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開演前夜

挿絵(By みてみん)


 レオナルトが竜王国から戻った夜、ズィルヴァリア王城の灯は一つも消えなかった。


 城外には、すでに全軍が集結している。


 狼族の軍旗が風に鳴り、熊族の天幕からは鎧を打つ槌音が響く。

 鳥人たちは夜空を旋回し、蜥蜴人の斥候が地面へ耳を当て、遠くの馬蹄を数えていた。


 異なる習慣。異なる言葉。異なる戦い方。


 力によって束ねてきた国が、王の命令を待っていた。


 大広間には、全将軍が揃っている。

 その中央にある巨大な軍議卓いっぱいに、大陸西部の地図が広げられていた。


 聖王国アルセリア・グレイス。


 その中央に置かれた、一枚の黒い駒。


 宇宙戦艦グレイテスト・トランク。

 NZMナイトメアーズの支配の象徴である。


「明朝、全軍をもって聖王国へ進軍する」


 レオナルトが告げた。

 広間がざわめいたが、将たちは、すでに出兵を予想していた。


「レオナルト陛下」


 狼族の将ヴォルクが口を開いた。


「全軍、ですか」


「そうだ」


「国境の守備兵団まで?」


「領土防衛の最低限を残し、動かせる兵はすべて動かす」


 ざわめきが大きくなる。


「陛下。恐れながら……」


 熊族のベアードが腕を組んだ。


「聖王国は、つい先日まで我らの敵国です」


「知っている」


「ならば、なぜ我らが国を空けてまで、人間どもを救わねばならぬのですか?」


「救うためではない」


 ざわめきが止まった。


 レオナルトは地図へ歩み寄った。


 黒い駒を指先で弾く。

 聖王都から西へ。


 駒が止まった場所は――ズィルヴァリア。


「次は、我らだからだ」


 誰も口を開かなかった。


「奴らが聖王国を欲したと思っているのなら、その認識を捨てろ」


 レオナルトは将たちを見渡す。


「土地が欲しいのではない。富が欲しいのでもない。

 信仰を広めたいわけでもなければ、国境を欲しているわけでもない」


「では、何のために……」


 サラマンドが呟いた。


「理由はわからぬ。もはやそれは狂気に近いと考えよ」


 レオナルトは即答した。

 将たちの表情が変わった。


「故に危険なのだ」


 王の指が、再び黒い駒へ触れる。


「領土が欲しい相手なら、土地を渡せば止まる。

 金が欲しい相手なら、金を積めば交渉できる。

 王になりたい者なら、玉座を与えることすらできよう」


 黒い駒が、さらに動く。

 ズィルヴァリアを越える。


 北方諸国。さらに、その先へ。


「だが奴らには、それがないのだ」


 話は通じる。

 笑う。怒る。冗談すら口にする。

 なのに、その価値観だけが、決定的に噛み合わない。


 広間が静まり返った。


「聖王国アルセリア・グレイス――

 自由国家フェルドラン――

 人間たちの二つの国が、このわずかな期間に崩壊させられた」


 黒い駒が、地図を進んでいく。


「いずれ奴らの狂気は、我らの領土を覆いつくすだろう。

 そして、それは驚くほどあっけのない出来事になるかもしれない」


 レオナルトが最後に弾いた駒は、まるで意思を持つかのように大陸全土を不気味に転がってみせた。


 将たちの視線が地図へ落ちる。


 これは聖王国のためだけの戦ではない。

 ようやく全員が、その意味を理解し始めていた。


「ならば、なおさら籠城すべきでは?」


 ミネルヴァが口を開く。


「ズィルヴァリアへ誘い込み、地の利を使って――」


「フェルドランを忘れたか」


 レオナルトの指が、地図上の自由国家を叩いた。


「奴らは全戦力を中央都市へ集めた。城壁を固め、兵を集め、敵を待った。

 そして――そのすべてをワンブリッジに利用された」


 フェルドラン中央都市で起きた惨劇。


 全戦力を投入した防衛網は、あまりにも容易く崩壊した。


「用意周到に張り巡らされたあの男の策を相手に、籠城は守りにはならぬ。

 盤上へ自ら駒を並べてやるようなものだ」


 ミネルヴァが黙る。


「だが、救いがないわけではない」


 レオナルトが盤上の二か所を順番に指し示す。


「高藤ストレンジネス。現在、北方を探索中。

 久保田ジュウシマツ。フェルドランで行動中」


 そして、聖王都を指さす。


「つまり、王都に残るNZM幹部は、二名。

 アンドリュー・ジャスティス・ガイツと、その右腕ワンブリッジのみだ」


 ベアードが唸る。


「なるほど。なれば、いまこそ好機とも捉えられると……!」


「そうだ。加えて、聖王都内部では、聖王国反乱軍が蜂起の準備を進めている。

 合図と同時に東門が開く手筈が整えられている」


 レオナルトは将たちを見渡した。


「NZMナイトメアーズ。奴らは強い……!」


 誰も否定しなかった。

 

「我が知る限り、一対一で勝てる者は片手で数えられる程度だろう」


 そこで、レオナルトは笑った。


「だからこそ――今なのだ!」


 指が、聖王都を叩く。


「戦力が分散している。内部から門が開く。

 聖王国の残存兵も動く。そして奴らは、我らがここまで早く軍を立て直したことを知らぬはずだ」


 もっとも、最後の一つだけは、希望的観測かもしれない。


 あの白衣の男――ワンブリッジ。


 あれだけは、何をどこまで読んでいるのか分からない。


 だからこそ、待てない。


「これほど条件が揃う機会は、二度と来ぬ!」


 レオナルトは王剣へ手を置いた。


「聖王国を見捨て、ズィルヴァリアへ戻ることもできる。

 我らだけで城壁を固め、どうか奴らが来ぬことを祈ることもできよう」


 そして、首を振った。


「だが、それは防衛ではない。ただ順番を待っているだけだ」


 誰かが息を呑んだ。


「奴らが聖王国を食らっている間に、その喉元へ剣を突き立てる」


 王の指が、聖王都へ置かれた。


「これは聖王国を救うためだけの戦ではない」


 レオナルトは断言した。


「ズィルヴァリアを守るための戦だ!

