10話 『街道のバッドイベント 前編』
正門を抜けてから、街道は一本に収束していった。
この道は、迷いの森――西の大森林に沿って伸びている。
街道は馬車がすれ違える幅を保ち、深い轍が土を割って続いていた。両脇はすぐ木々に呑まれ、枝が道へ張り出して、光はまだらに落ちる。
土と樹脂の匂いが濃い。
行き交う荷車の軋みが遠ざかると、風と葉擦れだけが残った。
最初の町リーメスは、この国――ジルヴァン王国の西端に寄った町だ。だから人も荷物も東へ向かう。行き先は決まっている。王国第二の都市にして、西の貿易の要。城塞都市バスティアだ。
俺の当面の目的も、そこにある。
これから先、名前を隠して生きる以上、相手の素性を見抜く力――識別を避ける手段がいる。
俺は素性を一度でも拾われたら、取り返しがつかない。敵対していなくとも、識別の魔法や能力、アイテムに引っかかってしまえば、それだけで詰む可能性があるのだ。
だから、自由に動き回るためにもまずは識別対策の装備を手に入れる。
バスティアまでは徒歩で三日。乗り合い馬車が生きていれば、一日と少しで着けた距離だ。だが欠便は続くらしい。待つくらいなら、歩いたほうが早い。
歩幅を一定に保ち、無心で進み続ける。
昨日の夜通し作業が響き、体はすぐに悲鳴を上げたが、泣き言をいっても始まらない。
そうして東に数時間、ようやく建物が見えた。
街道沿いには一定の間隔で宿場がある。井戸と厩と、旅人が雑魚寝できる屋根。俺はそこまでを一気に歩き、宿に潜り込んだ。
食って、飲んで、寝る。寝台は硬いが十分だ。翌朝、まだ空が白む前に出る。
二日目は、距離を稼ぐ。
途中にあった小さな集落にも立ち寄らず、日が暮れても灯りを用意して歩き続けた。
最短を直線で突っ切るなら、森に入るという手もある。
だが、道無き道というのは想像以上に辛い。地面は小さく隆起し足をとられるし、野生の獣や魔物と呼ばれる凶悪な変異種までいる。遭遇しても対処できるものばかりとは限らない以上、いまの俺にそんなリスクをとる理由はない。
だから街道を行く。獣も魔物も滅多に寄りつかない。道は平坦。少なくとも森の内側に比べれば、ずっと安全で、ずっと快適だ。
もちろん、良いことばかりではない。どんな選択肢にもそれなりに欠点はある。
森には森の厄介さがあるように、街道には街道の厄介さがある。
――いや、より正確に言えば、"ある"のではなく"居る"。
人の流れに寄生して、道そのものを餌にする連中。
例えば、そう――
「動くな、そこで止まれ」
こんな連中だ。
俺の前に、影が出た。
影の輪郭が火に浮く。粗い革の胴着に、布を巻いた腕。顔は布で隠し、目だけが光っている。手には短い刃物と、先の欠けたこん棒。
同時に、背後でも足音が止まる。左右からも、草を踏む音が重なった。松明の火が揺れ、光の輪の外に人影が増えていく。
挟まれた。
別の声が続く。
「へへっ、こんな夜中に急いでどこいくんだ」
「抵抗すんなよ、ゆっくりだ。ゆっくり荷物を置け」
……なるほど。"予想通り"、運の悪さは筋金入りだ。
野盗イベント。街道で起こるバッドイベントの一つ。
野盗に襲われるという、シンプルなものだが……問題はその時期だ。
こいつらの強さは一定。高くも低くもない。
しかし、ゲームの頃から最序盤でも起こり得ることで、厄介なイベントの一つとして認知されていた。
戦っても勝てない。逃げても追いつかれ殺される。
最初の町から出てすぐに遭遇すれば、それで詰み。
まごうことなき"クソイベント"である。
ならば、どうするか。
答えは――仲間になる、だ。
俺は松明を地面に立て、両手をゆっくり上げて、声の温度を落とした。
「待て、俺は味方だ。急ぎの話を持ってきた」
止め役の男が鼻で笑った。
「味方ぁ? 命乞いなら聞かねぇぞ」
左右の影がじりじりと距離を詰める。背後の気配も近い。逃げ道は、もう塞がれていた。
俺は視線を逸らさずに言った。
「お前らは野盗団……西道の狼だな?」
男たちの視線は依然険しい。俺は続ける。
「俺はアッシュ。バスティアの"ネズミ"だ」
ネズミ。犯罪者に町の情報、狙い目の獲物や衛兵の動きを知らせる潜伏役を差す隠語だ。
