虚王の戴冠
リオネルたちは遺跡から少し離れた丘にいた。戦場の風から日常の風に、聖騎士たちにしばしの休息が訪れる。
リオネルは複数の軍師と、相手の戦力を図り直し、次の戦いで確実に仕留めるため、即席の軍議を開いた。
「アンドリュー・ジャスティス・ガイツと名乗る男は確かに強敵ではありました。しかし、リオネル様ならば押し切れましょう」
「ああ、問題は音の男だ。もし、ガイツと同格の存在ならば同時に相手取ることは得策ではなかろう」
「弓はあまり効果はなさそうですが、牽制にはなりましょう。弓と魔法で音の男を引き付けることはできますぞ」
「ああ、その間に私がガイツを撃とう」
大枠の作戦が整った、まさにその時だった。見張り役の一人が息を切らしながら走ってくる。
「リ、リオネル様…!た、大変です…!聖王都が…!」
風が戻ったはずの丘に、別の匂いが立った。焦げた油、焼けた木と石、掠れた布と麦。聖王都の匂いが、あってはならない角度で混ざる。
「……黒煙」
わずかに見える。聖王都の方角に、質の悪い積乱雲のような黒煙が上がる。そして、それが空から振り下ろされた巨人の片足のように突き刺さる。
リリアの記憶の奥が揺れる。数日前、陛下から感じた軋んだ音。それが何度も脳裏で反芻される。聖王都へ、陛下の元へ持ち帰るはずだった『次の勝ち』。それが急激に小さくはかないものに感じる。
リリアの胸の中で、秤が音を立てて傾く。
「全隊!全速――王城へ戻れ!」
剣聖の力強い言葉が全体に響いた。隊列を整えての帰還ではない。誰でもいい。とにかく一人でも聖王都へ、陛下の元へたどり着け。私たちは隊列を解き、道を選ばず駆けた。
(陛下、どうかご無事で…)
リリアは祈った。だが…。
『キリ…』
あの時、聖王アルセリアから感じた心の軋みが、リリアの心の中でも確かに鳴っていた。
***
聖王都の門は閉じたまま焦げ、扉金具が垂れていた。中は炎と煙。横倒しになった水桶、割れた陶器、泣き声、咳。日常の音が、火にねじられていた。通りの両側、木の庇が燃え、梁が節で折れて落ちる。見上げる王城にはまるで煙幕のように黒煙がまとわりついていた。
まるで内側から焼かれたような聖王都の惨状。リリアは恐怖を心の奥底にしまい込み、仲間たちと自分の役割を全うする。
「左家屋/子ども二!」
リリアは走りながら指差す。仲間たちが子どもたちを抱き上げる。
「右神殿火の手強/水魔法で食い止め!」
祈祷師たちが水魔法で消火に当たる。
(だめだ。火の手が強すぎる。これでは救いきれない)
リリアはただその状況に翻弄されることしかできない自分を恨めしく思った。自分にとって最も大切なものが崩壊していく様を止められないでいる自分を。
***
リリアたちのさらに先に、剣聖リオネルは在った。リオネルは燃え盛る街に目もくれず、黒煙立ち上る王城に突き進んでいた。
(敵らしき姿は見えない。一体どういうことだ?)
