最強の猫先生は、半分にされない
三日前に、知らせは来ていた。
あの女が、今日来る。
「今日は、特別なことはしなくて結構よ」
朝から、エレノアがリナに言っていた。
「かしこまりました。お茶は」
「……出して」
「お菓子は」
「……それは、もう頼んでありますの」
頼んであるのか。
俺は窓辺で丸くなった。
どうでもいい。
俺に関係があるのは、魚だけだ。
*
「今度こそ、来ました!」
来た。
男爵令嬢は、今日も元気だった。
「……いらっしゃい」
「はい!」
エレノアと男爵令嬢が向かい合った。
「…………」
「…………」
俺は長椅子の上にいた。
何も起きない。
誰か、何か言え。
「……今日は、晴れましたわね」
「はい! 晴れました!」
「…………」
「…………」
天気の話は、終わったぞ。
男爵令嬢が急に立ち上がった。
「あ! お土産!」
大きな包みと、小さな包みを取り出した。
小さいほうから、魚の匂いがする。
そっちだ。
「これ、この前のお店のお菓子なんです。すごくおいしくて――」
大きな包みが開いた。
焼き菓子だった。
テーブルの上にも、焼き菓子がある。
同じ形だ。
「あ!」
男爵令嬢が、テーブルと自分の包みを見た。
「同じお店!」
「……たまたまですわ」
「じゃあ、二倍ですね!」
そうなのか。
男爵令嬢は嬉しそうだった。
エレノアは何も言わなかった。
リナが皿を一枚増やした。
*
二人は菓子を食べ始めた。
「これ、端っこのところがおいしいんですよ」
「端?」
「ちょっと固いところです」
「……わざわざ固いところを?」
「はい!」
分からん。
俺は小さい包みを見た。
まだ開かない。
「あ、こっちはクロちゃんに」
ようやくだ。
男爵令嬢が小さい包みを持ち上げた。
「干物です!」
知っている。
匂いで分かる。
「でも、これはエレノア様を通して、ですよね!」
お前まで。
「ええ。預かりますわ」
エレノアが受け取った。
待て。
なぜお前が受け取る。
俺のだ。
男爵令嬢は満足そうにうなずいた。
余計なことを覚えたな。
*
「あ、そうだ!」
男爵令嬢が菓子を持ったまま言った。
「クロちゃん、お魚をみんなにあげたんですって!」
違う。
「先生がお分けになったわけではありませんわ」
「え、じゃあ?」
エレノアは少し間を置いた。
「……余ったのです」
「余ったんですか!」
余っていない。
全部食えた。
「町で、すごいって言われてましたよ」
「噂というものは、当てになりませんわね」
「そうなんですか?」
「ええ」
男爵令嬢は菓子を食べた。
エレノアも食べた。
話は終わったらしい。
俺の魚の名誉は回復しなかった。
*
しばらくして、男爵令嬢が俺の前に来た。
しゃがむ。
手は出さない。
待っている。
こいつは、やり方を知っている。
俺は長椅子から降りた。
近づく。
手が耳の後ろに来た。
かり。
……よし。
「やっぱり、ここ好きなんですねえ」
「先生は、そこがお好きですものね」
エレノアが言った。
男爵令嬢が顔を上げた。
「エレノア様も、やります?」
「私は結構ですわ」
「そうですか」
かり。
かり。
続けろ。
エレノアは茶を飲んでいた。
何も言わなかった。
茶を飲む手が、少しだけ止まっていた。
……やりたいなら、やればいい。
*
そのあとも、二人は話していた。
菓子の店のこと。
男爵令嬢が先日、馬車を間違えたこと。
エレノアが、それはどうすれば間違えるのかと聞いたこと。
男爵令嬢が説明したが、俺にも分からなかった。
エレノアにも分からなかったらしい。
「……ところで」
エレノアがカップを置いた。
「今日は、何かご用でしたの?」
「え?」
男爵令嬢が止まった。
少し考えた。
「……遊びに来ました」
「…………遊びに?」
「はい」
男爵令嬢はエレノアを見た。
「駄目でした?」
「……いえ」
エレノアはカップを持ち上げた。
男爵令嬢も、残っていた菓子を一つ取った。
*
帰るころには、皿が二枚とも空になっていた。
「今日は楽しかったです!」
男爵令嬢が玄関で言った。
「また来てもいいですか?」
エレノアは少しだけ間を置いた。
「ええ」
「では、また!」
男爵令嬢は帰っていった。
今度は靴も両方ある。
俺は確認した。
*
夕方。
俺の皿の上に、干物が置かれた。
小さい。
だが。
切られていない。
「今日の分ですわ」
エレノアが言った。
俺は皿を見た。
丸ごとだ。
半分にされる理由は、今日はなかったらしい。
うむ。