もちろんそんなことはしていないので、でまかせである。
「ネズミ?」
「お前ら、知ってるか?」
「アッシュなんて名前、聞いたことがねぇ」
「当たり前だ。素性が出回るようじゃ仕事にならないだろ」
俺は淡々と返す。
「俺が名乗るのは、渡す相手に言葉が届く時だけだ」
止め役が一歩だけ踏み込んだ。
「そーかい。で、アッシュとやら。その相手ってのは誰だ。言ってみろ」
「隻眼のハーコン――お前たちの頭目が、俺の雇い主だ」
空気が変わった。
笑いが消え、足音が止まる。松明の火がぱち、と鳴る音だけが残った。
「……お頭の名を軽く出すな」
松明の灯りが揺れて、刃の鈍い光が俺の喉元をかすめる。
「雇い主だって言うなら、筋くらい通せ」
俺は両手を上げたまま、目だけで男を見返した。
「聞かれたから答えた。それだけだ」
男は鼻で笑いかけて、途中で表情を消した。次の瞬間、まるで雑談みたいに言う。
「今日は冷えるな」
――合図だ。
"ネズミ"が本物かどうか、外に漏れても意味が分からない言葉で確かめる。西道の狼が使う合言葉の一つ。
俺は一拍も置かずに返す。
「風が森から来てる」
背後の影がわずかに動いた。疑いが消えたわけじゃない。ただ、「嘘だ」と決めつけて突っ込む勢いが鈍る。
「なぁ、いまのって……」
「あぁ、合ってる」
「じゃあこいつ、本当に――」
「うるせぇぞおめぇら! 少し黙ってろ」
俺を取り囲む野盗から洩れる会話を、止め役の男が遮った。
「……なら、なおさらおかしいじゃねぇか」
止め役の男が、刃先を下げないまま俺を見た。
「バスティアのネズミが、なんでリーメス側から来る」
この程度では信用は勝ち取れない。俺は続ける。
「この先の村で確認したいことがあった。騎士団がこの道を通ったかどうかをな」
止め役の男が眉をひそめる。
「確認して、どうする」
横から別の野盗が口を挟んだ。
「騎士団? こんな夜に動くのかよ」
「話を盛ってるだけじゃねぇのか」
無視して話を進める。
「通っていないなら、まだ間に合う」
俺は視線を逸らさずに続けた。
「俺が先にアジトへ戻って、お頭に知らせるつもりだった」
止め役の男が、喉を鳴らして言った。
「……用件を言え」
俺は短く言う。
「討伐隊が組まれたぞ、"俺たち"のな」
笑いが消えた。誰も言葉を継がず、火の爆ぜる音だけが、しばし続く。
「どこでそんな話を拾った」
間をあけ、止め役の男が刃先を揺らさずに言った。
「騎士団が騒がしかったから、詰所で確かめた」
「誰にだ」
後ろの野盗が笑う。
「まさか騎士に話しかけたのかよ」
「そうだ。俺はネズミだぞ? 城の文官にも、騎士団にも情報源は持っている。怪しまれるようなヘマを踏んだこともないしな。ペラペラと喋ってくれたよ」
俺は言い切った。
「しかも連中、ご丁寧に旗まで出して、こっちへ向かってきている」
旗を掲げて動くのは、隊の動きそのものを隠す気がない証拠。
つまり、旗に掲げられた国や所属の威信をかけた行動を意味する。
止め役の男の顔から、余裕が消えた。
「……旗ってお前。本当だろうな」
横から別の野盗が唾を吐く。
「巡回なら、そんなもの出さねぇ」
「……それだけ本気、っことか」
「脅しにしても、話がでかすぎるぞ」
「だから最初に言っただろう、急ぎの話だと」
何人かが、止め役の男の顔をうかがった。
「討伐隊だ。遺跡の根城を叩く、と言っていた」
止め役の男が短剣を動かす。喉元へ寄せるでもなく、外すでもなく、ただ迷いを見せる位置で止めた。
「……それを信じろって言うなら、最後に一つだけ聞かせろ」
止め役の男が、俺の顔をまっすぐ見た。
「お頭の目は、どっちが見えねぇ」
踏み絵だ。
「左だ。いつも左目に眼帯をしてる」
男は舌打ちしそうな顔で黙り込み、背後の連中と視線を交わした。
「……わかった。とりあえず今は、お前を信じる」
言い切ってから、指先で俺を指す。
「顔は覚えたぞ、アッシュ。もし嘘だったら、お前を殺す」
「それで構わない」
俺は頷いて、続けた。
「だが、急いだほうが良いぞ。見ろ」
言いながら、松明の先で街道の奥を指す。
