バルムド・アークヴェイン
目の前に立ちはだかる音の狂気。
絶望を奏でる魔神【喧嘩上等!生臭坊主】が立ちはだかる。
金属の軋み、油の香り。周りの空気が奏でる残響。聖王国南部全体を震わせる重低音。
その光景の前に、バルムド・アークヴェインは、一歩だけ前に踏み出した。
――そして、何かを思い出すように、バルムドは静かに目を閉じた。
***
転生前の世界。彼の世界には色がなかった。
灰色のオフィス。大手損害保険会社の内部監査部門、それが彼の仕事だった。
数字、嘘、虚栄、誤魔化しを見抜き、何かが発生する前に対処する。
『君は“人の欠点”を見るのが得意だね』
もちろんそれは褒め言葉ではなかった。
しかし、事実、それは彼の役割だった。人や組織の“不正”と“弱点”を見抜き、レポートに書き連ねる。
正論だが、誰も好きではない仕事、嫌われ役。
彼はいつしか、人の悪い部分ばかりを見る癖がつき、気づけば同僚たちは距離を置くようになった。
帰りの電車の中で、スマホを眺める気力すら沸かない。
スマホに送られてくるSNSの通知、ネットニュース、ありとあらゆるものが彼にとっては粗探しになった。揺られる電車の中の人々の喧騒にですら、彼の目は休もうとしない。
いつしか、彼はできるだけ車窓から外の世界を眺めるようにしていた。
(どこか……本当に信頼できる世界へいってみたいぜ……)
皮肉にも、その願いは、思いもよらない形で叶うことになる。
突然動かなくなった身体。目の前がブラックアウトする。
そして、体の筋肉が言うことを聞かなくなり、彼はその場に倒れこんだ。
「〇〇さん!〇〇さん!誰か!大変です!誰か!誰か救急車――」
(誰だ?うるさいな。救急車って、誰か倒れたのか?)
「〇〇!〇〇!おい!〇〇!おい、お前ら何してる!
んなことしてる場合か!はやくしろ、〇〇が――」
(ふふ、柄にもなく必死な顔してらぁ。
あれ?誰だっけ、思い出せないけど、この人のことは好きだった気がするなぁ)
内部監査で訪れた地方支社。
連日連夜の過労と精神のすり減りは、彼の体を終わらせるには十分過ぎた。
薄れゆく景色の中、無機質なサイレンの音、知らない天井。
「〇〇!〇〇!ダメだよ!息をして!〇〇――」
(ミレーネ……じゃないな……誰だっけ、思い出せない)
友達と遊んだ公園、教室の窓際の席、家族の団欒、大学時代の悪友達、着なれないスーツに身を包んだ新入社員時代、整理整頓された会社の机、そして、幸せそうな結婚式。
――情報が雪崩のように駆け巡る。次から次へと映像が切り替わり、消えていった。
(――そうだ、俺はあのとき死んだんだ)
***
倒れて目が覚めた時、彼は十大貴族アークヴェイン家の一人息子、バルムド・アークヴェインとなっていた。
厳格な父、ザカル・アークヴェインに幼いころから鍛えられたバルムドは、異世界からの贈り物も手伝い、メキメキと頭角を現していく。
だが、前の世界での体験からかどこか斜に構えるような生き方を選んできていた。つまり、最適未来指標が示す“推奨”を選び続ける生き方だ。
そんな中、父と同じく十大貴族のラングロード卿との出会いが、バルムドの今まで閉ざされてきた心の歯車を大きく動かすことになる。
「バルムド、君の父上や先人たちは、命に代えても世界を守るという“黄金の意思”がある。
それが、私たち貴族が持たなくてはならない“高貴なるものの義務”というものだ」
「“黄金の意思”…?」
「バルムド、世界に色を求めるな。それよりも、常に自分にこう問い続けろ。
“自分が生まれたことで世界は少しでも美しくできたか?”と」
その言葉がわずかだが、バルムドの景色に色を与えた。
「ならば、自分で確信したい。この世界は、守るに値する世界なのかを、自分自身の目で」
そして、バルムドは家を出て、冒険者となった。自分の目で世界を見て回ることにしたのだ。
弾圧に苦しむ人々を助けた。
魔物に怯える人々の前に立った。
不平等に嘆く人々の声に耳を傾けた。
その中でバルムドは気が付いた。この世界の人々は、立ち向かうということに。
弾圧があればそれが過ぎ去るのを待ち、魔物があれば鍬をもって立ち向かう。
力がない不平等を嘆きながらも、いつしか現れる英雄を信じて疑わない。
その姿は、きらきらと美しく、見据える明日は、儚くも輝いて見えた。
そして出会うかけがえのない仲間たち――ゴルド、ミレーネ。
ときにふざけ、ときに支え合い、同じ方向を向いて進んでくれる自分の“帰る場所”。
前の世界では、バルムドは明日を見ることができなかった。
しかし、この世界でバルムドは多くの人々を見て、そして大切な仲間を得て、決意をした。
この国も、この土地も、ここで生きる人たちも、守りたい。
なぜなら、この世界は、こんなにも美しいのだから。
***
バルムドは静かに目を開いた。
「行くぞ、二人とも!」
バルムドは剣を構えた。
そのとき――胸元で、かすかな“熱”が灯った。
首から下げたペンダントが、微かに震えている。
(……なんだ?)
