王対王
「我はアウレリウス・ドラグニール」
竜王の声が、焼けた王都へ降った。
「貴様らが踏みにじった世界の竜王だ」
ガイツは抉れた頬へ指を当てた。
装甲の欠片が剥がれ、足元へ落ちる。それを確かめてから、黄金の魔神は空を仰いだ。
『ほぅ、竜の王様ってわけか!奇遇じゃあねぇか、俺も俺で、いわゆる王だぜッ!』
右腕が持ち上がった。
『だがよぉ、王は二人もいらねぇってのは乳飲み子でもわかる道理よ!』
腕の装甲が開き、内部で光が回った。
『第三昇華術式ッ!豪級帝羅魔愚奈無ッ!』
握り込まれた拳が腕から離れる。噴き出した推進炎が、魔神の肩越しに長く伸びた。
『寂滅ッ!』
巨大な拳が、空へ撃ち出された。
アウレリウスの背で、レオナルトの視界に文字が走る。
【最適未来指標】
『選択肢A:右旋回――竜王生存率61%』
『選択肢B:急降下――竜王生存率98%【推奨】』
「下だ、アウレリウス!」
竜王が翼を畳んだ。
山のような巨体が落ちる。
直後、先ほどまで首のあった場所を、黄金の拳が貫いた。衝撃が雲へ届き、その一角を丸く押し抜いていく。
ガイツが右腕を引いた。
拳が空中で弧を描く。
五指が開き、降下する竜王を背後から掴もうと迫った。
「左へ反転!」
アウレリウスは片翼だけで風を掴んだ。
巨体が横へ流れ、閉じられた五指は尾の後ろで空を握る。
拳はそのまま大きく旋回し、魔神の腕へ戻っていった。
『ほぅ、あの図体で機敏に動きやがる……いや、違うな』
接続部が噛み合うより早く、ガイツは次の狙いをつけていた。
『違和感だッ!てめぇの動きには違和感があらぁッ!』
ガイツの叫び声の後ろでレオナルトが告げる。
「右だ、アウレリウス……!」
竜王が旋回した。
それを追って魔神の上体が回り、右拳が再び射出される。
「そのまま上がれ!」
翼が大気を打った。
黄金の拳は竜王の腹の下を通り過ぎた。追いすがろうと軌道を変えるが、そのときにはすでに、アウレリウスは魔神の背後へ回っていた。
「ここからなら膝の裏が見える。撃てッ!」
短いブレスが、右脚へ突き刺さった。
装甲の隙間から炎が噴き出す。
魔神が振り返ろうと踏み込んだ足は、身体を支え切れず、石畳へ深く沈んだ。
右膝が落ちた。
広場を走る震動に、退避中の兵たちが振り返る。
つい先ほどまで、自分たちを見下ろしていた魔神が、片膝をついていた。
「……効いている」
メイジャーが呟いた。
メリナは頷くことも忘れ、空を見ていた。
戻ってきた拳が、魔神の腕へ収まる。
だが、その接続を待つ間にも、竜王は次の位置へ移っていた。翼を傾け、上昇し、魔神の肩越しに回り込んでいく。
魔神が追う。
上体は動いた。
だが、脚が、遅れた。
レオナルトは、その僅かなずれを見逃さなかった。
「アウレリウス。奴の足を見ろ」
「見ておるわッ!」
「向きを変えるたび、踏み直している。上体だけでは、貴様を追い切れぬ」
魔神は速かった。
あの巨体が腕を振るう速度も、射出された拳が空を裂く速度も、常識では測れない。
だが、飛び回る竜王を追うためには、機体そのものの向きを変えなければならなかった。
豪級帝羅我威都が、本来戦うべき場所は宇宙だった。
機体を支える地面はなく、自重を受け止める脚も必要としない。全身の推進機関で姿勢を制御し、巨体そのものを敵拠点へ叩き込む。そのために造られた機体である。
地上では、その巨体を常に二本の脚で支えなくてはならない。
上体を捻れば荷重が偏り、足を踏み替えれば地面が崩れる。空へ推力を向けても、重力に抗って姿勢を保ち続ける戦い方は、機体の設計に組み込まれていなかった。