王城へ近づくほど、炎は強く、黒煙は濃くなった。まるで王城から先に燃やされたような違和感に、剣聖の顔が曇る。リオネルはこみ上げる思いを押し殺すようにただ走り続けた。
***
リオネルは王城への階段を駆け上がる。踊り場の石に雪のような灰が積もり、壁の燭台は倒れて蝋が波紋を作っている。壁面に飾られた歴代聖王の肖像画は額縁を残しすべて焼け落ち、背面の無機質な石の壁が顔をのぞかせていた。
玉座の間へ続く最後の直線を一息もつかずにリオネルは走った。
扉を押し開けた瞬間、音が胸の奥で鳴ったように感じた。
『キリ…』
リオネルの視線の先、王は、玉座に座したまま首を垂れていた。冠は床に転がり、薄い金の輪が足元で微かに揺れ続けている。王は事切れていた。
傷は浅く、一撃。剣、いや、違う。拳の面で打たれた痕。喉が焼けるように痛む。日常が、音もなく地面から剥がれていくのを感じるだけ。
リオネルは玉座の前に膝をついた。声が、一拍だけ震えた。
「陛下……」
声は短く、静かだった。深い礼。日常は終わってしまったのだ。
そのとき、天井が鳴った。梁がうねり、漆喰が裂け、天井の一角が崩れ落ちる。煙と埃が降り、赤い夕光が穴から射す。轟音がまるで嘲笑のように耳を邪魔する。
リオネルが見上げた先、穴の縁に、黒い影が三つあった。
最初に降り立つのは、笑う巨体―アンドリュー・ジャスティス・ガイツ。
次に、黒いコートを翻し巨大なギターを鳴らす者―高藤ストレンジネス。
最後に、風を連れて落ちた細身の影、忍び装束―久保田ジュウシマツ。
ガイツはそのまま玉座の段に着地し、数珠をじゃらりと鳴らした。肩を揺らし、腰で拍を取りながら、笑う。
「遅かったなぁ、剣野郎!てめえらの王はこの俺が叩き潰した!一発でだ!」
「貴様はガイツ…なぜここに…?」
「ハッ!てめえらのおかげで一部の兵器が使用可能になったんでな!ハイパーブーステッド・ジェットウイングでここまでやってきたって寸法よ!」
そういいながらガイツは背中に背負っていた翼を持つ機械をその場に放り投げた。
そして、ガイツは片手でその場に落ちていた冠をつまみ上げ、ひょいと頭に乗せた。
「ハッ!たった今から俺が聖王だ!えー、本日は戴冠式なりぃ!!戴冠式なりぃ!!」
高藤ストレンジネスが肩をすくめ、弦を一本鳴らす。
「即位ファンファーレ、8ビートでやったるか、ガイツ?」
軽口の裏で、ギターヘッドの角度は常にこちらへ向いている。つまり、いつでも狙い打てるということだ。この男、只者ではない。
そして、音もなく、久保田ジュウシマツは一歩、前へ。
「プラズマ枢機卿曰く―兵たちが夢の跡…」
リオネルがわずかに目を細める。
「どういう意味だ?」
口角だけ上げ、刀の柄に触れた。
「お前は死ぬということだ…!」
刹那、久保田ジュウシマツは一瞬にして間合いを侵略し、リオネルに一閃を放っていた。しかし、リオネルには届かない。鍔迫り合いになる。
剣聖に油断は一切なかった。そればかりか、王の遺体がなければ、リオネルはこの場のすべてを破壊しつくしていたかもしれないほどの怒りを抱えていた。
無言で久保田ジュウシマツをはじく剣聖リオネル・ファーレンハイト。王の亡骸に背を向けないまま、ガイツをまっすぐに見据えた。
「そなたの名乗りは受けた。だが、それは王冠が与えるものではない」
それに対して、ガイツは嬉しそうに歯を見せる。
「だったら奪われちゃあいけねぇよなぁ、剣野郎よ!大切なら、なおさらだ!」
玉座の間の空気が、細くなる。そこにリリアたちがたどり着く。
「リオネル様、陛下は…」
リオネルは短く告げる。
「ベルク、守る順は変えない。―私たちは聖王様の剣だ。」
「わかりました…!」
リオネルは一瞬を突き、王の遺体を救い上げ、ほぼ同時に煙幕を放つ。リリアたちも同時に煙幕を放ち、その場から姿を消した。
人はいつかいなくなる。生きとし生けるものすべてはそうなる定めだ。だが、意思は永遠に紡がれていく。賢君・聖王アルセリア13世の意思はその剣たちに引き継がれた。
***
リオネルたちが去った玉座の間で、ガイツが冠を指で弾く。ハゲ頭の上でくるくると回転する王冠。
「聖王ガイツより第一の勅命!『黄金政策』をはじめる!巨大な黄金像をこの地に打ち立てろ!」
ストレンジネスが醜悪に笑い、久保田は瞬きもしない。冗談とも本気ともつかない声が、王座の石にいつまでも響いた。
リリアは走りながら感じていた。日常は終わったのだと。
【次の話】
第9話「絶望の朝」
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