 そして――この大陸に生きる者が、明日も自分たちの意思で生きるための戦だ」


 広間の空気が変わった。

 先ほどまで存在した「なぜ人間を救うのか」という疑問が消えていく。


「ただし、これは侵略ではない」


 ヴォルクの耳が動いた。


「聖王国の土地を奪うな。民家へ入るな。

 食糧は自国から運び、井戸を汚すな。もちろん人間を殺すことも許さぬ」


 今度は、別の意味で広間に戸惑いが生まれた。

 亜人たちにとって聖王国は、つい先日まで敵国だった。


 国境の村を焼かれた者がいる。

 親兄弟を騎士に殺された者もいる。


「我らは昨日まで、人間と戦っていた。

 それを忘れろとは言わぬ。恨みも、死者も、命令一つで消えるものではない」


 静かに、言葉を置く。


「だからこそ、選べ。

 昨日の敵を殺すために進むのか。明日も生きる場所を守るために進むのか」


 誰も答えなかった。


「復讐を選ぶ者を、臆病者とは呼ばぬ。ここに残れ。罰も与えぬ」


 広間の扉が開かれた。

 出ていくための道だ。しかし、誰も動かなかった。


 やがて、ヴォルクが片膝をついた。


「我が弟は、人間の矢で死にました」


 低い声だった。


「いまでも、人間を見れば牙が疼く」


 拳を胸へ当てる。


「だが、弟が守ろうとした国まで、あの鉄人形どもに踏ませるつもりはありません」


 ベアードが、その隣へ膝をつく。

 やがて、すべての将兵が王の前へ片膝をついた。


「ならば命じる!」


 レオナルトは王剣を抜いた。

 牢へ入れられたときに失ったものではない。


 帰還後、ズィルヴァリアの鍛冶師たちが三日三晩で打ち上げた、新しい剣。

 柄頭には、獅子王家の紋章だけが刻まれている。


 レオナルト・アークヴェインの名は彫られていない。

 その名は剣へ刻むものではなく、己の選択によって示すものだからだ。


「NZMナイトメアーズ首魁“アンドリュー・ジャスティス・ガイツ”を討つ!」


 王剣が掲げられた。


「聖王国アルセリア・グレイスを解放せよ。そして――一人でも多く、生きて帰せ」


***


 同じ夜。


 聖王都では、パンが焼かれていた。

 黄金政策によって徴収するための黄金パンではない。

 硬く、黒く、保存だけを目的とした小さなパン。

 メリナは窯から取り出したパンを、一つずつ布へ包んでいく。


 店の奥には、聖王国軍の兵が十数名集まっていた。


 誰も鎧を着ていない。

 農民。職人。荷運び人。


 今の王都で剣を持って歩けば、千客万殺に反逆者と判断される。

 だから彼らは武器をパン箱の底へ隠し、鎧を粉袋の下へ埋めていた。


「本当に亜人軍は来るのか?」


 片目に傷のある兵が問う。


「来るわ」


「亜人なんかを信用できるのか?」


「できないわね」


 メリナはパンを包む手を止めない。


「できないって……おい、それじゃあ……」


「信用できないから、約束を作るの。

 東門を開く。彼らは住民を傷つけない。王都を取り戻したら、軍は城外へ退く」


「そんなもの、奴らが守ると思うのか?」


 メリナの手が、一瞬だけ止まった。