木々の隙間に、小さな光が並び始めていた。揺れる松明の列。その上で布が揺れている。――旗だ。
背後の野盗が、低い声を漏らす。
「……マジかよ」
「本当に動いてやがる」
空気が一段冷えた。
俺は畳みかける。
「俺が騎士団に話しかけて時間を稼ぐ。お前たちは戻れ。今の話をお頭に知らせてくれ」
止め役が眉を寄せる。
「良いのか、アッシュ」
「ああ。アジトで落ち合おう」
止め役の男が短く頷き、背後へ合図を飛ばした。
「散れ。荷は捨てろ。戻るぞ!」
影がほどけるように動き出す。草を踏む音が遠ざかり、気配が森に吸い込まれていく。
「助かったぞ、アッシュ。戻ったらお頭に伝える」
最後の声が闇に溶けた。
やはりいける。力など無くても、この知識さえあれば俺は――。
口の端が自然と持ち上がる。
だが、安心するにはまだ早い。一難は去ったが、こんな嘘はすぐにバレる。
次の一手が必要だ。筋書は、もう頭の中で走っている。
街道の端へ寄り、外套を脱いで放る。袖を乱し、土と泥で頬と手を汚す。息を荒くして肩を落とす。――これで、いかにも逃げてきた男の完成だ。
そして松明の列へ、走った。
◇ ◇ ◇
「た、助けてください……っ!」
松明の列が見えた瞬間、声の出し方を変えた。喉を締め、息を上ずらせ、足をもつれさせる。今にも転びそうな速度で、街道へ飛び出す。
「何者だ! そこで止まれ!」
槍先が揃い、火の輪が俺を照らした。
「騎士様、お願いします……保護してください!」
膝が落ちる。両手を見せて、首を縮める。
「私は旅の商人で……道で野盗に……」
息を切らすふりをして、言葉を詰まらせた。
「お、襲われました……っ!」
前列の騎士が、吐き捨てるように言った。
「我々は巡回隊ではない」
声は硬い。余計な情けが入らない。
「リーメス方面の治安維持隊だ」
松明の火が揺れても、槍は揺れない。
「民の保護は任務じゃない。道を空けろ」
――なるほど。切り捨てるつもりか。
「……お、お願いです……!」
俺は必死なふりを続けた。ここで引くと、話が繋がらない。
「森の中へ連れ込まれて……さっき、隙を見て……!」
声が震える。震えているように見せる。
「追手はいるのか」
別の騎士が、短く問う。
「……わかりません……。来るかもしれません……!」
その時、列の後ろで馬の蹄が鳴った。土を叩く音が近づき、松明の列がわずかに割れる。
「何の騒ぎです」
女の声だった。低いが、澄んでいてよく通る、そんな声。
「ハッ、副団長! 民が一人、保護を求めております!」
部下が慌てて報告する。
馬上の女騎士が止まり、俺を見て迷いなく名乗った。
「バスティア騎士団、副団長のセリアです」
松明の光が、燃えるような髪を縁取った。凛とした顔立ちに、兜の影から覗く尖った耳。鎧の下の体は細く、軍務で削げた輪郭だけが残っている。
……副団長か。思ったより大物が出張ってきたな。
騎士セリア。
この国のシナリオを進める上で、重要人物の一人だ。
当然、俺は彼女のことも知っている。だが、この場でそれを悟らせるわけにはいかない。
セリアは部下の騎士たちを一瞥し、短く言った。
「私たちは現在、任務中です。ですが、事情の確認は必要でしょう」
視線が俺に戻る。
「――ゆっくりでかまいません。何があったか話せますか」
「や、野盗に捕まりました……その、やつらは西道の狼、って名乗ってました」
俺は指先を握り込み、怯えたまま言葉を選ぶふりをした。
「荷物ごと引きずられて……森の中の拠点へ連れていかれて……」
息を吸い直し、最後だけ強く落とす。
「その、隙を見て……さっき、逃げてきました……!」
セリアの目が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。
「つまり、あなたは野盗どもの拠点から来たのですね?」
問いではなく確認。次に繋がる言葉だ。
「……はい……。中に、お、大勢人が……」
セリアは一拍だけ黙り、周囲へ命じた。
「周囲の警戒を。射手は後ろに回って」
騎乗の射手が二人、手綱を引いて隊列の後ろへ下がった。
それから俺を見る。
「拠点の場所は、わかりますか?」
