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戦場に響く鎮魂歌

挿絵(By みてみん)


「エクセレンッ!エクセレンッ!エクセレンッ!」


 拍手が、続いていた。


 王都を満たした歓声の向こうで、ワンブリッジが白い手袋を打ち合わせている。

 友が消えた空へ向かって、その友を退け、いまなお踏みとどまる二人へ向けて。


「まさかだよ、そのまさかだよ!」


 男の声が、焼けた街へ降り注ぐ。


「素晴らしいよ、レオナルト・アークヴェイン。

 そして、竜王アウレリウス・ドラグニール。

 見事な連携だった。あの一瞬を選び取り、私の組み上げた道を撃ち抜くとは!」


 レオナルトもアウレリウスも答えなかった。


 白い蒸気を吐きながら、黒い船体へ向き直る。

 その背で、レオナルトが血の滲む口元を拭った。


「まて、獅子王よ、その状態で無理をするな」


「待ってくれる相手か……!」


 翼が、大気を打った。


 竜王の身体が持ち上がる。

 だが、次の羽ばたきまでに、それ以上の高さを失った。


 レオナルトは鱗を掴み直した。


「アウレリウス、その翼……」


「……言うな、わかっておる」


 喉から、掠れた息が漏れた。


 眼下の屋根が近づいていた。

 先ほどまで見下ろしていた船の頂が、いまは見上げる高さにある。


 天穹終焉 アストラル・エンド。


 あの一撃は、魔神を退けた。

 その代わりに、竜王が空に君臨し続けるための力まで、根こそぎ奪っていた。

 今のアウレリウスは空にとどまるのがやっとの状態だった。


「南西へ。広い街路がある」


 レオナルトが示すと、アウレリウスは尾を振り、落ちていく巨体の向きを変えた。


 広げた翼が風を受け止める。

 爪が石畳を削り、四肢が深く沈んだ。


 着地の震動が、通りに残る窓を鳴らした。


 竜王は、すぐには首を上げなかった。

 開いた顎から白い息を吐き、しばらく、そのまま動かなかった。


 ワンブリッジは、その姿を船上から眺めていた。


 手袋の指先を引き、皺を伸ばす。

 袖口を整える仕草は、これから客人を迎える主人のものだった。


「では、最大限の敬意をもって」


 右手が、上がった。

 黒い船の奥で、低い音が鳴った。


 メリナは、胸に抱いていた魔道具を下ろした。


 地響きではなかった。

 石畳よりも先に、歯の根が震えた。身体の内側にある空洞が、何かに合わせて鳴っている。


 歓声が、まばらになった。


 耳を押さえる兵がいた。

 馬が首を振り、鳥人たちが乱れた風を嫌って高度を変えた。


 ワンブリッジは、楽団の呼吸を確かめるように目を閉じた。


「さあ、GBCシーケンス――スタートだ!」


 その起動を告げる光が、黒い船体を走った。


 船腹の装甲板がせり出し、内側から階段が延びる。

 別の場所では外殻が裏返り、水平に開いた足場へ、奥から何かが歩み出てきた。


 おびただしい数の千客万殺(オモテナシ)だった。


 赤い単眼。

 飾り気のない、黒い身体。


「まだ、あれだけの戦力が……!」


 メイジャーが剣を握り直した。


 弓が持ち上がり、盾が並ぶ。

 南口へ退いていた兵たちが、負傷者を背後へ庇った。


 だが、機械兵は戦場に一切降りてこなかった。


 一団が船腹の足場で止まった。

 その腕に抱かれていたのは、銃ではない。


 長く伸びた管。

 朝日を返す、丸く開いた先端。

 細い指が幾つもの弁を押し、もう一方の手が、それを口元へ持ち上げた。


 隣の機械兵は、太鼓を提げていた。

 その後ろには、弓を添えた弦楽器。

 さらに奥から、湾曲した金属管を身体へ巻きつけた一体が出てくる。


 船首からも、船尾からも、同じものが現れていた。


 昇降機が止まり、譜面台が運び出される。

 船腹に開いた足場へ奏者が並び、楽器の角度を揃えていく。


 メリナは、声を失った。


 ここは、戦場だ。


 すぐ近くで、瓦礫の下から兵が助け出されている。

 止血の布が足りず、外套を裂いている者がいる。


 その正面で、楽団が演奏の準備をしていた。


「戦場音楽団・喝災万葬(ブラディ・ブラボー)ッ!アッセンブルッ!」


 ワンブリッジの右手で、黄金の指揮棒が回った。


「演目――NZMレクイエムッ!」


 指揮棒が、下りた。


 太鼓が鳴った。


 一打ではない。

 乾いた連打が船首から船尾へ走り、その返りを待たず、金管が叩きつけられた。


 メリナは肩を竦めた。


 耳元で、何かが破裂したかと思った。


 長く引き伸ばされた低音の上を、甲高い管が駆け上がる。

