継がれた線
世界が後ろへ流れていく。
峰が消える。雲が割れる。
轟々と唸る風さえ置き去りにして、竜王アウレリウスは空を駆けた。
レオナルトは背鱗の隙間へ爪を立て、辛うじて身体を固定していた。
「遅いぞ、若造!」
「乗っている者に言う言葉か!」
「我が背に乗るなら、我より先に風を読め!」
「無茶を言うな!」
「では、落ちて終わりだぞ!」
竜王が身を翻した。
空と大地が入れ替わる。
レオナルトの足が鱗から離れ、身体が宙へ投げ出されかけた。
その瞬間――視界に、青白い文字が浮かび上がった。
【最適未来指標】
【予測対象:レオナルト】
【推奨】『選択肢A:第三背鱗へ移動』 → 自身の生存率:92%
『選択肢B:現在位置を維持』 → 自身の生存率:31%
文字の向こうに、三秒後の光景が重なった。
竜王の尾が大きく振られ、現在位置を暴風が薙ぎ払う。
予感ではない。
まだ起きていない出来事が、すでに経験した記憶のように頭へ流れ込んでくる。
「――ッ!」
レオナルトは前方へ跳んだ。
第三背鱗へ着地した直後、背後を巨大な尾が通過する。
遅れて暴風が弾けた。
「ほう」
竜王が片目だけを後ろへ向ける。
「いい動きだな、いや、先を読んだか?」
「……もう一度だッ!」
「フッ、世界最強に命令するとはな!」
言いながら、竜王はさらに速度を上げた。
左の翼が沈む。
雲海が斜めに傾き、レオナルトの視界へ再び文字が走った。
【最適未来指標】
【予測対象:レオナルト/アウレリウス】
『選択肢A:左角基部へ跳躍』
→ 自身の生存率:96%
→ 竜王の生存率:18%
【推奨】『選択肢B:竜王へ急上昇を指示』
→ 自身の生存率:81%
→ 竜王の生存率:98%
「なっ……!」
レオナルトの目が見開かれた。
自身の生存率だけなら、選択肢Aが圧倒的に高い。
だが、推奨されているのはB。
自分の生存率を下げてでも、竜王を救う選択だった。
バルムドの記憶に、そのような表示は存在しない。
「上だ、アウレリウス!」
「我に指図を――」
「いいから上がれッ!」
声に含まれた確信を、竜王は聞き逃さなかった。
両翼を打ち、急上昇する。
――直後。
雲の中から、巨大な岩山が姿を現した。
風雨に削られ、槍のように尖った峰。
それまでの進路を維持していれば、竜王の右の翼膜を根元から貫いていただろう。
二人は峰の先端を掠め、雲上へ飛び出した。
「ふむ……」
竜王が速度を落とす。
「説明しろ、レオナルト」
「我にも、いま分かった」
レオナルトは胸元のペンダントを握った。
あの日、虚数空間カタパルトが起動し、意識を世界の裏側へ引きずり込まれた瞬間。
バルムドの中にあったものが、濁流のように流れ込んできた。
戦い。恐怖。選択。故郷とは別の世界を、それでも美しいと断じた意思。
そして、彼に生存の道を示し続けた冷たい光。
「バルムド・アークヴェインの力だ。
奴は目の前の選択を二つに分け、その先にある己の生存率を見ることができた」
「それは未来視か?」
「未来視というより、道を絞る力だ。
自分自身のみが生き残る可能性が高い方へ、線を引く」
「ならば、ならば、先ほどお前が見たものとは違うな」
「ああ。我には、我以外の生存率も見えた」
レオナルトは、先ほどの表示を思い返す。
「それだけではない。奴の力は常に自分が生き残る選択を推奨していた。
だが、いまの表示は違った。我の生存率が低い方を推奨したのだ」
「……つまり、我を救うために、お前が死ぬ可能性もあったわけか」
「二割ほどな」
「馬鹿者。先に言え」
「言えば従わなかっただろう」
「当然だ。客人を殺してしまうわけにはいかん」
即答だった。
レオナルトは思わず苦笑した。
バルムドは、たった一人で戦う男だった。
己の命を賭け、己の判断で敵を討つ。そのために、あの力は彼自身の生存を最優先していた。
だが、レオナルトは違う。彼は王だ。
