出陣
執務室に満ちた沈黙が、音ではなく温度を奪っていく。火鉢の炭がぱちりと鳴ったのが、やけに遠い。
「北方にはそれまでは存在していなかった黒光りする巨大な建造物があったそうです。詳細はまだわかりませんが、転写魔法で記したものがこちらです」
羊皮紙に記されたその建造物は、圧倒的な存在感を放ちそこに鎮座していた。そして、その巨大さはヴァレンタインの予想を大きく上回り、脳内で想定していたあらゆる可能性をかき消した。
「これほどのものが、たった一夜にしてか……」
「そして、その遺跡の中から現れた、たった一体の巨人に調査団は壊滅させられたそうです」
「巨人か……」
若い騎士の息が、かすかに震えていた。
それを気遣ったのか、ヴァレンタインは椅子を引く音すら抑え、立ち上がる。
「私は王城へ行き、聖王様に謁見する。今夜中に、明朝の出撃を確定させる」
「はっ!」
リリアは拳を握っていた。掌に爪が食い込み、痛みがあるのに、感覚が遠い。
先遣の三十名――ほぼ全員が同じ制服を着た同僚だ。顔見知りもいる。冗談を言い合った者もいる。
その中には、昨日、食堂でスープの具が少ないと文句を言っていた若い騎士もいた。名前を呼べる者が、死者の数になっていく。
「リリア」
低い声に、彼女は反射的に背筋を正した。
「はい」
「リリア、お前は医務室へ向かえ。立ち会った者たちからの情報をまとめろ」
「はい」
それ命令があり、やっとの思いでリリアは息を吸い直せた。
自分の役目は、ここで崩れることではない。
***
医務室の奥は、消毒薬と聖油の匂いが混じっていた。
担架の上に白布が掛けられ、その端から覗く手が細い。若い男だ。隠密出身――報告にあった一名。
残念ながら命の灯は消えていた。
唇は乾き、ひび割れている。爪の間に土が詰まっていた。
逃げたのではない。這ってきたのだ。半死半生で。
医務官が、メモ紙と小さな木板を差し出した。木板には、震える筆致で文字が刻まれている。
「彼が最後に繰り返した言葉です。意味は不明ですが、音としては……この通りです」
リリアは紙と木板を受け取り、読み上げはしなかった。
目だけで飲み込む。その顔に、余計な感情は浮かばない。浮かべる時間がない。
リリアは視線を落とし、音の連なりを追った。
意味が入ってこない。だが、“言葉”の形はしている。吠えではなく、節がある。
木板の中央に、刺さるように刻まれていた。
――ナムサン。ショギョウムジョウ。
医務官が言葉を継ぐ。
「……そして、『巨人』だと。素手で騎士を叩き潰しながら、笑って……踊っていたと」
――踊っていた。
死が狩りではなく娯楽になっているとでもいうのか。戦場の常識が剥がれる。
リリアは喉の奥に乾いたものが貼りついた。吐き気ではない。恐怖の種類が変わる感覚だ。
「この言葉や巨人について古代碑文に該当はありませんか?」
「ありません。もしかしたら、これは神語かもしれません……」
「……わかりました」
神語とはこの世界を創造した者たちの言葉を指す。
そこから転じて『神語かもしれません』という言い回しは「見当もつかない」の暗喩である。
リリアは短く頷き、医務官の前で余計な言葉を足さない。
悲嘆を示せば、医務官は折れる。折れれば、次の仕事が止まる。
布のかかった担架を一瞥し、視線を戻した。
(この人は、報告を持ち帰った。なら、私たちが続かなきゃ…!)