 弦が細かく震えた。数え切れないほどの音が追いつき、絡み合い、まとまる寸前に別の旋律が横から割り込んだ。


 速い。


 軍勢の行進を思わせた太鼓が、いつの間にか、逃げ惑う足音の速さになっていた。

 その頭上で金管が高らかに歌い、弦は悲鳴に似た音を刻んでいる。


 揃っている。


 これほど乱暴に音をぶつけ合いながら、奏者の指にも、弓にも、一つの遅れもなかった。


 ワンブリッジが、身を反らした。


 指揮棒を振り上げ、そのまま全身で振り下ろす。

 白衣の裾が翻り、左手が空を掴んだ。


 音が膨れた。


「そこだッ……!」


 男が言った。


 誰に聞かせるでもない声だった。


「もっとだッ!」


 太鼓が加速した。


「最大限の敬意は、最高峰の戦場音楽をもってッ!」


 指揮棒が左右へ走る。

 ワンブリッジは笑っていた。歯を見せ、肩を揺らし、次々と押し寄せる音の中へ、自分から身体を投げ込んでいた。


 兵の一人が、耳を塞いだ。


 その隣を、担架が通った。

 運ぶ者たちの口が動いている。何かを呼びかけているのに、言葉が音楽に押し潰されて届かない。


「負傷者を奥へ!」


 メリナは魔道具へ叫んだ。


「広場に戻らないで! 道を空けてください!」


 メイジャーが腕を振り、騎士たちを走らせた。

 ベアードが街路の角へ立ち、退いてくる兵を先へ送る。


 その頭上で、鎮魂歌が跳ね回っていた。


***


 アウレリウスは、ようやく首を持ち上げた。


 呼吸の間隔が、わずかに落ち着いていた。

 だが、船の頂へ眼を向けると、顎の下が細かく震えた。


 ワンブリッジは遥か上空、グレイテスト・トランクの頂上。


 あそこを撃つには、身を起こし、首を反らして射線を保たねばならない。

 いまの竜王には、それを支える力が残っていなかった。


 無理に顎を上げれば、胸を支える前脚が折れる。

 飛び上がって高さを合わせることも、もうできない。


 レオナルトは、ワンブリッジへ向けていた視線を下げた。


「船腹なら狙えるか?」


「……一息ならな」


「まずは、あの楽団を撃て。奴らが何を守っているのか、確かめるぞ」


 アウレリウスの喉が、淡く光った。


 短い息吹が、街路を越えた。

 船腹に並ぶ奏者の列へ、白金の炎が突き刺さった。


 予想外の出来事が起きる。


 白金の炎を、何も、遮らなかったのだ。


 管楽器が潰れた。

 それを抱えた機械兵の上半身が千切れ、背後の奏者を巻き込んで吹き飛んだ。


 爆発が続いた。


 太鼓の膜が火を噴き、弦が切れ、譜面台が回転しながら宙へ投げ出される。

 足場が折れ、数体の機械兵が楽器ごと船腹を滑り落ちた。


 レオナルトは、眼を細めた。


 障壁はない。

 それどころか、機械兵は避けようとさえしなかった。


 炎が迫る最後の瞬間まで、指を動かしていた。

 胴を失った一体の腕が、楽器を握ったまま石畳へ落ちた。


 音楽は、続いていた。


 隣の機械兵が、弓を引いている。


 燃える残骸が足元へ転がってきても、単眼を向けない。

 肩へ破片が突き立った奏者も、そのまま弁を押し続けていた。


 失われた音の分だけ、旋律に穴が開いていた。


 だが、残った奏者はそこを埋めなかった。

 誰もが、初めから割り当てられた音だけを、正確に奏で続けている。


 欠けたままの曲が、焼けた街へ流れていた。


「止まらぬのか……」


 アウレリウスが呟いた。


 船上で、ワンブリッジが両腕を振り上げた。


「グゥド!」


 指揮棒が、大きな弧を描く。


 爆発で生じた空白へ、金管の音が飛び込んだ。


 ワンブリッジは、破壊された一角を見ていなかった。

 まだ鳴っている音を追い、その先へ腕を伸ばしていた。


 船腹で、遅れて動力炉が弾けた。

 黒い破片が、炎とともに噴き上がる。


 レオナルトは、顔を上げた。


 その一つが、船の頂へ飛んでいた。


 ワンブリッジのすぐ横を、燃える機械兵の頭部が通り過ぎた。

 男の背後へ落ち、甲板にぶつかって砕ける。


 ワンブリッジの周辺にすら、防護の光は、現れなかった。


 弾けた金属片が、ワンブリッジの顔を掠めた。


 頬に、赤い線が走る。


 男は、避けないどころか、気にもしていない様子だ。


 指揮棒が下りた。


 太鼓が鳴った。


 頬を流れた血が顎へ伝い、白い襟へ落ちた。

 ワンブリッジは目を閉じ、左手を胸元へ引き寄せた。

 弦の響きを細く絞り、そのまま指先で高く持ち上げていく。


 肩へ火の粉が落ちた。

 白衣に小さな穴が開いた。


 それでも男は、振り払おうとしなかった。


 次の一節へ身を乗り出し、黄金の指揮棒を振り抜いた。


 レオナルトの喉が、乾いた。


