19 続・異世界生活の始まり
暫し歩いた先に見えてきたのは、周りの店より随分と規模の小さな店だ。
馬車の中から見た情報は正しかったようで、看板には時計の絵が描かれている。規模こそ小さいものの、深緑色の渋い外観とステンドグラスドアからは高級感が漂っており、気軽に入れる店ではなさそうだった。
普通の大学生であれば腕時計の一つや二つは持っていて、学校帰りともなれば大抵の者が身に着けていただろう。が、家からほとんど出ることのできなかったイズミには必要なかったため、一つとして持っておらず、こちらに来る際にも当然持ち合わせていなかった。
普段は家の時計で、たまの外出にしてもスマホで十分だったのだ。
しかし、この世界ではスマホで時刻を確認するわけにもいかない。街中であんなものを持ち歩いていたら、それこそよからぬ輩に目をつけられるだろう。かといって時間にうるさい日本人の一人として、正確な時刻が分からないまま過ごすのも落ち着かない。
だから時計も早めに欲しいと考えていた。
雑貨屋で手頃なものがあれば良かったのだが、残念なことに時計の類はなかった。今にして思えばギルド以外で時計を見た覚えがないのだから、この世界の人々はあまり時間を気にしないのかもしれない。
まあ、一日三度の鐘の音で大体の時刻が分かるから、問題ないと言えばないが。
従魔の記載がないことを確認して扉を押し開ける。
「チリン」と涼やかな鈴の音に続き、
「……いらっしゃい」
店員らしき男性の声がイズミを迎えた。
こじんまりとした店内の中央にはカウンターケースが設えられ、その奥では店員らしき初老の男性が作業をしている。壁には一面、色んなタイプの壁かけ時計が展示されており、ガラス張りのケースには高級そうな革の腕時計、それと懐中時計の数々が並んでいた。
他に客の姿はなく、大通りに面した店にしては随分と静かだ。
とは言え嫌な静けさではなく、あちこちから聞こえる秒針が時を刻む音が心地良かった。
イズミは静かにカウンターへ近づき、中を覗き込む。
右半分には腕時計が、左半分には懐中時計が並べられており、値段は日本円にして三千円ほどのお手頃なものから、上は数十万ほどのものまでと実にピンキリだ。当然、イズミに数十万もの品を買う財力や気力はないので、数千円~一万円程度の品を探す。
すると、値段がピッタリ一万円で、フタに花と蔓のような模様のあしらわれた金色の小振りな懐中時計を見つけ、イズミは自然とガラスケースへ顔を寄せた。
フタが閉じているため文字盤は見えないが、予算内の商品では一番好みのデザインだ。男性に声をかけ中も見せてもらうと、シンプルな文字盤で見やすかったこともあり、それを購入することにした。
動力である魔石を組み込み、時刻を合わせながら男性が問う。
「……手入れの仕方は分かるか」
「あ、いえ。すみません」
「……時計も魔道具の一種だ。見ての通り動力は魔力だから、止まったら内蔵された魔石に魔力を注げば再び動く。自分で出来ない場合は持って来ればこちらで補充する」
「なるほど」
「……ただし、補充を繰り返せば魔石が劣化して壊れるから、その時は店で魔石を交換するしかない。その時ついでにメンテもする。雑に扱わなければ二、三年はもつはずだ。外側は付属の布で定期的に拭くだけでいい」
「分かりました。ご丁寧にありがとうございます、大切に使いますね」
「……ああ」
会計を済ませ箱に入れてもらった商品を受け取ると、そのままバッグへしまう。あとできっちり防汚スキルをかけてから使うつもりであるため、使用は今暫くお預けだ。
そうして内心ウキウキしながら店を出るべく踵を返したところで、
「あ、あれ? いつの間に……?」
『ワフッ!』
出入口の脇に二頭の犬――ではなく、狼らしき動物が鎮座しており、足を止めた。二頭はどこか機嫌が良さそうに尻尾を緩く振りながらイズミを見上げている。
「……ウチの警備員だ。さっきまではサボってていなかっただけから、気にするな」
「な、なるほど。お邪魔しました」
二頭に軽く頭を下げると、まいど! とでも言うように『ワフッ!』と元気な声が返ってきて、イズミは思わず笑みを浮かべながら店を後にした。
少しばかり高級な店だったため、店主一人で防犯面は大丈夫なのかと余計な心配をしていたが、その実しっかり警備員がいたらしい。恐らく店主が魔物使いなのだろう。客のみならず店側にも魔物使いがいるとは、流石は冒険者の街だなぁと改めて感心したイズミだった。