「は、はい。同じ方向に全力で走ったので……、じゅ、十分くらい」
セリアは手綱を握り直して視線を伏せた。何かを測るような沈黙の後、言葉が続く。
「ふむ。では案内して、と言ったらできますか?」
来た。
「……できます」
俺は震えるふりのまま頷いた。
セリアはすぐに動かない。馬上で周囲へ目を走らせ、短く指示を飛ばした。
「二人つけて見ておいて」
声が落ちる。
「残りは周囲を見張るように」
騎士の一人が、手綱を寄せて言った。
「副団長。リーメスの件は片付いています」
側付きの騎士が、情報を補足する。
「犯人は捕縛済みです。護送隊とも、数刻前にすれ違いました」
「任務として残っているのは、リーメスの治安確認と教会の状況視察だけです」
別の騎士が続ける。
「確認とはいえ任務です。寄り道をすれば到着が遅れます」
射手が小さく息を吐いた。
「なら、野盗の話は後回しでいいのでは――」
セリアは一拍だけ黙り、射手の方へ視線を向けた。
「言って。後回しにしたら、どうなります」
射手が言葉を選ぶ。
「根城が割れたと気づけば、野盗は夜のうちに移動するのではないかと思われます」
その言葉に、セリアは頷く。
側付きの騎士はそれを見て、心配するように声をかけた。
「しかし副団長。こちらは少数です。損害が出ますよ」
セリアはすぐに答えなかった。
馬首をわずかに引き、視線を遠くへ泳がせる。
夜の静けさの中で、判断だけが先に固まっていく。
「わかっています。――ですが」
セリアは側付きに視線を向けた。揺らぎはない。
「散々後手に回らされた野盗を、こちらから叩ける。こんな好機は今をおいて他にありません」
セリアは言い切ってから、一度だけ息を置く。
「任務は重要です。ですが――私たちの本懐は、民の安全を守ることにあります。違いますか」
側付きの騎士は頷いた。
「いえ、違いません」
「ええ。奴らを逃がせば、困るのは結局この道を使う民たちです」
部下の顔を見回し、言い添える。
「ならば、私たちのとるべき行動は決まっています。そうでしょう?」
視線が隊列を一度なぞる。
「「ハッ!」」
騎士たちから、一斉に声が上がった。
「よろしい。任務を変更します。標的は野盗【西道の狼】。時間はかけません。迅速に制圧します」
「「ハッ!」」
声が揃うと同時に、隊の空気が締まった。
セリアは馬上で首だけを巡らせ、俺を見た。
「待たせました。……案内してください」
俺は怯えた旅商のまま、小さく頷く。
「……は、はい」
◇ ◇ ◇
隊は走った。蹄が土を叩き、松明の列が森の縁へ滑り込む。
しばらくして、樹々の切れ目から石の影が見えた。崩れた石積みがいくつも重なり、遺跡群みたいに闇に沈んでいる。その奥に、灯りが複数。揺れている。
セリアが手を上げ、列が止まった。
「……こんな所に、こんなものが残っていたとは」
言葉は低い。だが、息を吸う音すら目立つ夜では、十分に通る。
セリアは隊列を一度見回し、声を落とした。
「ここからは静かに動きます。下馬を」
騎士たちが素早く鞍を降りる。金具の鳴る音を殺す手つきだ。
セリアは続けた。
「馬はここに寄せて繋いで。灯りは伏せて、合図があるまで声を出さないように」
射手が二人、手綱を引いて馬をまとめ始める。槍持ちがその周りを固め、影が重なった。
セリアが指先で闇を切った。
「散開。入口らしい所を押さえます」
一拍。
「見張りを落として、奥へ押し込みます。逃がさないで」
「了解」
小さな返事が、闇に吸われる。
騎士たちが動き出す前に、セリアがこちらへ振り返った。
「助かりました」
短く言ってから、言葉を足す。
「終わったら改めて保護します。あなたは馬のそばに隠れていてください」
「……わ、わかりました……」
俺は従順に頭を下げ、言われた通り馬の影へ下がった。息を荒くするふりのまま、視線だけで動きを追う。
騎士たちは散った。松明はもう上がらない。暗闘に溶ける鎧の輪郭だけが、遺跡へ向かっていく。
……良し。
予定になかった二つの勢力が、今からぶつかる。
――これで、舞台は整った。
争いの音が上がる、その瞬間に、俺は馬の影から歩み出て、夜陰に紛れて行動を開始した。