それでも、これまでは問題にならなかった。
踏み直す一歩で軍勢が潰れ、姿勢を戻す腕のひと振りで街路が消えた。相手が反撃するより先に、戦いは終わっていた。
その一歩の遅れを、刃に変えられる者がいなかったのだ。
しかし、今は目の前に世界最強が立ちはだかる。
刃どころではない。それは武力、軍事力と呼ぶにふさわしい圧倒的力だ。
「左肩へ回れ!」
レオナルトの声に、アウレリウスが加速する。
魔神が顔を向けたときには、もう正面にいない。
続いて肩を回し、ようやく腕を持ち上げたとき、白金の炎が左肩の装甲を焼き抜いた。
砕けた黄金が降り注ぐ。
『あのくそ竜野郎ッ!なんて容赦がねぇ攻撃をしてきやがるッ!』
ガイツは叫び、拳を撃ち出した。
魔神には、空を飛び回る敵を追い続けるための重力下での対空兵装がない。
頼れるのは、豪級帝羅魔愚奈無。宇宙で敵艦の装甲を砕いてきた拳を、竜王へ届かせるしかなかった。
だが、その軌道を読む男が、竜王の背にいる。
【最適未来指標】
『選択肢A:上昇――竜王生存率72%』
『選択肢B:右下方へ旋回――竜王生存率99%【推奨】』
「右下へ!」
かわす。
拳が追って曲がる。
レオナルトは光の文字の向こうに、まだ到達していない五指の位置を見ていた。
「翼を畳め。そのまま抜けろ!」
竜王が身を細め、拳の下を潜った。
すれ違いざま、顎を開く。
「手首だ!」
ブレスが拳の付け根を打った。
推進炎が乱れた。
黄金の拳は大きく逸れ、無人となった広場の端を抉ってから、ようやく魔神の腕へ戻る。
ガイツがそれを受け止めた。
右腕の接続部から、黒い煙が上がった。
『なるほどよぉ、そこにいやがったか!』
魔神の眼が、竜王の背を捉えた。
ガイツは、獅子の男を睨みつけていた。
拳が放たれるより早く進路を変え、追撃をかわした先から、確実にこちらを穿ってくる。その戦い方に、覚えがあった。
その瞳の奥に、かつての戦場が重なる。
血に濡れた剣を握り、幾度叩き伏せても立ち上がってきた男。ついには、己のハンマーを真正面から砕いてみせた男。
『バルムド・アークヴェイン! 世界の果ての男よォ!』
その名を呼ぶ声に、歓喜が滲んだ。
獅子の姿を見誤ったのではない。あの男が残したものが、いま別の身体を得て、再びガイツの前に立っているのだ。
『その妙な力ッ! 置いていきやがったか! 最後まで気前のいい野郎だぜッ!』
ガイツが歯を剥いた。
『世界の果てまで道案内ってかぁ!? 上等ッ!』
「道案内とは、随分と安く見られたな」
レオナルトが言った。
「構わぬ。目的地まで案内してやれ」
アウレリウスの喉が鳴った。
「どこへだ?」
「きまっておる、奴が倒れる場所だ」
レオナルトは牙を見せた。
「ならば、もう少し付き合え。まだ立っている」
魔神が拳を構える。
レオナルトは瞬きをした。目の奥に、細い痛みが走っている。
見えるのは数秒。選べる道も二つにすぎない。それでも、竜王は命じた瞬間に動いた。
訓練で何度も言い争った、その一秒。
いまは、言い直す必要さえなかった。
「上昇。右へ回れ」
拳が来る。
「まだだ――反転!」
竜王が翻る。
黄金の拳が、何もない空を突き抜けた。
「撃て!」
白金の奔流が胸部へ直撃した。
テラガイツの上体が仰け反った。
傷めた右脚が踏みとどまれず、巨体が後ろへ流れる。左手が地面を掴み、五本の指が石畳を剥ぎ取りながら、辛うじて転倒を止めた。
魔神が、手をついている。
