↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/47

最強の猫先生は、寄り添わない

昼の一刻だけ、蔵の前が暖かくなる。

 朝は霜が降りている。

 夕方は風が来る。

 だが昼の一刻だけ、蔵の白い壁に日が当たって、石段に溜まる。

 暖炉より、暖かい。

 俺は、暖炉の前から出張した。

 廊下は寒い。

 裏口は、もっと寒い。

 それでも行く。

 昼の一刻のためだ。

 蔵の前。

 クッションの上。

 扉は、今日も開かない。

 匂いは、今日もする。

 これでいい。

*

「殿下が、また」

「三度目よ」

「今日は、何をお持ちかしら」

「さあ……」

*

 足音がした。

 エレノアと、もう一人。

 背が高い。

 眉が動く男だ。

 皇太子は、三歩ほど離れたところで止まった。

 前と同じ場所だ。

 覚えているらしい。

「……先生次第ですわ」

 皇太子が何か言う前に、エレノアが言った。

「分かっている」

 エレノアは、盆に載せてきた茶を石段の端に置いた。

「冷めないうちに、どうぞ」

 それだけ言って、屋敷へ戻っていった。

 振り返らなかった。

 前と同じだ。

 こいつも、覚えているらしい。

*

 皇太子は、上着の内から何かを出した。

 小さな箱だ。

 開ける。

 中で、何かが光った。

 首輪だ。

 細い革に、青い石がいくつも並んでいる。

 日を受けて、きらきらする。

「お前に、と思ってな」

 光る。

 食えない。

 俺は、目を閉じた。

「……宝石だぞ」

 知っている。

 食えない。

 皇太子は、首輪を俺の鼻先まで近づけた。

 嗅いだ。

 革の匂いだ。

 手袋と同じだ。

 前脚は、入れん。

「お前がこちらへ来たら、これをやる」

 食えないものは、いらん。

「……いや」

 皇太子は、自分で首を振った。

「それも、呼んだことになるな」

 なる。

 なるから、やめておけ。

 皇太子は、しばらく首輪を差し出したままでいた。

 それから、箱にしまった。

 ぱちん、と蓋が閉まった。

 耳が向いた。

 勝手に向くのだ。

 怒った顔は、しなかった。

 箱を、石段の茶の盆の隣に置いた。

 茶のほうが、まだましだ。

 あれも、飲まんが。

*

「クロ」

 呼ばれている。

 知らん。

 皇太子が、指を鳴らした。

 ぱちん。

 耳が向いた。

 だから、勝手に向くと言っている。

 聞いていないのか。

「いいか。私は――」

 皇太子は、そこで止まった。

 口を開けたまま、止まった。

 何かを言いかけて、やめた。

 風が、蔵の屋根を撫でていった。

 皇太子は、口を閉じた。

「……いや」

 小さく言った。

 それきり、何も言わなかった。

*

 皇太子が、動いた。

 近づいてはこない。

 三歩の場所のまま、膝を折った。

 蔵の前の石段に、腰を下ろした。

 公爵家の蔵の前の石段に、皇太子が座っている。

 そこは、俺の石段だ。

 昼の一刻だけ。

 屋敷の窓のところで、何かが動いた。

 使用人が二人、窓からのぞいていた。

 一人が、もう一人の肩につかまって、よろめいた。

 二人とも、窓から消えた。

 皇太子は、気づいていない。

 空を見ている。

 呼ばない。

 指も鳴らさない。

 ただ、座っている。

 黙っていると、普通の男に見える。

 ……いや。

 普通の男は、ここには座らない。

 蔵の屋根に、鳥が来た。

 前に、俺が外した奴かもしれない。

 顔では分からん。

 皇太子が、鳥を見上げた。

 俺も、見上げた。

 二人で、鳥を見た。

 鳥は、降りてこなかった。

 どこかへ行った。

 皇太子は、また空を見た。

 ……変な男だ。

 前から変だったが、今日は別の変さだ。

*

 日が、動いた。

 蔵の屋根の影が、ゆっくり伸びてくる。

 クッションの端にかかった。

 半分にかかった。

 尻が冷える。

 影の中のクッションは、ただの布だ。

 俺は、顔を上げた。

 日が当たっているのは、もう石段の一角だけだ。

 皇太子の、隣だ。

 ……。

 俺は、クッションから降りた。

 石段を、三歩ぶん歩いた。

 こいつが、一度も詰めなかった三歩だ。

 皇太子の隣の、日の当たっているところに座った。

 丸くなった。

 石が、温まっている。

 悪くない。

 来たのではない。

 日が、そっちへ動いた。

*

 皇太子は、動かなかった。

 息も、止まっているようだった。

 しばらくして、目だけが下を向いた。

 俺を見た。

 手が、少しだけ浮いた。

 俺の背中の上で、止まった。

 触れなかった。

 触れていたら、出ていくところだった。

 手は、皇太子の膝の上へ戻っていった。

「……来たのか」

 低い声だった。

 来たのではない。

 日が動いただけだ。

「呼ばなければ、来るのか」

 知らん。

 皇太子は、長いこと俺を見ていた。

 それから、ふっと息を吐いた。

 口の端が、少しだけ動いた。

 笑ったらしい。

 この男が笑うのを、初めて見た。

 笑うと、眉は動かないらしい。

 皇太子の息が、ゆっくりになった。

 俺の息も、ゆっくりになった。

 ……寝ていない。

*

 窓のところに、また使用人が戻ってきていた。

 今度は、三人だった。

「……殿下が」

「聖獣様に、お膝をお貸しに……」

 違う。

 膝ではない。

 石段だ。

 三人とも、また窓から消えた。

*

 足音がした。

 エレノアが、冷めた茶を下げに来た。

 石段の手前で、止まった。

 皇太子と、その隣の俺を見た。

 しばらく、そこに立っていた。

 何も言わなかった。

 皇太子が、顔を上げずに言った。

「……夜会には、私が出る」

「殿下が、ですの」

「帝国の名代として。父上の言いつけだ」

「……かしこまりましたわ」

 皇太子は、俺を見下ろした。

「この猫も、出るのだろう」

「先生次第ですわ」

「……そうだな」

「殿下。お茶が、冷めてしまいましたわ」

「……すまない」

 謝った。

 この男が。

 皇太子は、立ち上がった。

 俺は、動かなかった。

 石が、まだ温かい。

 皇太子は、首輪の箱を拾い上げかけて、やめた。

 箱は、石段に置いたままになった。

 エレノアが、それを見ていた。

 茶は、最後まで飲まれなかった。

*

 皇太子が、帰っていく。

 屋敷のほうへ。

 門のほうへ。

 振り返らなかった。

 ……今日は、言わなかった。

 もう一度、を。

 日が、また動いた。

 石段の一角も、影に入った。

 俺は、暖炉へ帰った。

*

 夜。

 暖炉の上に、小さな箱が置いてあった。

 エレノアが置いたらしい。

 開けてはいない。

 光るものは、暖炉の上でいい。

 俺は、暖炉の前でいい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。