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黒鉄の狂宴

挿絵(By みてみん)


 あの日と同じ丘だった。

 時刻が違うだけで、風の匂いはまるで別物に思える。立つ者が違うだけで、見える景色はまるで別の戦場になる。抱えているものが違うだけで、足音すら重さを変える。

 リリア・ベルクは剣聖リオネル・ファーレンハイトの左後ろ三歩に立ち、『神罰の遺跡』を一望する丘へと再び足を踏み入れた。

 黒い平面が空の青を押しつぶし、周囲だけ風がねじれている。遺跡の肌がひそやかに脈打つたび、草が逆立つ。

 リオネルは無言で土を踏み、呼吸を整えた。


「―全体、速やかに配備!」


 短い号令が、一点の濁りもなく行軍を走らせる。聖騎士団が滞りなく布陣し、聖王国が誇る矛と盾が整然と並んだ。

 リリアの足元で、草があの日と同じリズムで揺れていた。


「配備完了後、そのまま前進」


 聖騎士たちは静かに、しかし力強く遺跡へと歩を進めた。


***



 先陣が遺跡の影へ踏み込んだ瞬間、砂が鳴り、草が笑い、風が踊った。

 遺跡の影に、それはいた。まるでリオネルたちを待ち構えていたと言わんばかりに、影の中心でゆっくりと浮かび上がる。あの日は影の塊にしか見えなかった輪郭が、陽光に照らされる。


 ただ大きいという語彙では到底足りない。存在そのものが異形だった。黒い僧衣のような衣をまとい、首には常識外れの巨大な数珠。この世界の存在ではないと一目でわかる出で立ち。

 だが、何より異様だったのはその移動方法だった。

 車輪付きの巨大なハンマーを股で挟んだまま、地面を滑ってくる。肩を揺らし、腰で拍を取り、笑いながら踊っている。完全に文明を持った高度生命体。だが、この世界の“それ”ではない。


「南無三!諸行無常だぜ!」


 理解不能な宗教語に似た叫びが戦列を震わせる。意味はわからない。しかし、音だけで狂気が分かる。

 リオネルが即座に号令する。


「一列目、盾! 二列目、槍! 三列目、弓構え!」


 聖騎士たちは一瞬にして正気を取り戻し、戦列が整う。


「惑うな! 恐怖の形ではなく、目の前の事実だけを見ろ!」


 矢が番えられ、リオネルの号令で一斉に放たれる。光の束が黒い巨体へ吸い込まれるように向かう。

 だが、刺さらない。逸れる。弾かれ、力なく地へ落ちる。

 巨体はすでに隊列の真正面へ。そして、ハンマーから軽やかに跳び降りたかと思うと、巨大な凶器を掴み直し、そのまま隊列へと振り込んだ。その瞬間、空気が裂けた。盾列が波のように後ろへ吹き飛ぶ。

 数十年鍛えた盾持ちたちが、木片のように舞った。

 一振り。さらに一振り。暴力そのものが形を持って暴れているようだった。

 槍が折れ、盾が砕ける。しかし、聖騎士たちは折れなかった。吹き飛ばされた者は盾を拾い戻り、槍が折れれば剣に持ち替えて立ち向かう。

 なぜか。──彼らには確信があった。『この巨体を倒す唯一の男がここにいる』という確信が!


「参る!」


 短い言葉に覚悟を込めて、剣聖リオネル・ファーレンハイトが一歩前へ出る。その瞬間、空気が変わる。

 放たれるリオネルの一閃。黒いハンマーの巨体が弾かれ、土煙が裂ける。

 巨人は驚きのそぶりを見せた後、ニヤリと笑った。すかさず、リオネルが話しかける。


「問う。そなたは何者だ」


「ほう、何者だとはご挨拶だな、剣野郎!突然出てきてとんでもねぇ一閃をかましやがって!」


 言葉が通じた!聖騎士たちが驚愕に目を見開く。


「私はリオネル・ファーレンハイト。聖王国アルセリア・グレイスの聖騎士だ。そなたの名は」


「ハッ、俺の名前はアンドリュー・ジャスティス・ガイツ!拳にてすべてを切り開く男よ!」


「そうか。ガイツ。対話は可能か」


「対話だぁ? 馬鹿野郎。いまやってんだろ?互いの武器が火花散らす、最高の対話ってやつをよォッ!」


 ガイツが拳を構える。リオネルが短く呼ぶ。


「ベルク!」


「重心右/受け流し!」


 ガイツの拳が飛ぶ。だが、リオネルは軽く受け流し、重心を崩させる。


「背後隙大/下薙ぎ払い!」


 リオネルの刃が走り、ガイツの脚部に鋭い線が刻まれた。


「野郎ッ、ただじゃおかねぇ!」


「右回転・拳来る/避け切り上げ!」


 リオネルが潜り、懐へ。ガイツが考えるより早く剣が走る。

 血飛沫が舞い、巨体が二歩下がる。

 剣聖の背中をみて、リリアは確信した。


(ガイツは確かに強い。だけど、リオネル様なら勝てる!)


 決着は目前。リリアの目が声となり、戦場を駆ける。


「敵重心左/左薙ぎ!」


 リオネルが薙ぐ。ガイツの左腕に深い傷が走る。

 だが、ガイツは笑っていた。


「ハッ、まだまだ本調子とはいかねぇなぁ!」


「言葉は軽いが、心は乱れていないな。ならば…」


 リオネルがさらに一歩踏み込んだ、その瞬間だった。

 風が裂けた。丘の向こうで乾いた閃光が一つ。そして、リオネルの足元の土が、無音のまま弾けた。


(狙撃!?)


 音が遅れて追いかけてくる。リリアは視線を跳ね上げた。

 遺跡の上。黒いコートの影。手には巨大ギター。否、それはギターではない。音が銃弾となる別文明の武器『音撃兵器』だった。

 男が弦をはじくと、音と共に弾丸が空を走った。


 一連の流れを眺めていたガイツが肩で笑う。


「ハッ、頼んじゃいねぇが悪くねぇ!このままじゃ剣野郎にミンチにされるとこだった!」


「豚野郎がミンチじゃお笑いだな、ガイツ!俺の8ビートがなきゃ今ごろあの世でメンチカツだぜ!」


「ハッ、言い得て妙!言い得て妙だぜ!」


「ケッ、とっとと下がりな、豚野郎!エーテル兵器なしじゃぁそいつの相手は厳しいぜ?」


 軽すぎる。戦場の中心で交わされる掛け合いとは到底思えぬ軽さ。リオネルは構えを落とし、声だけで隊へ指示を落とす。


「状況変化。これ以上の戦いは得策ではない。ベルク、撤退指揮。殿は私とお前でとる」


「了解!全隊、撤退する!」


 秩序だった撤退が瞬時に走る。ガイツが踏み込み、拳を振り上げた。


「おいおい逃げんのかよ、剣野郎!」


 挑発は軽く、虚勢は浅い。巨体は疲労していた。リオネルが押せば倒せたかもしれない。だが、この射撃の向こうにも、まだ敵がいるという状況が撤退を選ばせた。

 リオネルは短く呟いた。


「情報は持ち帰る。十分だ」


 煙幕弾がガイツの足元で爆ぜた。白煙が一面を覆い、風がそれを散らす頃には、聖騎士団の姿はどこにもなかった。

 森を抜け、丘を下りきる頃、風はようやく普通の鼓動を取り戻していた。今日の勝ちは取れなかった。だが、次の勝ちのための情報は、持ち帰れるはずだ。



挿絵(By みてみん)

【次の話】

第8話「虚王の戴冠」

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