***
王城の決断は早かった。
ヴァレンタインは粛々と情報を精査し、対策案を立案。
聖王にそれを伝えると、聖王は即時に決断をする。
王は対象となる遺跡を『神罰の遺跡』と命名し、王命が下った。
『調査し 敵は封じよ 不能なれば 滅せよ』
夜のうちに、兵站が揃い、早馬に移動促進の魔法が付与されていく。
そして――翌朝。まだ星が残る刻。
聖都の城門が開き、ヴァレンタイン・クローバーを隊長とする大隊が北へ向けて動き出した。
リリアは馬上で、昨夜の言葉を思い出していた。
『ナムサン……ショギョウムジョウ……』
意味はわからない。
だが、わからないままでも戦うことはできる。
むしろ戦場は、わからないものの上に建っていることのほうが多い。
部隊が北へ進むほど、空気が薄くなる。
風はあるのに、匂いがしない。鳥の声が減る。
音が、世界から引き算されていく。
そして日が沈みかけるころには、北方山脈が見渡せる高原から『それ』を見渡せる位置まで到達していた。
***
NZMナイトメアーズ旗艦『グレイテスト・トランク』。
――現地呼称、『神罰の遺跡』。
巨艦は沈黙していた。
死んでいるのではない。
“待っている”。
灯りは最小限。
動力は抑えられ、巨大な船体はこの世界の法則に溶け込むように息を潜めている。
その中枢、司令室。
段上に立つ男が、ゆるやかに振り返った。
「――諸君」
ワンブリッジ。
両手を軽く広げ、舞台の幕を上げるように言う。
「まずは謝罪から始めよう。
この世界の理を理解するのに、三日もかかってしまった」
室内に、低い笑いが広がる。
誰も本気で謝罪だとは思っていない。
「だが、その三日で十分だ」
空間に、幾何学的な光が展開される。
この世界のエネルギー循環、その密度、歪み、流動。
「結論を述べる」
一拍。
「美しい世界だ」
数名が口角を上げた。
「未完成で、不安定で、非効率。
――だからこそ、進化の余地がある」
壁に寄りかかっていた男が、低く笑う。
高藤ストレンジネス。
指で弦を弾くように、乾いた音を鳴らした。
「で?」
肩越しに視線だけを向ける。
「その“マナ”ってやつでよ。
俺のギターは、ちゃんと鳴るのか?」
「鳴らない」
即答だった。
「規格が違う。
君の音は、まだこの世界には存在しない」
「ハッ、つまんねぇな」
ストレンジネスは肩をすくめる。
だが、その目は楽しげに細められている。
「だが――作れる」
ワンブリッジが続ける。
展開されていた光の式が書き換わる。
マナの流れが歪み、別の構造へと変換される。
「マナをエーテルへ。
この世界の力を、我々の言語へ翻訳する」
誰かが口笛を吹いた。
「必要なのは、変換の核だ」
わずかな間。
「黄金」
静寂。
次の瞬間、笑いが弾けた。
「出たなぁ、黄金!」
ストレンジネスが笑う。
「古典!王道!最高じゃねぇか!」
その笑いを、低い声が断ち切る。
「違ぇな」
巨躯の男が前に出る。
ガイツ。
「世界が回ってるから、金がそこにあるんだろ」
静かに言い切る。
「なら、取りに行くだけだ」
床が、わずかに鳴った。
ワンブリッジは頷く。
「安心していい。
この世界にも黄金は存在する」
空間に投影されるのは、装備品の断片。
微細な装飾。だが確かに金。
「彼らはそれを価値として扱っている。
装飾として、権威として、信仰として」
「いいねぇ」
ストレンジネスが歯を見せて笑う。
「ちゃんと意味を乗せてる」
「そうだ」
ワンブリッジは静かに言う。
「だからこそ、奪う価値がある」
その声音には、軽さがない。
「彼らはまだ選んでいる。
何を価値とし、何を守るかを」
一拍。
「その意志ごと、受け取ろう」
――その瞬間。
警告音が鳴り響いた。
鋭く、空間を切り裂く。
だが、誰も驚かない。
「来たか」
ガイツが笑う。
「早ぇな。礼儀がいい」
「観測通りだよ」
ワンブリッジは淡々と応じる。
「彼らは動いた。考え、決断し、ここに来る」
ストレンジネスが肩を回す。
「いいねぇ。ちゃんと“会いに来る”タイプか」
「歓迎しよう」
ワンブリッジはわずかに口元を歪めた。
「これは侵略ではない」
静かに、しかし確定的に。
「邂逅だ」
ガイツが拳を鳴らす。
「言葉はどうする?」
「簡単だろ」
一歩、前へ出る。
「通じるやつでいい」
にやりと笑う。
「――拳だ」
室内の空気が変わる。
抑えられていた熱が、一斉に立ち上がる。
ストレンジネスが笑う。
「じゃあ俺は、あとで音を鳴らすか」
「いいね」
ワンブリッジは目を細めた。
「彼らの世界に、我々の音を刻もう」
警告音が最大になる。
扉の向こう――異世界の軍勢。
ワンブリッジは軽く手を上げる。
「さあ――」
幕を開けるように。
「敬意をもって、壊そう」
【次の話】
第5話「神罰の遺跡」
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