一人で生き残るために、戦場へ立つのではない。
命じる。動かす。そして、背負った者たちを生きて帰す。
だから、力もまた、その形を変えたのかもしれない。
「……バルムド。貴様、力まで置いていったか」
呟きには、感謝より先に怒りが混ざった。
「勝手な男だ。死ぬつもりで、いったいどれだけ我に背負わせる」
胸元で、小さな熱が灯る。返事はない。
だが、あの男なら肩をすくめ、こう言う気がした。
――便利だろ、と。
「フッ」
「何を笑っておる」
「笑っておらぬ」
「我が背で嘘をつくな。振り落とすぞ」
竜王は再び翼を広げた。
「試してみるか。その新しい力とやらを!」
「望むところだ」
「よい返事だ。歯を食いしばれ!」
「待て、何を――」
黄金の巨体が、雲海へ真っ逆さまに落下した。
***
竜王国の南端。
雲海から突き出した細い岩峰の間を、竜王は何度も往復していた。
その周囲を、八騎の竜騎士たちが旋回する。
彼らの役目は、二人へ向けて雷球を放つこと。
殺傷力は抑えてあるが、直撃すればレオナルト程度なら骨が数本折れる。
「右、二秒後!」
竜王が身を傾けた。
飛来した雷球が左翼を掠め、後方の雲を焼く。
「外れたぞ!」
「貴様が動くのが遅い!」
「ならば一秒前に言え!」
「一秒前には見えておらぬ!」
「役立たずめ!」
「この減らず口の老いぼれが!」
何度目かの失敗。
レオナルトは、鼻から流れた血を乱暴に拭った。
能力には限界がある。
見える未来は長くて数秒。選択肢は二つ。
何より、自分が思いつかない行動は評価されない。
逃げるか、迎え撃つか。
そう考えれば、その二つだけが表示される。
第三の道が存在していても、レオナルト自身が気づかなければ線は引かれない。
「万能には程遠いな」
「若造が贅沢を言うな」
竜王が鼻を鳴らす。
「それより、お前はまだ分かっておらぬ」
「何をだ?」
「王の役目だ」
竜王は一度、近くの岩峰へ降り立った。
「兵が一人死ねば、列に穴が開く。
将が死ねば、百の兵が迷う。
王が死ねば、国が行き先を失う」
「だから、王だけが安全な場所にいろと?」
「逆だ。王にしか立てぬ場所へ立てと言っているのだ」
巨大な顔が、レオナルトへ近づく。
「前に出るべきときに出ろ。
退くべきときには、死者の顔を踏んででも退け。
王が己の死に酔えば、民はその後始末でさらに死ぬ」
レオナルトは何も言い返せなかった。
脳裏に、バルムドの顔が浮かぶ。
最後まで戦い、敗れ、それでも自分へ鍵を残した男。
あれは死に酔った姿だったか。
――違う。
自分が戻れない場合まで考え、次の手を打っていた。
「……我は、王のつもりでいただけなのかもしれぬ」
「ハッハッハ、いまさら気づいたか」
「少しは慰めろ」
「我はお前の乳母ではない」
竜王は鼻を鳴らした。
「だが、気づいた王は、賢者より役に立つぞ?」
それが竜王なりの慰めなのだと分かるまで、レオナルトは一拍を要した。
「もう一度だ」
「その前に鼻血を拭け。我の鱗を汚すな」
***
最後の訓練。
八騎の竜騎士が一斉に上昇した。
前後左右。頭上、足元。
八方から、雷球が放たれる。
「さて、若造。最後は少々難しくするぞ」
「望むところだ!」
竜王が翼を大きく広げた。
その瞬間、レオナルトの視界に無数の光が走った。
【最適未来指標】
【警告:予測対象過多】
【優先対象を選択してください】
「くっ……!」
八方向から迫る雷球。
その一つひとつに対処しようとすれば、選択肢が際限なく増えていく。
レオナルトは歯を食いしばった。
右か。左か。
迎撃か。回避か。
そのときだった。
竜王の右翼を掠めた雷球が、後方の岩峰へ直撃した。
轟音とともに砕けた岩塊が雪崩のように崩れ落ちる。
「なっ……!」
落石を避けようとした第六騎が、咄嗟に進路を変えた。
その先には、別の竜騎士が放った雷球。
回避する間もなく、雷球が第六騎の翼を掠めた。
