時給1万円の面接で、箱の中身がこっちを見ていた
『時給10,000円。深夜帯。恐怖を感じにくい方優遇。』
求人サイトのいちばん下だった。
コンビニの夜勤とカフェのホールの間に、ひっそり挟まっていた。
時給1万円。
桁を3回数えた。
合ってる。
『宵帳 第三事務所』
業務内容は「生活環境の調整」。
何を調整するのかは書いてない。
怪しい。
めちゃくちゃ怪しい。
でもそこはまあいい。
引っかかったのは最後の一文だ。
恐怖を感じにくい方優遇。
優遇。
……怖いって何だっけ。
俺は白洲律。
19歳、大学2年。
実家は埼玉の特殊清掃屋だ。
親父が冬に腰をやって、今は休業中。
借金は1,800万円ある。
1,800万。
コンビニの夜勤だと何年かかるんだろう。
……計算するのやめよう。
スマホが震えた。
妹の小春からだ。
『お兄ちゃん、また変なバイト探してるでしょ』
なんで分かるんだ。
『探してない』
『嘘。履歴書の写真また撮り直してたって母さんが言ってた』
うちの家族、情報網が強すぎる。
『バイト代入ったら焼肉な』
『はいはい。期待しないで待ってる』
既読がついたのを見て、俺は応募ボタンを押した。
送信完了。
3秒後。
『面接は今夜22時です。お待ちしております』
今夜かよ。
◇
22時。
雑居ビルの4階。
エレベーターはなかった。
『宵帳 第三事務所』
看板の文字だけやけに新しい。
ドアを開けると、天井の蛍光灯が1本切れていた。
「白洲律さんですね。お待ちしておりました」
笑顔の女の人が出てきた。
40代くらい。グレーのスーツ。
名札には『室長 烏丸』。
その奥に、でかい男がいる。
190センチ近い。目の下に濃い隈。
腕を組んで、壁にぴったり背中をつけている。
「……真壁です。どうも」
声が小さい。
体格と声が合ってない。
面接は普通に始まった。
「志望動機は?」
「金が要るんで」
「正直でいいですね」
烏丸さんが履歴書をめくる。
笑顔のまま。
「5歳のとき、3日間行方不明になっていますね」
……書いてない。
それ、履歴書のどこにも書いてない。
「あー、はい。祖父の家の裏山で迷子になったって聞いてます。夜尾村ってとこなんすけど」
「ええ。夜尾村」
ええ、って何だ。
知ってる人の「ええ」だった。
「ところで白洲さん、夜は強いほうですか?」
「あ、はい。特殊清掃の現場、夜中が多いんで」
まあいいか。
面接官が何を調べてても、時給は変わらない。
「では、実技試験に移りましょうか」
実技試験。
バイトの面接で初めて聞いた。
烏丸さんが机の下から木箱を出す。
みかん箱くらいの大きさ。
角が黒ずんでいて、釘が何本か浮いている。
その瞬間、真壁さんが動いた。
部屋の隅まで。
一直線に。
観葉植物の後ろまで下がった。
……隠れられてないです、それ。
「開けてください」
「中身は何ですか」
「開ければ分かります」
それは説明じゃないんだよな。
蓋に手をかける。
少し湿ってる。
開けた。
手だった。
手が詰まっていた。
1本の腕に何本も指がくっついたような手が、いくつも重なっている。
数えようとしたけど、どこからどこまでが1つなのか分からない。
その隙間に。
目が1つ。
こっちを見ていた。
「ひぃぃぃぃっ!!」
悲鳴は観葉植物の後ろからだった。
いや、真壁さんが叫ぶのか。
俺は箱の縁に手をついて、中を覗き込んだ。
内側の板が黒い。
カビの染みが角から広がっている。
底板はたわんでいて、端の繊維がほつれていた。
匂いも嗅ぐ。
古い木と、水が溜まって引いたあとの匂い。
現場でよく嗅ぐやつだ。
押し入れの奥とか、ベランダの物置とか。
「湿気っすね」
「……は?」
「底板、腐ってます。これ長いこと床に直置きでした?すのこ1枚かますだけで全然違いますよ」
目がまばたきした。
した気がする。
いちばん手前の手と目が合った。
……いや、手に目はないんだけど。
雰囲気で。
とりあえず会釈しておく。
「どうも。お邪魔してます」
手がびくっと縮んだ。
ずるずると箱の奥に引っこんでいく。
目も一緒に、指の隙間に沈んで見えなくなった。
……挨拶、まずかったかな。
「白洲さん」
烏丸さんがこっちを見ていた。
さっきまでと同じ顔で。
でも目だけが少しだけ細い。
「怖くないんですか?」
「特には」
「採用です」
烏丸さんは小さく拍手までしていた。
「お前マジか」
観葉植物の後ろから真壁さんの声がした。
葉っぱが震えていた。
◇
23時。
真壁さんが淹れてくれたお茶は、半分くらいソーサーにこぼれていた。
