最強の猫先生は、受け取る
三日前に、知らせが来ていた。
コレットが、今日来る。
撫でに来る、と書いてあったらしい。
撫でられるのは、俺のほうだ。
朝から、エレノアが落ち着かない。
机の引き出しを、開けては閉めている。
開ける。
閉める。
開ける。
閉める。
何をしている。
そのうち、リナを呼んだ。
「リナ。蔵の鍵を」
リナの手が、止まった。
「……蔵、でございますか」
「ええ」
蔵。
あそこに入ったものは、出てこない。
出てくるのか。
*
蔵の扉が、開いた。
初めて見る中だ。
暗い。
冷たい。
棚がある。
干したものの匂いが、まっすぐ来た。
前から、扉の外で嗅いでいた匂いだ。
中は、もっと濃い。
エレノアが、棚から包みを一つ取った。
干物だ。
教会の干物の、残りだ。
「……保存食ですもの」
エレノアは、包みを見ながら言った。
「今が、いざというときですわ」
前に、俺が思ったことだ。
やっと、追いついた。
リナが、手帳を開いた。
「蔵、開扉。……干物、一包み」
書いていい。
今日だけは、書いていい。
俺は、棚の奥へ進んだ。
奥のほうが、匂いが濃い。
もっと奥。
体が、浮いた。
リナだった。
「聖獣様。こちらは、またの機会に」
またの機会は、来るのか。
扉が閉まった。
あそこに入ったものは、出てこない。
入ろうとしたものも、出された。
*
「お邪魔します!」
コレットが来た。
冷たい風と、焼き菓子の匂い。
それと、干物の匂い。
今日は、干物が二つある。
暖炉の前に、しゃがんだ。
手は出さない。
待っている。
俺は、少しだけ腹を向けた。
コレットの手が来た。
耳の後ろだ。
分かっている。
「クロちゃん、毛、まだ抜けてます?」
抜けていない。
「お守りは、いらないって書きました。こっちのほうがいいので」
こっちのほうが、俺もいい。
コレットが、顔を上げた。
暖炉の上を見た。
「あれ、何ですか? 箱」
「……先生のですわ」
「クロちゃんの? 何が入ってるんですか?」
「首輪ですわ。宝石の」
「クロちゃん、宝石持ってるんですか!」
「お使いには、なっていませんけれど」
食えない。
「もったいないですね」
「先生は、そうはお思いになりませんの」
思わない。
コレットは、箱と俺を見比べて、うなずいた。
「クロちゃんは、干物のほうがいいですもんね」
分かっている。
コレットが、干物の包みを出した。
「これ、クロちゃんの。……あ、エレノア様を通して、ですよね」
エレノアが、自分の包みを持って隣にしゃがんだ。
「……今日は、結構ですわ」
「え?」
「直接で、結構ですわ」
コレットが、目を丸くした。
それから、笑った。
「じゃあ、一緒に」
二人が、同時に干物を出した。
右から一枚。
左から一枚。
……。
どちらから食べる。
どちらも食べる。
右をかじった。
左をかじった。
右。
左。
なぜか、いい。
干物がうまいのは知っている。
だが、これは、それとは別にいい。
理由は知らん。
壁際で、リナが手帳を開いた。
「聖獣様、干物、二枚。……ご機嫌」
書くな。
合っているから、書くな。
*
干物がなくなった。
俺は、暖炉の前で丸くなった。
エレノアが立って、机へ行った。
引き出しを開けた。
今度は、閉めなかった。
紙を、一枚出した。
古い紙だ。
前に、半分だけ出して、しまった紙だ。
俺が上で寝たかもしれない紙だ。
俺は、首を伸ばして嗅いだ。
インクの匂い。
古い紙の匂い。
……俺の匂いが、少しする。
やはり、俺が寝た紙だ。
エレノアは、それを持って戻ってきた。
コレットの前に、立った。
何か言いかけて、やめた。
紙を、差し出した。
「……ずっと前に、書いたものですわ」
コレットが、両手で受け取った。
読んだ。
字は読めるが、興味がない。
……短い。
一行と、もう一つ。
名前が、一つ書いてある。
この女の名前だ。
コレットは、黙っていた。
いつもは、黙らない女だ。
「……これ、紙、ちょっと黄色いです」
「古いのですわ」
「いつの、ですか」
「……舞踏会の、あとの」
コレットが、もう一度、紙を見た。
「ずっと、持ってたんですか」
「……出しそびれましたの」
コレットは、紙を胸の前で持った。
両手で。
夜会の招待状と、同じ持ち方だ。
「……ありがとうございます」
「お礼を書いた手紙に、お礼を言われても困りますわ」
「じゃあ、どういたしまして、です」
「それは、私が言うほうですわ」
話が戻った。
*
エレノアが、窓の外を見た。
それから、コレットを見た。
「次は、もっと上手くやりますわ」
「何をですか?」
「……手紙を、ですわ。今度は、すぐに出します」
上手くやるとは、これか。
コレットが、笑った。
声を上げて、笑った。
エレノアも、笑った。
声を、少しだけ出して。
二人とも、笑っている。
暖炉の火が、二人の顔に当たっている。
……。
誰かが、こういうのを見たがっていた気がする。
誰かは、知らん。
知らんが。
なら、このワガママな令嬢の笑顔くらい、守ってやる。
――その前に。
今夜はサーモンだ。
最高級のな。
*
日が傾いて、コレットが帰った。
紙は、胸に抱えたままだった。
馬車は、間違えなかった。
エレノアは、机に向かった。
新しい紙を、一枚出した。
ペンを持った。
書いた。
止まらなかった。
くしゃ、ともならなかった。
封をした。
「リナ。明日の朝、これを男爵家へ」
「……明日の朝、でございますか」
「ええ。すぐに出すと、申しましたもの」
リナが、封筒を受け取った。
手帳は、開かなかった。
夜。
夕食の皿が来た。
魚だ。
いつもの魚だ。
小さくも、大きくもない。
サーモンでは、なかった。
……まあいい。
今日は、干物が二枚あった。