直後、雷光が翼膜を伝って弾ける。
「ぐあああッ!」
竜騎士の身体が大きく傾いた。
制御を失った飛竜が、隣を飛んでいた第四騎へ衝突する。
さらに、両騎の放った雷球が空中で接触した。
本来、一定距離を飛べば消滅するはずの訓練用雷球。
しかし、互いの魔力が干渉し、青白い球体が不規則に膨張し始めた。
「いかん! 全騎、退避せよ!」
竜王の怒声が響く。
だが、遅い。膨張した雷球から無数の稲妻が伸び、周囲の岩峰を次々と貫いた。
崩落する岩。
暴走する雷光。
その中心に、翼を損傷した二騎が取り残されている。
訓練ではない。
このままでは、本当に死者が出る。
レオナルトの視界が、白く染まった。
【最適未来指標】
【警告:予測対象過多】
【優先対象を選択してください】
無数の選択肢が重なり、文字が潰れていく。
すべてを救う。
そのつもりで未来を見ようとした。
だが、そんな都合のよい答えは、どこにも現れない。
「レオナルト!我が雷球を消し飛ばす!お前は鱗に掴まっておれ!」
竜王が大きく息を吸い込んだ。
その喉の奥に、黄金の炎が灯る。
全方位へのブレス。
確かに、それなら自分たちは助かるだろう。
だが、取り残された二騎はどうなる。
「待て、アウレリウス!」
レオナルトは目を閉じた。
――違う。
すべての未来を見る必要などない。
我が守るべきものは、何だ。
目を開く。
予測対象を、一つに絞る。
自分でもない。竜王だけでもない。
この空にいる、九つの命。
視界が切り替わった。
【最適未来指標】
【予測対象:周辺九騎/総合生存評価】
『選択肢A:全方位ブレスによる迎撃』
→ 自身の生存率:99%
→ 竜王の生存率:99%
→ 周辺竜騎士の予測生存数:5/8
【推奨】『選択肢B:急降下後、背後へ限定ブレス』
→ 自身の生存率:76%【推奨】
→ 竜王の生存率:89%【推奨】
→ 周辺竜騎士の予測生存数:8/8
レオナルトは息を呑んだ。
選択肢A。
竜王の圧倒的な火力で、暴走した雷球も崩落する岩塊も、まとめて消し飛ばす。
自分たちの生存は、ほぼ確実。
だが、その炎は逃げ遅れた竜騎士たちをも呑み込む。
一方、選択肢B。
自分たちの生存率は大きく下がる。
それでも、八騎すべてが生き残る可能性がある。
「……そうか」
レオナルトは笑った。
「アウレリウス!ブレスを止めろ!」
「何だと!?」
「急降下だ! あの岩峰の陰へ飛び込め!」
「正気か! 逃げ場を失うぞ!」
「いいから我を信じろッ!」
竜王の金色の瞳が、レオナルトを捉えた。
「…………フン!」
次の瞬間、巨大な翼が畳まれた。
黄金の巨体が、岩峰へ向けて真っ逆さまに落下する。
暴走した雷球から伸びた稲妻が、二人の頭上を走り抜けた。
「まだだ!もっと落ちろ!」
「貴様は竜王を殺す気か!」
「死なせぬと言っておる!」
岩峰が迫る。
百メートル。
五十。
二十。
「いまだ! 翼を開けッ!」
竜王が両翼を打ち広げた。
凄まじい風圧が岩肌を叩き、周囲の岩塊を吹き飛ばす。
その勢いのまま、四脚で着地。大地が割れた。
「背後だ! 上方三十度! 撃てッ!」
竜王は首だけを背後へ向けた。
放たれたのは、先ほどまで喉に蓄えていた黄金の炎。
ただし、全方位ではない。
岩峰の陰から、暴走した雷球だけを狙い撃つ、細く絞られた一撃だった。
黄金の閃光が、雷球の中心を貫いた。
膨張していた雷球が内側から弾け、上空へ向かって爆発する。
その衝撃で、周囲の岩峰が次々と崩壊した。
だが、二人の頭上には、巨大な岩盤が残っている。
竜王が急降下の直前に飛び込んだ、あの岩峰の陰。
それが天然の防壁となり、爆風と落石を受け止めていた。
そして、雷球の消滅とともに魔力の干渉も途絶えた。
翼を損傷した二騎が、辛うじて姿勢を立て直す。
他の六騎も、それぞれ岩峰の陰から姿を現した。
八騎。誰一人、欠けていない。
「…………」
