11話 『街道のバッドイベント 中編』
遺跡群の裏手は、正面側よりさらに暗かった。
崩れた石積みの向こうはすぐ森で、根を張った木々が地面ごと石を抱え込んでいる。
正面から回り込む灯りはなく、聞こえてくるのは遠い怒号と、鉄のぶつかる乾いた音ばかりだった。
騎士団がぶつかった。
なら、野盗どもの目はそちらへ向く。
俺は足音を殺して石陰を抜け、記憶の中にある裏手の位置関係をなぞるように進んだ。遺跡の奥に口を開けた洞窟、そのさらに脇。崩れた石と草に半ば埋もれるように、人ひとりが屈めば通れる程度の横穴がある。
正面口ではない。荷も人も通すには狭すぎる、見張りと逃げ道のためだけに使う穴だ。
こういう連中は、必ず保険を作る。
俺は身を低くしてその横穴へ滑り込んだ。肩が岩肌を擦る。中は狭く、湿っていて、土と黴の臭いが鼻につく。数歩も進めば向こう側が見えた。岩陰に伏せた小さな灯りがひとつ、出口の足元だけを薄く照らしている。だが、気配がある。
出るなり喉を裂かれないよう、息を殺して一歩だけ踏み出した、その時だった。
「……おい」
低い声が飛んだ。
薄い灯りの縁で、金属が触れ合う小さな音がした。次いで、別の足音。三つ。横穴の出口を囲うように、人影が浮かび上がった。
「誰だ」
灯りは足元を舐める程度だったが、先頭の声には聞き覚えがあった。
街道で俺を止めた、あの古参だ。
向こうもそれに気づいたらしい。布越しに目を細め、次の瞬間、あからさまに肩の力を抜いた。
「……なんだ、てめぇか」
刃先はまだ下がらない。だが、さっきまでの殺気は薄れている。
「さっきは助かったぜ、アッシュ」
古参野盗は鼻を鳴らした。
「情報は本当だったみてぇだな。正面、ちゃんと騎士が来やがった」
そこで一度、俺を見定めるように目を細める。
「お頭はお前を知らねぇって言ってたからよ。俺ぁ、てっきり騙されたのかと思ったぜ」
左右に立っていた二人は、まだ様子見のままだ。片方は短槍、もう片方は手斧を持っている。どちらも俺の顔と古参の顔を交互に見比べていた。
「誰だ、こいつ」
「さっきの……ネズミ、ってやつか?」
古参が短く舌打ちする。
「そうだ。街道で俺らに情報を持ってきた男だ」
それから、俺へ顎をしゃくった。
「悪かったな。少し疑いすぎた」
俺は肩を竦めた。
「いいさ。お頭は用心深い。素直に喋るような人じゃないだろ」
それだけで十分だった。
古参は「だよな」とでも言いたげに鼻で笑い、ようやく刃をわずかに引いた。完全に信用したわけではない。それでも、少なくともこの場で斬りかかられる線は消えた。
正面から、短い悲鳴がひとつ響く。
続いて怒声。金属音。騎士団はもう入口で斬り結んでいるらしい。
時間はあまり残されていない。
俺は奥――正面口のある方角へ顎を向けた。
「何人いた」
古参野盗がすぐに問う。
「十人前後だ。弓を持った騎士も何人かいた」
左右の二人が顔を見合わせる。
「射手までいるのか」
「面倒だな……」
古参は舌打ちし、洞窟の奥を一度だけ見た。
「お頭は知ってるのか」
「まだだ。なるべく詳細に伝えたい」
俺は短く答えた。
「俺が行く。お前らはここを離れるな」
片方の野盗が眉をひそめる。
「いや、正面が押されてるなら、こっちも回った方が――」
「馬鹿か」
遮る声は低くした。怒鳴る必要はない。断定だけで足りる。
「正面でぶつかっている今だからこそ、この裏道が生きる。逃げるにしろ、やつらの背後に忍び寄るにしろな」
三人が黙る。
