最強の猫先生は、待っていない
朝。
魚は一匹だった。
小さい。
いつものことだ。
俺がそれを食べていると、リナが食堂に入ってきた。
「お嬢様。男爵家から、お手紙が」
エレノアの手が止まった。
「……そう」
手紙を受け取る。
封を切る。
短い手紙だったらしい。
すぐに読み終えた。
「三日後の昼過ぎに、いらっしゃるそうよ」
「男爵家の、お嬢様が」
「ええ」
エレノアは手紙をたたんだ。
ナプキンで口元を拭う。
「いつも通りで結構よ」
「かしこまりました」
俺は魚を食べ終えた。
足りない。
*
あの女が来るらしい。
どうでもいい。
人間が一人来るだけだ。
……いや。
待て。
前回、あの女は何を持ってきた。
干物だ。
その干物は、エレノアに取り上げられた。
次の日、半分だけ出てきた。
残りの半分は、どこへ行ったのか知らん。
だが。
あの女は、干物を持ってきた女だ。
ならば今回も持ってくる。
今度こそ、丸ごとだ。
悪くない。
*
翌日。
「リナ」
「はい」
エレノアが机に向かったまま言った。
「お茶のことですけれど」
「はい」
「茶葉は、前回と同じもので」
「承知いたしました」
「……いえ」
「?」
エレノアが顔を上げた。
「前回、あの方は、二杯目のほうを早く召し上がっていたでしょう」
「はい」
「二杯目の茶葉を」
「…………」
リナが少し黙った。
「……同じ茶葉ですが」
「…………」
エレノアも黙った。
「……そうでしたわね」
俺は窓辺で欠伸をした。
茶などどうでもいい。
干物の話をしろ。
「それから、お菓子ですけれど」
「はい」
「あの方のお家の近くに、お店があるでしょう」
「……前回お持ちくださった、焼き菓子のお店でございますか」
「ええ。あれを」
「探してまいります」
リナが手帳に書いた。
それから、少し首を傾げた。
「あのお菓子が、お好きなのですか?」
「知りませんわ」
エレノアは本に目を戻した。
知っているではないか。
あの女が「おいしいんですよ」と言っていた。
俺も聞いていた。
干物のほうが大事だったが。
「席は」
「前と同じで」
「こちらでございますね」
「ええ」
リナが手帳を閉じた。
「承知いたしました。いつも通りでございますね」
「ええ」
どこがだ。
*
その日の夕方、リナが小さな籠を持って帰ってきた。
甘い匂いがする。
どうでもいい。
魚の匂いはしない。
当然だ。
干物は、あの女が持ってくる。
*
三日後。
朝から、エレノアは窓際の椅子にいた。
本を読んでいる。
ときどき、窓の外を見る。
門のほうだ。
俺も窓辺にいた。
ここは日が当たる。
それに、門がよく見える。
別に、待っているわけではない。
干物が来るかどうか、見ているだけだ。
茶器はもう机に並んでいる。
籠の焼き菓子も、皿に移してある。
まだ朝だというのに。
遠くで、車輪の音がした。
エレノアが顔を上げた。
俺も上げた。
馬車が一台、門の前を通り過ぎていく。
止まらない。
「…………」
エレノアが本に目を戻した。
俺も前脚に顎を戻した。
違ったか。
エレノアが頁をめくる。
……さっきも、その頁ではなかったか。
リナが茶器の様子を見に来た。
窓辺の俺たちを見る。
「お嬢様と聖獣様、お二人でお待ちなのですね」
「待っていませんわ」
エレノアが即答した。
そうだ。
俺も待っていない。
見ているだけだ。
リナは何も言わずに、茶器の向きを直して出ていった。
*
日が高くなった。
また車輪の音がした。
エレノアが顔を上げる。
俺も上げる。
荷車だった。
野菜が積んである。
「…………」
エレノアが本を閉じた。
窓の外を見る。
門には、誰もいない。
「……今日は、来ないのかしら」
小さな声だった。
扉のところにいたリナが言った。
「お約束は、昼過ぎでございます」
「…………」
まだ昼前だ。
来ると言っていただろう。
エレノアは窓を見たまま、少し黙った。
それから立ち上がり、机の茶器の位置を直した。
さっきリナが直したばかりの茶器だ。
何でもない顔をしていた。
*
昼の鐘が鳴る少し前だった。
扉が叩かれた。
「お嬢様」
リナだった。
手に、手紙を一通持っている。
「男爵家の方が、これを」
「……そう」
エレノアが受け取る。
封を切る。
読む。
俺は窓辺から門を見た。
馬車はない。
使いの者が、もう帰っていくところだった。
手ぶらだ。
「……『本当にごめんなさい!』」
エレノアが読み上げた。
「『今日は、父と出かける約束だったのを、忘れていました!』」
…………。
「……また、お知らせします、と」
エレノアは手紙をたたんだ。
「……そう」
それだけ言った。
「お茶は、いかがいたしましょう」
リナが尋ねた。
「下げてちょうだい」
「お菓子は」
「……置いておいて」
「かしこまりました」
リナが茶器を下げて、出ていった。
*
部屋が静かになった。
机の上には、焼き菓子の皿だけが残っている。
エレノアは、しばらくそれを見ていた。
一つ取る。
小さくかじる。
「……甘いですわね」
俺は窓の外を見た。
門には、誰もいない。
来ないのか。
…………。
……干物は?