竜王はゆっくりと首を持ち上げた。
「……若造」
「なんだ?」
「いまのは、見えていたのか?」
「ああ」
レオナルトは激しく脈打つ頭を押さえた。
鼻から、一筋の血が落ちる。
「我らが生き残るだけなら、もっと簡単な道があった」
「だろうな」
「だが、それでは3騎が死んでいた」
竜王は、空を見上げた。
そこには、八騎の竜騎士たちがいた。
翼を傷めた者こそいるが、全員が生きている。
「……フッ」
小さな笑いが漏れた。
「ハッハッハッハッハ!」
やがて、それは雲海を震わせるほどの大笑いに変わった。
「面白い!実に面白いぞ、レオナルト!」
「何がおかしい?」
「我に命令するばかりか、我の命を勝手に賭けおった!」
「貴様が従ったのだろう」
「違いない!ハッハッハ!」
竜王はひとしきり笑うと、ゆっくりとその巨大な顔をレオナルトへ近づけた。
「若造。先ほど我は、お前に王の役目を説いたな」
「ああ」
「どうやら、余計な説教だったようだ」
竜王の金色の瞳が、まっすぐにレオナルトを見据える。
「己が助かる道を知りながら、他者のために危険を引き受ける。
しかも、ただ命を投げ出すのではなく、全員が生き残る道を探し続けた」
その声から、先ほどまでの揶揄が消えていた。
「よい王になれ、レオナルト」
レオナルトは、しばらく竜王を見つめた。
「……いまさら何を言う。我はすでに王だ」
「ハッハッハ! そうであったな!」
竜王は翼を広げた。
「ならば、王よ。今後、我が力を必要とすることがあれば、いつでも呼びに来るがよい」
「……よいのか?」
「構わん。我は気に入った者には甘いのでな」
金色の巨体が、陽光を受けて輝く。
「ただし、勘違いするなよ。我は誰かの配下になるつもりはない」
「分かっておる」
「ハッハッハ!ならばよい!
世界最強の竜王を呼びつけるのだ。次はそれ相応の大敵を用意しておけ!!」
「……まったく。とんだ老いぼれだ」
「聞こえておるぞ、若造!」
二人は顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑った。
レオナルトは胸元のペンダントを握る。
(バルムド。貴様は、己が生き残るために未来を見た。
そして最後に、自分が生き残れぬと知ってなお、我へと線を繋いだ。
ならば、我は。貴様が残したその線を、さらに先へと伸ばそう)
***
同時刻、北方。
高藤ストレンジネスは、雪原に突き刺したギターの前で腕を組んでいた。
北方探索開始から、すでに三時間が経過している。
探索成果は、特にない。
というより、探索らしい探索をまだ一度もしていなかった。
「…………」
ストレンジネスは、じっとギターを見つめている。
その姿は、何か重大な思索に耽る賢者のようでもあり、単に暇を持て余している男のようでもあった。
「ハッ!クソ寒ィなッ!ここは冷蔵庫かってんだ!」
ようやく発した第一声が、それだった。
ストレンジネスはギターを引き抜き、肩へ担ぐ。
そのとき、ふと東の空へ目を向けた。
分厚い雲の奥で、幾筋もの雷光が瞬いていた。
随分と派手な雷雨だ。しかも、妙に間隔が短い。
雷鳴が幾度も重なり、遠雷とは思えぬ不規則な音を響かせている。
「……なかなかデケェ音鳴らすやつがいるようだな!」
ストレンジネスはしばらくそれを眺めていた。
「ドシラ!ドシラ!ケッ、まるで不協和音じゃあねぇか!音楽に精通している奴はいねぇと見た!」
ギターを構える。
東の空で、再び雷が鳴った。
ストレンジネスは、そこへ短いコードを合わせた。
『ジャァン!ジャジャァン!』
「ハッ!これで少しは聞こえがよくなるってもんだ!」
北方探索開始から三時間と二十分。
高藤ストレンジネスは、ようやく活動を開始した。
アダマンタイトのギターを無造作に担ぐ。
「さあて、待っていやがれ、サウンドゲリラ野郎!
この俺、高藤ストレンジネスが相手をしてやるぜ!」