俺はその沈黙の上から、さらに言葉を重ねた。
「まだ気づかれてはいない。だが、戦っているうちに裏手へ回る奴が出てもおかしくない。ここの重要性は、わかるだろう」
古参が鼻を鳴らした。
「……そりゃそうだな」
得心したらしい。視線が少しだけ鋭さを取り戻す。今度は俺を疑う目ではなく、持ち場を意識した目だ。
「分かった。俺らはここを見張る」
それから、短槍の男へ顎を振る。
「お前は穴の外を見ろ。妙な音がしたらすぐ言え」
手斧の男には、さらに短く言った。
「お前は中だ。勝手に持ち場を離れるなよ」
二人がそれぞれ頷く。
古参はそこで、俺へ向き直った。
「お前はお頭のところへ行け。こっちは通さねぇ」
「頼む」
それだけ返して、俺は足を踏み出した。
背を向けた瞬間に斬られないよう、歩幅は崩さない。急ぎすぎず、遅すぎず。味方の顔で、当然のように奥へ進む。
背後で小さな灯りが揺れた。
だが、呼び止める声はもうない。
横穴を抜けた先は、自然洞窟と古い遺跡を無理やり繋いだような造りだった。
足元は削れた石と踏み固められた土がまだらに混じり、壁には古い石組みが途中まで残っている。その先を、後から掘り広げた粗い岩肌が継いでいた。天井は低い。染み出した水がどこかで落ち、一定の間隔で、ぴち、ぴち、と小さく鳴る。
湿気が重い。
それに混じって、酒と獣脂、汗、黴、干し肉の脂が腐りかけたような臭いが鼻についた。人が寝起きし、食い、奪った荷を放り込み、ろくに換気もしない穴倉の臭いだ。
正面口の方角から、また怒声が響いた。
直後、鉄と鉄がぶつかる音が短く重なる。悲鳴が一つ。何か大きなものが倒れた鈍い音。入口での斬り合いは、もう様子見の段階を過ぎているらしい。
だからこそ、こっちは静かだった。
通路の途中には、片付ける気もない荷がいくつも積まれている。口の開いた麻袋。転がった酒瓶。半端に割れた木箱。壁際には粗末な寝台代わりの藁束まであった。だが人影はない。皆、入口の応戦へ引っ張られたのだろう。
足を止めずに進む。
視線だけを左右へ走らせ、曲がり角ごとに耳を澄ます。慌てて走る必要はない。走れば、味方の顔をしている今の立場が崩れる。ここでは、当然のように通るのが一番強い。
右手の浅い窪みには、奪った衣服や外套がまとめて押し込まれていた。左手の壁際には、槍の予備と折れた盾。奥には、乾燥肉を吊るした縄と、水樽が二つ。盗賊団の巣というより、根城を無理やり生活の場にした痕跡が、そのまま積み重なっている。
この手の連中は、拾うことには熱心でも、整えることには頓着しない。
また金属音が鳴る。
今度は近い。正面口へ続く大きな通路の先で、誰かが怒鳴り返した。応戦している連中の声だろう。内容までは聞き取れない。ただ、押されている空気だけは伝わってくる。
良し。
目も耳も、そちらへ向いている。
俺は細い脇道へ入った。こちらは遺跡時代の造りがまだ濃く残っていた。壁の石は比較的揃い、角も生きている。通路幅は狭いが、その分だけ奥へ続く気配があった。表の騒ぎから少し離れ、足音の反響が変わる。
記憶の通りなら、この先だ。
角を二つ曲がる。
ひとつめでは誰もいないことを確認し、ふたつめでは灯りの位置を見る。壁の窪みに押し込まれた小さな油灯が、細い炎で石床だけを照らしていた。その先に、他よりいくらか造りの良い木扉がある。
粗末な板戸ではない。厚みがあり、金具も打たれている。洞窟の中では妙に浮く扉だ。
宝物庫。
普段なら、ここに番が立つ。
だが今は、いない。