南口に残っていた兵の一人が声を上げた。
「押しているぞ……!」
その声を聞いた者が、空を見た。
竜王には、一撃も届いていなかった。
対して魔神は肩を焼かれ、脚を砕かれ、いま胸から煙を上げている。
誰の目にも、優劣は明らかだった。
『ハッハッハッハッ!』
広場に、笑い声が響いた。
ガイツは焦っていなかった。
狙いを外すたびに悪態をつき、装甲が剥がれるたびに笑う。左手で地面を押し、機体を立て直しながら、また空へ拳を向けた。
竜王がその射線から消える。
直後、頭部へ尾が叩き込まれた。
鐘を打ち鳴らすような音が王都へ広がり、黄金の顔が横を向く。ガイツの笑いは途切れなかった。
『いいぞ! そうだ! そういう話だッ!』
メリナには、その声が恐ろしかった。
負けている。
あの恐ろしいアンドリュー・ジャスティス・ガイツが、明らかに押されている。
なのに、歓声に加わることができなかった。
胸の奥で、別の街の光景が蘇っていた。
空を埋める機械兵。
黄金の玉座。
そこへ集まっていった、眩い光。
バルムドがいた。
あの街にも、最後まで立っていた人々がいた。
「……まだ、あるわ」
メリナは魔道具を握った。
「メリナ?」
メイジャーが振り返る。
「あの魔神には、まだ使っていない技があるんです」
喉が乾いていた。
それでも、今度は言葉を押し出せた。
「フェルドランを、一撃で廃墟にした――光の突進……!」
メイジャーの表情が変わった。
隣で聞いていたベアードも、魔神へ目を戻す。
胸部から煙を上げる機体は、また拳を射出しようとしていた。
「ですが、あれは……」
メリナは空を見た。
フェルドランで、あの光は大地を裂いた。
地上にある街を、人を、何もかも呑み込んでいった。
いま、竜王は空にいる。
あの拳すら捉えられない相手に、地上を薙ぎ払う一撃をどうやって当てるのか。
「それは空まで届くのか?」
ベアードの問いに、メリナは答えられなかった。
魔神は傷ついた脚で踏み直し、竜王へ向き直ろうとしている。
あの巨体が自由に飛べないことは、ここまでの戦いで誰もが見ていた。
レオナルトも、それを理解しているはずだった。
それでも伝えなければならない。
メリナは魔道具を空へ向けた。
「レオナルトさん! 気をつけて! あの魔神には、まだ――」
声が届いたのか。
竜王の背で、レオナルトがこちらを見下ろした。
そのとき、ガイツの右手が止まった。
撃ち出しかけていた拳を、ゆっくりと下ろす。
機体の周囲から立ち上る黒煙の向こうで、赤い眼が、竜王を追っていた。
『もうやめだッ!』
ガイツが呼んだ。
『こういう腹の探り合い、つまらねぇ小細工合戦ッ!そういうもんはワンブリッジに任せておきゃいいだろ?』
レオナルトは答えなかった。
アウレリウスへ合図を送り、旋回を続ける。
魔神の正面を外し、傷ついた右脚の側へ。地上の巨体が追い切れない位置を保つ。
ガイツは、それを眺めていた。
『俺は王だぜッ!?』
操縦席で、巨漢が歯を剥いた。
『優雅に、堂々と、真っすぐに……行くもんだろうよぉッ!?』
目の前に、赤い警告が開いた。
【最終安全装置・作動中】
【解除には操縦者の承認を要します】
ガイツは、迷わず手を伸ばした。
警告を確かめるためではなかった。
初めから、そこを押すと決めていた手だった。
【豪級帝羅暴流斗】
【ファイナルセーフティ――解除】
黄金の魔神の奥で、重い留め金が外れるような音がした。
そして、アンドリュー・ジャスティス・ガイツは笑っていた。




