最強の猫先生は、席に着かない
暖炉の前。
今日は、背中から焼く。
昨日は腹からだった。
順番は大事だ。
屋敷じゅうが、走っている。
椅子が運ばれる。
皿が運ばれる。
花が運ばれる。
俺は運ばれない。
夜会は、明日らしい。
「お嬢様。席次の、最後の確認でございます」
リナが、紙を読み上げ始めた。
「使節様は、上座の中央に」
「ええ」
「その右に、旦那様」
「ええ」
「左に……」
リナが、少し止まった。
「聖獣様のお席を、とのご希望です。使節様から、改めてお手紙で」
エレノアのペンが、止まった。
前に、エレノアが言ったことだ。
冗談、と言っていた。
「……冗談で、済みませんでしたわね」
済まなかったらしい。
知らん。
席より、暖炉だ。
「続けて。ローデン子爵様は、窓側の三番目に」
知らん。
「ヴェルナー伯爵家の皆様は、その向かいに」
「……ええ」
これも知らん。
知らん名前が、まだ続く。
俺は、寝た。
*
昼前、裏口のほうから魚の匂いがした。
起きた。
知っている名前より、知っている匂いだ。
裏口へ行った。
出入りの魚屋が、籠を抱えて立っていた。
親方と呼ばれている男だ。
手が赤い。
籠の中に、川の魚が並んでいる。
泥と水草の匂い。
それと、魚の匂い。
いい匂いだ。
エレノアも、厨房から出てきていた。
「明日の分の、見本でございます」
「ご苦労さま」
エレノアが、籠をのぞいた。
「仕入れ先の方から、あちらの方は川魚がお好みだと伺いまして。脂の乗ったものを選んでございます」
「助かりますわ」
親方は、籠の端から一匹を取り分けた。
俺を見た。
そうだ。
こっちだ。
「こちらは、聖獣様に」
魚は、エレノアの手に渡った。
……知っていた。
知っていたが、言わせろ。
俺を通せ。
エレノアは、厨房の小さなナイフを借りた。
魚の真ん中に、刃が入った。
半分。
その半分。
また、その半分。
この手つきは、知っている。
知っているから、嫌だ。
「……このくらいかしら」
皿の上に、一切れ。
親方が、皿と籠を見比べた。
何も言わなかった。
賢い。
俺は、一切れを食べた。
川の魚は、川の味がする。
……一切れぶん、うまい。
「先生、いかがでした?」
足りない。
「明日は、もう少し大きく切って差し上げますわ」
もう少し、とは何だ。
*
昼過ぎ、リナが報告に来た。
「臨時の給仕の手配が、つきました」
「何人?」
「四人でございます。仕立屋さんの伝手で二人。町の口入れ屋から、二人」
「口入れ屋は、どちらの?」
「こちらのお屋敷にも、前から人を入れているお店でございます」
「そう」
エレノアは、少し考えた。
「名前と、どなたのご紹介か。あなたと家令とで、控えておいて」
「かしこまりました」
リナが、手帳に書いた。
これも、書くらしい。
「それから、仕立屋に、給仕の上着を四着、追加で」
夕方には、もう仕立屋が来ていた。
首に、巻尺をかけている。
腕に、白い上着が四枚。
四人は、明日にならないと来ない。
だから、寸法は屋敷の者で合わせるらしい。
家令が、一着目を着せられた。
「……肩が、余りますな」
「では、こちらを」
二着目。
「……袖が、足りませんな」
「で、では、こちらを……」
三着目は、若い使用人が着た。
裾が、膝まであった。
四着目は、暖炉のそばの椅子に掛けられていた。
温まっている。
袖の口が、開いている。
中は、暗い。
狭い。
入った。
……悪くない。
「せ、聖獣様が……袖を、お通しに……」
仕立屋の声が、裏返った。
「先生。それは、給仕の上着ですわ」
知っている。
暖かい。
「わ、私は……この度は、何も……!」
「知っていますわ。寸法の話をなさい」
「は、はい……!」
仕立屋は、俺の入っていない三着だけを測り直した。
賢い。
「四着と……聖獣様のぶんも、お作りいたしましょうか」
「四着で結構ですわ」
結構ではない。
これは、いい袖だ。
*
夕食の前に、エレノアが立ち上がった。
「お父様に、お話がございますの」
リナが、少しだけ顔を上げた。
エレノアは、廊下へ出た。
俺も出た。
廊下の奥から、火の匂いがしたからだ。
この男の部屋にも、暖炉があるらしい。
エレノアが戸を叩いた。
「入れ」
男は、棚の前に立っていた。
暖炉の前に、椅子が一脚ある。
背が高い。
肘掛けがある。
座面が深い。
空いている。
乗った。
沈んだ。
……これは、いい。
男が振り返った。
俺を見た。
「……そうか」
男は、机の前の椅子に座った。
あちらは、硬そうだ。
「お父様。夜会の前に、お耳に入れておきたいことがございます」
男が、顔を上げた。
エレノアは、立ったまま話し始めた。
「手袋の職人が、ある商会の方から、お父様がお屋敷にいらっしゃることが多いのか、と尋ねられました」
「そうか」
「先日は、夜会の日取りを」
「そうか」
「出入りの宝石商が、夜会のお客様のことを、どなたかに細かく聞かれた、と。仕立屋が知らせてくれました」
「そうか」
「リナも、町で、お父様のご予定を尋ねられております」
「……そうか」
「どなたも、存じません、と答えております」
エレノアは、そこで止まった。
男は、何も言わなかった。
薪が、ぱち、と鳴った。
もう一度、鳴った。
長い。
「……屋敷のことは、任せる」
男が言った。
「客のことは、私が見る」
エレノアは、少しの間、動かなかった。
「……はい」
それだけ言って、頭を下げた。
エレノアが出ていった。
男は、また紙を広げた。
俺は、動かなかった。
この椅子は、暖炉に近い。
*
盆を持った使用人が、戸口で止まった。
もう一人が、後ろからのぞいた。
「……旦那様と、聖獣様が」
「お二人きりで」
「夜会の前に、密談を……」
二人は、そっと戸を閉めた。
*
違う。
こいつの椅子で、寝ているだけだ。
男は、紙をめくっている。
ときどき、俺を見る。
何も言わない。
俺も、何も言わない。
密談とは、こういうものではないと思う。
*
夜。
居間に戻ると、使節用の椅子に白い布がかけてあった。
背の高い、金の糸の椅子だ。
前に、俺が沈んだ椅子だ。
布の上なら、もっと暖かい。
乗った。
足が、布に沈みかけた。
その前に、体が浮いた。
リナだった。
「明日まで、お待ちくださいませ」
待てん。
リナは、俺を暖炉の前に下ろした。
布の皺を、手で伸ばした。
手帳は、開かなかった。
暖炉の前。
背中が冷えている。
焼き直しだ。
明日は、魚だ。




