↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/47

最強の猫先生は、噂を聞かない

暖炉の前。

 背中を焼いて、腹を焼いて、また背中を焼く。

 これを、一日に何度もやる。

 忙しい。

 使用人が、薪を足しに来る。

 俺は、少しずれる。

 使用人も、少しずれる。

 ……お互いに、慣れた。

 扉が開いた。

 リナが戻ってきた。

 用事で外へ出ていたらしい。

 冷たい空気と一緒に、外の匂いがした。

 石畳と、人ごみと、焼き菓子。

 前と同じ匂いだ。

 リナは、まっすぐエレノアの机へ行った。

「お嬢様」

「……ええ」

 エレノアが、ペンを置いた。

 前にも見た顔だ。

 リナも、エレノアも。

「また、声をかけられました」

「同じ方?」

「はい」

 リナは、手帳を胸の前で持っていた。

 開いてはいない。

「夜会の日の、お嬢様のご予定を、と」

「……ええ」

「それから」

 リナが、少しだけ俺のほうを見た。

「あの猫は、夜会に出るのか、と」

 俺のことか。

 出る。

 暖炉があれば出る。

 なければ出ない。

 猫が夜会に出るか出ないか。

 人間は、暇だな。

 エレノアが、ゆっくりと俺を見た。

 俺は、腹を焼いていた。

「……先生のことまで、お聞きになるのね」

 聞くなら、魚のことを聞け。

*

 リナは、まだ立っていた。

 手帳を握る指に、力が入っている。

「それと……弟のことを、持ち出されました」

 エレノアの眉が、少し動いた。

「トーマを?」

「借金のことを、忘れるな、と」

 部屋が、静かになった。

 暖炉の薪が、ぱち、と鳴った。

 エレノアは、少しの間、黙っていた。

「……トーマの借金は、とうに片づいていますわ」

「はい」

「あちらは、それをご存じないのね」

「そのようでございました」

 リナの声は、震えていなかった。

「ですから、存じません、と申し上げました」

「予定のことも?」

「はい。猫のことも」

 俺のことも、存じないのか。

 まあいい。

 俺も、あいつらのことは存じない。

 エレノアは、リナを見ていた。

「……そう」

 それだけだった。

 リナは、頭を下げて下がりかけて、止まった。

「……お嬢様。聖獣様は、夜会にお出になるのでしょうか」

「先生、お出になりますの?」

 エレノアが、俺に聞いた。

 俺は、寝返りを打った。

 背中を焼く番だ。

「……まだ、お決めになっていないようですわ」

 リナが、手帳を開いた。

「聖獣様、出欠未定」

 書くな。

 リナは、手帳を閉じて下がった。

 あいつらの話は、最後まで書かなかった。

*

 昼過ぎ、客が来た。

 手袋職人だ。

 革の匂いがする。

 魚の匂いはしない。

 また関係がない。

 ……いや。

 あの男の手袋には、前脚を二度入れた。

 二度目は、置き忘れだ。

 俺のせいではない。

「お嬢様。お呼びでもないのに、申し訳ございません」

「どうなさいましたの」

「あの商会の方が、また見えまして」

 職人は、帽子を両手で持っていた。

「今度は、夜会の日取りを、それとなく」

「……それで?」

「存じません、と申し上げました」

 職人は、少しだけ笑った。

「前にも、そう申しましたので。同じことを申すのは、得意でございます」

 エレノアの口の端が、少し動いた。

「それと……先日は、片方をお忘れいたしまして」

「先生が、お入れになりましたわ。二度目」

「……光栄でございます」

 光栄にするな。

 その時、扉がまた叩かれた。

 仕立屋だった。

 首に、巻尺をかけている。

「お、お嬢様。お呼びでもないのに――」

 同じことを言っている。

「宝石商さんから、伺いまして。夜会のお客様のことを、どなたかに細かく聞かれた、と」

 職人と仕立屋が、顔を見合わせた。

 二人とも、少し気まずそうだった。

 仕立屋は、巻尺を両手で握りしめている。

 今日は、揺らしていない。

 ……つまらん。

 エレノアは、二人を順に見た。

「……仕事でもないのに、わざわざ」

「これも、仕事のうちでございます」

 職人が言った。

 仕立屋が、何度もうなずいた。

 エレノアは、しばらく黙っていた。

 それから、言った。

「……ありがとう。助かりますわ」

 二人が、深く頭を下げた。

*

 頭を上げた二人が、暖炉の前の俺に気づいた。

 職人が、俺に頭を下げた。

 仕立屋も、俺に頭を下げた。

 さっきより深い。

「聖獣様が、すべてお見通しで……私どもを、お呼び寄せになったのですね……」

 仕立屋が、震える声で言った。

 違う。

 呼んでいない。

 お前たちが勝手に来た。

 頭を下げるなら、魚を持ってこい。

 二人は、手ぶらで帰っていった。

 誰も、魚を持ってこない。

 この屋敷に来る者は、みんなそうだ。

*

 その日の午後、ヴェルナー伯爵家の茶会。

「お聞きになりました? 例の公爵家の夜会」

 マルグリットが、扇の陰で笑った。

「隣国の方をお招きするんですって。猫に頭を下げる方の夜会に」

「まあ」

「私も、お招きいただいたのよ。お断りするわけにもいかなくて」

 マルグリットは、茶碗を置いた。

「何をお出しになるのかしら。猫の餌?」

 小さな笑い声が、いくつか重なった。

 ベアトリスだけが、笑わずに茶を飲んでいた。

*

 夕方。

 エレノアは、机で紙を読み返していた。

 今日のこと。

 前のこと。

 リナが書いたもの。

 職人と仕立屋の話。

 俺は、暖炉の前で背中を焼いていた。

「お嬢様」

 リナが言った。

「夜会は……お取りやめに、なさいますか」

 エレノアは、紙から目を上げなかった。

「取りやめれば、隣国の方への非礼になりますわ」

「はい」

「お父様のお仕事に、泥を塗ることになります」

「……はい」

「ですから、やります」

 エレノアは、紙を一枚めくった。

「ちゃんと、やりますわ」

 ちゃんと、魚も出せ。

 リナは、それ以上何も言わなかった。

 しばらくして、手帳を開いた。

「それと、お嬢様。当日の給仕の手が、四人ほど足りません」

「……前日までに、手配を」

「かしこまりました」

 リナが、何か書いた。

 給仕のことは、書くらしい。

*

 夜。

 暖炉の前。

 猫について、聞かれたらしい。

 夜会に出るのか、と。

 ……知らん。

 暖炉がある。

 夜会には、魚が出る。

 それで十分だ。

 暖炉の上には、あの箱がある。

 光っている。

 暖炉の上も、にぎやかになった。

 薪が、ぱち、と鳴った。

 俺は、腹を焼いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。