第四十九話「痕跡を追って」
食器の片づけを終わらせて、わたしは屋敷のエントランスにやって来た。
「お待たせしました」
ソファに足を組んで座っているクロウに、わたしはそう声をかける。
「ああ、待ちくたびれたぞ」
うん、絶対に言うと思った。
これでも急いで片づけたつもりなんだけど。
「すみません」
「さて、さっさと出発するぞ」
クロウがソファから立ち上がる。
その姿を見て、「あれ……」と口にしてしまう。
「どうした」
「いえその……今から魔物を調べに行くんですよね」
「そうだが」
クロウは「なにが言いたいんだ」とばかりに訝しむような目を向けてくる。
「シャルさんみたいに武器は持っていかないのかなと思いまして」
「……なんだ、そんな話か」
拍子抜けした様子で、クロウは肩をすくめた。
シャルさんは町に行くとき細身の剣……レイピアを腰に提げていた。
幸い使うところを目にする機会はなかったけれど。
「俺様は武器を持たない主義だ」
どーん、と宣言される。
それってつまり、素手で戦ったりするとかだろうか。
「納得したか」
「うーん……はい、一応」
「一応だと?」
「いいえ、納得しました」
「ふん、ならば行くぞ」
颯爽と歩き出すクロウの後についていく。
誰か一人は屋敷に残るべきだという理由で、シャルさんは留守番だ。
ポポちゃんは「ぼく、ねむいよ〜」とお昼寝タイムに突入してしまった。
門から外に出たクロウは森の奥に進むのかと思いきや、屋敷の外周を調べ始めた。
わたしは、そんなクロウを後ろから見守る。
うーん、応援とかするべきかな。
いや、絶対に「黙ってろ」と怒られる。
「おい、ルビィ」
「なんでしょう」
馬鹿な思考を繰り広げていると、不意にクロウが呼びつけてきた。
手招きをして、近くに来るよう促される。
「どうかしたんですか?」
「こいつを見ろ」
隣に立つと、クロウは地面を指さした。
「これは……」
屋敷を囲っている塀の側に、何者かの足跡があった。
足跡というより、靴跡かな。溝があるし。
「塀も汚れているな」
クロウの声に視線を上げる。
たしかに、塀にも土が付着していた。薄っすらとだけど、これも靴跡に見える。
「ここから魔物が侵入しようとしたんですか?」
だとしたら危険なのでは。
「塀に登って中の様子を覗いただけ……だろうな」
そこをポポちゃんに威嚇されて逃げたのかな。
「しかしルビィ、この足跡を目にして妙だとは思わないか」
「え、そうですね……足跡というか靴跡に見えるぐらいですけど……」
「その通り、これは靴跡だ」
クロウはなぜか満足そうに頷く。
「つまり、屋敷を覗いていたのは魔物じゃない可能性がある」
「え、そうなんですか? でも、靴を履いている魔物だっているかもしれないですよね」
「ああ、だから可能性だと言っただろう」
もし魔物じゃないんだとしたら……いったい、なんなんだろう。
「……人間、でしょうか?」
「いや、それならポポが間違えるとは思えんな」
うん。ポポちゃん、ホワホワした雰囲気だけど勘は鋭そうだもんね。
「魔物でも人間でもないとなると……なんでしょう?」
「今、目の前にいるだろう」
あ、なるほど。吸血鬼か。
人によっては魔物に分類してしまいそうだけど、怒られそうだから黙っておこう。
「吸血鬼は限りなく魔に近い人間のような存在だからな」
限りなく魔に近い人間のような……うーん、なんだかよくわからない。
「よくわからん、という顔をしているな」
「う」
慌てて両手で頬をおさえる。
意味ないけど、つい反射的にやってしまった。
「実際、よくわからん生き物だが。吸血鬼というのは」
吸血鬼である本人が言っていいんですか、それ。
「この靴跡の主が吸血鬼なら、屋敷を覗いていたのはクロウさんやシャルさんの仲間なんですか?」
「どうだろうな。そもそもの話、本当に吸血鬼なのかもまだわからん。あくまで、例えばの話だからな。と、いうわけでだ。靴跡を追うぞ」
地面に残った靴跡は、森の先まで続いている。
「相手が何者にしろ、あまり賢くはないようだ……いや、それともわざとなのか?」
……たしかに。
これだけ派手に痕跡を残してるなんて、まるでこっちを誘っているみたい。
「まあ、どちらでもいい。誘いならば乗ってやろう」
どこか愉快そうに、クロウは靴跡を辿って歩き出す。
――靴跡を追って、屋敷から少し離れた場所まで進んだ。
ふと、前を歩いていたクロウが立ち止まる。
「痕跡が消えた」
「え。あ、本当ですね」
ここまで続いていた靴の跡が、ぷっつりと消えている。
「……木に登ったか?」
クロウの呟きに納得した。
ここは森の中だ。登る木はいくらでもある。
「近くに住処があるのか、それとも……」
口元に手を当て、クロウは思索に耽る。
こうしている間に、いきなりどこかから襲ってきたりして……
――――ガサリ。
「きゃあ!?」
近くの茂みが音を立てる。
驚いて、思わずクロウの腕にしがみついてしまった。
揺れる茂みから、なにかが姿を現す。
その正体は――
長い耳と、赤い目を持つ小さな獣。
わたしも前世からよく知る、あの動物だった。
「……ウサギ、だな」
「……ウサギですね」
一気に緊張の糸が切れる。ああもう、びっくりした。
ウサギもこちらに驚いた様子で、いずこかへ走り去っていく。
「おい」
クロウが鋭い目つきで見下ろしてくる。
「いつまでそうしている気だ」
そういえば、クロウの腕にしがみついたままだった。
「……あはは、すみません」
気恥ずかしさを誤魔化すように笑って、クロウから離れる。
「まったく……度胸があるんだか臆病なんだかわからないやつだ」
「不意打ちが苦手なんです」
急に大きい音とか、そういうの。
そんな主張を無視して、クロウは周囲を調べ始める。
「……ふ、どうやら木になど登っていないらしい」
「え?」
こいつを見てみろ、とクロウが草むらに呼び寄せる。
そこには、例の靴跡が再び出現していた。
途切れていた地点からはそう離れていないから、ここまで飛び移ったのかも。
靴跡は草むらのずっと奥まで続いてるみたいだ。
クロウが草むらに足を踏み入れる。
「さて、この先になにがあるのかな」
クロウの声色は、心なしか楽しそう。
できれば、なんにも出てこないでくれると嬉しいんだけど。




