黄金の涙
王城前広場へ出たメリナは、かつて城門のあった場所で足を止めた。
かつての聖王国の象徴であった城の姿は、どこにも残っていなかった。
焼け落ちた城郭を押し潰すように、宇宙戦艦グレイテスト・トランクが聳え立っている。幾重にも重なる黒い外殻には窓らしいものさえ見当たらず、長大な船体は、聖王都の中心に置かれた巨大な棺を思わせた。
その手前に、黄金のガイツ像がそびえていた。
片手にハンマーを提げ、もう一方の手で空を指している。朝日を受けた頭部は、周囲の焼け跡にまで眩しい光を投げかけていた。
「……なんだ、あの趣味の悪い像は」
ヴォルクが顔をしかめ、ベアードも呆れたように鼻を鳴らした。
メリナには、笑えなかった。
あの像に使われた黄金が、どこから集められたのかを知っている。母の形見の指輪も、代々受け継がれた杯も、娘のために蓄えた硬貨も、あの男たちは区別せずに持ち去った。飢えに耐えてなお手放さなかったものまで、供出させられた家もある。
それらを溶かし、造り上げたのが、この像だった。
「メリナ。配置につくよ」
メイジャーの声に、メリナは顔を上げた。
「……はい。お願いします」
聖王国兵が広場へ展開し、熊族の重装兵がその両翼を固める。ヴォルクの狼騎兵は船体の後方へ回り、鳥人部隊が上空から動きを見張った。
メイジャー率いる王都防衛軍が各街路を押さえると、広場から余分な足音が消えていった。
半日前まで敵同士だった兵たちが、いまは同じ場所へ武器を向けている。
メリナは拡声の魔道具を受け取った。
「アンドリュー・ジャスティス・ガイツッ!」
声が広場を渡り、黒い船体にぶつかった。
「王都の防衛部隊は制圧しました。あなたたちは包囲されています。武装を解除し、投降してください!」
応答はなかった。
船体のどこかで、低い駆動音が続いている。こちらの呼びかけなど届いていないかのような、一定の響きだった。
「聞こえているはずです。これ以上、聖王国の民を巻き込まないで!」
待っても、何も起こらない。
メリナの隣で、メイジャーが船体を見上げた。
「静かすぎるね」
「……中に、いないんでしょうか」
「それならいいけれど」
メイジャーは周囲の配置を確かめ、近くの騎士へ告げた。
「予備隊は広場へ入れないで。後退路を確保しておいて」
その指示を聞きながら、メリナは朝からの戦いを思い返していた。
東門を破り、市街地を奪い返し、ウンゾニックを倒した。犠牲を払いながらも前進を重ね、ついにここまで辿り着いた。
勝利を喜ぶ間もなかったからこそ、考えずに済んでいたことがある。
その間、ガイツもワンブリッジも、一度として姿を見せていない。
自分たちの支配が崩れていくのを、あの二人が、ただ見ていたのだろうか。
いや、あの二人だったらそれもあり得る。まるで自分の脳内をマドラーでかき回されているような感覚でメリナは聳え立つ黒棺を睨んだ。
***
数時間前、グレイテスト・トランク中央管制室。
王都の地図を映す表示盤の前で、ワンブリッジは紅茶を淹れていた。
予測線に沿って進む青い光点が、東門から大通りへ流れ込み、やがて王城前広場を埋めていく。
「嬉しい知らせだ、マイフレンッ。三時間と十七分後、我々は包囲される」
長椅子に寝そべっていたガイツが、片目を開いた。
「そいつぁ結構じゃねぇか。誰も来なきゃ、せっかくの像も見せ損だぜ」
「東部防衛線は突破される。千客万殺も市街地でほぼ全滅。複製したウンゾウたちは、二十二分ほど働いて退場だ」
「上出来だ。元の奴より働いてんじゃねぇか?」
「給金も要求しない。実に模範的な将軍だね」
ワンブリッジは二つのカップへ紅茶を注いだ。
「さて。四方を敵に囲まれたら、どうする?」
カップを手に、嬉しそうにガイツを見る。
「降参する」
「常識的だ」
「泣いて謝る」
「教育的だね」
「命乞いしながら靴を舐める」
差し出しかけたカップを、ワンブリッジが止めた。
「おやおや、マイフレンッ、君がかい?」
「クックックッ、できるわけねぇだろオッ!」
ガイツが長椅子を軋ませて笑った。
その頭上では、反乱軍の到達予測時刻が刻々と更新されている。ワンブリッジは表示を一瞥した。
「では、ガイツの流儀ではどうするんだい、マイフレンッ?」
ガイツは身を起こした。
戦場の中心で、二人は遠足の行き先でも決めるように楽しそうだった。
「ならよぉ、答えは一つだぜッ!」
ガイツがカップを受け取り、立ち上る湯気の向こうで歯を剥いた。
「包囲ごと、打ち破るッ!」
「グゥド、パーフェクトだよ、マイフレンッ!」
カップが触れ合う小さな音を、二人の笑い声が包んだ。
