もう一人の俺と、最後の選択
扉の向こうに入った瞬間、俺は固まった。
そこにいたのは、俺自身だった。
同じ顔、同じ体格。しかし纏う雰囲気が全く違う。
目が鋭い。全身から尋常でない魔力が溢れている。装備は最高級。スキルの気配は俺より遥かに濃い。圧倒的強者の評価。
「やあ、健太」
もう一人の俺が笑った。
「俺は【適応体】。お前がこの世界に完全に溶け込んだ場合の、仮想存在だ」
「……俺が残ることを選んだ場合の俺、か」
「正確に言えば、お前の中にある『残りたい』という気持ちが具現化したものだ。お前、本当は分かってるだろ? この世界の方が面白いって」
否定できなかった。
確かに、この2ヶ月は面白かった。【万能解析】を使い、戦略を練り、仲間と戦う日々。元の世界で残業しながらパソコンに向かっていた日々とは比べ物にならないほど充実していた。
「俺は異世界の勇者になれる。お前には分かってるはずだ」
「分かってる」
「じゃあ残れよ。帰る必要はない」
「帰る」
「なぜだ? 元の世界に何がある。残業と通勤と、大して面白くもない仕事だろ」
「猫がいる」
「……は?」
「部屋で待ってる猫がいる。俺が帰らないと、餌をくれる人間がいない」
【適応体】が絶句した。
「それだけか。世界規模の話をしてるのに、猫一匹のために帰るのか」
「他にもある。月曜のプレゼン、録画したドラマ、行きつけのラーメン屋、馴染みのネトゲのギルドメンバー。全部、俺が帰るのを待ってる」
「そんな些細なことのために――」
「些細じゃない」
俺は真っ直ぐに自分自身を見つめた。
「お前は俺の中の『残りたい気持ち』だって言った。確かにそれはある。でも、俺の中には『帰りたい気持ち』の方がずっと大きくある。この2ヶ月ずっと、それだけで動いてきた」
「……」
「お前は俺が諦めて残ることを望んでる。でも俺は諦めない。絶対に帰る。それが俺という人間だ」
【適応体】が剣を抜いた。
「……やっぱり分かり合えないな。じゃあ力で決めよう」
「ああ、そうしよう」
戦いが始まった。
【万能解析】同士のぶつかり合いだ。互いに相手の動きを読み、最適解をぶつけ合う。完全な互角。どれだけ戦っても決着がつかない。
「やっぱり対等だ。俺を倒す方法は存在しない」
「……一つだけある」
俺は構えを変えた。
「お前と俺の違いは何だ?」
「同じ人間だ」
「違う。お前は俺が100%この世界に適応した存在だ。つまり、お前にはもう元の世界への未練がない」
「そうだ。それが何だ」
「俺には未練がある。だから、お前よりも帰りたい気持ちが強い。その差だけが、俺たちの違いだ」
俺は全ての魔力を一点に集中させた。
【万能解析】LV15、全スキル同時発動、エリスから貰った魔力の残滓、2ヶ月分の戦闘経験、全てを拳に込める。
「帰る。絶対に帰る。猫が待ってる。プレゼンがある。ラーメンが食いたい。それだけで、俺は誰にも負けない!」
「バカが……そんな理由で――」
拳が【適応体】の胸を貫いた。
心臓の位置にある魔核が砕ける感触。
「……なるほど」
【適応体】が崩れながら、笑った。
「お前の帰りたい気持ち、本物だったな」
「ああ」
「じゃあ帰れよ。俺の分まで、ちゃんと生きろ」
「……ありがとう」
【適応体】が消えた。
空間が揺れ、光の柱が立ち昇る。
管理者の声が聞こえた。
「全ての試練を終えた。約束通り、元の世界への扉を開く」
目の前に、巨大な光の門が現れた。
俺はエリスを振り返った。
彼女は泣いていた。声も出さずに、ただ涙を流していた。
「エリス」
「……はい」
「お前のことを忘れない。約束する」
「……はい」
「マリアのことも頼む。あいつ、ちゃんとしてないと酒浸りになるから」
エリスが泣き笑いで頷いた。
「レオンたちも、いい冒険者になれる。お前が研究を続ければ、次の召喚者を帰す方法も見つかるかもしれない」
「……見つけます。絶対に見つけます」
「ああ。お前なら見つけられる」
「ケンタさん」
「ん?」
エリスが俺に駆け寄り、強く抱きついた。
「会えてよかったです。本当に、会えてよかった」
俺は彼女の背中に手を回した。
「俺もだ」
しばらく、そのまま立っていた。
それから、俺はゆっくり離れた。
「行くぞ」
「……はい」
俺は光の門へ、一歩を踏み出した。




