王の独奏曲
広場全体が静まり返った。
バルムドの背筋に、氷のような悪寒が走る。
フリーダム・スクエアに満ちる朝靄は、まるで神話の開幕を告げる薄幕のようだった。
その中心――空中に浮かぶ白い演壇の上で、ひとりの男が白衣をはためかせ、まるで開演を待つ役者のように振る舞い、マイクの高さを調整していた。
ワンブリッジは静かに息を吸い――朗々と読み上げた。
***
古記録【無名断章】より――
文明には、ふたつの終わりがあると記される。
ひとつは滅び。ひとつは完成。
滅びは、外より訪れるが、完成は、内より閉じる。
争いは去り、誤差は削がれ、失敗は淘汰される。
そしていつか、すべては整い、すべては満ちる。
されど我は問う。
『それをなお、生と呼ぶべきか』
***
朗々とそこまでを読み上げると、ワンブリッジはまるで数十年の月日が経過した特別なワインの香りを確かめるように目を閉じる。うっとりと、それでいて繊細に。
たっぷりの時間を使った。その場にいる誰もがワンブリッジの一挙手一投足から目を離せない。
場を完全に支配した男はゆっくりと目を開け、話を続ける。
「ある銀河写本には、こう追記されている。
『完全なるものは、もはや変化を許されぬ』――とね」
サングラスに手をやる。
「ゆえに――」
静かに風が吹き、白衣が翻る。
「『進み続けるものは、決して完成してはならない』と――」
一説を読み上げたワンブリッジは満足そうに空を見つめ、そして集まった聴衆に語り掛けた。
「実に美しい響き、リズムだと思わないかい?
意味かい?ハハッ、意味は私もわからんよ!」
市民は顔を見合わせ、冒険者たちは武器を構えたまま硬直し、バルムドでさえ理解が追いつかず、眉を寄せた。だがワンブリッジだけは至福そのものだったようだ。
「いやァ、実に素晴らしい!
意味がわかってもわからなくても、こういう古典は“響き”が大切だからねッ!」
ぱちん、と指を鳴らし、白衣が翻る。
そして――
ワンブリッジの“スピーチ”が幕を開けた。
「さあて、諸君!諸君は何を聞きに来たのかな?」
ワンブリッジは、両腕を大げさに掲げて叫んだ。
「此度の戦争の理由かい?我々の政治的声明かい?それとも、警告や脅しを心配したのかな?」
広場にざわめきが広がる。ワンブリッジはニコリと笑い続ける。
「ははは、どれも不正解。まったくもって不正解だ。
私たちはそういった話はしない。もっと美しい話をしにきたんだ」
ワンブリッジは軽やかに一歩、舞台の端へと移動する。
「君たちは聞いたことがあるかな?」
わずかに間を置く。
「“恒星観測圏における思考遅延現象
――すなわち、知性体は観測対象が巨大であるほど、結論を先送りする傾向にある”という、実にどうでもいい学説を!」
「……?」
群衆が顔を見合わせる。
「ない?ないのか!?そりゃそうだッ!
私だって今思いついたのさッ!!イッツ、ジョーク!」
ワンブリッジは聴衆のことなどお構いなしといった感じで、満面の笑みで言い切った。
誰も笑わない。
だが、ワンブリッジは気にしない。
「いいかね、諸君。この世界は“消化しきれぬ情報”で満ち溢れている!」
ワンブリッジは力強く手を広げた。
「諸君ッ!昨日の夕食の味を思い出せないのに、君は千年前の王の名前を覚えていないことを恥じる必要があると思うか!?
諸君ッ!好きな花の名前をわからないでいるのに、近所の爺さんの病名にばかり耳を向ける輩のなんと多いことか!?
諸君ッ!旅に出た大切な我が子の現状を知らずして、おそらく生涯行くこともないであろう世界に思いを馳せるとはどういう了見か!?」
誰も答えない。
「ないッ!ああないねッ!!そんなもの、必要はまるでないのさッ!!
