第六話 亀裂
イシは、狐里を遠目に見ただけで気づいた。
歩き方が変わっている。
右足を引きずっていた。
術を施してから長い年月が過ぎた。
本来なら、もっと早く壊れていたはずだ。
高祖の組織が狐里を支えていた。
だが今、そのつながりそのものが不安定になっている。
イシは自分の手を見る。
あの少女の足を切った手。
呪符を貼った手。
異物を埋め込んだ手。
命令されたからやった。
金をもらったからやった。
そんな言葉で、ずっと済ませてきた。
「これは止めなければならない。」
弟子が顔を上げる。
イシは呟いた。
「誰かがやらなければならない。」
都では群訴の準備が始まっていた。
旗が縫われた。
食料が集められた。
遠い村から人々が歩いてきた。
ソウノクニから来た者たちも、その中にいた。
武器は持たない。
火も持たない。
記録を持っていた。
狐里は御所からそれを見ていた。
「鎮めろ」
誰も動かない。
「命令や!」
文官たちは目を伏せる。
武官の数は、昨日より減っていた。
高祖から呼び出しが来た。
狐里は国渡を連れて向かった。
地下の部屋。
かつて少女だった狐里が、
人ではないものを足へ埋め込まれた場所だ。
高祖は老いていた。
それでも目だけは変わっていない。
狐里を見る目。
人を見る目ではない。
道具を見る目だった。
高祖の声。
「これはもう役に立たない」
足に亀裂が入った。
意識が遠のく。
視界に国渡が走り込む。
高祖が刺される。
おかしい。
何が起きている?
いやだ。
このままでは終われない。
かえせ。
あたしの時間を。
おかあさんにとってかわるはずだった。
こんなのは違う。
チガウ。
チ、ガウ……
遠くで鐘が鳴っていた。
狐里には、もうそれが何の鐘かわからなかった。
国渡は血のついた刃を捨てた。
高祖を見ない。
狐里も見ない。
ただ階段を上がっていった。
地上には夜があった。
そして、人々がいた。
大路を埋め尽くすほどの人々が、旗を手に歩いている。
その先頭に立つ者が誰なのか、国渡にはわからなかった。
おそらく、誰でもない。
一人が歩いたから、次の一人が歩いた。
その隣を別の一人が歩いた。
それだけだった。
道端では、老いた男が若者に旗を渡していた。
市では女たちが歩いてきた者へ水を配っていた。
寺の門前では、ソウノクニから来た男が古い記録を読み上げていた。
兵たちは槍を持って立っている。
だが誰も構えない。
その一人が、そっと槍を地面へ置いた。
隣の兵がそれを見る。
しばらくして、もう一本の槍が置かれた。
御所の奥では、次の首相へ誰を据えるかがすでに話題になっていた。
秋月泉士の名も挙がっていた。
名門の生まれ。
父も祖父も政に携わった家柄。
若い。
見栄えもいい。
「泉士でよいのではないか」
そう言った者に、同席していた老父が杖を鳴らした。
その一喝が部屋を震わせた。
誰も次の言葉を続けなかった。
狐里一人を引きずり下ろせば終わる。
そう思っている者は、まだ多かった。
だが大路を歩いている人々は、違うことを考え始めている。
狐里は、どこから来たのか。
高祖は、どうやってこの国へ入り込んだのか。
なぜ審理官は裁かなかったのか。
なぜ金は消えたのか。
なぜ外国の言葉ばかりを聞き、
自分たちの声を聞かなかったのか。
そして。
狐里がいなくなっても、同じ仕組みが残るのではないか。
旗の群れが御所へ近づいていく。
静かに。
あまりにも静かに。
だからこそ、その足音だけが都じゅうに響いた。
一歩。
また一歩。
古い国の表面に、目には見えない亀裂が走っていく。
それが国を壊す亀裂なのか。
それとも。
長いあいだ国を覆っていた殻を割る亀裂なのか。
まだ、誰にもわからなかった。




