北へ
竜王国へ至る道は、道ではなかった。
ズィルヴァリア北方。
針葉樹林を抜け、雪の残る岩山を越えた先。
地図には一本の線が引かれているが、実際にあるのは獣さえ避ける断崖と、空へ突き刺さる峰だけだった。
レオナルトは供を三人だけ連れていた。
斥候長ミネルヴァ。
狼将ヴォルク。
そして大将軍ベアード。
「全軍を待たせて、王が山登りとは」
ヴォルクが雪を踏み砕きながらぼやく。
「不満か」
「まさか。王都で書類を抱えるよりは百倍ましです」
「ならば黙って登れ」
「御意」
口では軽く返しながら、若い狼の耳は周囲の音を拾い続けていた。
風が強い。
断崖を吹き上がる冷気が、岩肌に細い笛の音を作っている。
「止まって!」
ミネルヴァが翼を広げた。
全員の足が止まる。
「上から来る!」
その言葉と同時に、山が鳴った。
頭上の雪面へ亀裂が走る。
白い壁が崩れ、音を飲み込みながら押し寄せてきた。
「雪崩だ!」
ヴォルクが叫ぶ。
右には切り立った岩壁。
左には深い谷。
前方には雪崩。
戻る時間はない。
その瞬間、レオナルトの視界に光が走った。
【最適未来指標】
『選択肢A:右――生存』
『選択肢B:左――損失』
文字だった。
見覚えがある。
いや、見たことなどないはずだった。
それなのに、意味だけが記憶の底から浮かび上がる。
「右だ!」
レオナルトは迷わず岩壁へ走った。
「陛下、右は岩壁です!」
「砕け、ベアード!」
老将が一歩前へ出る。
巨大な戦斧を両手で握り、岩壁へ叩き込んだ。
「ぬうううッ!」
岩が割れる。
その奥に、獣が一頭通れるほどの空洞が現れた。
「入れ!」
四人が飛び込んだ直後、白い奔流が背後を通り過ぎた。
雪と岩が谷へ落ち、地響きが長く続く。
やがて、静寂。
ヴォルクが荒い息を吐いた。
「……こんな穴、よく分かりましたね」
「分からないはずだった」
「は?」
「見えたのだ」
レオナルトは自分の目へ触れた。
すでに文字は消えている。
頭痛だけが残っていた。
「見えたって何がですか?」
「未来だ」
誰も言葉を返さなかった。
レオナルト自身にも、説明できない。
だが、あの文字の冷たさを、なぜか知っている。
バルムドが何度も見てきたもの。
生と死の狭間で、選択を迫り続けたもの。
「……最適未来指標?」
その名を口にした瞬間、胸元のペンダントが脈を打った。
一度だけ。
まるで、返事をするように。
***
洞穴を抜けた先で、雲が切れた。
遥か上空。
白い峰よりもさらに高い場所を、巨大な影が横切っていく。
翼の一振りで雲海が割れ、金色の鱗が太陽を弾く。
咆哮が遅れて山々へ届いた。
空そのものが、その王の存在を告げていた。
「迎えが来たようだ」
レオナルトは顔を上げる。
竜王国ドラグニール。
世界最強の一角が支配する空へ、四人は足を踏み入れた。