一瞬だけ視線を落とす。
だが次の瞬間、戦場に黄金の響きと麦の香りが立ち込めた気がした。
「魔神と戦ってはいけない!」
南部全体に響くほどの大声で、メリナ・ハチミツの叫びが響き渡った。
振り向くと、メリナたちレジスタンスが必死に駆けてくる姿が見えた。
「バルムドさん!ダメです!
魔神は私たち人類が敵う存在ではありません!絶対に戦ってはいけません!」
「だとしても、ここで引き下がれるか!
――俺は決めたんだ! この世界を守るってな!」
決意を秘め、剣を構えるバルムド。
――そのとき。
ペンダントの輝きが、はっきりと強くなった。
脈打つように、金色の光が明滅する。
(……っ、なんだこれ……)
光は、まるで“引くな”と訴えるようでもあり――
同時に、“ここではない”と告げるようでもあった。
だが、その違和感を噛み砕く前に――
ゴルドとミレーネが、前に出た。
バルムドは思わず目を見開いた。
ずっと一緒に歩いてきた二人が、その瞬間なぜだかとても遠くに感じたからだ。
「バルムド……すまねぇな」
ゴルドが小さく呟く。
ミレーネが震える声で続けた。
「私たちは……あなたに“帰る場所”をもらいました。
あなたがいたから、ここまで来れたんです」
「何を言ってるんだ、ゴルド?
何言ってんだよ、ミレーネ?
一緒に戦うんだろ、一緒に帰るんだろ?」
最適未来指標が、容赦なく光を走らせる。
【最適未来指標】
『選択肢A:ゴルドとミレーネを盾に逃走→ 生存率30%【推奨】』
『選択肢B:三人で協力して喧嘩上等!生臭坊主と戦闘→生存率0%』
(0%?)
そして次の瞬間、選択肢Bに赤文字で表示が浮かぶ。
『選択肢B:合理性なし【選択拒否】』
(合理性!? 選択拒否!?なんだこれ…体が…)
『強制選択を執行します』
(強制選択…!?)
その瞬間――
ペンダントが、強く輝いた。
黄金の光が、バルムドの視界を一瞬だけ覆う。
引き寄せるような、押し返すような、奇妙な力。
(……違う……これは……)
だが、体は動かない。
バルムドは血が逆流するような怒りを覚えた。
「ふざけるな…!!一緒に戦う選択を、なんで――」
いうことを聞かない体を振り絞り、必死の思いで声を出した――そのときだった。
「バルムドさん…私の“帰る場所”を守らせてください!」
ミレーネは振り向かない。
だが、その声は確かに届く。
「奇跡《神力の祝福》!」
「奇跡《守護神の盾》」
ゴルドの身体が光り、筋肉が膨れ上がる。
同時に、バルムドの体に防御の加護が現れた。
「相棒…俺はお前に感謝してる。だからよ――」
バルムドが気づいた時には、もう遅かった。
ゴルドの拳が、バルムドの胸元を捉える。
ミレーネの光魔法がバルムドを包み込むように広がる。
「生きて帰れよッ!!」
視界が宙へ舞った。
バルムドの体は空中を吹き飛び、地面を転がり、砕け、はるか彼方へと吹き飛ばされた。
――守られるように。
――逃がされるように。
薄れゆく意識の中で、バルムドは見た。
巨大な魔神の背後に並んだ20.1chチャンネルの巨大音響装置が、まるでライブ会場のように空中に展開される。
巨大なエレキギターを構える魔神。
――そして、それに立ち向かうゴルドとミレーネの姿。
「や……ろ……やめ……くれ……!」
叫ぼうとしても、声が出ない。
音が爆ぜる。
そして、光がすべてを覆い尽くした。
ゴルドは最後まで前を向いていた。
ミレーネの光は、最後までバルムドへ伸びていた。
***
「生きてます!バルムドさんは、まだ生きてます!」
メリナの声が遠くから響く。
薄い意識を辿る。バルムドは馬車の上だった。
「この人だけは絶対に救うよ。約束したんだ。“持ち帰る”って……」
その言葉に、胸元が微かに熱を帯びた。
ペンダントは、まだ淡く光っている。
覚悟を決めたメリナの横顔を最後に、バルムドの視界は閉じた。
暗い意識の底で、誰かの声がする。
聞いたことはない誰かの声――
『持ち帰れ、次の勝ちのために』
バルムドの意識とは逆に、次第にあたりは明るくなった――日の出だ。
それはどこか、淡い金色が混じった朝日だった。
【次の話】
第27話「破滅の余韻」
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