「『誓いを求むるなら、まず信を捧げよ。信なき者に、誓いを求むる資格なし』

 ――私たちは聖王国の人間でしょ? 聖典に従うまでよ」


 メリナは最後のパンを包み、兵へ投げた。


「怖いなら食べて」


「腹は減っていない……」


「嘘。怖いときほど、お腹が減ってることに気づかないのよ」


 兵は不満そうな顔をしながら、一口かじった。


 黒いパンは硬く、味も薄い。

 それでも、噛む音が部屋に広がると、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。


「合図は白い布が掲げられたとき」


 メリナが地図を開く。


「外から攻撃が始まったら、鐘楼、兵舎、倉庫の三か所で同時に上げる。

 東門の鎖を落とす班と、城壁上の機械兵を狙う班に分かれて」


「王城跡には?」


「行かないわ」


「我らが首魁を討たずにどうするんだ?」


「私たちの役目は、勝つことじゃない」


 メリナの指が、東門から避難路へ動く。


「外の軍を中へ入れる。市民を戦場から逃がす。そして、生き残る」


 メリナは心の中で、ある人物を思い出していた。


 必ず帰ると、彼女は約束した。


 だが、その約束はまだ果たされていない。


 だからメリナは、軽々しく同じ言葉を使わない。


 集まった兵たちを見る。


「生きて、王都を取り戻してください! これが私からの命令です!」


 パン屋の娘が出した、たった一つの命令だった。


 戦いから最も遠いところに生きていた彼女が、今では国を取り戻す最前線にいる。


 その事実から目を背ける者は、ここにはいない。


 だからこそ、それは王命にも等しかった。


 兵たちはパンを手に取り、無言で頷いた。


挿絵(By みてみん)


***


 グレイテスト・トランク中枢。


 無数のメトロノームが、四分の四拍子を刻んでいる。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 ワンブリッジは、聖王国の地図を床いっぱいに投影していた。


 西方国境へ集まる無数の熱源。

 王都内部で、次々と途切れていく監視情報。

 北方でストレンジネスを翻弄する、正体不明の敵。

 フェルドランで久保田ジュウシマツの周りをうろつく影。


 ワンブリッジの指揮棒が、空中で止まった。


「アイシー、なるほど、なるほど」


 薄く笑う。


「これは四つの事件じゃあないよ、マイフレンッ!」


 指揮棒を振る。

 散らばっていた光点が、空中で次々と線によって結ばれていく。


「たったひとつ、たったひとつの曲に過ぎないネ」


「ほほう!それはつまり、そういうことだな!?」


 隣に立つガイツが、めちゃくちゃ堂々とすべてを理解した男のような態度でニヤリと笑った。


「そうともさ、マイフレンッ!」


 指揮棒が再び振られる。

 地図上に、人間型の小さな模型が二千体、整然と並んだ。


「自律戦闘型機械兵【千客万殺(オモテナシ)】。

 一人ひとりへ等しく、最大級の歓迎を届けてくれる」


「二千ったぁ、しみったれた数字じゃねぇか!