正面の斬り合いに人手を取られたか、それとも切り札を持ち出す時に離れたか。どちらにせよ、俺にとっては好都合だった。
扉の前で一度だけ耳を澄ます。
中に物音はない。
俺は呼吸を浅く整え、取っ手へ手を伸ばした。
きし、と小さく鳴って、木扉は内側へ開いた。
まず鼻を打ったのは、古い布と革の臭いだった。そこへ金属の冷えた匂いと、酒の残り香、それに長く閉め切られた空気の澱みが重なる。
中は思っていたより広い。
自然洞窟をそのまま使った空間ではなく、ある程度は人の手で掘り広げたのだろう。天井は低めだが、奥行きも横幅もある。壁際には木箱や樽が積まれ、床には麻袋や布包みが無造作に転がっていた。中央には、奪った品をただ放り上げたような山がいくつもできている。
金貨。銀器。燭台。宝石の嵌まった指輪。飾り細工の施された杯。柄にだけ無駄な金をかけた短剣。派手な色の外套。女物らしい首飾り。記録水晶の欠片まである。
雑多だった。
価値ある物を集めたというより、価値がありそうに見える物を積み上げた、と言った方が近い。
野盗にとって大事なのは、持ち主が泣くかどうかであって、品そのものの値踏みではない。光る物、目立つ物、重そうな物、飾り立てた物。そういう分かりやすい品は手前に放り、地味な物は端へ追いやる。
だからこういう宝物庫では、見た目の派手さと本当の価値が、だいたい一致しない。
俺は扉を細く開けたまま中へ入り、まずは全体を見渡した。
爆発壺らしき陶器の瓶は、右手の棚だ。口を蝋で封じた細長い筒――スクロールは、その奥の箱に雑に突っ込まれている。どれも使い方を知っている人間なら、真っ先に分けて保管する類の品だ。だが、ここの連中はそうしなかった。
その時点で、当たりがあると分かる。
視線を滑らせる。山の中心ではない。端だ。派手な品の陰へ押しやられた、価値の分からない連中が放る場所。
木箱の上に、ひとつの鞄があった。
使い込まれた冒険者用の肩掛け鞄。濃い革は擦れて色が抜け、口を留める金具にも曇りが出ている。補修跡も多い。見た目だけなら、旅の途中でくたびれた荷物袋にしか見えない。
だが、俺はそちらへ迷わず歩いた。
木箱の前で屈み、鞄を持ち上げる。
軽い。
外側の革は安物じゃない。留め具も、ただの飾りではない。鞄を裏返し、底を薄い灯りへかざす。擦れた革の内側、縫い目に隠れるように、細かな刻線が走っていた。円と角を組み合わせた術式の痕。中央には、爪の先ほどの小さな魔石まで埋め込まれている。
あった。目当ての品だ。
魔法の鞄。
底に刻まれた魔法陣へ触れた物を、亜空間へ落とし込む収納鞄。何もない倉庫のような空間へ一時的に繋ぐ、ポータル系魔術の応用だ。古い英雄譚に出てくるような代物だが、唯一無二というわけでもない。ダンジョンや遺跡から出ることがあり、市場に流れれば法外な値がつく。
ただし、それは価値の分かる人間の話だ。
野盗どもには、ただの古鞄にしか見えなかったのだろう。
俺は口の端をわずかに上げた。
金貨の山でもない。宝石の箱でもない。
この部屋でいちばん価値があるのは、間違いなくこれだ。
鞄の口を開き、内側へ指を滑らせる。
底に縫い込まれた魔法陣へ触れた瞬間、刻線がごく淡く光った。埋め込まれた魔石が熱を持ち、鞄の底が音もなく抜け落ちる。いや、消えたという方が近い。そこにはもう革の底ではなく、何もない暗がりだけが口を開けていた。
見た目は古鞄。中身は亜空間へ通じる落とし穴。
これだから価値の分からない連中の宝物庫はやめられない。
