帰還した王
亜人連合国家ズィルヴァリア。
その王都に、王が帰還した。
凱旋を告げる鐘は鳴らなかった。
沿道を埋める歓声も、色鮮やかな旗もない。
城門の前に整列した兵たちは、誰一人として声を上げず、ただ帰ってきた男を見つめていた。
レオナルト=ザイ=ビーストフォール。
人類に戦争を仕掛け、S級冒険者バルムド・アークヴェインに敗れ、囚われた亜人王。
そして今、彼は人間の国であったフェルドランの灰をまとい、ひとりで帰ってきた。
レオナルトは城門の前で足を止めた。
獅子の鬣は煤に汚れ、戦装束には乾いた血がこびりついている。
王冠はない。王剣もない。代わりに胸元には、見慣れぬ小さなペンダントがあった。
それを見て、最前列に立つ老将が眉を寄せる。
「レオナルト=ザイ=ビーストフォール陛下」
熊族の大将軍、ベアード・グリズリー。
レオナルトが幼い頃から王家に仕え、先王の死後は父親代わりとなって彼を支えてきた男だった。
「ご帰還、心より――」
「ベアード、我はその名は捨てた」
レオナルトの言葉に、老将の声が止まる。
兵列に小さな波が走った。
「……なんと?」
「我はもう、レオナルト=ザイ=ビーストフォールではない」
レオナルトは城門を見上げた。
獅子王家の紋章が、夕日の中で黒く沈んでいる。
「レオナルト・アークヴェイン。それが、いまの我が名だ」
ざわめきが広がった。
人間の姓。
それも、自分たちの王を打ち負かした男の姓である。
若い将の一人がたまらず前へ出た。
「陛下!それではまるで、我らが人間に屈したかのようではありませんか!」
怒号に近い声だった。
槍の石突きが地面を鳴らす。兵たちの何人かも、同じ思いを隠しきれずにいる。
レオナルトは怒らなかった。
かつての彼なら、その場で相手を黙らせていただろう。
王に異を唱えることは、王国そのものに牙を剥く行為だと考えていた。
だが今は、その怒りが正しいことを知っている。
「我は人間に敗れた」
広場が静まった。
「あの男、バルムド・アークヴェインに敗れ、鎖につながれた。
我が起こした戦争も、我が掲げた正義も、あの男の剣に打ち砕かれた」
誰も顔を上げられない。
王の敗北は、ズィルヴァリアの敗北だ。
その恥辱を、王自身が一つずつ拾い上げている。
「そして、その男に救われた」
ベアードの目が、わずかに開いた。
「救われた……と?」
「我を倒した男が、我が牢の鍵を開けた。己が死ぬかもしれぬ戦いへ向かう前にな」
レオナルトは胸元のペンダントを握る。
「屈したのではない。奪われたのでもない。我は、我に勝った男の続きを生きたくなった」
若い将が、なおも食い下がる。
「では、亜人王としての誇りは!」
「捨てぬ」
即答だった。
「守るものを増やしたに過ぎない」
その言葉は、大声ではなかった。
しかし、城壁に反響し、そこにいるすべての者へ届いた。
「人間は我らから奪った。我らも人間から奪った。
互いの正義を掲げ、互いの子を殺した。その事実は消えぬ。
だが、いまこの世界には、種の違いごと焼き払う敵がいる……!」
レオナルトの脳裏に、黄金の巨神が蘇る。
空を埋めた機械兵。
世界をめくり上げた光。
最後まで膝を折らなかった、ひとりの人間。
「我は見た。理の外から来た、真の暴力を」
獣の瞳が、鋭く細められる。
「あれは領土を求めぬ。服従すら求めぬ。ただ、壊す。己らの欲望だけでな」
レオナルトは一歩、城門へ向けて進む。
「大広間を開け。全将軍、全部族長、呪術師、斥候長を集めよ」
誰も動かなかった。
否ッ!
命令を飲み込むまでに、一拍を要したのだ!
「これより、ズィルヴァリアは国の総力をもって、
世界の敵、NZMナイトメアーズを討伐するッッッ!」
ベアードが、ゆっくりと膝をつく。
その拳を胸に当て、深く頭を下げた。
「承知いたしました――レオナルト・アークヴェイン陛下ッ!」
その名を最初に受け入れたのは、古き獅子王家に最も長く仕えた男だった。
やがて、一人。また一人。
兵たちが膝をついていく。
帰還を祝う鐘は、最後まで鳴らなかった。
だがその日、ズィルヴァリアの王都には、戦支度の槌音が夜明けまで響き続けた。