 当たらないと信じているのではない。


 当たったのだ。血が出ている。

 あと少しずれていれば、眼を潰されていた。喉へ突き立っていたかもしれない。


 その事実が、あの男の中で、指揮をやめる理由になっていない。


「……狂気だ」


 地上で、ベアードが呟いた。

 メイジャーも、言葉を返さなかった。


 頬を裂かれた男が笑っている。


 周囲では、自分の命令に従う機械兵が燃えている。

 腕を失った奏者が片手だけを動かし、足場から落ちかけた一体が、傾いたまま管へ息を送り続けている。


 それを束ねる男の動きに、恐れも、怒りもなかった。


 そこにあるのはただ歓びだけ。


 メリナは、魔道具を握り締めた。


 目の前で起きていることを、理解しようとしてしまう。

 どうして逃げないのか。どうして止めないのか。

 なぜ、自分の血が流れていることすら気にしないのか。

 なぜ、自分の身に降りかかる脅威を払おうとしないのか。


 考えるほどに、足元が遠くなる気がした。


 ワンブリッジが、両腕を広げた。

 残った奏者が、いっせいに音を放った。


 燃える船腹から…

 壊れた足場から…

 倒れた仲間の残骸のすぐ隣から…!


 黒い棺が、大いに歌っていた。


挿絵(By みてみん)


***


 音楽の底で、金属が動いていた。


 船体の中央に走った裂け目が広がり、その奥から黄金の装甲板がせり上がる。

 回転し、折れ曲がり、隣の板と噛み合った。


 レオナルトは、その動きを追っていた。


「アウレリウス。中央だ」


「ああ」


 太鼓の連打に紛れ、重い接続音が続いた。


 大きな曲面が立ち上がる。

 その両側へ、青と黒の帯を刻んだ装甲が重なった。


 初めに現れたのは、額だった。


 次に、閉じた瞼。

 高い鼻梁。

 笑みともつかぬ弧を刻む、唇。


 それは人の顔だった。


 額の上では、蛇を模した金属の意匠が鎌首をもたげ、その顎の奥から長大な砲身が延びていく。


 メリナは、呼吸を忘れた。


 そこにいる全員がそれを見たのは初めてだった。

 だが、それが厳かなものであることを誰もが理解した。


 もう何も失わず、もう何にも傷つかない者の、安らかな顔。


 その額に、生きた男が立っていた。

 頬から血を流し、白衣を焦がし、一心不乱に指揮棒を振っている。


 音楽が、頂へ駆け上がった。


 金管が張り裂けるように鳴った。

 弦が追いすがり、太鼓が畳みかける。


 ワンブリッジが大きく身を反らした。


 黄金の瞼が、開いた。


 その奥に、瞳はなかった。


 光を返さない二つの穴が、王都へ向けられた。


 男の腕が、振り下ろされた。


 すべての音が重なった。


 そして、切れた。


 余韻だけが、瓦礫の間を渡っていった。


 ワンブリッジは、動かなかった。

 指揮棒を下ろした姿勢のまま、最後の響きが消えるのを待っていた。


 船腹で、何かが落ちた。


 楽器を抱えたままの機械兵が一体、焼けた足場から崩れ落ちたのだった。


 男は、そちらを見なかった。


 ゆっくりと身体を起こす。

 深く息を吸い、満ち足りた顔で吐き出した。


「……実に、よい」


 白い手袋が頬へ触れた。


 そこで初めて、ワンブリッジは指先の血を見た。

 わずかに眉を上げ、それから、楽しそうに笑った。


 黄金の指揮棒を胸へ寄せ、頭を垂れる。


「未知が尽きぬとは、なんとありがたいことだろうね」


 その一礼だけは、静かだった。


 レオナルトは、男を睨んでいた。


 自分たちも、流れた血も、壊れた奏者も。

 あの男にとっては、いま奏で終えた一曲の中に収まっている。


 ワンブリッジが向き直った。


 黄金の死者の額から、戦場を見渡す。

 負傷者を運ぶ者。武器を構える者。地上へ降りてもなお、自分を狙い続ける竜と、その背の男。


 血に汚れた頬を緩め、丁寧に頭を下げた。


「お付き合い、ありがとう」


 声が、街の隅々へ届いた。


「見事な戦いへの敬意として、一曲、お贈りさせていただいた。

 いやぁ、君たちは演奏への参加も情熱的だ! 忘れがたい一曲になったよ!」


 指揮棒が、白衣の内側へ収められた。

 代わって、何も持たない右手が上がる。

 講堂へ静粛を求める教師のように。


「さて、お集りの皆さん」


 黄金の顔の唇が、音もなく分かれ始めた。

 その奥で、白と青の光が灯った。


「本日の題目――」


 ワンブリッジは、穏やかに微笑んだ。


「文明は、なぜ棺を作るのか…?」


挿絵(By みてみん)

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