歩と中へ進んだ。
背後で鉄扉が閉まる。重い音が石壁に鈍く響き、続けて鍵が回った。
どれほど経ったかは分からない。
高い採光窓から差していた白い光はとうに痩せ、石室の輪郭は薄闇に沈みかけていた。外から届く音も少ない。ときおり遠くで鉄格子の鳴る気配がするだけだ。
その静けさを、靴音が破った。
見回りの足音とは違う。二人、三人と連れ立って歩く音。その中心に、一人だけ歩幅の違う者がいる。急がず、だが迷いもなくこちらへ向かってくる足音だ。
それに混じって、かすかに香油の匂いがした。
この場所には似合わない、甘ったるい匂いだった。
来たか。
俺は顔を上げない。
扉の前で足音が止まり、低い声で鍵を求める気配がする。別の看守が慌てて鍵束を差し出した。金属が触れ合い、錠が回る。
重い鉄扉が、外側へゆっくりと開いた。
差し込んできた灯りの向こうで、まず見えたのは磨かれた靴だった。無駄に上等な革。監獄の石床を歩くためのものではなく、人に見せるための靴だ。
その上から、ねっとりした声が降ってくる。
「……なるほど。これが、厄介な情報屋か」
俺はそこで、ようやく顔を上げた。
灯りを背にした男は、監獄の湿気に似つかわしくない艶のある上衣をまとっていた。指には細工の細かい指輪。甘ったるい香油の匂いもそうだ。囚人を見に来たというより、自分の立場を見せに来た顔だった。
「いい加減、これを外してくれ」
俺は後ろ手をわずかに持ち上げる。
「どうせ、この中じゃ逃げられん。話はそれからだ」
脇に控えていた看守が顔をしかめたが、所長は片手で制した。
「構わん。解け」
縄が外れる。痺れた手首に血が戻り、遅れて熱が走った。俺は指を二、三度だけ開き、痛みを確かめる。
所長はその様子を見て、口元だけで笑った。
「さて。何だ。ワシを呼びつけるほどの話とは」
「単刀直入に言う」
俺は手首をさすりながら言った。
「俺をここから出せ」
看守が鼻で笑う。
「寝言は寝て言え」
だが所長は、嘲る前に俺の次の言葉を待った。
「取引だ」
俺は所長を見る。
「俺は、あんたが困ることを知っている。北塔五番房。改ざん帳簿。そこまで言えば十分だろう」
所長の笑みが、そこで初めて薄くなった。
怒鳴らない。否定もしない。そこはさすがだった。
「……それで?」
「俺を出せ。そうすれば、これ以上厄介ごとが増えることも、外へ漏れることもない」
「逆だな」
所長はゆっくり言った。
「お前を出せば、増えるし、漏れる」
俺は黙って続きを待つ。
「お前は、自分が取引の札を握っているつもりらしいが」
所長は一歩だけ近づいた。
「ワシから見れば、お前は“知りすぎた”」
看守が横で薄く笑う。俺は視線を外さない。
「今ここで消すか?」
「いや」
所長はあっさり首を振った。
「その必要もない。お前は正式な囚人ですらない。野盗どもと一緒に捕まった、身元不明の不審者だ。処分はいくらでも利く」
その口ぶりで分かった。
こいつは最初から、俺を生かして帰す気などない。
「明日の朝」
所長はわざとゆっくり言った。
「野盗たちと一緒に処刑だ」
「……ずいぶん急だな」
「無駄に長引かせんのは、ワシの慈悲だと思え」
所長は踵を返した。
扉の外へ出る直前、わずかに振り返る。
「朝まで大人しくしていろ。逃げ場など、どこにもない」
鉄扉が閉まる。
重い音が石壁に鈍く響き、続けて鍵が回った。
足音が遠ざかっていく。
俺はしばらく、その音を黙って聞いていた。