その近くの停留所から馬車へ乗り込みサブマスの家へ戻ると、リビングで寛いでいたアリア達に声をかける。
イズミが賢者であることは、既にサブマスがアリアとエリーゼに伝えてくれている。そのため“部屋で勉強をする”と伝えれば察してくれたようで、イズミに飛びつこうとするラウラをアリアが止めていて、思わず苦笑した。
当然、ラウラは不満げで頬をぷっくり膨らませている。
そんなラウラをなだめるべく、あとで遊ぼうと約束をしてイズミは部屋へ戻った。
イズミには兄三人と弟が一人いるが、弟はどちらかと言えば大人しく、遊んでと要求されることもなかった。まあ、兄が三人もいるのだからそちらと遊べば事足りるだろうし、イズミの持病について早い段階で理解していたこともあるだろうが。
そのため、遊んで! 構って! と、ちょこちょこ後をついて来るラウラの反応は、イズミにとって新鮮で可愛らしい。妹がいたらこんな感じだったのかもしれないと、少しばかり過った郷愁を振り払う。
早く勉強を終わらせて遊んであげよう! と気合いが入り、ワラビには自由に過ごすよう告げてソファーへ腰かけると、さっそく残りの資料へ目を通す。
途中、影収納から筆記用具を取り出してマーカーで線を引きつつ、教科書さながらに読み込んでいく。
持病のせいで過保護だった家族はイズミに勉強を強要することもなかったため、イズミは勉強が嫌いではない。ガチの文系で理数には猛烈な拒否反応が出るのは難点だが、その他は割と楽しく学べるのだ。
特に、この世界ではいざという時に頼れるのは自分だけなのだから、しっかり学ばなくては。家族のように、無条件で命をかけてイズミを守ってくれる人はいないのだから――。
そうして奮闘した結果、サブマスが帰宅して夕食の時間になるまで集中してしまい、イズミは寝るまでの時間をずっとラウラにあてることになったのだった。
◆
「洗剤をここに、柔軟剤をこっちに入れて、ここを押すと……ほら、始まったでしょう?」
「わっ、凄い! にほ……私の故郷のものと全く同じです!」
「お洗たく楽しいよね!」
『わー、ぐるぐるしてて楽しそう! 入っていいー!?』
「「「だ、だめ!」」」
ギルドからもらった資料で、この世界について軽く勉強をした翌日。
イズミは朝からアリア達について回り、魔道具の使い方を教わっていた。
資料で基礎を学んでも、実際に自分の手で動かせなければ意味がない。
今はランドリールームにて家庭用大型魔道具の一つ――洗濯機の使い方について、エリーゼから指南を受けているところだ。
やはり魔道具には賢者の知識が用いられているようで、目の前でぐーるぐる回るそれは、日本で言う縦型の洗濯機と何ら遜色がない。
唯一の違いは、魔導具の動力が魔石であるということだ。そのため、全ての魔道具には分かりやすい位置に車の給油口のようなフタがあり、そこを開けると魔石を交換できるようになっている。
大型の魔道具もイズミの買った時計同様、魔石が壊れない限りは魔力を注げば再び使用できるらしい。が、大型魔道具の魔石ともなると充填する魔力が相当な量になるため、店に魔石を持ち込んで有料で変えてもらった方が早いのだそう。
魔石を安く売っている店は今度教えてもらうことになった。
今現在、イズミの洗濯物も一緒に洗ってもらっている。
イズミの家では下着とニット、飾りのついた物くらいしか入れなかったが、サブマス宅では一人分ずつ洗濯ネットに入れて洗うのがこだわりのようで、そんな家庭の違いも面白いなと思いつつ楽しく勉強していた。
ちなみに、ワラビは定位置で見学中だ。
こちらの洗濯機も作動中は蓋が開かない仕組みで本当に良かった……。
その他、細々としたもの――風呂やドライヤー、灯りの使い方は既にラウラから教わっている。カムイの田舎から来たため使い方を知らないのだと言えばラウラはアッサリ信じてくれて、他にも身近な魔道具の使い方を嬉々として教えてくれた。
とはいえ、流石に大型魔道具の使い方はまだ教わっていなかったようで、今現在イズミと共に勉強中である。
昼前にはキッチン周りの魔道具について教えてもらう予定だ。
特に、実家では料理は危ない――途中で眩暈でも起こしては大変だからと、一度もさせてもらえなかったため、楽しみだったりする。二十歳を超えて目玉焼きすら作ったことがないのは、かなりの劣等感だった。