***
「これを最終警告とします!」
メリナは、魔道具を握り直した。
「三十秒以内に応答がなければ、突入を開始します!」
メイジャーが剣を抜いた。各隊の指揮官がそれに倣い、盾の列がゆっくりと前へ出る。
残り十秒を数えたところで、メリナは黄金像の異変に気づいた。誰かが声に出した。
「な、泣いている……?」
頬を、何かが流れている。さらさらと、それは光を伴いながら流れ落ちる。
「お、黄金像が……泣いている?」
最初は朝日の照り返しだと思った。だが、光の筋は顎へ伝い、その輪郭を削りながら広がっていた。
像の表面が崩れているのだ。それはまるで涙のように流れ落ちる。
肩から細かな粒がこぼれ、空を指していた指先がほどけていく。落ちてくる黄金は石畳へ積もらず、途中で淡い光に変わり、像の内側へ吸い込まれた。
誰かが盾を持ち上げた。
その動きにつられるように、前列の兵たちが身構える。
「前進、止め!」
メイジャーの命令が飛んだ。
メイジャーは冷静だった。誰もが黄金像の涙にあっけを取られながらも、次の一手を考えていた。民から集めた黄金が、国を憂う気持ちになって泣いたとでもいうのか。そんな美しい話をNZMのくそっ垂れ共が用意するわけない。
従ったふりをしてNZMの近くに居続けた。尊敬する父親の仇にへりくだり、NZMを見続けた。
だからわかる。やつらはクソだ。そして、絶対にろくでもないことをやってくると。
黄金像を睨みつけるメイジャー。
次第に涙は像全体へ伝染し、ついには黄金像の腕が崩れ落ちた。
その奥から現れたのは、折り畳まれた別の腕だった。
滑らかな像の肌とは異なる、厚く重なった装甲。その隙間にある黒い関節が、ゆっくりと開いていく。
ベアードが戦斧を握り直した。
「……全隊、下がれ」
顔の半分を失ったガイツ像の内側で、二つの眼が灯った。
「下がれッ!」
老将の怒号とともに、前列が後退を始める。
間に合わなかった。
胸から腹へ走った光が、像を内側から押し広げた。
薄くなった外殻が一斉に剥がれ、黄金の奔流となって巨体を巡る。
腹の底まで響く駆動音が、広場の石畳を震わせた。
メリナは、動けなかった。
フェルドランで見たものと、同じだった。
街を焼き払い、バルムド・アークヴェインを呑み込んだ黄金の魔神が、像の中から身を起こしていた。
呼び出されたのではない。
包囲の間も、投降を呼びかけていた間も、それはずっと目の前にいたのだ。
魔神が片足を踏み出した。
重さを受けた石畳が割れ、盾を構えていた兵たちが姿勢を崩す。隣の者を支えようと伸ばされた手が空を切り、陥没した足場へ次々と転げ落ちた。
「負傷者を後ろへ! 盾列、間隔を取って!」
メイジャーが叫ぶ。
その声に、懐かしむような笑いが重なった。
『ハッ、古の童歌のようじゃあねぇかッ!』
魔神から響くガイツの声だった。
『人間も獣も、仲良く揃って何よりだ。これででんぐり返しでも披露してもらえりゃ満点だぜ』
「弓隊、放て!」
広場の東側から矢が飛んだ。
鳥人部隊も急降下し、顔面と関節へ狙いを定める。矢は魔神の表面へ届く直前、見えない何かに触れて散った。
ガイツが、そちらを向いた。
黄金の腕が持ち上がる。
たったそれだけの動きに、矢を番えていた兵たちの手が止まった。
「伏せてッ!」
メリナの声を掻き消し、魔神が腕を横へ払った。
腕そのものは、兵には届いていなかった。
だが、その先を走った衝撃が、広場の東側をまとめて薙いだ。
盾を並べた一列が、後ろの兵ごと浮き上がった。人も武器も区別なく吹き飛び、背後の家並みに叩きつけられる。壁が砕け、崩れた屋根が街路を塞いだ。
馬が棹立ちになった。
メリナは鞍から投げ出されかけ、メイジャーに腕を掴まれた。耳の奥で甲高い音が鳴り続け、指示を叫ぼうとしても、自分の声さえ聞き取れない。
土煙の向こうで、誰かが起き上がろうとしていた。
その手前に、矢の詰まったままの箙が落ちている。持ち主の姿は見えなかった。
つい先ほどまで、弓隊が整然と並んでいた場所だった。
『そうだ、そういう話だ!これが俺のマシンギアッ!』
ガイツは笑っていた。
『豪級帝羅我威都ッ!イヨォォォォォォォハッッッ!』
魔神は追撃もせず、残った軍勢を見下ろしている。腕を振り抜いた姿勢にさえ、力みはなかった。
メリナは広場を見渡した。
誰もが、次に命じられる言葉を待っている。槍を握った兵も、傷ついた仲間を抱えた者も、こちらを見ていた。
自分たちは、この魔神を取り囲んでいる。逃がすまいと街路を塞ぎ、兵を集めていた。
圧倒的に有利なはずのこの戦局が、奴を相手にしては儚い。儚すぎるのだった。




