第三十五話「ちゃん」
さて、結果から言うと料理は大成功したと思う。
――だけど、ちょっと大変だった。
厨房に来て最初にしたのは、調理器具の点検。これはすぐに済んだ。
次は準備だけど、ここからが手間取った。
この厨房には、水道もコンロも存在しないからだ。
あるのは大きな暖炉と、かまど。薪で火を起こさないといけないやつ。
薪は厨房に使えるものが残っていたから、それを使った。
火を起こすのに、少し苦労した。火の魔法とか使えたら楽だったのかな。
次は水だ。屋敷の裏庭に井戸があるとシャルさんに教えてもらったので、そこから汲んできた。涸れてないか不安だったけど。
準備には少し手間取ったけど、料理自体はスムーズに進んだ。
前世で慣れているし、そこまで難しいものは作ってないからだと思うけど。
火にかけた鍋の中でグツグツと煮込まれている「それ」の様子を確かめる。
「もういいかな」
鍋の中身をお玉で少量だけ掬って、小皿に注ぐ。
それを口に含んで、味を確認する。
「うん、我ながら美味しい。あとは……パンとチーズもいるよね」
うーん、お酒もあった方がいいのかな。
わたしは苦手だから飲めないけど。
でも厨房には、お酒の類いは見当たらないんだよね。
料理用とかに置いてありそうなものだけど。
シャルさんかクロウに確認してみよう。
人数分の盛り付けをして、運搬用のワゴンに乗せる。
ワゴンを押して、わたしはダイニングルームに移動した。
広いダイニングルームの大きなテーブルに、食事の用意を調えていく。
「よし、完璧」
準備は万端、後は二人を呼んでくるだけだ。
あ、お酒についても確認しなきゃだっけ。
とりあえずサロンに行ってみよう。
二人がまだそこに居てくれたらいいんだけど。
サロンに行ってみると、シャルさんしか居なかった。
「おやルビィさん、どうしました」
「食事の用意ができたので呼びに来たんですけど……クロウ様は?」
「兄さんは部屋に戻ってしまいました。先ほどの歴史書に目を通しているのでしょう」
「ああ、なるほど。じゃあ呼んでくるので、シャルさんはダイニングで待っていてもらえますか?」
「わかりました」
あ、そうだ。その前に確認しなきゃだった。
「シャルさん、お酒ってあったりしますか?」
「お酒ですか」
「はい、夕食にあった方がいいかなと思って」
「たしかに、あれば嬉しいですね。では、探して持っていきましょう」
「お願いします」
お酒はシャルさんに任せて、わたしはクロウの自室へ向かう。
扉の前に立ってノックをすると、すぐに声が返ってきた。
「入れ」
「失礼します」
扉を開けて、中に入る。
……うーん、やっぱり散らかってるなぁ。
「なにか用か?」
机で歴史書に目を落としながら、クロウは問いかけてきた。
「クロウ様、食事の準備ができました」
「わかった」
本を閉じて、椅子から立ち上がる。
近くまで来たクロウが、ふと足を止めた。
わたしの顔をジッと見つめてくる。
な、なに? もしかして、また血を吸いたいとか言い出さないよね。
「ルビィ」
低い声で、クロウはわたしの名前を口にする。
「は、はい」
「お前、さっきシャルを『シャルさん』と呼んでいたな?」
「え?」
いきなり、なんの話だろう。
たしかに町での調査以降、シャルさんって呼んでるけど。
もしかして、怒ってるのかな。ちょっと不機嫌な感じだし。
弟を馴れ馴れしく呼ぶな、とか。
「えっと……ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「いや、そう呼んじゃいけないのかなと」
「別に構わん。シャルは了承しているのだろう」
はい、とわたしは頷く。
うーん、クロウがなにを言いたいのかわからない。
問題ないなら、なんでわざわざ指摘してきたんだろう。
「構わんが……気に食わない」
「え、やっぱり駄目なんですか?」
どっちだよ、と突っ込みたくなる。
「いいや。気に食わんのは、俺様に対する呼び方だ」
「クロウ様の呼び方、ですか?」
なんだろう。もっと敬った呼び方をしろっていうのかな。
様付け以外になんかある?
「そうだ。なぜ俺だけ『クロウ様』なんだ? まあ、俺様を敬いたくなる気持ちはよくわかる。滲み出てしまっているものな、威厳と気品が」
「えーと……」
つまり、どういうことなの?
「……もしかして、なんですけど。自分もシャルさんみたいに呼べと仰ってますか?」
そう訊ねると、なぜかクロウは真顔になった。
「言ってない」
なんだそれ!
と、声を張り上げたいけど胸の内に留めておく。
「……だがまあ、お前がどうしてもと懇願するなら、特別に許可してやらんでもない」
「ええ?」
「だから、俺もシャルのように呼ぶという話だ」
それはわかってる。だけど……
「懇願まではしないです」
別に「クロウ様」と呼ぶのに抵抗もないし。
わたしが答えると、クロウは信じられないというような目をした。
「この俺が許可すると言っているのに……?」
そこまで声を戦慄かせるような事態なのか。
「えっとですね。シャルさんの場合は調査上、必要性があって仕方なくそう呼ぶようにしただけで……」
「そんなことはどうだっていい」
ぴしゃりと言葉を遮られる。
「俺だけ『違う』というのが気に入らんのだ」
もしかして意外と子供っぽい?
「……ならば、これは命令だ。ルビィ、俺様もシャルのように親しみを込めて呼べ」
別にわたしはクロウの家来でもなんでもないので、命令に従う謂れはないのだけど……
ま、いいか。これ以上、話が長引くと料理が冷めてしまう。
「わかりました。それでは……クロちゃんでいいですか」
「いいわけないだろう、アホか」
なんで?
「親しみを込めろと仰ったじゃないですか」
「だからといって『クロちゃん』はないだろ」
「じゃあ、クーちゃんでいいですか」
「よくない。無意味に縮めるな」
文句が多いなぁ。
「では、クロウちゃん……」
「ちゃん付けもよせ」
「わかりましたよ。だったら、クロウさんでいいですかいいですね」
無難だけど、これ以外にないでしょ。
「おい、投げやりになってないか……だが、まあいいだろう」
「ではクロウさん、早くダイニングに行きましょう。せっかくの夕食が冷めてしまいますから」
ようやく納得してくれたクロウと連れ立って、ダイニングルームに戻った。