しかし、それとも今日でおさらばだ。
「さてと。それじゃあ、お洗濯が終わるまで今度はお掃除をしましょうか!」
「了解です!」
「はーい!」
「ここが一番大変だから、頑張りましょうね」
確かに、この広い家を掃除するのは大変そうだ。
イズミは意気込んでアリアとエリーゼ、時々ラウラから家事を教わった。
せっかく初めて作ったのだからと、今日の昼食はアリア達と食べることに。
そうして午後も丸々家事を手伝って夕食も一緒に作ると、帰宅したサブマスは「なにィ!? ラウラとイズミの手料理だと!? 食う食う死んでも食う!!」と大げさなまでに感動して、三回もお代わりをした。
もちろん、そのあと食べ過ぎでダウンしたが……。
アリア達につられて思わず笑ってしまったものの、実家で料理を作ることができていたら、きっと父も兄達も似たような反応をしたに違いない。そう思うと途端に寂しくなって鼻の奥がツンとしたが、ひんやりと心地いいワラビを揉むと多少気も紛れた。
アリアがサブマスを看病している間に、ワラビ、ラウラと風呂へ入ると、買っておいた飲み物を飲みに三人でダイニングへ。
これもまた大型魔道具である冷蔵庫から果実水を取り出し飲んでいたところ、復調したらしいサブマスに呼ばれ、イズミは二階にある書斎へとやって来た。
窓を背にした書斎机の前には応接セットがあり、そのソファーへ座るよう勧められる。
どうやら真面目な話のようで、イズミは何かしてしまったかと不安と緊張でドキドキしながら柔らかなソファーへ腰を下ろす。すると、サブマスが謎の紙袋を手にイズミの正面へ腰かけた。
「寝る前に悪いな。実はイズミに渡してくれって頼まれたものがあるんだよ」
「私に? ギルマスさんからですか?」
「いや、ラウラと一緒に捕らわれてた子供の親からだ。ほら、ラウラより大きな子が一人いただろ?」
そう言われ、天を仰いで思い出す。
とても子供とは思えない、しっかりとしたあの男の子のことを。
「……ああ、あの男の子!」
「そうそう、その子だ。あの子の親はかなりデカい商会の会長でな、支店の視察も兼ねて祭りに来てたんだが、あんなことになっちまってな……。あっちはあっちで金も人員も注ぎ込みまくって子供を探してたんだよ」
「そうだったんですね……」
そう言えば、あの夜サブマスと共にギルドへ行くと貴族のような質の良い服に身を包んだ中年男性がいて、何度も何度も感謝されたことを思い出した。子供を休ませるため、後日お礼をと言って早々に立ち去って行ったが、まさか本当にお礼をくれるとは思っていなかった。
「あの子は商会の跡取りだったらしい。会長がそりゃあもうイズミに感謝しててな、これをぜひって渡されたんだよ」
「開けていいですか?」
もちろん、と頷いたサブマスに促され紙袋の中の包みを開ける。
と、その中身にイズミは思わず歓声を上げた。
「わあ、可愛いバッグですね!」
持ち上げて灯りで照らして見る。
全体的なデザインはシンプルながら、留め具の細工がオシャレなキャメル色の斜めがけバッグだ。小振りなそれは見るからに女性向けの品で、イズミのことを考えて選んだのだと分かる。
「それなんだがな、ただの鞄じゃねえぞ。何と“マジックバッグ”だ!」
「マジックバッグって……亜空間収納と似たアレですか?」
「おう、それだ!」
「へー! 初めて現物を見ました!」
マジックバッグとは、既存スキルの【亜空間収納】と似た効果を持つバッグのことだ。
サブマスいわくマジックバッグには二種類あり、ダンジョンでドロップするものと、付与スキル持ちによって作られたものとがあるのだそう。
どちらもその利便性ゆえに高級品には変わりはないが、ダンジョン産のマジックバッグはシンプルな麻袋タイプであるのに対し、付与によって作られたものはデザイン性や実用性も兼ね備えているため、取り分け高価らしい。
「しかもかなりの容量でな、普通に買おうとしたら白金貨数枚する代物だ」
「白金貨って確か、日本円で百ま……え、白金貨!?」
白金貨は一枚百万ほどなので、それが数枚となると……と考え、イズミは鳥肌が立った。
先日の件でイズミはギルド、もとい領主から白金貨五枚分の報奨をもらったが、それはあくまでも税から捻出されたもののはずで、領主個人が出したわけではない。だというのに、子供の親個人から数百万相当の品をポンと出されて驚くなという方が無理な話だ。