 おい、もっと景気よくできねぇのか?」


「残念ながら、この世界ではエーテル変換効率に難がある。

 増やせば変換炉同士がマナを奪い合うだけさ」


「なら、俺が直々に歓迎してやるか!」


 ガイツの目が、赤く怪しく輝く。

 だが、その顔面の前へ一本の指揮棒が差し出された。


「チッ!チッ!チッ」


 ワンブリッジの舌が否定を奏でる。


「ナンッ!ナンッ!ナァンッ!

 それはナンセンスだよ、マイフレンッ!」


「あぁ?」


「入ってきてもらおうじゃあないか」


 ワンブリッジが笑う。


「勝てると思ってもらおう。

 城壁を突破し、王城へ手が届いたと――希望を抱いてもらおう」


 空中に、巨大な黄金像の立体映像が浮かび上がった。


「そして、ここまで来てもらおう」


 指揮棒を机にストンと落とす。カンッと硬質な音が響いた。


「そこからが第四楽章――我々の四分の四拍子さ!」


 敵が来ることも知っている。

 内側から門が開くことも読んでいる。

 千客万殺が、この世界では本来の性能を発揮できないことさえ計算済みだ。


 それならば、潰せばいい。


 門が開く前に。

 軍勢が集結する前に。

 反乱が形になる前に。


 ガイツとワンブリッジなら、十二分にそれができるはずだ。


 ――だが、しない。


 彼らが何を持ってくるのか。

 どこまで辿り着けるのか。

 何を切り札として、この城へ乗り込んでくるのか。


 そのすべてを見届けようとしている。

 まるで戦争ではなく、開演を待っているかのように。


「さあ、マイフレンッ!」


 ワンブリッジが両腕を広げた。


「おもしろいねぇ!彼らは一体全体何を持ってくると思う?」


 ワンブリッジは楽しくてたまらないという表情を浮かべた。

 しかし、それとは対照的に、ガイツの表情は変わり、急激に周りの空気がピリつく。


「オイオイオイオイ……!

 てめえともあろうものが野暮だぜ、ワンブリッジッ!」


 拳を鳴らす。そしてそれは殺意にも似たオーラを放つ。


「北方土産を『バターサンド』だってわかってたらどうだよ!?

 そうとは限らねぇから、面白ぇんだろうがッ、このクソがッッッ!」


 逆鱗。ワンブリッジは逆鱗に触れた。

 ガイツは机を拳で打ち抜く。映し出されていた立体映像はすべてシャットアウトした。


「オヤオヤオヤ、アイムソーリー!

 これはこれは、本当に申し訳ないことを、マイフレンッ!

 いいかい?怒らずに聞いてくれ、これはあくまで好奇心が暴走してしまったからさ!

 所謂『河童の川流れ』さ、許しておくれ、マイフレンッ!」


「カッパだぁッッッ!?」


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 無数のメトロノームが、一斉に強拍を打った。


「ギャハハハハハ!雨に日にゃあカッパってか!?

 言いえて妙ッ、言いえて妙ッじゃあねえか、ワンブリッジッ!」


 どうやらガイツは河童がツボに入ったらしい。

 ワンブリッジはやれやれといった顔をしている。


「だがよぉ、雨って言っても血の雨だろうがよぉぉぉッ!」


「ふふ、まったくだ。まったくもってその通りさ、マイフレンッ!」


 ガイツが目の前の机に飛び上がり咆哮する。


「南無三ッ!諸行無常だぜッッッ!」


 二つの王命と、一つの狂気が、聖王都で交差する。


挿絵(By みてみん)

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