俺は近くに転がっていた銀杯をひとつ掴み、底へ落とした。金属が触れる音はしない。杯はそのまま、暗がりの向こうへ吸い込まれるように消えた。
作動は正常。
なら、後は早い。
まず右手の棚へ寄る。陶器の細首瓶が六つ。胴は膨らみ、口は蝋で固められ、さらに荒い紐で封じてある。振れば中で粉と塊が擦れる、乾いた気配があった。
爆発壺だ。
火薬に点火材を仕込み、壺の中で密封した単純な使い捨て兵器。投げつけて割れば、火と破片を撒き散らす。理屈を知らなくても、馬鹿でも使える。だから野盗はこれを好む。
そして、だからこそ真っ先に消す。
俺は壺を一本ずつ持ち上げ、慎重に魔法の鞄へ落としていった。革の口の向こう、暗がりへ沈んでいくたび、喉の奥で笑いが転がりそうになる。
これで、連中の分かりやすい切り札は消えた。
次に、その奥の木箱を開く。中には蝋封じされた細筒が十数本、無造作に突っ込まれていた。羊皮紙を芯に巻き、封印紐を掛けた巻物だ。術式封入のスクロールに違いない。どうせ中身も読めず、数だけで「高そうだ」と判断して積んでいたのだろう。
使い方を誤れば自分たちまで巻き込む類だが、だからといって放置する理由にはならない。
これも回収だ。
筒をまとめて抱え、鞄へ落とす。二本、三本、五本。軽い。こういうかさばる品ほど、亜空間収納のありがたみが骨身に染みる。
その隣、布に包まれた包みが目に入った。
細長く、硬い。木箱の陰へ押し込まれていたが、布越しでも妙な気配がある。俺は慎重にほどいた。
出てきたのは、掌ほどの青黒い欠片だった。
縁は欠け、表面には古い秘術の刻みが走っている。鈍く曇っているのに、見ているだけで耳の奥がざわつく。
聖鐘片。
古い聖堂や地下祭祀場で使われた鐘の欠片だ。叩きつければ、欠片に残った祓いの衝音が一気に解き放たれる。魔物や呪いに対する効きが強い教会の聖遺物だ。
野盗どもにとっては、爆発壺の方が分かりやすい切り札だろう。投げれば割れ、燃えて吹き飛ぶ。単純で、頭が要らない。
だが、この場で本当に怖いのはこっちだ。
祓いより、発生する衝撃波がまずい。
洞窟のような狭い空間で強い衝撃波を放つと、反響し効果が膨れ上がる。
入口で押し合っている騎士たちへ使われれば、音と衝撃で前列が崩れる。狭い通路では逃げ場もない。最悪、セリアが殺される。
それだけは駄目だ。
俺は布で鐘片を包み直し、魔法の鞄へ沈めた。
危険物は一通り片づいた。
後は、軽くて高い物から抜いていけばいい。
宝石付きの指輪を三つ。銀の燭台は片方だけ。首飾りは細工の良いものを選んで二つ。無駄に飾り立てた短剣も、鞘ごと回収する。金貨の袋は重いから後回しだ。どうせここには他にもある。急ぐ場面で抱える価値は薄い。
価値のある物から順に、静かに、手早く消していく。
散々奪ったのだ。奪われる辛さというものも教えてやろう。
部屋の見え方が少しずつ変わっていった。山の輪郭が削れ、棚が空き、箱の底が見え始める。連中が「ある」と思っていた切り札と財が、気づかれないまま失われていく。
実に愉快だ。
その時、不意に外の空気が変わった。
怒声が近い。
さっきまで入口側に固まっていた戦いの音とは違う。もっと荒く、切羽詰まった足音が、こちらへ真っ直ぐ向かってきている。
複数。
重い靴音が通路を打ち、誰かが怒鳴った。
「――爆発壺を出せ! 早くしろ!」
低く野太い濁声。隻眼のハーコンだ。
声に滲んだ焦りだけで分かる。
俺は舌打ちを飲み込み、咄嗟に宝物庫の中を見回した。
隠れる場所が、ない。