大切なのは、“記憶の鮮度”ではなく―“意味を与える遊び心”なのさッ!」
トン、と演壇を叩く。
音が、妙に澄んで響いた。
その瞬間。
バルムドが一歩、前に出た。
石畳を踏む音。それだけで、空気が変わる。
ざわめきが引く。視線が動く。
ひとり、またひとりと――
群衆の視線が、バルムドへと集まっていく。
「……一つ答えてもらおう」
低く、だが通る声。
「なぜ、お前たちはここにいる…!?」
静寂が広がる。
ワンブリッジは――笑った。心底楽しそうに。
「いいねえ」
マイクを少し下げる。
そして、初めて“個”を見据える。
「いい問いだ。うん、実にいい問いだよ。流石はバルムド・アークヴェイン」
どよめき。
名前が、場に落ちる。
その瞬間、構図が確定する。
お構いなしにワンブリッジは続ける。
「疑問に思うだろう。『なぜ我々NZMナイトメアーズは、この国を侵攻しているのか?』と。
大義名分は伝えた通りさ、剣を先に向けたのは君たちだからだとね。
しかし、真実は違う。まったくもって違う。
ならば、答えようッ!その問いに答えようじゃあないかッ!」
観衆が息をのむ。
ワンブリッジはにこっと微笑んだ。
そして――一気に声のトーンを落とす。
「そんなもの、私は知らんよ」
沈黙。まるで感情の暴れ馬のようなスピーチに困惑と恐怖が聴衆の心に広がる。
「いいかね、諸君ッ!我々は“理由”を語るほど安い連中ではないのさッ!!」
そのまま続ける。
「考えてもみたまえ!諸君は、理由がなければ動けないのかね?
“美しい花が目の前に咲いている。顔を近づけて香りを確かめる”
――それと同じことさ。
理由など、後からくっついてくる“尾びれ”のようなものなのさッ!!
大切なのは行動そのもの!その行動に宿る“物語性”!」
そして、わずかに首を傾げる。
「さあ――」
指が、まっすぐバルムドを指す。
「君ならどうこたえるんだい、バルムド・アークヴェイン」
完全な静寂。全員が、彼を見る。
だがワンブリッジは、すでに興味を失ったかのように視線を外した。
答えなど、求めていない。
ただ、場を奪っただけだ。
そして再び、演者へと戻る。
「我々がここにいる理由!?そんなもの私にはわからん!知る必要もない!」
ワンブリッジは力強く拳を掲げる。
「だがッ!だがッ!だがッ!
ひとつだけ言えることがある!これより始まる戦いは―」
マイクに顔を近づけ、ニヤリと光のない笑顔で聴衆を見る。
そして、まるでそこに感情などないような冷たい声で語る。
「―― 美 し い ぞ 、マ イ フ レ ン ッ !」
白衣のポケットから、黒いキングの駒を取り出す。
「諸君、チェスというゲームを知っているかね。
そこには“ステイルメイト”という状態がある。
キング一人きりだが、動きは残っている。詰みにはしていない。
“勝ちでも負けでもなく、ただ詰まっている状態”だ。」
静寂。
「普通の王なら、ここで終わりさ。立場を失い、役割を失い、存在意義すら霧散する。」
ゆっくりと、駒を掲げる。
「だが―我々の“キング”は違うよ?」
声が落ちる。
「この男は“ステイルメイト”などでは倒れない。
仲間がいようが、いまいが、味方が死のうが、生きようが、彼にとって勝敗は“結果”ではない。
“戦うという行為そのもの”が、彼の人生の主旋律だ。それこそが彼の流儀だ。」
バルムドの背筋がぞくりと震えた。
「さあ諸君。これから始まる戦いは、我らが王
――アンドリュー・ジャスティス・ガイツが、たった一人で行う!!」
どよめきが爆発する。
ワンブリッジは、狂気と陶酔を混ぜた笑みで宣言した。
「諸君、主役は我らが王ただ一人だ。
覚悟したまえッ!これは―“王の独奏曲”であるッ!!」
白衣が翻る。
その声はフェルドラン全域へ響き渡った。
バルムドは拳を握る。
――来る。
ついに。
アンドリュー・ジャスティス・ガイツが来る。
王の独奏曲が幕を開ける。
【次の話】
第35話「世界への挨拶」
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