絶望の朝
夜明けは、街を慰めなかった。静けさだけが不自然に残り、昨夜の惨劇がまるで何十年も前からそこにあったかのように沈んでいる。割れた窓、崩れた屋根。パン屋の窯には灰が厚く積もり、聖堂の黄金鐘は沈黙したまま揺れなかった。
通りの角ごとに黒い旗―『NZMナイトメアーズ』の悪趣味な紋。その下では、暴力で支配された徴税兵たちが、巨大な金属杭で石畳にNとZとMの三文字を彫り込んでいた。街に人々の日常はなく、ただ、恐怖だけが街を歩いていた。
唐突に、城下のすべてが命令で塗り替えられた。
『聖王ガイツ様に逆らうことを禁ずる!』
『聖王ガイツ様に絶対の忠誠を!』
『聖王ガイツ様を未来永劫讃えよ!』
役人の布告書には、意味不明の文言がびっしりと並び、日常という日常が音を立てて崩れ去り、瓦礫となる。
***
リリアはリオネルの左後ろ三歩で歩き、焼け跡の匂いと狂った命令が渦巻く路地を抜けていた。
昨日までの街と今の街、その落差はまるでコインの裏表のようにあっけなかった。
だが、彼らに諦めはなかった。聖王都奪還のための切り札はすでに決まっていたからだ。
『戦術級高等儀式魔法テトラ』
聖王国に代々伝わる王城防衛の最終手段。王城を囲むように三角結界を張り、その内部にいる聖騎士の能力を数段階跳ね上げる“陣”。
乱暴に言えば、結界内にいる聖騎士は滅茶苦茶に強くなる。その恩恵は、剣聖リオネルにも及ぶ。ただでさえ届き得る刃を、さらに数段押し上げる。
「テトラを成功させ、私とルクス・ブレイドがあの三人を討つ…!」
リオネルの声は低いが揺るぎなかった。リリアは息を整え、頭の中で結界の三点を描き出す。
「リオネル様、三角点は王城北の聖堂、城下広場の井戸、そしてパン屋ハチミツ亭の三か所が適切です」
結界の面積は儀式参加者の魔力量に比例する。今の人員では広域は望めないため、王城を包む最小限の三点で挑むしかなかった。
「まずは聖遺物の準備、それから配置へ向かいます」
リリアの声に、リオネルは静かに頷いた。
***
玉座の間は即席の官庁へと改造されていた。天井の穴から朝陽が差し込み、埃が金粉のように舞っている。
その中心で、聖王ガイツが玉座にもたれ、数珠をじゃらつかせながら不規則に肩を揺らしていた。冠は斜め、笑みは正面。
周囲には椅子すら与えられていない官僚たち―会計官、穀物官、港湾官、祈祷院の書記が、半円を作り、『黄金政策』の巻物を抱えて震えている。
「せ、聖王陛下……まず徴税率について……」
「はぁ?俺はセイオウじゃねぇ!“ガイツ陛下”だろ!名前ぐらい覚えとけ、税金より先にそこからだぜ!」
「ひ、ひぃっ!失礼いたしました!ガイツ陛下!」
「続けろ!」
会計官が喉を鳴らしながら続ける。
「あの……黄金政策の実現には莫大な資金が必要と思われます。その……財源は……」
ガイツは満面の笑顔で人差し指を突き立てた。
「簡単だ!黄金税を施行する!税率は現在の777倍だ!原則、金塊のみで受け付ける!」
「な、777倍……!?それも、すべて金で支払えと…?」
「そりゃそうだ!小麦?黄金にしろ!兵役?黄金で立て替えろ!全部が黄金だ!それでこそ『黄金政策』ってワケよ!」
官僚たちの顔が紙のように白くなっていく。大臣が恐る恐る問う。
「使い道について伺います……777メートルの黄金像とは、いったい……」
「ハッ、誰の像だと思う?」
「……い、いえ……」
ガイツは満面の笑顔で親指を立て自分の胸に突き刺しながら言い放つ。
「ディス イズ ガイツ・オブ・ガイツ!!俺の黄金像だ!!」
(か、神でも象徴でもなく……自分自身の黄金像……!?)