「そっ、そんな品もらえません!!」
可愛い~! などと気軽に触れた自分を殴りたい。
イズミはつい、手にしたマジックバッグを体から遠ざける。可能な範囲で。
しかし、そんなイズミにサブマスは笑って告げた。
「そう言うと思ったよ。でもまあ、貰ってくれって言うんだから貰ってやってくれ。一応聞いたが、返品は受け付けねえから、要らねえなら売るなり人に譲るなりして構わないとさ」
「そんなもったいないことできませんよ!」
「だろ? だから貰うしかねえよ」
「うう……」
「そんだけ感謝してるってことだ。俺だって、もっと金がありゃお前に貴族のお嬢様みたいな暮らしをさせてやりてえくらいには恩を感じてるんだ。だが、今の俺の給料で出来るのは、精々もう一人娘を養う程度だからな」
そう言って、サブマスは頬を掻きつつ視線を逸らす。
照れ隠しのようなその仕草にイズミは思わず笑みを零したが、言葉の意味がじわじわと胸へ沁みて、
「……十分すぎますよ」
ちょっぴり目頭が熱くなり、同じく視線を逸らしながら呟いた。
返品不可と言われては受け取り拒否もできず、結局、ありがたく貰うことに。
影収納は使用時に目立つため、マジックバッグは正直ありがたかった。これなら気兼ねなく買った物を収納できるのだ、嬉しくないはずがない。
ただ、パッと見では分からないだろうとは思うものの、目をつけられる可能性もなくはない。部屋に戻ったらさっそく盗難対策のスキルを作らなければと内心意気込んでいると、まだ話があるようで、サブマスは再び口を開いた。
なぜか、今度はどことなく気まずそうに。
「あー、それと、もう一ついいか」
「なんでしょう?」
「その、ネロについてなんだが……」
「ネロ?」
「ほら、お前に突っかかった黒髪のイケメンがいたろ?」
「……ああ、はい」
途端に表情の曇ったイズミを見て、サブマスは苦笑いを零した。
「あいつのことは本当に済まなかった」
「いえ、サブマスさんが謝ることじゃないですから」
「その、俺からも弁解させてもらうとだな……ネロは孤児でな。物心もつかねえ内から街を彷徨ってたところを俺が保護した縁で、今じゃ家族みたいなもんなんだ。だから、あいつにとっちゃラウラは妹みたいなもんで、俺は親父みたいなもんなんだ。自分で言うのも何だがな」
「そう、でしたか……」
予想外の話にイズミは目を丸める。
と同時に納得もした。それだけの恩と情があるからこそ、あれだけサブマスとラウラの身を案じていたのだ。あの取り乱しようにも納得がいく。
「ああ。だからあいつも、必死にラウラを探してくれたんだ。ろくに食事も休息も取らずにな。そのせいで気が張り詰めて……イズミにあんな態度を取っちまったんだと思う。普段は本当に真面目でいい奴なんだ」
「…………」
「だから、出来たらあんまり嫌わないでやってくれ。寧ろ責められるべきは俺だ。あの時、俺が呆けてないでちゃんと止めてれば、イズミに怖い思いをさせることもなかったんだからな。本当に済まなかった」
そう言って膝に手を突き、深々と頭を下げたサブマスに、イズミは慌てて手を振り否定する。
「サブマスさんが謝ることじゃありませんから、頭を上げてください! 事情を聞いた今ならネロさんの気持ちも理解できましたから」
「……すまん。ありがとう」
正直、サブマスが掘り返さなければ彼についてはすっかり忘れていたくらいだ。
領主から多額の報酬をもらった衝撃を皮切りに、サブマス宅への誘い、街での買い物、アリア達と家事の練習、この世界に関する勉強など……次から次へと新たな出来事が舞い込んでいるのだから、イヤな記憶などアッサリ忘れてしまっても仕方ないだろう。
まあ、思い出したらちょっとだけムッとしたのも事実だが……。
しかし、だからこそサブマスに謝られると困ってしまう。
本当にもう気にしていない――いや、新生活が始まってそれどころではないのだ。
ネロがサブマスと家族同然であり、イズミがサブマス宅で世話になっている以上、今後も顔を見ることくらいはあるかもしれないが、イズミから進んで関わるつもりはない。向こう的にも、イズミと関わる理由はないはずだ。
だから、もう関わることもないだろう――。
そんな考えがそう遠くないうちに外れることを、イズミはまだ知らない。