「……悪い。こぼした」
「見れば分かります」
「では改めて、宵帳のお仕事を説明しますね」
烏丸さんが指を3本立てる。
「怪異と人の境界を調整します。職員は怪異と契約して力を借ります。怪異は人の恐怖を食べます。以上です」
「ざっくりしてますね」
「細かいことは現場で覚えるのがいちばんですから」
3行で終わった。
入社説明会、3行。
怪異は人の恐怖を食べる。
……ってことは。
「じゃあ俺、食うとこないっすね」
「……そうなりますね」
烏丸さんの笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
「何か質問はありますか?」
「時給って、いつから出ます?」
「……そこなんですか」
そこへ真壁さんがファイルを抱えて戻ってきた。
「室長。夜見坂の件、どうします」
「ちょうどいいですね。白洲さんにも同行してもらいましょう」
「は?いや無理無理無理。新人連れてく案件じゃないでしょ」
真壁さんがファイルを机に置く。
写真が1枚はみ出した。
駅のホーム。
誰も写っていない。
「東亜線の夜見坂駅。終電の後のホームから人が消えてる」
「消えてる」
「昨夜も会社員が1人だ。防犯カメラには、ベンチに座ったとこまでしか映ってねえ」
真壁さんは写真から目を逸らした。
自分で持ってきたのに。
「研修です」
烏丸さんはにこやかだった。
「室長、こいつ今日来たばっかですよ」
「だから研修なんです。それに白洲さんの時給は、もう発生していますから」
俺は立ち上がった。
「行きます」
「お前マジか」
本日2回目。
真壁さんは長いため息をついて、上着の内ポケットから紙を1枚出した。
黄ばんだ紙だった。
四つ折りの跡がすり切れている。
『終電の後に、次の電車を尋ねてはいけない』
「……これだけは守れ。いいな」
紙を受け取る。
裏返しても何も書いてない。
◇
0時38分。
夜見坂駅。2番線ホーム。
自販機のうなる音だけがしていた。
終電はとっくに出ていった。
ホームの明かりは半分落ちていて、自販機の光だけがやけに白い。
「……おい白洲。離れんなよ」
真壁さんが俺の腕を掴んでいる。
改札からずっと掴んでいる。
指が食い込んで地味に痛い。
「真壁さん、この仕事何年目なんすか」
「……5年」
「5年でそれなんすか」
「5年経っても怖えもんは怖えんだよ!」
声がホームに反響した。
真壁さんは慌てて自分の口を押さえた。
特殊清掃の現場もそうだった。
何年やっても吐く人は吐く。
親父はそういう人を笑わなかった。
だから俺も笑わない。
腕は痛いけど。
真壁さんを引きずったまま、ベンチの前まで歩く。
写真に写っていたベンチだ。
座面の端だけ埃がない。
人ひとり分。
ちょうど尻の形に。
その下に、黒い革靴が片方だけ転がっていた。
かかとが擦り減っている。
外回りの多い人の減り方だ。
「真壁さん。これ、昨夜の人のですかね」
「触んな!拾うな!見るな!」
「見るなは無理じゃないですか」
片方だけ置いていく理由は、だいたい2つしかない。
慌てて脱げたか。
誰かに引っぱられたか。
どっちにしても、本人はここから歩いて出ていってない。
ジ、と電光掲示板が鳴った。
『次発 0:41 待合』
待合。
そんな駅は東亜線にない。
というか、たぶんどの路線にもない。
「……来た」
真壁さんの指にさらに力が入った。
ベンチの横。
さっきまで誰もいなかった場所に、女が立っていた。
紺のロングコート。
黒くて長い髪。
前髪で顔が半分隠れている。
白い手袋の手首に、細い腕時計。
女は腕時計を見ていた。
ずっと見ていた。
秒針の音がここまで聞こえる気がする。
いつからいたんだろう。
足音はしなかった。
「白洲……白洲……」
膝が笑っている。
掴まれた腕ごと俺までガタガタ揺れる。
酔うわ、これ。
女が顔を上げた。
こっちを見る。
真壁さんじゃなくて、俺を。
コツ、コツ。
ヒールの音が近づいてくる。
今度はちゃんと聞こえた。
女は俺の目の前で止まった。
近くで見ると、コートの裾がほんの少しだけ濡れている。
雨は降ってない。
「次の電車を、お探しでございますか」
静かな声だった。
駅のアナウンスみたいに平らな声。
「……答えるな」
真壁さんが耳元でささやく。
ほとんど息だけの声だった。
答えるな。
尋ねてはいけない。
……じゃあ、こっちから聞くのはどうなんだ。
女は待っている。
腕時計に指を添えたまま。
俺の返事を。
まあいいか。
「何駅まで行きます?」
女の腕時計の針が止まった。