誰かが小さく嗚咽した。対照的に、異国の言葉を披露できたガイツは得意満面の笑みを浮かべている。
そのとき柱の影から、忍び装束の男が一歩だけ進み出た。久保田ジュウシマツが静かに言う。
「プラズマ枢機卿曰く―倒れる像は倒す前に倒れている」
「ど、どういう意味だ……?」
久保田は答えず、小さく鼻で笑っただけだった。どうやら久保田流のジョークらしい。面白くないどころか意味すら分からない始末だが…。
『ゴクリッ…』
官僚の喉が一斉に鳴る。
「ちょ、徴税の確認方法は……?」
書記の女性が震える手でペンを構える。
「簡単だ!殴る!家を殴って凹んだら未納!凹まなかったら納付完了!」
「そ、それは……ただの暴力では……」
「税だ!」
女性の声をガイツが怒鳴り声で叩き潰す。官僚のひとりが卒倒し、床に崩れた。
壁際、高藤ストレンジネスがギターの弦を鳴らしながら肩をすくめた。
「ハッ、金なら俺に任せろ。俺は金の音は絶対に間違えねぇ!鳴らして真贋判定してやるぜ!」
会計官が涙目で尋ねる。
「で、ではこの『黄金政策』の総指揮は……」
「安心しろ、最初から決まってる!ワンブリッジ、出番だ!」
天井の穴から白い外套が舞い降りる。ワンブリッジが書見台にひらりと着地し、眼鏡の奥を輝かせた。
「諸君、ワンブリッジ、ただ今着任。目的関数は“ガイツが笑う”。副次条件は“俺も笑う”。均衡解はもちろん―黄金像だ」
「こ、この政策の、ご、合理性は……?」
「あるともさ」
そういうとワンブリッジは用意されていた黒板に、数式と妙に上手なガイツ像を描き込みながら続ける。
「我々のエーテル兵器が動かない原因は、この世界に『エーテル』が存在しないからだ。だから、代替にこの世界にある魔力の源『マナ』を使う。マナを集めるには金属流動が必要なのはわかるだろう?巨大な黄金像は最高のマナ・シンク。つまり、心配はナッシング。理数科宗教だ、安心したまえ」
「い、意味が……分からない……」
「大丈夫。我らが面白がってる間は、概ね順調だ」
港湾官がその場に座り込んだ。ガイツは笑いながら叫ぶ。
「諸君!今日から仕事は簡単だぜ!取る!積む!磨く!建てる!」
数珠がじゃららと鳴る。ワンブリッジが肩をすくめながら補足した。
「これがガイツの流儀です。―進むしか解はありませんよ、みなさん」
官僚たちは震えながらも立ち上がり、頷くしかなかった。こうして地獄のような会議が終わり、狂った政策が動き出すのだった。
***
その日のうちに、徴税隊が街を歩いた。鍋、指輪、聖印、玩具――金色のものはすべて台帳へ吸い込まれる。
泣き叫ぶ子どもの前で、老司祭が小さな金の聖印を外した。
「これは……神に捧げるものだ……」
徴税兵は台帳を見ながら答える。
「す、すまない。ガイツ様も……金が好きだ……」
老司祭は、聖印を渡す前に一度だけ胸に当てた。祈ったのではない。別れを告げたのだ。
遠くから見ていたリリアは、奥歯を噛みしめた。くやしさで頭がどうにかなりそうだった。
くやしさで、喉の奥から声がせり上がってくる。
だが、リリアは唇を噛み、声を殺した。
怒鳴れば、ガイツたちの騒音に混ざってしまう気がした。
だから黙って見た。
何を奪われたのかを、ひとつも見落とさないために。
「ベルク」
リオネルが静かに言う。
「今はこらえろ。―次の勝ちのために」
薄煙の向こうで、剣聖の瞳は鋼のように尖っていた。
「テトラに必要な三か所の設置点。まずはそこだ。王都は取り返す場所ではない。次に立ち上がる土台だ」
「わかりました…!」
***
その日の夜、王城宝物殿。高窓から漏れる灯りの拍が妙に軽い。高藤ストレンジネスが鼻歌まじりに木箱の封を切り、ご自慢のギターを鳴らしていた。
「ド・レ・ミ…レが低いな。やっぱ混ざり物だな。もっとアダマンタイトが要るぜ」
木箱の中から金塊を手に取り、次々とギターケースの中に放り投げていく。ケースの中は、金の音で満ちていく。
その背後に、音もなく久保田ジュウシマツが立っていた。
「プラズマ枢機卿曰く―盗む手は殴られる前に殴られている」
驚くそぶりもなく、ストレンジネスは肩をすくめ、わざとらしく笑った。
「殴られたあとに殴り返すのがロックだろ?」
それぞれがニヤリと笑うと、ふたりは目を合わせず、別々の影に消えていった。
夜明け前の風は冷たかった。
王都のどこかで、奪われた聖印が金属の箱に落ちる音がした。
その音を合図に、反撃の夜が始まろうとしていた。
【次の話】
第10話「希望の三点」
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